第67話:日ノ本一の無責任男
慶長十三年(1608年)水無月(旧暦六月)。長かった梅雨も明け、今は夏真っ盛り。私は少しバテ気味で、昼間は横になっていることも多い。まあ、産後だから、無理をしちゃいけないよね。
実は三か月前に第六子を授かったばかりなのだ。お名前は密柑丸ちゃん。丸々と太っていて元気いっぱいの男の子だ。
生まれた赤ちゃんが男の子だと聞いたときは、正直に言ってかなりホッとした。もし女の子だったら、お橙ちゃん、お橘ちゃんのように幼い時に手放さなくちゃいけなくなるから。
豊臣家に嫁いだお橙ちゃんと前田家に嫁いだお橘ちゃんからは、毎月のように手紙が届く。二人とも幸せに暮らしているようだ。でも、顔を合わせることができないのはすごく寂しい。でも、今の私は将軍夫人である「御台所様」。大坂城や金沢城を気楽に訪問するというわけにはいかない。うーん、こういう所がかなり不自由なのよね。はぁーっ。
私が大きくため息をついていた時だ。襖越しに私の筆頭侍女の民部卿局ことお梅さんの声が聞こえてきた。
「御台所様。お父上様がいらっしゃいました。いかが致しましょうか?」
おお、私の父の織田信雄さんが来てくれたようだ。
「はい、すぐに参ります。支度を手伝ってください」
私は布団から急いで起き上がると、お梅さんに手伝ってもらい小袖に袖を通し、打掛を羽織る。
「御台所様、お体のお加減は、本当に大丈夫でございますか? 無理をされてはいけませぬよ」
「ええ、もう大丈夫です。それに、父上様をお待たせするわけにはいきませんから。急ぎましょう!」
私は浮き浮きと心を弾ませながら、信雄さんが待つ客間へと向かう。
小姫として生まれ変わったのは十七年前。初めて信雄さんと会った時に、このでっぷりと太ったはげ頭のおじさんが自分の父親だと言われても、特段の感慨を覚えることはなかった。いや、正直に言えば、今でも私にとって信雄さんは、ただの知り合いの一人にすぎない。
では、なぜ、いま心が弾んでいるのか? それは、信雄さんが隠居中で悠々自適の生活を送っていることに関係している。信雄さんは、普段は京の大邸宅で暮らしているけど、気が向いたときに、大坂城の淀の方様や秀頼様と面会したり、金沢城の松の方様を訪ねたり、駿府城の家康と囲碁を打ったり、諸国の温泉で湯治をしたり、自由気ままに生きているのだ。
だから、信雄さんは、お橙ちゃんやお橘ちゃんとも、いとも簡単に会うことができる。実際、先月も、信雄さんは大坂と金沢を相次いで訪問していて、二人と会っているのだ。信雄さんから二人の今の様子を聞ける! そう思うだけで心がすごく弾んできてしまう。
客間に入ると、信雄さんは庭をぼおっと見ながら、鼻毛を抜いているところだった。
「おお、小姫よ。久しぶりじゃな。体には差し障りは無いか?」
「はい、おかげさまで元気に過ごしております。父上様はいかがでございますか?」
「うははははっ。もう年じゃからな、体の節々が痛んで仕方ない。じゃがな、加賀の山代で湯治をしたおかげで、だいぶ痛みも和らいでおる。いや、伊予の道後の湯も良かったが、山代の湯もなかなかのものであったぞ。こう身にじんわりと染み入る感じがじゃな――」
私は、信雄さんの温泉話には全然興味がないんだけどな。早く、お橙ちゃんとお橘ちゃんの話を聞かせて欲しい。そう思ったのだけど、信雄さんの機嫌を損ねるわけにもいかないので、ニコニコと愛想笑いを浮かべ適当に相づちを打ちながら、温泉についてのうんちく話を聞いているふりをする。
「なるほど、なるほど。さすが父上様は出湯にはお詳しいですね。ところで、父上は先月に大坂城と金沢城を訪れたと聞きました。お橙ちゃんとお橘ちゃんの様子はいかがでございましたか?」
「ん、お橙とお橘か? うむ、二人とも楽しそうに暮らしておったぞ。お橙は、箏の手習いを始めておってな、右府殿の龍笛と合わせて曲を奏でておるらしいぞ。ワシが大坂城におったときも、二人の曲を聞かせてもらったぞ」
「へえ、二人で曲を奏でているのですか。それは楽しそうですね」
ああ、お手紙でもお箏を始めたって言ってたな。そうか、秀頼様と仲良く合奏してるんだ。うん、とても幸せそうだな。
「うむ、真に楽しそうであった。お橘も、金沢で筑前守殿と仲睦まじゅうしておった。二人で毎日、双六なぞをして遊んでおるようじゃ」
「あらっ、毎日ですか?」
「おお、そうじゃ。筑前守殿は、まめな方のようじゃな。お橘が退屈せぬよう、気を配っておるのじゃろう」
ああ、そうなんだ。前田利光くんは本当に優しい人なんだな。お橘ちゃんも手紙ですごく褒めまくってたし。
「しかし、いくら仲が睦まじいとは言うても、お橙もお橘もまだまだ幼な子じゃからな。二人にやや子ができるのは、もう少し先じゃと思うぞ。まあ、気長に待つしかないな、わははははっ」
信雄さんは、楽し気に高笑いをした。いや、お橙ちゃんは数えで十二歳で、お橘ちゃんは十歳なんだから、それは当たり前でしょう。
私は、ちょっとあきれた様子で信雄さんの顔をじっと見た。そんな私の視線に気が付いたのか、信雄さんの表情が急に引き締まる。
「ふむ、まあ、お橙とお橘のことはよいのじゃがな、実は気がかりなのは、お茶々のことじゃ」
「えっ? お茶々? 淀の方様のことですか?」
突然、予想もしない方向に話が変わったので、私は戸惑った。
「うむ。まあ、先月、ワシと会うたときも、えらく不機嫌な様子であった」
「不機嫌ですか……。何か理由があるのでしょうか?」
「うむ。理由はわからん。まあ、お茶々が不機嫌なのはいつものことなのじゃが、此度は格別であった。終いには、ワシにな『徳川にいつ天下を豊臣に返すのか、問い質していただけますか?』とまで言うてきてな」
へっ? 豊臣に天下を返すって、まだ、そんなことを言ってるの? 関ケ原の戦いから、もうすぐ八年が経とうとしている。その間、徳川家がしっかりとこの日本を治めてきて、この平和な世の中を作り上げてきた。これからも天下は徳川家の将軍の下に定まると、おそらく日本中の誰もが思っているはずだ。
「あ、あの、父上様。淀の方様はなぜ、そのようなことをおっしゃっておられるのですか?」
「うむ、お茶々は、今もこの天下を治めておるのは豊臣家であり、ただ一時の間だけ、徳川家に貸し与えておる、そう思うておるのじゃろう」
「で、でも、淀の方様以外で、そんなことを思ってる人は誰もいないのではないですか」
「うむ、それがな。側でお茶々を焚きつけておる者がいるのじゃよ」
えっ? 淀の方様を焚きつける? ちょっと、誰がそんなことをやっているのよ!? 私は、淀の方様の周囲の人物の顔を思い浮かべる。最初に浮かんできたのは、淀の方様の元乳母で、今は筆頭侍女の大蔵卿局さん。ちょっと強面ですごみのある女性だ。
「ひょっとして、大蔵卿局様ですか? でも、あの方はしっかりとした方だと思っていたのですが」
そう、大蔵卿局さんは、淀の方様のことをなによりも大事に思われているけど、その一方でとてもバランス感覚の取れた強かな人だ。関ケ原の戦いでも、自分の息子の大野治長さんを東軍方につけているほど。そんな人が「豊臣に天下を返すべきだ」なんて徳川家を挑発するようなことを言うとは思えない。
「うむ、もちろん、あのしっかり者の大蔵殿がそのようなことを言うはずもない。お茶々がワシに『いつ天下を豊臣に返すか問い質せ』と言うたときも、しかめ面をしておった」
あっ、やっぱり、そうなんだ。じゃあ、一体、誰? 豊臣家の筆頭家老と言えば、片桐且元さん。元は浅井家の家臣で、浅井家滅亡後はずっと秀吉に直参として仕えてきた。柴田勝家さんとの賤ケ岳の戦いでも、七本槍の一人として、世間に名が通っている人でもある。
「それでは、片桐様ですか? でも、片桐様は無用な争いは好まない方のはずですが」
そう、片桐さんは、戦場で数々の武功を挙げてきた人だけど、同時に検地やお城の普請、諸大名との外交など政治の面でも実績がある実務家でもある。その優秀さには、家康や秀忠くんも一目を置いているぐらいだ。
「うむ、もちろん、且元がそんな愚かなことを言うはずはない。あやつは見えている男じゃからな」
やっぱり片桐さんでもない。まあ、当然だよね。でも、淀の方様を焚きつけられるほどの影響力がある人が大坂城にいないと思うけど……。
「あの、父上様。それでは、一体どなたなのですか? まったく見当がつかないのですが」
私がそう訊ねると、信雄さんは、ぎゅっと眉をひそめた。ん? 誰なんだろう?
「……源五殿じゃよ」
「源五殿? ……ええええっ! 有楽斎のおじ様なのですか?」
織田有楽斎。信長の十人いる弟の一人。信雄さんにとっては叔父で、私にとっては大叔父にあたる人だ。でも、いつも調子のいいことばかり言っている軽い人という印象しかないんだけど。
「うむ、そうじゃ」
「な、なぜ、おじ様が淀の方様を焚きつけているのですか? そんな大それたことをする人とは思えないのですが」
「ふん、源五殿は、大それたことをしているつもりはないのであろう」
「へっ? どういうこと……ですか?」
なんか、信雄さんがよく分からないことを言い始めた。どういう意味よ!?
「源五殿はな、目の前の相手にとって、耳に心地よいことを言うのよ。そこに悪意は無い」
「目の前の相手の耳に心地よいこと……」
「ああ、お茶々は、秀頼殿を天下人にしたいという思いが強い。じゃが、周りの者は今さらそれができぬこと、もう豊臣は徳川には敵わぬことををよく分かっておる。じゃから、口をつぐむ。しかしな、源五殿は違うのじゃ。できるか、できぬかは関係が無い。ただただ、相手の望むこと、相手の聞きたいことを口にする」
……へっ? なに、それ? あのおじさん、どれだけ無責任なの? 私は、あきれてしまい言葉が出てこなかった。
「思えばな、ワシがハゲネズミに逆らったときも、源五殿に焚きつけられたせいであった。『織田家の惣領が家臣である秀吉の言いなりになっては、世に示しがつかぬ。ここは主従の理を見せつけるべきじゃ』、とそう言うて来た。しかしじゃな、ワシには秀吉に抗える力なぞ有るはずがなかった。いとも簡単に領地も官位も全て奪われ、出羽へ追放じゃ」
ああ、私が生まれ変わる直前の話か。あれって、信雄さんは有楽斎のおじさんに煽られちゃったから起きた話だったんだ。……あれっ?
「しかし、あの後も有楽斎のおじ様は、秀吉……太閤様の御伽衆を御勤めされていたと思いますが」
私がそう指摘すると、信雄さんは苦虫をかみつぶしたような表情となった。
「まさにそうじゃ。ワシを焚きつけておきながら、いつの間にかハゲネズミの側で尻尾を振っておった。源五殿が流刑になってないと出羽で聞いたときには、ワシは開いた口がふさがらなかったわ」
ああ、そうか。そう言えば「織田の源五は人ではないよ。お腹召せ召せ 召させておいて、我は安土へ逃げるは源五」って戯れ歌があったっけ。本能寺の変の直後、二条城で信長の嫡男の織田信忠さんに切腹するよう進言をしておきながら、自分はさっさと二条城から安土城へ逃げのびたことを皮肉ったものだ。
あの時も、きっと信忠さんの頭の中には「武士らしく潔く」なんて思いがあったのだろう。そこに有楽斎のおじさんの進言が刺さってしまったのだ。でも、おじさんが逃げられたのだから、きっと信忠さんも明智さんから逃げられたのだろう。だから、信忠さんもあのときは潔くなんて思わずに、急いで逃げ出すべきだったのかもしれない。
「あの、父上様は、淀の方様にそのことをお話しされたのですか?」
「勿論、言うたわ。じゃがな、お茶々は、まるで聞く耳を持たなんだ。ついにはワシを徳川の手先のように扱いだす始末じゃ」
「そ、そうなのですね」
「このままではいずれ取り返しがつかぬことになるやもしれぬ。もしそうなれば、豊臣は滅びてしまうのじゃろうな」
「豊臣が滅びる……」
そう、私の知っている歴史では、大坂冬の陣・夏の陣があって、豊臣家は滅亡してしまう。
「まあ、そのときでも、源五殿はいつの間にか大坂城から逃げ出しておるのであろうがな」
信雄さんはそう言うと、天を仰いで首を左右に振った。
うーん、でも、そんな無責任な人のせいで豊臣家が滅び、秀頼様が死んでしまって、お橙ちゃんが不幸になるなんて許せない。そう、ここは絶対になんとかしなくてはいけない!
◇ ◇ ◇ ◇
その日の晩。私の部屋に、旦那様の秀忠くんがやってきた。私は早速、秀忠くんに、昼に信雄さんから聞いたことを伝えた。
「――ということなのです。有楽斎のおじ様を大坂城から引き離さなければ、また、大きな戦さが起きてしまいます!」
「ふむ、なるほど。有楽斎殿がそのようなことを申されておるのか。それは困りものじゃのう」
秀忠くんはそう言うと腕を組んでじっくりと考え始めた。しばらく、秀忠くんが話し出すのを待っていたけど、どれだけ待っても黙ったままだ。さすがに待ちきれずに、私から秀忠くんに話しかける。
「秀忠様、例えば、おじ様の大坂城へのご出仕を禁じることとかできませぬか」
「ん? いや、それは難しいであろうな。有楽斎殿にとって、豊臣家は主家であるから」
「しかし、おじ様が淀の方様の側にいては、よくないことが起きてしまいます!」
「まあ、それは、そうじゃな。……うむ。まあ、大坂城に行けなくしてしまえばよいのであろう。小姫殿、ここはわしに任せてくれ。父上と話をしてうまくまとめ上げて見せよう」
そう言うと秀忠くんは、大きく頷いた。うん、秀忠くんのこと信頼してるから、よろしくね!
◇ ◇ ◇ ◇
そして、三か月後の長月。幕府から織田有楽斎のおじさんに転封の命が降りたのだった。
元の有楽斎さんの領地は、大和国(現在の奈良県)内の一部の三万石。それを下野国(現在の栃木県)の佐野を中心とした五万五千石と交換するというもの。
つまり、大坂城の近くから江戸城の近くへお引越しということだ。合わせておじさんには、江戸城における茶道指南役の一人としての地位も与えられ、基本的に江戸城に出仕することとなったのだ。
有楽斎のおじさんも最初の内は不満だったらしいけど、石高がほぼ倍増することと、将軍家茶道指南役という名誉に惹かれたのか、江戸城に来たときはニコニコ顔だった。
うーん、叔父さんが私の近くに来てしまい、正直に言って、微妙な気持ちにはなっている。まあ、それでも、淀の方様が変なことを焚きつけられた結果、豊臣家の滅亡を迎えてしまうよりは、はるかにマシか。
うん、これで平和な方向に進めばいいんだけどな。まあ、でも、やっぱりよくわからないかなあ。うーん、淀の方様や秀頼様に直接会って、お話をしてみたいな。
本作をお読みいただき有難うございます。また、ご感想、ブクマ、ご評価、誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。
作中で出てくる石川県の山代温泉。明智光秀が朝倉家に仕えていた頃に、傷を癒しに湯治に来たという話があります。永禄八年五月のことと言われていますが、この月には三好三人衆が足利義輝を殺害した永禄の変が起きていたりします。面白いですね。
次話第68話は、9月18日(土)21:00頃を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。




