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第66話:大御所様か、幼なじみか?

 慶長十二年(1607年)卯月(旧暦四月)。私の旦那様の秀忠くんが二代将軍に就任してから丸二年が経過した。江戸城の拡張・改築工事も順調に進み、後は三の丸の櫓の仕上げや城壁の一部の塗り替えなどを残すのみだ。


 江戸城下の町並みの整備も進んでいる。お城の近くには全国の大名の方々のお屋敷が建てられており、そこから少し進んだ先には、お店や町人の住居がびっしりと立ち並んでいる。


 私が江戸に来たのは、今から八年前のこと。その頃は、江戸城の大手門の前には入り江が広がっていて漁師さんたちが釣りをしていた。櫓に上って江戸の町を見渡しても、大きな建物はほとんど見当たらなかったのに、今では京や大坂にも引けを取らないほどの栄えっぷりだ。うん、これは、秀忠くんの町造りに対する情熱の賜物だよね。なんだか、私も嬉しくなってくるよ。


 江戸城下の大名屋敷に奥方様や嫡男の方が住むことも、最近では珍しくなくなってきた。これは、秀忠くんや幕府が、江戸に引越しするように命令を出したわけではなく、あくまで各大名家の方々が自主的に実質的な人質として家族を江戸に送ってきているのだ。家族が離れ離れになることを考えると、正直に言って少し微妙な気持ちになってしまうのだけど……。


 先月には、ある大名家の奥方様とお姫様が新たに江戸にやってきた。そして、今日はそのお二人が私の所に挨拶に来てくれることになっている。


御台所(みだいどころ)様、細川家の奥方様と滝姫様が城内にいらっしゃいました」


 私の筆頭侍女・民部卿局ことお梅さんがそう教えてくれた。


「分かりました。すぐに向かいます」


 私は立ち上がり小袖を羽織ると、表の客間に向かう。ここ本丸御殿も以前と比べると倍以上の大きさとなっている。私達一家が普段生活している大奥という場所から客間に行くだけで、いくつもの廊下を渡らなければならなくなった。はあ、正直に言うと、もっと小さい家に住みたいんだけどなあ……。


「玉姫様、滝姫様。お待たせをして申し訳ありません」

「いえ、御台所様。勿体ないお言葉にございます。この度は、御台所様の貴重なお時間を賜り、恐悦至極にございます」


 玉姫様はそう言うと私にひれ伏すようにお辞儀をした。いや、玉姫様は四十代半ばで私よりもずっと年上だし、学問や詩歌に秀でた才女として世間ではとても有名な方だ。こんな風な態度を取られると、なんだかとても恐縮してしまう。


「玉姫様、もっとお気楽にされてください。私のことを友人の一人とお考えいただけますか?」

「いえ、いえ。それこそ勿体なきことと存じます。何よりも、御台所様は私の命の恩人にございます。そのようなお方を友人とは恐れ多きことにて……」


 えっ、命の恩人? ……ああ、関ケ原の戦いの直前に、細川さんの大坂屋敷に石田さんの兵が押し寄せたときのお話か。あのときは秀俊くんが細川さんのお屋敷に来て、石田さんの兵たちを追い払ったんだよね。


「いえ、それは、秀俊くん、あっ、いえ、小早川様がなされたことです」

「しかし、御台所様が小早川様に、大名の奥方を守るようにご命じなされたと聞いております」


 まあ、確かに、手紙で秀俊くんにそうお願いしたのは私だけど。でも、そのときは秀俊くんは東軍に付くとばかり思ってたんだよねえ。


「私は、小早川様に文を書いただけに過ぎません。実際に行動に移されたのは小早川様です。彼は卑怯なことが大層お嫌いでしたから」


 そう、昔は問題児だったけど、いつの間にか立派な武将さんになってたんだよね。秀俊くんの関ケ原での奮闘は、徳川の家中でも「敵ながら天晴れ」と称賛されている。


「いえ、それでも御台所様が文を出されなければ、小早川様も動かれることは無かったかと」

「いえ、いえ、いえ――」


 最初の内はこんな風に堅苦しい感じだったのだけれども、その後、おしゃべりを重ねていくうちに玉姫様の緊張もほぐれてきたようだ。少しずつ気楽な感じでお話ができるようになってきた。


 でも、その一方で、彼女の隣に座る滝姫様は固い表情のままだ。彼女は、確か今年で十九歳。肌が透き通るように白くて、切れ長の目元は涼し気でびっくりするような美人さんだ。


「滝姫様、江戸には慣れましたか? こちらでの暮らしに不自由はありませんか?」

「お心遣い有難うございます。こちらでは周りの者に支えられ、満ち足りた日々を送っております」

「そうですか。それはなによりです。何か悩み事がございましたら、遠慮なく私に相談してください。私にできることでしたら、なんでもしますので」


 実は、彼女は関ケ原の戦いの直後に細川家に養女として引き取られている。細川家に引き取られる前は、西軍のリーダーの一人、小西行長さんが彼女のことを育てていたのだ。小西家では、「おたあ殿」と呼ばれたと聞いている。


「私めごときにお気遣いいただき、有難き幸せにございます」


 そういうと滝姫様は深々と頭を下げた。どうやら、私の言葉を社交辞令として捉えたみたい。でも、結構本気で言ってるんだけどなあ。


「滝姫様。実は、私は関ケ原の前に、小西様から『おたあのことをよろしく頼みます』と言われています。その約束を守らなければとずっと思っていたのですよ」


 私は明るく微笑みながら、滝姫様にそう言った。うん、小西さんはちょっと変なところもあったけど、面白い人だったし、色々とお世話にもなった。


「えっ……父がそのようなことを……」


 滝姫様は目を大きく見開き、私の顔をじっと見た。どうやら、私に頼るという話は、小西さんから聞いていなかったみたいだ。滝姫様は、そのまま無言で私の顔をじっと見つめ続けていた。


 ん? いったい、なんだろう? 何か話したいことがあるのかな?


「滝姫様。どうされましたか? ひょっとして、何か私に相談したいことがあるのでしょうか?」


 私がそう訊ねると、やがて、滝姫様は意を決したように大きく頷くと、口を開いた。


「御台所様。じ、実は、江戸に来る前に駿府(すんぷ)に伺っておりまして――」

「おたあ、およしなさいっ!!」


 滝姫様が話しかけたのを、玉姫様は制止された。でも、今、駿府って言ったよね。駿府は、将軍を引退して『大御所様』と呼ばれている家康が先月から住み始めた場所だ。


「滝姫様。駿府と言えば、大御所様が住まわれているところです。そこで、何かあったのですか?」


 私は玉姫様を目で制すると、滝姫様に対してそう訊ねた。


「……はい、実は、大御所様にご挨拶をした折に、『この城で側にお仕えしないか』と言われまして……」


 へっ? 側に仕える? それって側室にするってことだよね。ちょ、ちょっと、待ってよ。家康は、今年六十五歳よ。十九歳の美女を新しい側室にしたいなんて、いくらなんでも強欲すぎでしょ!


「な、なるほど。そのような無体な話があったのですね。それで、滝姫様は大御所様の側にお仕えするのは、嫌だと思っているのですね」

「も、申し訳ありません。大御所様は余りに恐れ多く、私めがお仕えするなど、考えることすらご無礼なことでございます」


 滝姫様は私の顔を見ながらそう言った。まあ、それは建前であって、本音では、六十五歳のお爺さんの側室になるなんてあり得ないって思ってるんだよね。うん、その気持ち分かるよ。私も話を聞いただけで、背筋がゾワゾワとしてきちゃってるし。


「滝姫様、分かりました。このお話、私がお預かりいたします」

「よ、よろしいのでございましょうか!」

「勿論です。私にお任せください」


 私がそう言って大きく頷くと、滝姫様の表情がぱあっと明るくなった。


「有難うございます! このご恩は、一生忘れませぬ」


 滝姫様の声はとても弾んでいた。


 よし、じゃあ、早速、家康に諦めさせるとするか。うーん、でも、誰に相談するのがいいかな? 家康の側室の誰かがいいよね。やっぱり、筆頭格の阿茶局様? それとも、私と仲の良いお勝の方様かなあ?


 あっ、そうだ、茶阿局様にご相談しよう。茶阿局様の最初の旦那様は、彼女に横恋慕した悪代官に謀殺されている。だから、こんな感じで嫌がる誰かを側室にするなんて話は、間違いなく大嫌いだろうからな。うん、我ながらいい考えだ!


 改めて、滝姫様の顔を見ると本当に嬉しそうだった。ふーん。ここまで嬉しがってくれているということは、きっと彼女には好きな人がいるんだろうな。


「滝姫様、ひょっとして、滝姫様には既に心を通じ合わせたお方がいらっしゃるのですか?」

「えっ……。…………はい。しかし、そのお方とは結ばれぬ運命(さだめ)にございまして……」


 へっ? 結ばれぬ運命? なんだかロミオとジュリエットみたいだけど。あっ、滝姫様は、顔を真っ赤にして俯いちゃった。


「あの、滝姫様。もし、差し支えないのでしたら、その方のことを少し教えてもらえますか?」

「……はい、私の幼なじみで、内藤采女(うねめ)様という方でございます」


 滝姫様は、私に彼女の思い人のことを教えてくれた。内藤采女さんとは、小西さんの家老であった内藤如安(じょあん)さんのご嫡男。如安さんと采女さんは、小西家がお取り潰しになった後、一時期加藤清正さんに仕えていた。でも、加藤さんとはうまくいかなかったみたいで、三年ほど前からは、親子ともども加賀の前田家に仕えているとのことだった。


「なるほど、今は加賀の前田様にお仕えされている方なのですね。玉姫様、さほど悪くないお話にも思えますが、何か差し障りがあるのですか?」


 私がそう訊ねると、玉姫様の顔が曇られた。ん? 細川家と前田家に何か因縁ってあったっけ? 別に両家の間で戦をしたことは無いはずだし、もめごともあったって聞いたことも無い。うーん、全然思いつかないんだけど……。


「いえ、実は、私に故があるところでございます……」


 えっ? 玉姫様が原因? なんだろう? ……ああっ! そうか! 玉姫様のお父さんは明智光秀さん。一方の、前田家の奥方の永姫様のお父さんは、織田信長。まあ、永姫様にとって親の仇の娘ということかあ。


 うーん、でもねえ、本能寺の変はもう二十五年も前のことだし。私の父上の織田信雄さんも、兄上の秀雄くんも全然気にしていない。まあ、確かに永姫様は今でも多少は気にしているかもしれないけど……。


「玉姫様。私は、前田家の永姫様とは姉妹同様のお付き合いをしております。それに前田家には私の娘の橘姫がお輿入れしており、一族同様の間柄です。もし、よろしければ、私に口添えをさせていただけますか?」

「ほ、本当に宜しいのでございますか?」

「勿論です!」


 玉姫様と滝姫様は、その後はずっと嬉しそうなご様子だった。うん、よしよし。これは、私も頑張らなくちゃいけないな。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 お二人が帰ってすぐに、私は駿府城の茶阿局様に手紙を書いた。細川家の滝姫様は心に決めた人がいるのに、突然、側室の話が来てしまい、断われずに思い悩んでいると率直に書き記した。


 茶阿局様からは、すぐに返事が戻ってきた。彼女は、滝姫様を側室とする話をまったく聞いていなかったということだった。


 茶阿局様は、すぐさまお勝の方様と二人で、家康に詰め寄ったとのこと。家康はあたふたしながら、「もともと滝姫を阿茶局に仕える侍女にするつもりであり、自分の側室にすると言うたつもりはなかった」と答えたとのことだった。まあ、大名家の子女をただの侍女にするなんて馬鹿げた話があるはずも無いし、これは家康の苦しい言い訳だろう。


 いずれにせよ、家康には側室を増やす意図はまったく無いということになったので、滝姫様が駿府城に行く話は無事に消滅した。


 一方、内藤采女さんとの御縁談の話。これは、私が永姫様をお呼びして直接お話をした。永姫様は、玉姫様のお名前を聞いたときは、露骨に嫌な顔をされたが、話の本題が滝姫様と内藤さんとの縁談だと分かると、すぐに良い話だと理解してくれた。むしろ彼女の方も、これを重臣の懐柔策の一つとしたいとのことだった。


 その後はトントン拍子でこの御縁談の話が進んでいき、半年後の長月(旧暦九月)に、滝姫様が金沢にいる内藤采女さんのところに輿入れすることが正式に決まったのだった。


 そして、金沢に発つ前日、滝姫様は江戸城の私の元へご挨拶に来てくれた。


「御台所様、この度のお取り計らい、真に有難うございます。御台所様から頂戴したご恩は生涯にわたり、決して決して忘れませぬ。いつの日か必ずや、このご恩に報いさせていただきたいと存じ上げます」


 滝姫様は、ものすごく丁寧に私にお辞儀をしてくれた。


「ふふふ、滝姫様がお幸せになっていただければ、私はそれでよいのですよ」

「い、いえ、それでは」

「いえ、本当に、私は大したことはしていませんので。……あっ、そうだ。金沢には私の娘のお橘ちゃんがお輿入れをしています。もし、お橘ちゃんが金沢で寂しそうにしていたら、時々滝姫様がお話相手になってくれますか? そうしてもらえたら、すごく助かります」


 私がそう言うと、滝姫様は顔を上げ私の顔をじっと見つめてくれた。


「しょ、承知致しました。橘姫様の御身は、一命をかけてもお守り致します」

「え、いえ、いやそんな大げさなことじゃなくて、お話相手をしてくれるだけでいいのですよ」

「はい、畏まりました。橘姫様のことは、この滝にお任せください」


 滝姫様は胸を張ってそう言ってくれた。あっ、うん、なんだか、とても頼りがいがありそう。でも、本当に無理をしてくれなくてもいいから。ただ、お橘ちゃんが寂しい思いをしないように、助けてくださいね。


 そして、滝姫様は、次の日金沢へと旅立っていった。滝姫様、金沢で内藤采女さんとお幸せにお過ごしください!


本作をお読みいただき有難うございます。また、ご感想、ブクマ、ご評価、誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。


作中に名前が出てくる内藤如安さんは、松永久秀の甥だったりします。史実では、二条御所の戦いで、足利義昭について織田信長や細川藤孝と戦っていたり、朝鮮出兵では、小西行長の名代として北京で明国と交渉していたり、切支丹追放令が出た後は、高山右近と一緒にルソン島に追放され追放先で大歓迎を受けていたり、色々な歴史的場面に顔を出す変な人です。


さて、次話第68話は、9月11日土曜日の21:00頃の掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 作家やiモードの開発とか松永一族は凄い人多いですよね
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