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第64話:二代目征夷大将軍!

 慶長九年(1604年)文月(旧暦七月)。江戸城本丸・奥御殿の私の部屋で、私は江戸に帰ってきたばかりの旦那様の徳川秀忠くんと会話中だ。


「秀忠様、伏見からの道中、大丈夫でございましたか?」

「うむ、箱根の峠の辺りで大嵐に会うており多少難儀はしたが、まあ、それも過ぎてしまえば風情といったものであった。それよりも、小姫殿こそ大丈夫であったか? 赤子を産んだばかりなのじゃから、けっして無理をしてはならぬぞ」

「はい、今は元気いっぱいでございます」


 実は、先月、私は五人目の子供となる(あんず)姫を産んだばかりなのだ。赤ちゃんを産んでいる最中は、こんなに苦しいのだからもう赤ちゃんはこの子で最後にしよう!と思っちゃうのだけど、時間が経つうちに、不思議と次の子供が欲しくなってしまったりする。


「そうか、そうか。小姫殿のお体は堅固であるからなあ。うむ、人間堅固なるが肝要であるぞ」


 うん、健康第一だよね。小姫として生まれ変わる前の私はすごく病弱で、ずっと病院に入院していたりもしたから、健康の有難味は身に染みてよく分かっている。だから、今は健康でいることができてとても幸せに感じている。それに、私だけでなく、秀忠くんも五人の子供たちも健康なことは、何よりも嬉しく思える。


「ところで、秀忠様。伏見でのお屋形様とのお話はどのようなものでございましたか?」


 実は秀忠くんは、家康から、直接に会って話をしたいと呼び出されて、伏見に行っていたのだ。


「うむ、そのことなのじゃがな、父上は征夷大将軍の職をワシに譲りたい、とのことであった」

「えっ!? 将軍職をですか!?」


 家康が征夷大将軍に就任したのは去年の如月(旧暦二月)。まだ、一年ちょっとしか経っていない。なんで、そんなに早く引退しちゃうの? えっ、ひょっとして……。


「秀忠様、ひょっとして、お屋形様のお体に何か問題があるのでしょうか?」


 うん、引退と言えば、やっぱり健康問題よね。私は、家康とは、今年の春以来会っていない。最後に会ったときは元気そうだったけど、家康はもう六十歳過ぎのおじいさんだものね。短い間に健康が激変しても不思議はない。


「いや、父上は相変わらずお元気そのものじゃ。夜も、相変わらずお盛んなようじゃしな」


 えっ、夜って……。いや、確かに家康には側室が十数人いて、しかもその半分ぐらいとは、今も夜のお相手しているとは聞いてるけど。去年もお万の方様との間に、鶴千代丸くんが生まれてるし。いや、六十歳過ぎだっていうのにすごいよね。ん? じゃあ、なんで家康は引退しちゃうのかな?


「そ、そうでございますか。しかし、それならば、なぜ、お屋形様は、今この時期に将軍職から身を引かれ、ご隠居されるおつもりなのですか?」

「うむ、おそらくは、できるだけ早いうちに、徳川が代々将軍職を継いでいくという道筋を固めるお考えなのじゃろうな」


 ふーん、そうなんだ。でも、秀忠くんが次の将軍になるのに反対する人なんて、今はもういないと思ってたけどな……。あっ、いや、大坂に一人いらっしゃったかも。


「ひょっとして、お屋形様は大坂のことを気にかけておられるのでしょうか?」

「まあ、大坂城の御上(おかみ)様は、ワシが征夷大将軍となることを面白くは思わぬじゃろうな」


 そうよねえ。でも、もう天下が徳川から豊臣に戻ることはないのだから、淀の方様には早く諦めて欲しいんだけどなあ。


「はあ、困りましたねえ……」

「うむ。まあ大坂への懐柔の策として、父上も右大臣の地位を、秀頼様にお譲りするつもりとのことじゃった」


 あっ、そうなんだ。家康は、右大臣と征夷大将軍を兼任している。その地位をそれぞれ秀頼様と秀忠くんに分け与えるということか。


「ということは、秀忠様は、秀頼様の後任の内大臣になられるのですか?」

「うむ、まあ、そうなるじゃろうな」

「そうなりますと、秀頼様の方が上位の官職でございますが、秀忠様はそれでよろしいのでしょうか?」


 うーん、せっかく、徳川の世になってるのに、自分より偉い人がいるのは、きっと面白くないよね。だけど、そんな風に勘ぐる私を見て、秀忠くんは笑い始めた。


「ふははははは。官職なぞ征夷大将軍の職があれば十分じゃよ。将軍とならば、武家を率いるという名分が立つ。今の世では、武家を率いる、これがすなわち天下を統べるということじゃ。じゃがな、大臣になったところで、天下にとって何の意味もない。せいぜい京で公家相手に偉ぶれる程度じゃよ」


 なるほど、なるほど。確かに秀忠くんの言う通りに思える。奈良時代や平安時代と違って、今は右大臣や左大臣の地位に就いている人が、この国の政治を担っているわけじゃない。名より実を重んじる、秀忠くんらしいしっかりとしたものの考え方だ。


「確かにそうでございますね」

「おお、小姫殿も分かってくれたか」

「はい。あっ、それで、秀忠様はいつ将軍になられるのですか?」

「うむ、年が明けてからじゃな。如月か弥生には、諸大名を引き連れて伏見に向かうことになる。そこで朝廷から宣旨(せんじ)を受け取ることになろう」


 そうかあ、秀忠くんが将軍様になるのは、来年の如月か弥生か。もう、時間が余りないんだな。江戸に住んで五年間。この町にすごく愛着ができてきたのになあ……。それに、杏ちゃんはまだ小さいから伏見までの旅は大変だろうなあ。


「あの、私と子供たちは、いつ伏見に行くのでございましょうか?」

「ん? 伏見に? いや、小姫殿と竹千代、桃姫、杏姫は江戸に残ってもらうぞ」

「ええええっ!?」


 それって、どういうこと? 秀忠くんは、伏見に単身赴任をするってことなの? せっかく、今は家族みんなで江戸で幸せに暮らしているのに……。


「小姫殿、どうしたのじゃ、浮かぬ顔じゃが」

「い、いえ、秀忠様と離れ離れになるのが辛いと思いまして」

「ふむ? どういうことじゃ? 今までもワシは何度も上方に行っておるであろう」

「そうは言いましても、長きにわたり離れ離れになるのは、輿入れした直後ぐらいでしたから」


 そう、私が徳川家に輿入れした直後は、私は伏見の徳川屋敷、秀忠くんは江戸城でしばらくの間、離れ離れに暮らしていた。そのときはかなり寂しかったしなあ。


「いや、しかし、長きにわたると言うても、せいぜい三月(みつき)程度じゃろう。宣旨をもろうたら、すぐに江戸に戻って来るぞ」

「えっ?」


 あれっ、そうなの? 家康は征夷大将軍に就任して以来、年の半分以上は伏見にいて、江戸にはたまにしか帰ってこない。てっきり秀忠くんも将軍になってからは、伏見で暮らすのかと思っていた。


「小姫殿。どうしたのじゃ。随分驚いたような顔をしておるが」

「いえ、てっきり秀忠様は伏見でご政道を担われるのかと思うておりました」

「うむ、まあ、それも考えたのじゃが。伏見は京に近すぎる。朝廷や公家衆と近くにいると、良からぬことが起きるやもしれぬからな」

「そうでございましたか」


 なるほど、秀忠くんは色々と深く物事を考えている。さすがだなあ。


「ひょっとすると、小姫殿はこの田舎の江戸よりも煌びやかな伏見に住みたかったのかな?」

「えっ? いえ、特に伏見に住みたいわけではございません。ただ、私は、秀忠様のお側で暮らしたいと思っているだけです」

「ほう、ワシの側にか。ふはははは。小姫殿は相変わらず嬉しいことを言うてくれるのう」


 秀忠くんは満面の笑みを浮かべて私の方を見てくれている。うん、秀忠くんの笑顔は昔と変わらずとても素敵だ。


「まあ、それにな、小姫殿。今やっておる普請が進めば、いずれこの江戸は、京や大坂よりも大きな町となるぞ。諸国から多くの人と物が集まり、街中は賑うて、活気に満ち溢れることであろう。今はまだ田舎に過ぎぬこの江戸がそのように大きく化けるとは、小姫殿には信じられぬかもしれぬがのう」


 いえ、秀忠くん、私はこの江戸の町が発展して、いずれ東京という日本で一番大きくて、とても活気のある都市になることを知ってるよ。東京は秀忠くんの熱い思いを礎にして大きくなった都市だったんだ。


「秀忠様、私は秀忠様が大切に育てたこの江戸の町が大好きでございます。そして、この江戸の町が、これからもどんどん栄えていくのをずっと見ていきたいと思っています」


 私は微笑んで秀忠くんのことを見つめながらそう言った。秀忠くんと私は互いをじっと見つめ合った。


「うむ、小姫殿。ぜひワシが江戸の町を作り上げていくのを見ていてくれたまえ。いや、江戸だけではない。ワシが征夷大将軍になった暁には、この日ノ本全土を栄えさせてみせるぞ。民が明日の糧を心配せず、安寧に暮らしていける世にするのじゃ。そう、それに、昔、小姫殿に誓うたこともあったな。その誓通り、この関八州、いや日ノ本全土を、罪なき者が命を奪われぬ泰平の土地にしてみせるからのう」


 ああ、そうだ。秀忠くんと結婚して一年後。悲運の死を遂げた最上の駒姫を思って沈んでいた私に、秀忠くんは泰平の世を作り上げると約束してくれた。そのことをしっかりと覚えていてくれたんだ。


「秀忠様、有難うございます。私は、秀忠様がこの日ノ本を治めるのにふさわしいお方だと信じています。秀忠様の妻として、この身を掛けてお支えいたしたいと思っていますので、何でもお申し付けください!」


 私はそう言うと、両手をついて深々と秀忠くんに頭を下げた。


「ふはははは。いや、小姫殿にそう言われると、ワシの体の内に力がみなぎってくるようじゃ。うむ、小姫殿、共にこの日ノ本をよき土地にしていこう。そなたの力をぜひとも貸してくれ」


 秀忠くんは私に近づくと、私の両手を優しく包むように取ってくれた。私が顔を上げると、秀忠くんは優しく微笑みながら私のことを見つめてくれていた。そして、二人はしっかりと抱きしめ合った。


 ガラリッ


 突然、襖が大きな音をたてて開いた。


「ママちゃまぁ、竹千代は、書がうまく書けましたぁ! 見てくだされぇ!」

「ぶぅー、お桃も、お桃も、かけたぁ!」


 中に駆け込んできたのは、長男の竹千代ちゃんと、三女の桃ちゃんだった。私と秀忠くんは、慌てて距離を取る。


「竹千代ちゃん、桃ちゃん、父上様の御前ですよ。もっとお行儀よくしなければいけませんよ」

「いや、よい、よい。子供は元気なのが何よりじゃ。ほれ、竹千代。お桃ちゃん。ワシが二人の書いたものを見てやろう。こっちに持ってまいれ」


 二人は嬉しそうに秀忠くんのもとに駆け寄ると、半紙に書きつらねた書を得意気に秀忠くんに見せている。秀忠くんも、二人の書の出来栄えに感心しながら、優しく褒めてあげている。


 ああ、なんて幸せな光景なのだろう。このまま日本が平和になれば、きっと日本全土で似たような幸せな光景が見られることになるのだろう。うん、そのためには、私も頑張って秀忠くんのことを支えなくちゃいけないよね! 私は、改めて心に誓ったのでした。

本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。


次話第65話は、8月28日(土)21:00頃の掲載を予定しています。引き続きお付き合いいただけると嬉しく思います。



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