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第63話:尾張織田家の御縁談

 慶長八年(1603年)葉月(旧暦八月)。伏見でのお橙ちゃんのお輿入れの儀式と京での北政所様との再会を終え、私は無事江戸城に帰ってきた。江戸を離れていたのは二か月ちょっとの間。出発したときは太陽がギラギラと照りつける真夏だったのに、今では秋風が吹きすっかりと涼しくなっている。


「ママちゃま、もう竹千代を置いて、上方に行ってはいけまちぇぬよ」

「だぁーっ!!」


 私がずっと江戸にいなかったことで、子供たちを不安にさせてしまったみたい。数えで四歳の長男の竹千代ちゃんと二歳の桃姫ちゃんの二人は、私の側から離れようとはしない。ごめんね、まだ小さいのに二人には寂しい思いをさせちゃったね。


 私が二人の頭を優しく撫でてあげながら、そんなことを思っていると、


「お柚の方様、大坂のお橙姫様から(ふみ)が届きました」


 私の筆頭侍女、民部卿局ことお梅さんが、美しい蒔絵の施された漆塗りの文箱(ふばこ)を持ってきてくれた。ああ、お橙ちゃんも、寂しい思いをしていないといいな。


 でも、お橙ちゃんからの手紙は、私にそんな心配なんてする必要はないのだと分からせてくれた。


 お橙ちゃんは、大坂に入った直後はひどく緊張していたけれど、旦那様の秀頼様とすぐに打ち解けることができて、今は毎日、貝合わせや双六(すごろく)などをして、秀頼様と二人で仲睦まじく遊んでいること。秀頼様は優しくていつも温かく微笑んでいてくれて、一緒にいるととても楽しく思えること。秀頼様は、和歌や蹴鞠、雅楽など高尚なことがどれもお上手で、特に龍笛(りゅうてき)という楽器を演奏すると、指南役のお公家さんよりも澄んだ良い音がすること。そして、その秀頼様の奏でる龍笛の音を聞いていると、自分の心がとても安らぐこと。お橙ちゃんからの手紙には、そんなことが書き連ねてあった。


「ああ、よかった。お橙ちゃんは、大坂で秀頼様と仲良く暮らせているんだ」


 私は、ほっと胸を撫でおろした。手紙の文字も弾むように元気いっぱいで、大坂での暮らしの楽しさがあふれ出ているようだった。それにしても秀頼様は、高尚な遊びが随分とお得意なのね。まるで京のお公家さんみたい。さすがは、淀の方様が手塩にかけてお育てになられているだけのことはある。ふふふ。


 私はニコニコと微笑みながら、お橙ちゃんからのお手紙を何度も何度も読み返していたのでした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 その次の日、私は、江戸城本丸奥御殿の自分の部屋で、義姉で尾張織田家の正室の江姫様をお迎えした。


「お江与様。何かご相談ということですが、一体どのようなことでしょうか?」


 江姫様は、なにか思い悩んでいるようなお顔をされている。あっ、そう言えば、北政所様の所で、九条家の御曹司さんが江姫様の娘の(さだ)姫様との縁談を望んでいるって聞いたなあ。うん、きっとそのことだろうな。


「うむ、ちと姫の縁談のことで思い悩んでおってな」

「やっぱり!」


 うん、予想通りだ。やっぱりお公家さんへのお輿入れは、簡単な話じゃないよね。お公家さんのしきたりは、武家のものとは全然違うだろうし。


「おお、小姫もわかっておったか」

「はい、京で北政所様から伺っておりました」

「はっ? 北政所様? ……高台院様のことじゃな。なぜ、高台院様がそんなことをお話しになったのじゃ?」


 江姫様は訝し気な様子で私のことを見ている。


「えっ? いえ、高台院様は豊臣家のとりまとめ役でございますし」

「じゃが、この話は、豊臣家は関係のないことであろうに」


 ん? どういうこと? 完姫様は、一旦、淀の方様の養女となって、豊臣家の姫として、九条家にお輿入れするって話じゃなかったっけ?


「あのお、完姫様は、豊臣家の養女となって、お公家様にお輿入れすると聞きましたが、違っているのでしょうか?」

「おお、その話か。そうそう、お完は姉上のもとでしばらく育てた上で、九条家の忠栄様のもとにお輿入れするのじゃ。これはまたとない良い話じゃよ。おお、小姫はその話を高台院様から聞いておったのか」

「はい、高台院様はお江与様のお考えを気にしておられましたが」

「わらわの考えか?まあ、聞いた話では、忠栄様は次の次のそのまた次の関白となることが、内々に決まっておられるとのこと。つまりは、いずれお完は、北政所になるということじゃ。いや、これは本当に良い話じゃと考えておるぞ」


 それまで沈んでいた江姫様のお顔は、すっかりと明るくなっている。ふーん、この九条家との縁談話を、江姫様は本心で歓迎してるんだなあ。ん? ちょっと待って、次の次のそのまた次の関白って、今、言われなかった? それってどういうこと?


「あ、あの、お江与様。今、『次の次のそのまた次の関白』っておっしゃられましたが、そんなに先の関白まで決まっているのですか?」

「どうやら、お公家の間でそんな話になっておるらしいぞ。なんでも、次の関白は、今、左大臣を務められておる近衛信尹様。そして、その次は、鷹司家の信房様。忠栄様は、そのまた次ということじゃ」

「でも、それでは秀頼様は、一体どうなるのでしょうか?」

「まあ、秀頼様は、忠栄様のお次じゃろうな。お二人のお年は、忠栄様は十八じゃが、秀頼様はまだ十一じゃからな。忠栄様の後が、秀頼様にはちょうどよい頃合いじゃろう」


 へえ、そんなローテーションで関白の職を回していくと言う話になってるなんて知らなかったなあ。まあ、お公家さんの世界は色々とややこしい風習があるからねえ。でも、そのローテーションに入っているということは、豊臣家はお公家の五摂家と並ぶような立場になってるということか。


 あれ? それで江姫様の相談事ってなんなんだろう?


「あのぉ、お江与様。お江与様は、完姫様の御縁談には前向きのようでございますが、それでは何を私にご相談されたかったのでしょうか?」

「おお、そうそう。わらわが相談したかったのはな、お(せん)のことなのじゃ」

「お千? 千姫様のことでございますか!?」


 千姫様の御縁談? いや、確か千姫様には既に決まった話があると思うんだけど……。


「そうなのじゃ。いや、なんとかならぬものかと思うてな」

「ですが、千姫様は、いずれ本多家の平八様とご祝言をあげると聞いておりましたが」


 そう、本多家の平八君は、千姫さまにとっても幼なじみにあたる若君だ。江姫様が江戸に来てからは、何度も一緒に遊んでいたし、二人はとても仲良しだったとも聞いていた。


「まあ、その話なのじゃがな……」

「私は、この縁談は、とても良いお話しだと思っておりますが」


 平八君のお父さんの本多忠政さんは、秀忠くんの側近の一人。文武両道に秀でた人で、街づくりや治水工事に明るいことに加え、関ケ原の戦いでも秀忠くんの側に仕えて武功を挙げた人だ。


 平八君のお祖父さんの本多忠勝さんは、幼いころから家康に仕えた徳川家の忠臣中の忠臣というべき人だ。姉川、三方ヶ原、長篠、小牧・長久手など、数々の戦場で輝かしい武功を挙げた天下に名高い武将でもある。


 さらに言えば、平八君のお母さんの熊姫様。彼女の父は、秀忠くんのお兄さんの松平信康さん。家康の嫡男だったのだけど、信長の勘気をかって切腹させられた人だ。そして、彼女の母で信康さんの正室は、信長の長女の徳姫様。信康さんが死んだ後、二人の娘を残して織田家に帰り、その後は再婚もせずに、京都でひっそりと暮らされている。まあ、つまり、熊姫様は、私と私の兄の秀雄くんの従姉で、且つ秀忠くんの姪にあたるのだ。


「いや、まあ、本多様のお家柄には、わらわも不満は全くない。不満は無いのじゃがな、ほれ、なんと申すか、御領地がな、伊勢の桑名の十万石では、ちと寂しいのがじゃな……。まあ、有体に申すならば、もそっと大身がよいと言うか……」


 江姫様は、少し俯くと上目遣いで私の方を見てきた。ええっ? でも、それっておかしいと思います。


「お江与様。本多様は、徳川譜代の臣でございます。本多様は、お屋形様から関ケ原の合戦の恩賞として、領地を与えると言われても、家臣として徳川を守るのは当然のこと、むしろ領地は天下を平らかにするための手段として用いて欲しいと、固辞をされたのです。そんな気概をお持ちの方を、領地が寂しいと言うのは、さすがに違っているのではございませんか」

「う、う、確かにそれは、そうなのじゃがな……」

「それに、お江与様も兄上のもとにお輿入れされる前には、縁を結ぶのは『安堵できる相手がよい』とおっしゃっておられたではないですか。それで、当時、越前大野五万石の小大名であった兄上をお選びになったのではないですか?」

「まあ、あのときは色々あったからのう」

「確かに、伊達様、最上様、福島様、加藤様、島津様のような外様の方々は、徳川譜代の方々よりも、御領地は大きいことでございましょう。ですが、譜代の方々は、今後幕府の要職に就き、天下をしっかりと支えていかれるのです。織田家にとっては、むしろそういった方とお近づきになられる方が、よっぽど安堵できるのではないですか?」


 私は、江姫様の顔をまっすぐに見ながらはっきりとそう言った。うん、絶対、そっちの方が千姫様にとってもいいと思う。


 江姫様は、何も言わずに私の顔をしっかりと見つめ返してきた。そして、しばらく、二人は無言で見つめ合っていた。やがて、江姫様は優しく微笑みながら口を開かれた。


「ふむ、まあ、確かに小姫の言う通りじゃのう。わらわも、秀雄様が尾張五十万石の大領を得られてからは、何かが見えなくなっていたのかもしれぬな。小姫よ。それに気づかせてくれて、礼を言うぞ」

「いえ、ついお江与様に差し出がましいことを申してしまったかもしれません。失礼をお詫びいたします。すみませんでした」

「ほほほほ、何を申すか。まあ、しかし、小姫もすっかり『徳川の嫁』になったのう。徳川は、秀忠様もしっかりとされておられるし、これは安泰じゃのう」


 江姫様はそう言うと、大きく頷かれた。


「ええ、そうであれば、よいのですが」

「うむ、間違いないと思うぞ。まあ、後は姉上じゃな。姉上は、武家の習いを好んでおられぬところがある。秀頼様にも、弓や刀を持って欲しいとは思うておらぬことであろうな。それなら、いっそのこと、公家としての道を選ばれるのがよいと思うのじゃがなあ」


 えっ? 豊臣家が公家? あっ、でも、確かに、京都のお公家さん達は豊臣家を自分たちの仲間のように思っているみたいだし、淀の方様も武家よりも公家の方がお好きみたいだよね。秀頼様ご自身も、お公家様の遊びの方を好まれているみたいだし……。確かに悪い考えではないのかも。でも、武家から公家になるなんて話は聞いたことが無いよなあ。


 うーん、一度、秀頼様のお考えを直接聞いてみたいよね。でも、そんなことは、できないだろうしなあ……。


本作をお読みいただき有難うございます。感想・ブクマ・ご評価・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。


先週には無事ワクチン接種を終え、副反応で予想を上回る高熱が出たものの、今はすっかり元気となりました。なんとか、このまま完結まで書き続けていきたいと考えております。


さて、次話第64話は、8月21日(土)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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