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第62話:北政所様との再会

 慶長八年(1603年)文月(旧暦七月)。娘のお橙ちゃんを大坂城にお輿入れさせてから、五日が経った。


 この間、私は、伏見城で特に何をすることもなく過ごしていた。何かをしようという気が全く起きなかったのだ。ふとした時にも、お橙ちゃんのことを思い出してしまい、涙がこぼれ落ちてしまうから。


 周囲の人もそんな私に対し、まるで腫れ物に触れるかのように接してくれている。そんな中、家康の側室のお勝の方様が私が逗留している部屋を訪れてくれた。


「なんじゃ、お柚。そんなに辛気臭い顔をして。もっと、しゃんとせよ」

「はあ、いえ、しゃんとしているつもりですが……」

「そんな張りの無い声で、しゃんとしておると言えるはずが無かろう」

「はぁ……」


 そうお勝の方様に言われても、元気が出てこないのは仕方がない。


「まあ、そなたには気晴らしが必要であろうな。実は、今日、(みやこ)より『かぶき踊り』の一座を呼んでおる」

「えっ? 『歌舞伎』ですか?」


 へえ、歌舞伎ってこの時代からあったんだ。知らなかったな。


「そうじゃ。出雲大社の巫女(みこ)阿国(おくに)なる者が率いておる。なんでも、京では大層な評判と聞いておるぞ。さあ、ついて参れ」

「えっ? 巫女さん?」


 歌舞伎って、男の人がやるやつじゃなかったっけ? うーん、でも、巫女さんってことは、女の人だよね。一体どういうことなんだろう?


 お勝の方様は、そんなことを不思議に思っている私の手を引くと、城内にある能楽堂に連れて行ってくれたのでした。


 ◇ ◇ ◇


「いやあ、かぶき踊りは実に面白かったのう! 京で評判になっておるのもようわかる。お柚も気が晴れたであろう?」


 お勝の方様は、部屋に戻って来てからもすごくご機嫌な様子だ。


「はい、大変、楽しい踊りでございました」


 出雲の阿国さんが率いる一座が催した『かぶき踊り』は、私の知っている歌舞伎とは全然違うものだった。一番の違いは、かぶき踊りの出演者には、男の人も女の人もいたことだ。


 踊りと言っても、ちょっとしたストーリー仕立てになっている。主役は、阿国さんが演じる名古屋山三郎という遊び人で、この名古屋さんがお茶屋で遊ぶという筋立てなのだ。ちなみに阿国さんは宝塚歌劇団の男役のようで、凛々しくてすごく格好がいい。


 そして、メインヒロインのお茶屋の娘を演じているのは、男の人。でも、見た目も仕草も女性そのもので、現代の歌舞伎の女形の役者さんと似たような感じ。後で聞いたら、このヒロイン役の役者さんは、阿国さんの旦那さんということだった。


 そして、この二人が能舞台の上で、なんというかかなりセクシーなダンスを繰り広げるのだ。二人が激しく絡み合ったり、阿国さんの手がヒロインの胸元に深く差し入れられたり、ヒロインが恍惚とした表情を浮かべたり。途中、目のやり場に困ってしまうシーンがいくつもあった。


 でも、隣で見ていたお勝の方様は、そんなシーンを見て「おおっ!」と大きな声を上げられていたけれど。


 脇役の出演者たちも、妙に艶めかしいダンスで場を盛り上げる。ちなみに、女性役を演じるのは全員男の人で、男性役を演じるのは全員女の人だった。うん、なんか宝塚と歌舞伎が混じっているようですごく面白い。


 そして、そんな出演者さんによる踊りが続いていたのだけど、最後は出演者と観客が入り乱れて激しく踊って、大団円となったのだ。私も、お勝の方様に強引に誘われて、踊らされてしまった……。


「いや、こんなに楽しい踊りとは知らなんだ。よし、来月も阿国を伏見に呼ぶとしよう。お柚、そなたもそれでよいな」

「えっ? いえ……」

「どうしたのじゃ? そなたも明るい顔で楽しんでおったではないか?」


 えっ? そ、そうだったかな? まあ、でも、確かに「かぶき踊り」は、はちゃめちゃに明るくて、いつまでもうじうじと自分が悩んでいるのが馬鹿らしいと思わせてくれたかも。


「あ、はい。かぶき踊りは大変楽しいものでございました。ですが、江戸に竹千代ちゃんと桃ちゃんを残しておりますので、いつまでも伏見にいるわけにはいかないのです」

「ああ、それもそうじゃな」


 お勝の方様は、少し残念そうにそう言われた。


「お勝様には、こちらで大変よくしていただいて、本当に有難うございました」

「いや、大したことはしておらぬ。もし、まだ気が晴れぬのであれば、次は巨椋(おぐら)池で舟遊びでもと思うておったのじゃが」


 えっ? 巨椋池で舟遊び? ああ、それも楽しそう。でも、まだ小さな子供を置いてきているのだから、いつまでも遊んでいるわけにもいかない。


「それは、またこちらに来た時の楽しみにとっておきます」

「そうか。それでいつ伏見を発つつもりなのじゃ?」

「そうですね。支度もございますから、三日後辺りにしようかと思います。ただ、途中、京に立ち寄ろうかとは思っておりますが」

「えっ!? 京じゃと!? お柚、そなたは、随分と『かぶき踊り』が気に入ったのじゃな。京でも阿国の踊りを見るつもりとは」


 お勝の方様は、目を見開いて私の顔をじっと見ている。その表情がおかしかったので、私はつい笑ってしまった。


「ふふふ、お勝様、違いますよ。京では北政所様のお屋敷にご挨拶に伺おうと思っているのです」


 そう、四年前に伏見から江戸に引越したときは、突然日程が決まってしまったこともあり、北政所様に別れのご挨拶ができなくて、ずっとそのことを心残りに思っていた。せっかく、すぐ近くにまで来ているのだから、ここは絶対に北政所様の所にお伺いするべきだろう。


 お勝の方様も「なるほど、北政所様か。それは当然じゃな」と理解してくれた。じゃあ、急いで京に使いを送って、北政所さまのご都合を確認するとしよう。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 伏見城でかぶき踊りを見てから四日後。私は、京都の上京・三本木にある北政所様のお屋敷を訪問した。


「お柚の方様、お待たせしており申し訳ございませぬ」

「いえ、孝蔵主様。お気になさらないでください。それにしても北政所様、あっ、高台院様はずいぶんとお忙しいのでございますね」


 北政所様は、つい先日、髪を落とされ尼さんになって、朝廷から高台院という院号をもらったのだ。


「はあ、そうなのですよ。本当に毎日来客ばかりで大変でございます。豊臣譜代の衆であれば、お待ちいただくこともできるのですが、お公家様とあらば、そう軽々しく扱うわけにもいきませぬので」

「ああ、今は、お公家様がいらしているのですか」


 なるほど。さっき私がこの屋敷に入るときに、確かに、玄関の脇に煌びやかな輿があったのが目に入っていた。


「ええ、九条家の御曹司、忠栄(ただひで)様が直々においでになられているのです」

「へえ、九条家のご嫡男様が直々にいらしているのですね」


 忠栄さんのお父さんで九条家当主の九条兼孝さんは、二年前から関白を務めていて、藤原家一門の代表である藤氏長者も兼務しているとっても偉いお公家さんだ。


「九条家も近衛家も一条家も二条家も鷹司家も、みな足繁く高台院様のもとに通われておりますよ」

「へえ、そうなんですね。そんなに偉い方々がこのお屋敷にいらしているとは驚きです」


 私が聚楽第で秀吉や北政所様と一緒に住んでいた頃は、公家の方はそれほど頻繁に聚楽第に来てなかったと思うな。右大臣だった菊亭さんとか、武家伝奏というお役目についていた中山さんとか広橋さんとかはたまにお見かけしたと思うけど。


「まあ、お公家様は色々とお困りごとが多いようなのですよ。所司代の板倉様は、少々お堅いお方でございますから」

「へえ、そうなのですか。板倉様は仕事熱心で生真面目なお方と聞いていますが」

「ふふふっ。お公家様は皆、鷹揚なところがございますから、生真面目な方とはなかなかそりが合わぬのですよ」


 ふーん。そういうものなのか。そういえば、秀忠くんもすごい真面目な人だけど、京都のお公家さんとお付き合いするとすごく疲れるって言っていたなあ。


 その後、しばらくの間、孝蔵主様とおしゃべりをしていると、北政所様の侍女が、お客様がお帰りになられたと教えてくれた。急いで支度を整えると、孝蔵主様と一緒にお屋敷の奥にある北政所様のお部屋を訪れる。


「おお、小姫よ。随分と久しぶりよのう。すっかり立派になったのう」

「大変、ご無沙汰を致しております。高台院様にはお変わりなく」

「ほほほほ。お変わりないはずが無かろう。髪を落として尼になってしもうたのじゃからな」


 北政所様は、明るく笑いながらそう言った。確かに頭には真っ白な頭巾をかぶり、着ているものも紫色の法衣となっている。


「着ているものは変わられても、高台院様の中身はお変わりございませんから」

「確かに相違ないかもしれぬな。得度したからというと、仏の徳が自然と身に備わるものではないからのう」

「いえいえ、高台院様には昔から人徳は備わっておりますよ。古来より、徳は孤ならずと申します。大勢の人に慕われる高台院様に徳が無いはずがございません」

「ほほほほ。小姫は、相変わらず話がうまいのう。しかし、元気そうで何よりじゃ。お橙姫を手放して、気持ちが沈んでおるらしいと聞いていたからのう。心配しておったのじゃ」


 へえ、さすが北政所様はお耳が早い。伏見城の様子がすぐに伝わっちゃうんだ。


「ええ、娘を嫁に出すことがこんなに辛いとは思ってもみませんでした」

「まあ、それが人の(さが)じゃからな。私も、そなたを嫁に出すときは、それは辛い思いをしたものよ」

「えっ、ああ、ご心配をおかけいたしました」

「ほほほほほ。しかし、あの小さかった小姫が、己が子を嫁に出すようになるとは、ほんに時の経つのは早いものよのう」


 北政所様は、ニコニコと明るく微笑まれている。全く昔と変わらない様子で、一緒にいるだけで気持ちがホッとしてくる。私と北政所様は他愛もないことを楽しくおしゃべりをする。


「ああ、そう言えば、さきほど、関白様の御曹司様がいらしていたと聞きましたが、お仲がよろしいのですか?」

「おお、忠栄様はな、私のことをよう慕ってくれるのじゃ。まあ、慕われるだけならよいのじゃが、ちと面倒なことも申してきてのう」


 そう言うと北政所様の顔が少し曇る。何を言われたのだろうか?


「面倒なことでございますか?」

「正室として、豊臣家の姫を貰いたいと言うてきたのじゃ」

「えええっ、豊臣家の姫ですか?」


 ちょっと意味が分からない。秀吉の血を継ぐ姫は一人も生まれなかったはずだし、養女も私を始めとして何人もいたけど、みんな大名家にお輿入れしてしまっている。


「そうなのじゃよ。藤原家と豊臣家の関係を深めたいと言うてきてな。もう最近はずっとここに来てはその話をしてばかりおるのじゃよ」

「しかし、今の豊臣家に姫はいないはずですが……」

「それがな、忠栄様は、(さだ)姫に目を付けておるのじゃよ」

「えっ? 完姫様って、江姫様のところの完姫様ですか?」


 完姫様は、江姫様の長女。私の兄、織田秀雄くんの前の旦那さん、豊臣秀勝さんとの間に生まれた子供だ。


「そうなのじゃよ。完姫の父は、太閤殿下の甥子の秀勝殿。豊臣家の血を引いておる。しかも、母は、淀殿の妹君じゃからな。秀頼様とは父方も母方も血が繋がっておる」


 言われてみれば、完姫様は秀頼様と父方から見ても、母方から見ても従兄妹となるのか。でも、秀勝さんは朝鮮で戦死してしまっていて、完姫様は今は秀雄くんの養女となっている。つまり、今は織田家のお姫様だ。


「でも、完姫様は今は織田家の姫となっておりますが」

「じゃからな、淀殿が養女とすることで、豊臣の姫に戻してから輿入れすればよいとの話なのじゃ」

「え? ああ、なるほど。でも、淀の方様と江姫様が御納得されますかね?」

「うん、それは私にも分からぬ。まあ、淀殿はおそらく飛びつくであろうが、江姫がどう思うか次第じゃろうな」


 ふーん。なるほど。まあ、関白家のご嫡男の正室ということならば、お輿入れ先としてはそんなに悪くも無いと思う。年もそれほど離れてはいないし。


「しかし、そのような話をされるとは、随分と豊臣家はお公家様から頼られているのですね」

「まあ、家康殿も秀忠殿も公家嫌いじゃし、豊臣しか頼れぬのであろう。まあ、私もお公家との付き合いは嫌いではないし、淀殿はお公家との付き合いを好んでおるからのう」


 まあ、確かに淀の方様は上品で優雅な方だからなあ。私も優雅な雰囲気は嫌いじゃないんだけど、優雅のプロフェッショナルであるお公家さんとのお付き合いは、敷居が高い……。


「ところで、小姫は、いつ京を発つのじゃ?」

「はい、明日の朝には京を発とうとおもっています」

「なんじゃ。それは随分と急ではないか。明日は、私に付き合って欲しいのじゃが、それはできぬか?」


 北政所様には、育てていただいたご恩がある。そんな彼女からの頼みを断われるはずなど無い。私は、翌日の午の刻に北政所様のお屋敷を再訪することをお約束したのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、次の日の午の刻。上京・三本木のお屋敷を訪れると、すぐに北政所様のお部屋に案内された。


「おお、小姫。すぐにその小袖に着替えるのじゃ」


 北政所様が指し示した先にあるのは、かなり地味な小袖だった。


「こちらでございますか」

「そうじゃ、そうじゃ。着替えたら、ほれ、そこの市女笠(いちめがさ)を持って」


 ええっ? 笠には半透明の布が掛けられていて、顔が隠れるようになっている。これってお忍びで外出するときに被るやつだよね。


「おお、支度ができたら、外に出るぞ。駕籠を待たせておるからな。駕籠から出ると、すぐにその市女笠を被るのじゃぞ」

「あ、あの、高台院様。一体、どちらに行くのですか?」

「北野の天満宮じゃ」


 こうして、地味な衣装に着替えて市女笠を手に持つと、私と北政所様は数名のお付きの人たちと一緒に北野天満宮に向かったのでした。


 半刻(約一時間)ほどで、駕籠は北野天満宮に到着する。駕籠を降りるとすぐに、布の付いた市女笠を被る。えっと、北政所様はどこかな?


「小姫。こちらじゃ」

「は、はい。あのぉ、高台院様。ここで一体どなたと会うのでしょうか?」

「ついて来れば分かる。あとは、小姫。ここでは私のことを『母上様』と呼ぶのじゃぞ。けっして『高台院』や『北政所』と呼んではならぬぞ」

「えっ?」


 北野天満宮には大勢の人がいた。どうやら、今日は、市が立つ日のようだ。たくさんの露店が境内に並んでいた。その人込みをかき分けると目的に着いた。


「小姫、ここじゃ」

「えっ? ここは……」


 露店が並んだ辺りから少し離れたところに能舞台があって、周囲には大勢の人が集まっていた。


「どうやら間に合うたようじゃな。今日は、そなたに京で評判のものを見せてやろうと思うてな」


 えっ? あ、あっ、ひょっとして?


 おおおおおおっ!


 やがて、大勢の人からどよめき声が上がった。舞台の左側から現れたのは、出雲阿国さんとその一座の人たちだった。


「おお、始まるぞ。毎月忍んでこれを見に来ておるのじゃよ。おお、出雲の阿国、日本一ぃ!」


 こうして、私と北政所様は出雲阿国一座の演じる「かぶき踊り」を楽しんだのでした。うん、やっぱり、何度見てもいいものはいいね。


本作をお読みいただき有難うございます。また、ご感想、ご評価、ブクマ、誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。


さて、これまで週一回土曜日の21:00過ぎに投稿してきましたが、実は、来週、私は二度目のワクチン接種を予定しているのです。一度目の接種でも副反応が出たので、おそらく二度目も副反応が出てしまうと思いますので、大事を取って来週は休みを取ることにしたいと思っています。


そのため、次話第63話は、二週間後の8月14日(土)21:00頃の掲載となると思います。お待たせすることになり恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。



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― 新着の感想 ―
[一言] 実は私も昨日1回目を行ったのですが、微妙な筋肉痛くらいで済み、ホッとしています
[一言] いつも楽しみにしております。 ワクチン接種は大事ですが、予後(というのも変かな)には十分お気をつけください。
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