第6話:父上様・兄上様との家族会議
今は天正二十年の神無月(旧暦十月)。私が豊臣家の小姫様として生まれ変わってから、一年の月日が流れている。
「ふぅーっ、色々あったけど、時間が経つのって、本当に早いよなあ」
私は大きく息をつくと、独り言を呟いた。
思えばこの一年の間、私はずっと徳川家の嫁にふさわしい存在となるべく花嫁修業を続けていた。学問、書道、和歌、茶道、礼儀作法、薙刀。学ばなければいけないことはいっぱいあって、あっという間に時間は過ぎていった。でも、その間にも、世間や私の周囲では色々な出来事が起きていた。
この一年間で、世間にとって一番大きな出来事は『唐入り』だ。これは、唐、つまり明の国に攻め込むこと。その手始めとして、日本の軍団は朝鮮の国に船で渡って攻め込んだのだ。
うん、これは生前に日本史で勉強した朝鮮出兵のことだよね。最終的に勝てないことを知っているから心配だったけど、幸いなことに私の旦那さまの秀忠くんは江戸の整備が忙しいということで、お父さんの家康と一緒に出兵のお役目を免れたとのことだった。
二番目に大きな出来事は、秀吉が関白の職を豊臣秀次さんに譲ったこと。今は、秀吉は太閤様とか太閤殿下って呼ばれている。『太閤秀吉』。うん、しっくりとくる響きだね。
私が住んでいた京都の聚楽第も、秀吉から秀次さんに譲られている。秀吉は、代わりの住まいとして、京都の南にある伏見という町に大きな城を建築している。だけど、この伏見のお城が完成するのはしばらく先のこと。とりあえず、私たちは今は大坂城に移って、本丸奥御殿に仮住まいをしている。
三番目に大きな出来事は、この時代の私の実の父上、織田信雄さんが追放先から帰って来たこと。一年前は秋田に追放されていて、その後すぐに伊予の道後という温泉の近くに追放先が変わった。何か秋田ではトラブルがいくつかあったようだけど、詳しいことを私は聞いていない。
信雄さんは、今年の夏に秀吉に許されて、無事に戻って来ることができている。秀吉は私との宴での約束を守ってくれたのだ!
でも、追放される前の信雄さんは尾張と伊勢を合わせて百万石以上の大大名で、従二位内大臣というすごい官位も持っていたのだけど、今は無位無官で御伽衆という秀吉の相談相手の一人でしかない。
まあ、それでも大和の国に一万八千石という領地を貰っているからそれなりの暮らしは送れるんじゃないかな。分をわきまえずに贅沢を言っちゃいけないよね。
信雄さんが秀吉に許されるのに合わせて、兄上の織田秀雄くんも大名になっている。越前の国の山奥の大野という所に、城と領地を貰えたのだ。
越前の大野は、冬になると半端じゃないくらい雪が降るらしく、とても大変な場所みたい。だけど、石高は五万石もあるというから、それなりの広さの領地ではあるんだろう。それだけじゃなく、秀雄くんは、織田家の惣領のお役目を任されたままなのでとても忙しそうにしている。
そして、今日はこの大坂城の本丸奥御殿に信雄さんと秀雄くんの二人がやってくる。
私と信雄さんとは実はこれが初対面。私が生まれ変わる前の小姫は、秀吉の養子になる以前は清州城で信雄さん一家と一緒に暮らしていたみたいだけど、そのときの記憶は私にはないんだよね。
◇ ◇ ◇ ◇
「小姫様、お父上様とお兄上様がお揃いにていらっしゃいました」
自分の部屋で論語の自習をしていると、侍女のお梅さんが二人の来訪を教えてくれた。よし、じゃあ行くとするか。
客間に行くと、頭を丸めてでっぷりと太ったおじさんが、秀雄くんを相手に楽し気におしゃべりをしていた。この太ったおじさんが信雄さんだな。たしか、追放されてからは、常真という法名を名乗ってるんだよね。
信雄さんの話を黙って聞いている秀雄くんは、どこか深刻そうな表情をしている。どうしたのだろう? 何かあったのかな。
「父上様、兄上様。よくいらっしゃいました」
私は上品に挨拶をする。私は未来の将軍夫人なのだ。礼儀作法は大切だよね。
「小姫。久しぶりであるな。うむ、三年ぶりか。しばらく見ぬうちにずいぶんと成長したものだな。見違えたぞ」
信雄さんが嬉しそうにそう話しかけてくる。悪い人では無さそうだ。実際のところ、周囲の人に話を聞いてみても信雄さんのことを嫌っている人はほとんどいない。無能な人だとは思われているのだけど。
「父上様はお変わりない姿で、安心を致しました。秋田や道後では不自由はございませんでしたか?」
私は、よそゆきの態度で、信雄さんと会話を続ける。
「まあな、秋田は冬がたまらんかった。雪が降り積もって凍えるわ、飯もまずうなるわ、最悪であった。城介殿も堅物で遊びごとも一切なく、まったく楽しゅうなかったわ」
追放中だったのにお世話をしてくれた秋田城介さんのことを悪く言ってはいけませんよ。
「それに比べると道後は暖かくて飯もまずくは無かったが、それでも、温泉以外なにもない退屈な田舎であった。まあ、お雪の養生の付き合いじゃと思うて我慢しておったが、あやつの病にも効かなかったからのう」
お雪というのは、小姫の生母で信雄さんの正室の雪姫様のことだ。ずっと病気で苦しんでいたが、信雄さんが帰って来る直前に、伊予の国の道後温泉での療養中に亡くなってしまっている。私が生まれ変わってからは一度も会えなかったけど、生前の私もずっと病気だったこともあって、全くの他人事とは思えていなかった。
「そうでございますか。母上様の最期はいかがでしたか」
「いや、朝起きたら死んでおったからのう。よう、わからんかったぞ。わははは」
信雄さんにはデリカシーというものが無いようだった。カチンとくるなあ。
「まあ、上方に帰ることが叶うて、本当によかったぞ」
「そうでございますか。父上様、徳川大納言殿が、父上のご赦免にお力添えをされたと聞いております。お礼はなされましたか?」
「いや、そう言えばまだであった。まあ、色々とあってな。うん、そのうち、大納言殿に何か珍しいものでも送るとしよう」
……。この人は、礼節にいい加減なところも問題なんだよね。徳川家は私の嫁ぎ先で、家康は将来の天下人でもあるんだから、ちゃんとしてよね。まったく。
一方、秀雄くんは、私が信雄さんと話している間も難しい顔をしていて、心ここにあらずと言った感じだ。
「兄上様はいかがされましたか? なにかお悩みのご様子ですが」
「ふむ、小姫は目ざといな。実はな、太閤様との関係のことで悩んでおるのじゃ」
「太閤様との関係ですか? 何かあったのですか?」
どうしたのだろう。秀吉は、去年の宴以来、私のことならば、ずいぶん気に入ってくれているんだけど。秀雄くんには違うのかな?
「いや、ワシに特に何かあったわけではない。じゃが、最近は太閤様は三郎のことばかりかわいがっておるのじゃ」
三郎とは、織田三郎秀信くんのこと。信雄さんの亡くなったお兄さんの長男で、私達のいとこに当たる男の子だ。
「三郎様は、昔から太閤様とはお仲がよろしいですから」
実は、三郎くんはあの清州会議に出てくる有名な『三法師』なのだ。信長の後継者である織田家惣領を決めるために開かれた清州会議で、秀吉に推されて三法師が選ばれたのは有名な話だ。まあ、その後なんやかんやがあって、信雄さんが惣領の地位を奪い取っちゃったみたいなんだけど。
「太閤様は、ワシに代えて三郎を織田家の惣領にするおつもりのようなのじゃ。先に朝鮮で亡くなられた岐阜宰相殿の御領地、美濃半国を三郎が受け取るという話も上がっておる。なあ、小姫よ。おぬしは太閤様とも北政所様とも仲がよいではないか。なんとかワシのために口添えしてもらえぬか」
秀雄くんは今にも泣きだしそうな情けない表情で、仕草もなんだか妙に子供っぽい。まあ、大名になったとは言っても、十歳の男の子だものね。
「兄上様。仕方ございませんわ。三郎様はもう十三歳。すっかりと大人びられておりますし、貫禄も出てきておられます」
「それは、そうではあるが……」
「もともと織田家の惣領は、三郎様でございました。大人になられた三郎様が惣領に戻られるのは、むしろ自然なことではございませぬか」
「お、小姫。冷たきことを申すでない。おぬしがそんな心冷たき女子とは知らなんだぞ」
秀雄くんはわなわなと震えている。まあ、気持ちはわかるけど、三郎くんは昔から秀吉になついているから、しょうがないって。まあ、秀雄くんも五万石とはいえ大名になれたんだから、それで満足しなよ。
私がそんなことを思っていると横から信雄さんが話し出す。
「秀雄よ。人に頼るでないぞ。男子は自分の腕と才覚で成り上がっていくものなのじゃ。わが父、信長公も桶狭間において小軍勢で今川を打ち破り、その後も斎藤、三好、浅井・朝倉、ついには武田までをも打ち滅ぼしたのじゃ。男子が名を成すには、何をおいても武功じゃぞ」
「ち、父上。そうは言われましても、すでに天下は太閤様が手中に収めておられます。もう、日ノ本では武功をあげることはできませぬ」
相変わらず秀雄くんは情けない表情のままだ。
「秀雄。お主は何を申しておるのじゃ。今は唐入りの最中ではないか。各地で我が日ノ本軍は連戦連勝の勢いであるぞ。特に行長と清正は武功を重ねまくっておる。お主も唐入りの軍勢に加えてもらうよう太閤様に申し出るのじゃ」
「し、しかし、ワシは大野を与えられたばかりで、家中の統率も済んでおりませぬ。それにワシは初陣にも出たことが無く、初めての戦が異国の地となるのは、ワシにはちと荷が重すぎまする」
秀雄くんの両目には涙が浮かんでいる。まあ、朝鮮出兵は結局失敗に終わるのだから、参加しない方がいいと思うよ。それにそもそも、秀雄くんはしっかりしているけど、性格的に優しいから戦さに向いていないと思うんだ。まあ、もうすぐ戦国時代も終わるんだから、武功だけが大切というわけでもなくなるし。
信雄さんと秀雄くんとは、その後も小一時間ぐらい客間でお話をしていた。まあ、何か結論が出たわけではないけど、今の二人が頼りにならないのは改めてよく分かった。織田家の先行きは暗いなあ。
まあ、いいか。私は秀忠くんのお嫁さんで、徳川家の人間になるのだから。
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