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第59話:存応上人と三郎くん

 慶長八年(1603年)如月(旧暦二月)。関ケ原の戦いから、もう二年半が過ぎている。戦後処理で最後に残されていた常陸国の佐竹さんも、去年の秋に出羽国の秋田に転封されることで決着がついた。最近は、世の中がすっかり泰平の気分に包まれており、江戸の町も活気に満ちあふれている。


「ああ、桃ちゃん、そっちに行くと危ないですよ」


 私は去年の葉月(旧暦八月)に四人目の子供、桃姫を産んでいる。桃ちゃんは、元気いっぱいな女の子で、なんと昨日からハイハイを始めたのだ。ハイハイできるようになったのが嬉しいのか全然休もうとしなくて、ちょっと目を離すと部屋の外にまで出ていこうとしてしまう。まだ生後半年なのに、この子は随分と成長が早いなあ。お父さんの秀忠くんに似て運動神経が発達しているのかな? 秀忠くんが帰ってきたら、きっとビックリするよね。


「ももちゃ、めっよ!」


 桃ちゃんをかわいらしく叱ったのは、長男の竹千代ちゃん。今は数えで三歳。まさにかわいい盛りだ。最近は言葉もかなり覚えて、おしゃべりになってきた。


「ふぇぇぇぇぇん」


 桃ちゃんは、竹千代ちゃんに怒られて驚いたのか、ハイハイを止めると突然泣き出してしまう。


「竹ちゃん、桃ちゃんには優しゅうせぬといけませぬよ」


 竹千代ちゃんをたしなめたのは、長女のお(だい)ちゃん。まだ、数えで七歳なのに、最近は随分としっかりとしてきた。それにすごく勉強熱心で、読み書きや礼儀作法もしっかりと身に付けつつある。女の子は本当に成長が早いなあ。


「むぅ、たけちゃ、やしゃし。ももちゃ、ないた。ももちゃ、めっ!」


 竹千代ちゃんは、口を尖らせてお橙ちゃんに抗議している。どうやら、自分は優しくしたのに、桃ちゃんが泣いたので、悪いのは桃ちゃんだと言いたいらしい。竹千代ちゃんは話しているうちに気が昂ってきたのか、頬が赤く染まり両目もうるんでいて、今にも泣きだしそうだ。


 あっ、なぐさめなきゃいけないな、と思って、竹千代ちゃんの傍に行こうとした時だ。お橙ちゃんが私よりも早く竹ちゃんの傍に駆け寄った。


「ああ、そうじゃったね。竹ちゃんは、女子に優しゅうする立派な殿方じゃものねえ。竹ちゃんは、ほんに立派じゃなあ」


 お橙ちゃんは、そう言いながら優しく竹千代ちゃんの背を撫でてあげている。竹千代ちゃんも褒められて嬉しくなったのか、表情が一変しており、今は目を細めて得意げな表情をしている。


 うん、お橙ちゃんは本当に弟や妹の扱いが上手だなあ。私の子供には、もったいないくらいよく出来た子だなあ。ふふふっ、母親として鼻が高いよ。


 私がお橙ちゃんに感心していると、襖越しに侍女さんが私に声を掛けてくる。


「お柚の方様、増上寺の源誉存応(げんよぞんのう)上人様と禿子(とくし)様がいらっしゃいました」

「そうですか。分かりました。すぐに向かいます」


 子どもたちの世話を乳母さんたちに任せると、江戸城本丸の表御殿に足早で向かう。今は、秀忠くんは、お仕事で上方に出かけているので、留守の間は、私が秀忠くんの名代を務めなければいけないのだ。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 表御殿の謁見の間に入ると、藍染めの僧衣に古めかしい柄の袈裟を着た年配のお坊さんと、渋茶色の僧衣に落ち着いた柄の袈裟を着た若いお坊さんの二人が私の到着を待っていた。年配のお坊さんは、芝・増上寺の住職、存応さんで、若いお坊さんは、そのお弟子さんの禿子さんだ。


 禿子さんの出家前のお名前は、織田秀信さん。つまり、元織田家の惣領、三郎くんだ。三郎くんは、関ケ原の戦いで敗れた後は、増上寺で僧侶としての修行を重ねている。ちなみに「禿子」という僧侶としてのお名前は、昔、秀吉から貰った「ハゲネズミ」のあだ名にちなんだものだ。三郎くん、本当に秀吉のことが好きだよね。


「存応上人様、禿子様、お待たせいたしました」

「いえ、お忙しい中、お方様のお時間をいただき有難き幸せにござります」


 存応さんは、両手をついて丁寧にお辞儀をしてくれた。存応さんの後ろに座っている三郎くんもそれに合わせてお辞儀してくれた。


 今日、二人が江戸城を訪れたのは、増上寺で建設していた新しい僧堂の完成を報告するためだ。増上寺は徳川家の菩提寺なので、僧堂の建設資金のほとんどは徳川家が負担している。


「昨日、無事に僧堂が落成致しました。これも全て公方様、右大将様、お方様の御助力のおかげでござります。改めて御礼申し上げ奉ります」

「いえいえ、当然のことです。これから増上寺は、将軍家の菩提寺として衆目を集めることでしょう。色々とご苦労があるかもしれませんが、よろしくお願いいたします」


 存応さんの丁寧なお礼に対し、私も丁重なお礼で返す。まあ、実際、これから色々と大変になるだろうしね。


 実は、つい数日前に、伏見城の家康のもとを天皇陛下の勅使さん達が訪れて、家康を征夷大将軍に任命するとの宣旨(せんじ)が渡されたのだ。つまり、家康は将軍になったわけで、これは歴史で言うところの江戸幕府成立なのだろう。


 もっとも江戸幕府とはいっても、今のところ政権の中心は江戸では無い。家康は、去年再建された伏見城にほぼ常駐していて、江戸には年に二、三回ぐらいしか帰ってこない。家康の最側近の本多正信さんや本多忠勝さん達も伏見の家康の傍にいて、江戸に来ることはほとんどない。そして、家康が将軍に就任した後も、この体制は変わらないとの話だ。


 うーん、これじゃあ、江戸幕府じゃなくて伏見幕府だよね。まあ、でも、正直に言うと、家康が江戸にいないので、秀忠くんも私もノビノビできているから、これはこれで悪くないと思う。


 ちなみに家康は、征夷大将軍就任と併せて、内大臣から右大臣に昇進し、源氏長者や淳和奨学両院別当という位にも就いている。まあ、源氏長者や両院別当がどんなお仕事なのか、私は知らないのだけど。


 ちなみに家康の後任の内大臣の地位には、豊臣秀頼様が権大納言から昇進されている。大坂城の淀の方様は、家康の将軍就任と併せて、秀頼様が関白に就任されることを希望されていたようだ。だけど、秀頼様はまだ十一歳。関白となるには、さすがに早過ぎるとの結論になったようだ。


 一方、秀忠くんは権大納言に留任したままだ。同じ日に権大納言になった秀頼様に、先を越されてしまった形だ。でも、その代わりに秀忠くんは、右近衛大将、通称、右大将の地位を兼務することになった。右大将は、歴代の足利家の将軍達が兼務していた役職とのこと。足利家以外の武家で右大将の地位に就いた人は、源頼朝さんと織田信長だけということらしい。うん、なんか、とてもすごいと思う。


 そんなことを改めて思いながら、存応さんとしばらく会話をしていた。


「それでは、これにて失礼致しまする。右大将様が江戸に戻られましたら、今一度、ご挨拶に伺います」


 そう言うと存応さんは、ゆっくりと立ちあがった。でも、後ろに座っていた三郎くんは、立ち上がりかけたまま、体の動きを止めている。あれっ、どうしたんだろう? そう思って、三郎くんの方を見ると彼と目が合った。


「さぶ……禿子様。いかがされましたか?」

「あっ……はい、いえ、お方様のお兄上、尾張中納言様にご嫡男がお生まれになったと伺いました。めでたきこととお方様にもご祝辞を述べようと思いまして」


 そう先月、尾張織田藩の江戸上屋敷で、私の兄の秀雄くんと江姫様との間に、かわいい男の子が生まれたのだ。赤ちゃんの幼名は、吉法師。信長の幼名と同じということだ。


 有難うございます、と答えようと思ったのだけど、三郎くんの立場を思い出し、言葉を飲み込んだ。うーん、なんというか微妙だよねえ……。


 そんな私のためらいを感じ取ったのか、三郎くんは笑みを浮かべながら口を開く。


「いえ、お方様、余計なお気遣いは不要です。拙僧も織田家の一門にございます。織田家にご嫡男が生まれたことをただただ嬉しく思っておりますので」

「えっ、ああ、そうでしたか。それは失礼をいたしました」


 私は少し気まずく思いながら、三郎くんに素直に頭を下げた。


「いやいや、お方様。拙僧に詫びられる必要などございません」


 三郎くんは優しく微笑んだままだ。うーん、でも、最近、三郎くんのことが可哀そうに思えてならないんだよね。


 関ケ原の戦いの直後は、西軍に味方した大名さん達のうち少なからぬ人は、切腹させられたり、島流しにあったりしていた。石田さんや小西さんに至っては、大罪人として京都の六条河原で首を晒されたりもしている。でも、こんな厳しかった処置が、戦が終わってしばらく経つと、かなり変わってくる。


 西軍の総大将を務めていた毛利さん、一番最初に家康に対し反旗を翻した上杉さん、石田さんに江戸に攻め込むと約束していた佐竹さんは、みんな領地は減らされたけれど、それでも依然として大大名のままだ。上杉さんの家老の直江さんなんて、関ケ原の戦いの前には、家康や秀忠くんを侮辱し挑発するような酷い内容の手紙を送ってきたのに、その罪を問われてもいない。薩摩の島津さんなんかは、去年まで領地に引き籠ってゴネていたことが奏功し、領地を減らされることすらなかった。


 なんかすごく不平等で、戦の直後に素直に処置を受けた人が馬鹿を見ているみたいな感じなのだ。三郎くんも城を出て頭を丸めることなどしなくて、ずっと城内でゴネていたとしたら、今でも大名のままだったのかもしれない。うーん……。やっぱり、おかしいよね。私は、意を決して口を開く。


「禿子様。禿子様が、もし大名にお戻りになられたいのであれば、微力ながらお助けできるかもしれません。もちろん、時間はかかるでしょうし、以前の岐阜のような良い領地ではないと思います。でも、鄙びた地で良いのであれば、口利きをできると思います」


 うん、これはちょっと出過ぎた発言かもしれない。でも、徳川家の領地は関ケ原の戦いを経て、宏大なものとなった。一万石や二万石ぐらいであれば、三郎くんに与えることも難しくないと思うし、秀忠くんも分かってくれると思うんだ。


 三郎くんは、私の言葉を聞き、初めは大きく目を見開いていた。でも、すぐに優しく微笑みながら頭を左右に振った。


「いえ、お方様。拙僧は、もう俗世に未練はございません。このまま仏の道に精進したいと思うております」

「で、でも……」

「拙僧は、本能寺で祖父・信長公が亡くなり織田家の跡目を継いでから、色々と人の様を見てまいりました。人を騙し、欺き、裏切り、不義理を為す。真にあさましきものでございました」

「そうかもしれませんが、そうではない人も世の中には大勢いると思います」

「はい、確かに、世の中には、義に生きる強さを持った者もおるのでしょう。しかし、拙僧は小人でございます。拙僧が俗世に戻れば、拙僧自身があさましき者に堕ちてしまうことでしょう」


 三郎くんは、優しく微笑えみ、まるで悟りを開いたような表情で淡々とそう言った。そんな三郎くんが、小人であさましい人にはとても見えなかった。


「禿子様がそのような方とは、とても思えません」

「いえ、拙僧はただ織田家に生まれ落ちただけの凡人でございます。岐阜の城主を務めていたときも、配下の者は、織田の名前に仕えていただけでございました。それは、あの合戦の折につくづく思い知らされました」


 えっ? どういうことだろう? 岐阜城の三郎くんの家臣の人たちは、多くが岐阜城で討ち死にしたって聞いていたけれど……。


「あの日、岐阜城を、福島、池田、浅野の大軍に囲まれたとき、拙僧の家臣は皆いかにしてこの城から逃げ出すかということしか考えておりませんでした。そして、ある門に敵兵がおらぬと分かったとき、多くはその門から逃げ出そうとしたのです。ですが、それは敵の罠でございました。潜んでいた敵方の鉄砲隊に一斉に弾を浴びせられ、多くはその場で命を落とし、その場では死ななかった者も、逃げようとして荒れた川に飛び込み、溺れ死んでしまいました」


 へえ、そんなことがあったんだ……。


「拙僧も初めは、そのような死に方をした配下の者どもを情けなく思い、また主君である拙僧を捨て逃げ出したと恨むこともございました。ですが、その後、金吾殿の話を聞いたのです」


 金吾殿って、秀俊くんのこと? 関ケ原では最初は家康に、その次には秀忠くんに襲い掛かったけど、結局は戦死しちゃったはずだけど。


「金吾殿は、大軍にも怯むことなく先頭に立ち、敵陣の奥深くに駆けこんでいったそうです。配下の者は一人残らず金吾殿に付き従い、命懸けで戦に臨んでおったとのこと。そして、武運拙く金吾殿が討ち取られた後も、その配下の者たちは戦いを止めることはなかったそうです。主君と共に死ぬことこそ誉れ、そう思うておったのでしょう」


 ああっ、そうなんだ。確かに秀忠くんから、関ケ原では秀俊くんの部隊には、酷く苦戦したとは聞いていたけど、具体的なことは全く聞いていなかった。


「実際に、金吾殿の配下の者は、死して誉れを手にしました。一方、私の配下の者は堅城を一日にして失わせ、最後は逃げ惑うたあげくに情けなく死んだと謗られております。しかし、それは拙僧が不甲斐なかったが故のこと。もし、拙僧に将としての器量があり、配下の者が拙僧と共に死なんと覚悟していたならば、あのような情けない死に方はなかったことでございましょう。そして、そのことに思いついたとき、拙僧は配下の者に心より申し訳なく思い、これからは彼らを弔うために生きようと心に決めたのでございます」


 三郎くんは淡々とした口調でそう言った。三郎くんの口元は微笑んでいたけれども、その視線はとても寂しげだった。どうやら、私は余計なことを言ってしまったみたいだ。


「そうでございましたか。禿子様のお心構えを存じ上げておらず、失礼なことを申しました。お許しください」

「いえ、お方様が謝られる必要はございません。こちらこそ、長話が過ぎ、大変失礼を致しました。それではこれにて失礼をさせていただきます」


 三郎くんは頭を下げると存応さんと一緒に、謁見の間を後にした。


 うーん、人がどう生きてどう死ぬべきかって、やっぱりすごく難しい問題だよね。私は三郎くんが帰った後も部屋に残り、しばらくの間、考え込んでいたのでした。


本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ、ご評価、ご感想、誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。


徳川秀忠の右近衛大将就任は史実では慶長八年の十二月ですが、本作中では同年の二月としています。まあ、本作中の秀忠は史実よりもはるかに活躍していますので、前倒しで昇進させてもいいのかなと思った次第です。


次話第60話は、7月17日(土)の21:00頃の掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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[気になる点] 主人公が金吾の本当の想いに、思い至る事が出来るのでしょうか? 割り切りが早過ぎて、深く考える事は苦手としたまま、歳を重ねるだけなのか。
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