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第56話:秀忠くんのご帰還!

 関ケ原の戦いが終わって一か月半が経った。暦は、今日から霜月(旧暦十一月)。最近は、寒い日が続いており、昨日の夕方には小雪がちらついていた。


 最近は悪阻(つわり)が酷くて、昼間でも布団を敷いて横になっていることが多い。侍医が言うには、これから悪阻は段々と治まってくるだろうとのことだ。本当に早く治まって欲しいよ。ここまで胸がムカつくと、気分がかなり滅入ってくる。


 私がこんな風なので、娘のお(だい)ちゃんとお(たっ)ちゃんは、今は別室で乳母さんたちが相手をしてくれている。二人にも少し寂しい思いをさせてすまなく思っているんだ。元気になったら、いっぱい遊んであげるからね。


 それでも、今日は秀忠くんが帰って来る予定の日だ。秀忠くんに会うのは三か月半ぶり。無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しく思う。


 江戸城・本丸御殿の自分の部屋で横になっていると、廊下を急いでこちらに向かってくる足音が聞こえた。あ、秀忠くん、帰って来たんだ。急いで起き上がって衣服を正していると、ガラリと襖が開いた。


「小姫殿、今、帰ったぞ」

「秀忠様、お帰りなさいませ。此度の戦の大勝利、真におめでとうございます。秀忠様がご無事に帰られて、私も嬉しく思います」

「いやいや、ワシのことよりも、今は小姫殿のお体じゃ。少しやつれておられるようじゃが、何事もないか?」

「はい、胸が多少ムカついて食欲はないですけど、それ以外は大丈夫でございます」

「おお、そうか。土産として紀州有田特産の蜜柑(みつかん)を、持ってまいったぞ。たくさんあるから、後で好きなだけ食うとよい」


 おお、ミカンか。やった。ちょうど甘酸っぱいものが食べたかったのよね。さすが、秀忠くんは気が利くなあ。


「秀忠様、有難うございます! すごく嬉しいです!」

「おお、そうか、そうか。小姫殿に喜んでもらえて何よりじゃ」


 秀忠くんはニコニコと明るい笑顔で笑っている。ああ、この人の笑っている顔を見ると本当に気持ちが安らぐなあ。悪阻も一気に軽くなったような気がするよ。ずっと、そばにいて欲しいなあ。


「秀忠様は、これからは江戸におられるのですか?」

「うむ、そうなればよいのだが、まだ色々と片付けねばならぬことがあるからのう」


 ええ、そうなんだ。でも、徳川家に反旗を翻していた上杉さんは、関ケ原の戦いの結果を聞いて、兵を退いていたはずだ。今は米沢城に籠っていて、和睦の為の使者を家康のもとに送っていると聞いていたけどなあ。


「そうでございますか。片付けねばならぬとは、上杉様でございますか?」

「まあ、そちらは遠からず片が付くであろうがな。問題は、右京大夫殿よ」

「右京大夫? 佐竹様ですか? 佐竹様は、お味方であったはずですが」


 佐竹家は、常陸(ひたち)国水戸城主で五十四万石の大大名家だ。徳川家との関係は悪くなかったのだけど、当主の右京大夫こと佐竹義宣(よしのぶ)さんは、石田三成さんとかなり仲が良かったのだ。それで、東軍に付くか西軍に付くか、佐竹家はずっと迷っていたらしい。でも、最終的には東軍に付くことに決めて、秀忠くんのもとに兵も送っていたはずなんだけどな。


「うむ、それがじゃな。右京大夫殿は、治部少輔殿にただならぬ内容の密書を送っていたのじゃ。そこには、上杉の軍勢が江戸に攻め入るときには、佐竹も加勢するとはっきりと書かれておった」


 えええっ? 常陸って茨城県、つまり関東地方だよ。そんな近くに敵がいたなんて知らなかったよ!


「まあ、佐竹家からの釈明によれば、『これは治部少輔殿を欺くもので、本心ではござらぬ』とのことであった。右京大夫の御父上の常陸介殿も、すぐに上洛されて父上に釈明をされた。じゃがな、肝心の右京大夫殿が、病を理由に水戸から出て来ようとせんのじゃ」

「はあ、そうですか」


 まあ、佐竹さんは、どっちが優勢か見定めてようとしていたんじゃないかなあ。でも、なんか、そういうのってズルいよね。


「まあ、怪しい動きをしておったのは、佐竹だけではないがのう。前田も、かなりややこしいことになっておる」

「ええっ、前田家ですか? ひょっとして、利長様も石田様に通じていたのですか?」

「いや、肥前守殿ではない。治部少輔殿に通じておったのは、弟の能登守殿じゃよ」

「えっ? 能登守様ですか」


 利長さんの弟は、前田利政さん。能登の七尾城の城主を務めている方だ。利長さんに嫡男がいないので、自分が家督を継ぐとばかり思っていたらしい。だけど、利長さんが末弟の猿千代くんを養子にして後を継がせることにしたので、関係がこじれていると聞いている。


「ああ、そうじゃ。もとより兄弟仲はよろしくなかったようじゃが、能登守殿と治部少輔殿の間に、肥前守殿を追いやって、能登守殿を加賀・能登・越中三国の太守とするとの密約があったのじゃ。それが記された密書を見て、肥前守殿はたいそうご立腹でな。能登守殿を謀反人として(はりつけ)に処すとご主張されておる」


 ああ、そうなんだ。前田家も色々とあったんだな。まあ、でも、そんな中で家中をまとめあげ、関ケ原まで大軍を率いて出陣してくれたのだから、利長さんは本当に頼りになる人なんだな。うん、将来は、安心してお橘ちゃんをお嫁に出せるよ。


「まあ、他にも、大坂城内や石田屋敷、小西屋敷などで色々と密書が見つかっており、大坂は大変なことになっておる。おお、そう言えば、小姫殿も金吾殿に文を書いておったのじゃな」

「ああ、はい。確かに、筑前中納言様には、水無月(旧暦六月)に文をお出ししました」

「いや、その文が金吾殿の寝所にあった蒔絵箱の中から見つかってな、大坂では『小姫殿が金吾殿に通じておった!』と騒動になりかけたのじゃよ」


 へっ? 私と秀俊くんが通じる? どういうことよ!?


「いや、あれは、ひでと、筑前中納言様に『大坂にいる大名の奥様方をお守りして欲しい』と頼んだものでございます」

「うむ、ワシも小姫殿のことは疑うてはおらぬが、皆、疑心暗鬼となっておったからのう。それで、諸大名が集まっておる場で、その文の中身を、父上が皆に見せたのよ」


 ああ、そうなんだ。まあ、別に私には、誰かに知られて困るような秘密は無いからね。


「その文を読み、皆、そなたにいたく感謝しておったぞ。金吾を動かして妻子を守ってくれたのは、小姫殿じゃったかと。丹後侍従殿は、ワシの手を取って『奥方様への御恩、けっして忘れませぬぞ』と涙混じりに申されておった」


 ああ、丹後侍従こと細川忠興さんの大坂屋敷には、石田さんの配下の兵士が押し寄せて、奥さんの玉姫さんを連れて行こうとしたんだよね。そして、それをその場に現れた秀俊くんが追い払ったんだった。でも、それは、実際に行動に出た秀俊くんに感謝すべきことだよ。私は、ただ手紙を書いただけだから。


「今や大名衆の間では、小姫殿の評判は鰻上りじゃぞ。もともと、そなたは『今一休(いまいっきゅう)』と言われておったようじゃが、今は『今諸葛孔明(いましょかつこうめい)』と呼ぶ人もおるのじゃからな」


 ……へっ? 諸葛孔明って、三国志に出てくるすごく優秀な軍師さんだよね。いや、一休さんでも荷が重いのに、さらに孔明さんとまで呼ばれてしまうのは勘弁してほしいんだけど……。


「あ、あの、秀忠様。さすがに、それは余りにも過大評価といいますか、買いかぶりといいますか。私は、一休禅師にも、諸葛孔明様にも遠く及ばぬ、ただの普通の女子でございます」

「何を申すか。買いかぶりであるはずが無かろう。小姫殿は、ワシが出陣する前に『美濃の関ケ原で天下分け目の大戦が行われる』と教えてくれたではないか。そなたが教えてくれなんだら、ワシが戦に間に合うことはなかった。もし、ワシが関ケ原に着くのが遅れておらば、父上の御命もどうなっていたか、分からぬぞ」

「はあ……」


 いや、確かに秀忠くんには、関ケ原の戦いのことは教えたけど。でも、それは別に私が賢いからじゃなくて、歴史の授業で習ったことを覚えていただけで……。


「大坂城での宴の場で、ワシがこの話を披露すると、皆、目を丸くして驚き、『さすがは、今諸葛孔明』と称えておったわ」

「…………」


 うう、ヤバい。何も言うことができない。今でも私の虚像が独り歩きしているようで落ち着かないのに、さらにその虚像が大きくなるのは勘弁していただきたい……。


「まあ、そなたの叡智は、味方である我々よりも、敵方の方がはるかによく知っておったみたいじゃがのう。治部少輔殿も摂津守殿も『小姫殿との知恵比べに負けもうした』との言を残されておる」


 え? なんで、石田さんや小西さんまで私のことを買いかぶっているのよ。二人とも、関ケ原の戦いの後は、伊吹山の山奥に逃げ込んでいたのだけど、すぐに見つかったんだよね。先月、京都の六条河原で処刑されたと聞いていたけど、最後の最後に変な言葉を残さないでよ……。あ、そう言えば、確認しなければいけないことがあった。


「あの、秀忠様。石田様、小西様や他の西軍の大名の方々の奥様方やお子様方は、どうなっているのでしょうか? 出陣前に、お屋形様にもお願いをしていたのですが」

「おお、そのことか。父上も、戦の終わった直後は、石田、小西、宇喜多、大谷、小早川らの諸将の一族は、すべてひっ捕らえて磔にせよ、と下知をなされておった」

「へっ……?。ええええっ! それはお約束とは違いますっ!!」 


 どういうことよ。家康は、出陣前に女性や子供の命は救うと約束したでしょ。そんな大事な約束を破るなんてひどくない!? 私は思わず秀忠くんに詰めよった。


「お、小姫殿、落ち着かれよ。すぐに下知は取り下げられておるから、安堵いたせ。丹波侍従殿や左京大夫殿、甲斐守殿らから、助命の嘆願が相次ぎ、また、父上もそなたとの約束を思い出したのじゃろうな。妻子の命は取らぬとのこととなった」

「あっ、そ、そうなのですね。安心いたしました」

「勿論、ワシもそなたとの約束は覚えておる。罪なき者が殺されることのない、そんな世を作ると約束したからな。もし、父上が下知を取り下げなんだら、ワシが父上と直談判するつもりであったわ」


 秀忠くんは、胸を張ってそう言ってくれた。うん、そうだよね。秀忠くんは、とても強くて優しくて正しい人だから。


「有難うございます。小西様の御息女の、おたあ様はいかがされたかご存じですか? 実は、小西様より、何か事があったときは、おたあ様のことをよろしく頼みたいと言われていたのですが」

「ああ、あの朝鮮の姫君のことじゃな。たしか、あの姫君は、丹波侍従殿の奥方が引き取られると申されておられたな」


 えっ? 細川さんのところの玉姫様がお引き取りになるんだ。ふーん、たしか彼女はキリシタンだったし、小西さんのところも一家でキリシタンだから、前から繋がりがあったのかな。それなら、私に頼らずに最初から玉姫様に頼めばよかったのに。まあ、でも、玉姫様は素敵な方だから、おたあさんもそれで幸せだよね。


「そうでしたか、それは安心いたしました。ああ、そういえば、お手紙にも書いた三郎様のことですけど……」

「おお、そちらも安堵せよ。高野山で得度することになったと聞いておる」

「はい、そのことですが、織田家の者にとって、高野山は問題があると思うのです」


 実は、高野山の話は江姫様からも聞いていた、だけど、先日、前田家の永姫様に相談したところ、高野山は止めた方がよいのではないかと言われたのだ。なんでも、信長が昔、高野山と戦をしたことがあって、高野山ではそのことを今でも恨みに思っているとのことなのだ。


 うーん、信長にも、もうちょっと将来のことを考えて欲しかったなあ。比叡山の延暦寺も焼き討ちしてるし、あっちの人たちも織田家は子孫累々に至るまで絶対に許さないって言ってるみたいだし……。


「よし、それならば、三郎殿には、芝の増上寺で得度をすることをお勧めするとしよう。増上寺であれば、特に織田家に恨みはないであろうし、何かあってもワシや小姫殿が何とかすることもできるであろう。住職の源誉存応(げんよぞんのう)上人には、ワシから頼んでおくぞ」

「秀忠様、有難うございます」


 ああ、よかった。これで心配事がだいぶ解決したよ。後、残っているので大きなことは、秀頼様のことを守ることだな。うん、これは簡単なことじゃないから、じっくりと取り組まなくちゃ。


 そんなことを思っていると、民部卿局ことお梅さんが皮をむいたミカンを持ってきてくれた。私は一房口にする。


「ああ、すっごく、美味しいーっ!! 秀忠様、この密柑は、とても美味しいです!!」

「そうか、そうか。小姫殿の食べる様は、昔と変わらず、かわいらしいのう。遠慮せず、いっぱい食べるがよい」


 うん、それでは、遠慮なく。ああ、甘くて酸っぱくてすごく美味しい。この一か月半で、こんなに美味しいものを食べたことはなかったかも。私は、続けざまにミカンを三つも食べてしまう。


 そして、四つ目を食べようと手を伸ばしたそのときだ。


「あっ!」


 違和感を感じ、私は思わず声を上げてしまう


「ん? 小姫殿、どうされた?」

「はい、今、お腹の中で、やや子がピクッと動きました!」


 とても小さな感触だったけど、おへその下辺りでピクリと赤ちゃんが動く気配を感じたのだ。


「おお、そうか、そうか。きっと、小姫殿が食べた密柑が、やや子のもとにも届いたのであろうな。ふはははは、この子は蜜柑好きであったか。よし、紀州有田から蜜柑をたんと取り寄せるからな。安心いたせい」


 秀忠くんは、明るく笑いながら、そう言ってくれた。えへへへ。赤ちゃん、よかったね。私も、美味しいミカンが食べられて、とても幸せですよ! あっ、また、赤ちゃんがピクッと動いたよ! 


本作をお読みいただき有難うございます。先日、本作への一押しレビューをいただきました。本作を教ていただき、大変嬉しく感じています。なんとか、最後まで頑張って行きたいと思っております。


次話第57話は6月26日(土)21:00頃の掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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[一言] 淀殿と大野は反片桐かもしれないけど反徳川ではない、年頭礼送ってるし 教育の失敗と言えばそこまでだけど、そもそも当主とその近臣があそこまでやらかして暴走してたら押込出来る代替候補もいないから詰…
[良い点] 主人公が無双しない形での歴史知識をうまく活用した関ヶ原の改変ですね。 小姫がそもそも徳川だったので西軍が勝つための動きはしなくて当然ですがそのうえで西軍側の敗者としての悲劇の緩和ができたの…
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