第54話:戦の終わり
【慶長五年(1600年)長月十五日、酉一つ時(午後五時)、関ケ原西部】
「殿、筑前中納言殿がお討ち死になされました!」
「くっ、金吾殿もやられてしもうたか……」
伝令役の部下の報告に小西行長は、顔をひどく歪ませる。つい今しがた、大谷吉継が討ち死にしたとの報告を受け取ったばかりなのだ。中核武将二人の相次ぐ戦死は、西軍にとって極めて大きな痛手である。
西軍の諸部隊が家康本隊を取り囲み、追い込んでいたのは今からほんの一刻(約二時間)ほど前のこと。あのときは後詰めの部隊も全て前線に送り、ここで一気に勝敗を決するつもりであった。だが、突如東の方角から戦場に現れた徳川秀忠率いる大軍が、彼の計算を狂わせてしまった。
太陽はすでにかなり西に傾いている。日没まであと半刻(約一時間)といったところだ。行長は冷静に頭の中で状況を整理する。
西軍方で失われた兵力は、約三万五千人。元からいた兵士からこれらを差し引いた残存兵力は六万一千人となる。
東軍方もほぼ同じぐらいの兵が削られているはずだが、その一方で、秀忠隊という新手の勢力が加わっている。おそらく現在の兵力は、九万二千人といったところ。つまり、西軍よりも五割も多い計算となる。
だが、明日の朝には、西軍方にも、毛利元康を主将、立花宗茂を副将とする一万五千人の新たな兵力が関ケ原に到着する予定だ。これで西軍の兵数は七万六千人。差は約二割に縮まる。これであれば、戦えない差ではない。
問題は今日は動かなかった南宮山の毛利秀元、吉川広家らが動いてくれるかどうかである。
実は、彼らと共にいる安国寺恵瓊から行長のもとに、毛利秀元と吉川広家の間で大激論が繰り広げられていたとの連絡があった。そして、その両者の激論の結果、明日は毛利は朝から兵を動かすという方針となったとのことだった。
「まあ、明日は毛利の本隊が参戦するのじゃ。二日続けて物見を続けるというわけにもいかぬであろうな」
行長はそう独り言を呟いた。南宮山の部隊が動いてくれれば、当初の作戦通りに西軍が東軍を包囲する形になる。そうなれば、多少の兵数の差など関係なくなる。
「うむ、本当の勝負は明日じゃな。よし、今日はここで兵を退かせるとするか」
行長は、自分の中でそう結論付けると大きく頷いた。そして、部隊に一旦退却との指示を出そうとしたときだ。部隊の後方から新たな伝令役の兵士が、息を切らせて駆けこんできた。
「と、殿ぉ!! た、た、た、大変でござりまするっ!!」
「どうした。落ち着け。また、どなたかが討ち死にをされたのか?」
慌てた部下の様子に苦笑しながら、行長は冷静に問いただす。だが、その答えは意外なものだった。
「あ、新手にございまする! ほ、ほ、北国脇往還より、敵の大軍が押し寄せてまいりましたぁっ!」
「なに、新手じゃと? そのようなことがあるものか。一体、どこの部隊がきておるというのじゃ?」
「お、織田と前田にござりまする! へ、兵数は二万、いや、もっと多いやもしれませぬっ!」
「織田と前田じゃと!?」
行長は顔を曇らせる。確かに三日前に加賀の前田利長が越前に再び攻め入ったとの報せは聞いていた。だが、越前の諸大名は、大野の織田秀雄を除けば、ほぼ全て西軍に属している。特に、越前最大の大名、北ノ庄二十一万石の青木一炬は、六千余りの兵を抱えている。彼らが堅城・北ノ庄城に籠れば、そう簡単に打ち破ることはできないはずだ。
そうであれば、調略か? しかし、前田家には、武辺を重んじ謀略を厭う家風がある。前田利長自身にも、策謀を率先して行った経験も無いはずだ。前田家が、こんな短期間で越前の大名衆を調略したとは考えられない。
だが、そこで人のよさそうな好青年の顔が、行長の頭に浮かんでくる。
「もしや、大野中納言か……」
大野中納言こと織田秀雄。織田信長の孫にあたる十八歳の若者である。根っからの温厚な性格であり、高貴な血統であるにも関わらず、他人に対し偉ぶることも無い。行長のような商人上がりの武将にも、丁寧に礼を尽くしてくれる。
あの真面目で温和な若者が、越前の大名たちを調略していたのだとしたら……。
「いや、しかし……、そんなはずは…………」
とはいえ、彼はまだ若く、彼の配下の大野の織田家中にも、特に策謀に秀でた者はいない。だが、行長は一人の姫のことを思い出す。
「そうか。中納言殿は、小姫様の兄上であったな。鷹の兄も鷹であったということか……」
彼女は、一見素直で可愛らしい姫君であるのだが、尋常の者とは違うと思わせる何かを有していた。太閤殿下も、石田三成に「小姫に気をつけよ」との遺言を残している。九分九厘、勝っていたはずの戦を、彼女の夫である徳川秀忠にひっくり返され、そして、今、彼女の兄・織田秀雄にトドメを差されようとしているのだ。
「……これは見誤ったか。うむ、小西行長、一生の不覚であったわ……。まあ、後は……逃げるしかないであろうな」
前後を新手の大軍に挟まれてしまったのでは、西軍の瓦解は免れようもない。しかも小西隊は西軍の中でも中央に位置している。まとまって戦場から離脱することも容易ではない。
行長は、配下の侍大将たちを集めると下知を出す。
「者ども、よう聞け。今日はよう励んだ。うぬらの戦いぶり、まことに天晴れであったぞ。じゃが、江戸中納言殿に加え、大野中納言殿、肥前守殿が新たにこの戦さに加わるようでは、我らの勝ちは千に一つもないであろう。まあ、ここで無駄に命を散らす道理もない。我が隊は、今をもって解散をする。後は各自の才覚で生き延びよ」
行長は、けっして諦めの良い男では無い。どんなに不利な局面に立たされていても、そこにほんの僅かでも勝利の糸口があるのであれば、それに食らいつき自ら道を広げていく男である。そんな彼の口から出た敗北宣言を、配下の者たちはすぐには信じることができなかった。
だが、行長の行動は早い。面食らっている配下をよそに、着ていた鎧を脱ぎ捨て軽装になると、関ケ原の北、伊吹山の方に一目散に向かっていったのであった。
【慶長五年(1600年)長月十一日、越前国・北ノ庄城】
ここで日付は、関ケ原の戦いの四日前に戻る。越前大野城主・織田秀雄は、わずかな供回りを引き連れ北ノ庄城を訪れていた。対面しているのは、この城の城主の青木紀伊守一矩とその嫡男の右衛門佐俊矩である。
「紀伊守殿、御加減はいかがでございますかな」
「うむ、大事無し……と言いたいところじゃが、ゴホッ、ゴホッ……、この有り様じゃ」
青木一矩は痩せ細っており、今も両脇を小姓に支えられて何とか体を起こして秀雄と向かい合っている状態だ。
「ご無理をなさいませぬよう。もう少し楽なご姿勢をされてはいかがでございますかな」
「お心遣い、かたじけない。じゃが、中納言殿にいらしていただいておるのじゃ。寝ころんでお話を伺うわけにもいきますまい」
「いや、いや。紀伊守殿は、ワシの大恩人ですからな。お気楽にしてくだされ」
一矩は、秀雄の前任の大野城主である。秀雄が大野に入城した後も、一矩は秀雄に対し、領民の懐柔策や領地の経営に関して何度も助言を送っていた。
「ゴホッ、いや、ソレガシのしたことなど、大したことではござりませぬ……。ああ、そう言えば、江戸では我が娘の梅は、中納言殿の奥方様には随分と世話になっておるとのことじゃな」
「いや、いや、それこそ、大したことではござりませぬぞ」
一矩の娘、梅姫は今年の春から家康の側室として江戸城に送られている。江戸城には、秀雄の正室のお江与の方も人質として預けられている。
「梅も、奥方様には、たいそう感服しておるようじゃ。あのような麗しき方にお会いするのは初めてじゃと、文にも書いてあったわ」
「いや、いや、いや、それは褒め過ぎでござります」
愛妻を褒められて秀雄は相好を崩す。十歳上の姉さん女房であるが、秀雄はお江与の方に心底惚れ抜いているのだ。
「いや、それに中納言殿の妹君にも感服しておったぞ。またお若いのにすこぶる肝が据わっていて、年上の内府殿の室の方々や上臈衆にもまったく動ぜぬとか」
妹の話題となり秀雄の崩れていた顔つきが、とたんに真顔に変わる。時折、立場を考えず突拍子もないことを口にする妹は、秀雄にとって頭痛の種なのだ。
「いや、あやつはただの変わり者でございますから。まあ、そんなことよりも、本題と参りましょう。すでにお聞き及びと思いますが、明日、肥前守殿が二万五千の兵を率いて、加賀よりこの北ノ庄に参られます。紀伊守殿、右衛門佐殿には、是非とも我らのお味方に付いていただきたく存じます」
秀雄がずばりと切り込んむと、一矩は一気に表情を変える。
「なんと、ソレガシに豊臣を裏切れと申されるか。我が母、大恩院は、太閤様の母君、大政所様の妹にござる。つまりは、青木の家は、豊臣の一門にも等しいのじゃ。我らが裏切りなど、けっして有り得ぬぞ」
しかし、秀雄は涼しい顔で一矩に反論をする。
「いやいや、ワシはけっして豊臣を裏切れと申しているのではござらぬ。此度の戦は、石田治部が、毛利・島津・上杉といった外様の大名と手を結び、天下を我が物にせんとしたところから起こったもの。内府殿はかかる石田の企みを阻まんと、前田・福島・浅野・黒田といった豊臣譜代の臣と手を携えて立ち上がっておるのです。つまり、我らに付くことこそ、豊臣をお守りすることに他なりませぬ」
だが、秀雄の理路整然とした言葉も、一炬にはまったく響いていない。
「それは、ただの建前でござろう。内府殿が次の天下を狙うておるのは、子供でも知っていることよ。まあ、どちらの理が正しいか、今ここで論議をしても始まらぬ。我らは治部少輔殿にお味方すると誓ったのじゃ。今さら、寝返ることなどできぬ」
「ふむ。しかし、肥前守殿と我が織田の兵を合わせれば、三万近くにもなりまする。失礼でございますが、戦となれば、紀伊守殿に勝ち目はないですぞ」
「脅しても無駄じゃ。見ての通り、この北ノ庄は堅城。簡単には落ちぬ。我らが城に籠っておる間に、敦賀より刑部少輔殿も助けに来る。勝ち目が無いのは、中納言殿、そなたの方かもしれませぬぞ」
一矩はそう言うとニヤリと笑みを浮かべた。だが、それに対し秀雄は大袈裟な様子で驚いて見せる。
「なんと!? 紀伊守殿は知らぬのですか? 大谷刑部は、すでに敦賀にはおりませぬ。戸田武蔵守殿、平塚因幡守殿と共に、美濃に向かわれた後ですぞ」
「な、な、なにぃ!? そ、そんな馬鹿な話があるかぁ! ゴッ、ゴホッ、ゴホッ」
一矩は大きな声を上げると、酷く咳き込んでしまう。小姓が慌てて一矩の背中をさする。
「紀伊守殿、大丈夫にござりますか? いや、これは間違いござらぬ。大谷刑部らが美濃の関ケ原に陣を構えていることも、我が配下の者が近くまで足を運んで確認しておりまするぞ」
「はあ、はあ。そんなはずはないのじゃ。刑部少輔殿はこの城を去るときに、前田が攻めて来たらばすぐに敦賀より助けに現れると誓うてくれたわ。あやつは忠義の男。味方を欺くことなどあるわけがないぞ! ゴッ、ゴッ、ゴホッ、ゴホッ」
一矩は顔を赤く染めながら、強い口調でそう言い切った。
「いや、確かに大谷刑部は、忠義の男として名が通っておりまする。しかし、その忠義はあくまで主君や友人に対してのもの。いくら大谷刑部でも、味方でないものに義理を通す道理はないでしょう」
「し、し、しかしじゃな……」
「大谷刑部が嘘をつくということは、紀伊守殿のことをお味方と思うておらぬということでございましょう。さすれば、紀伊守殿が我らに付いたところで、裏切りにも当たりませぬな」
秀雄は、一矩の目を見ながら、はっきりとした口調でそう言った。一矩は、心の揺れを隠しきれず、思わず目をそらしてしまう。
「じゃ、じゃが、信じられぬ……」
「それであれば、敦賀に早馬を送ればよろしいでしょう。敦賀城に大谷刑部がいるのであれば、ワシが嘘をついていたということ。いないのであれば、大谷刑部が嘘をついていたということ。はっきりすることでございましょう。それでは、ワシはこれにて失礼します。明日もう一度、この城に来ましょう。そのときに、改めてお返事を聞きましょう」
秀雄はそう言うと、颯爽と立ち上がり部屋を出て行った。後に残された一矩に、息子の俊矩が話しかける。
「父上、今の話。真のことでございましょうか?」
「わからぬ。中納言殿がすぐにわかる嘘を口にするとも思えぬが……。まあ、敦賀に使いを送ればすぐにわかることじゃ。急ぎ、早馬を手配せよ」
「畏まりました」
その日、北ノ庄城から敦賀城に送られた使いの者が、大谷吉継に会うことは叶わなかった。面会に当たった大谷家の家老は、吉継が急病であると言い訳をしていた。だが、青木家の使いは敦賀城内に手練れの将がほとんど残されていないことに、すぐに気がついた。急ぎ北ノ庄に戻ると、主君に大谷不在を告げたのであった。
【慶長五年(1600年)長月十五日、酉一つ時(午後五時)、近江・美濃国境付近】
「ええい、もうじきに日暮れじゃ。もたもたしておると戦が終わってしまうではないか」
馬上で愚痴っているのは、織田秀雄だ。今、秀雄は、前田利長と轡を並べて、関ケ原に向かっているところだ。
越前の諸大名への調略を終え、美濃への進軍を開始したのが一昨日のこと。昨晩には、越前と近江の国境の栃ノ木峠を越え、今朝は北近江の木ノ本で陣を張っていた。そこに関ケ原で戦いが始まったとの報が届いたのだ。
木ノ本から関ケ原までは、約七里(二十八キロ)。その道のりを三刻半(約七時間)かけ、進軍してきたのだ。
「急ぎ過ぎては、兵が疲弊して戦さどころではなくなってしまいますからな。急いては事を仕損じますぞ」
秀雄にそう答えたのは、生駒内膳。越前大野・織田家の家老である。
「しかし、内膳よ。戦が終わった後で、のこのこと戦場に現れたなら、ワシらは笑い者になるだけではないか」
「いえいえ、十万もの軍勢がぶつかり合う大戦さでございます。わずか一日で終わることなどあろう筈がございませぬ」
生駒内膳は、主君を宥めるように落ち着いた口調で言った。一方の秀雄の気はなかなか治まらない。大野の城門を出てからは、敵方を寝返らせ続けただけで、戦闘らしい戦闘は一度もなかったのだ。これでは武功を挙げたと家族に胸を張ることができない。
秀雄が馬上でイラつきを隠せないでいると、そこに物見に出ていた武将が戻って来た。
「殿、石田、小西、宇喜多らの隊は、前方の相手方との戦に手いっぱいで、後方への備えが出来ておりませぬ。これは攻め入る好機でございますぞ!」
それを聞き、秀雄の表情がぱっと明るくなる。
「おお、そうか! 皆の者、よいな。このまま、一気に攻め入るぞ! 前田の兵に後れを取ってはならぬ! 一同、進むのじゃ!」
秀雄の下知に合わせ、織田の兵は足を速める。やがて、戦場に到達すると、そのまま石田隊に背後から襲い掛かった。襲われた石田の兵士たちは、たまったものではない。朝より戦闘を続け、ようやく今日はこれで終わりであろうと思った時に、背後から大軍が押し寄せてきたのだ。部隊は大混乱に陥ってしまう。
島左近、渡辺勘兵衛ら石田隊の武将は、兵を奮い立たせようと必死に号令を下す。だが、彼ら自身もすでに疲れは隠せなかった。
「ぐぬぅ、不覚……」「もはや、これまでか」
押し寄せる新手の兵に石田隊の猛将たちも次々と討ち取られていく。指揮官たちを討ち取られた石田隊は、やがて散り散りとなっていく。
一方、その隣にいた小西隊は、織田・前田の部隊と刃を交える前から、すでに崩壊していた。将兵は四方八方に逃げ惑っており、交戦しようという意思すら失っている。それを見て、さらにその隣にいた宇喜多隊も、戦意を失ってしまう。
こうして朝からあれほど勇猛に戦っていた石田・小西・宇喜多の三部隊は、一刻も立たぬうちに総崩れとなってしまった。西軍で部隊として機能しているのは、島津隊と南宮山にいる毛利・吉川・長宗我部・長束らのみ。だが、これらの部隊も、南側の伊勢街道に向け、退却を開始している。
「なんじゃ、戦とは、かくも容易きものじゃったのか……」
その有様を見て、織田秀雄は拍子抜けしたように呟いた。敵軍は十万。しかも数多の戦場を経験した強者ぞろい。自軍の損耗は避けられぬと予想していた。いや、自分の命も危ういかもしれぬと覚悟もしていた。それが、自軍の死者は、わずかに数十人。それに対して討ち取った敵方の将兵は、千人を優に上回っているのだ。
日も暮れた頃、秀雄は関ケ原東部の家康の本陣を、前田利長と共に訪れた。陣中に入ると、家康が秀雄のもとに駆け寄ってくる。そして、家康は、秀雄の右手をしっかりと握りしめると、頭に押しいただいた。
「御曹司殿、此度の戦の勝利は、ひとえにそなたと肥前守殿のおかげでござる」
東軍の総大将にして、関八州二百四十万石を治める家康が、まだ若造の秀雄に対して極めて丁重に感謝の意を告げたのだ。これには、秀雄もいたく恐縮してしまう。
「いえ、ワシは皆が弱らせた敵にとどめの一撃を刺しただけのこと。此度の勝利は、皆で勝ち取ったものでござりまする」
「ほう、御曹司殿はお若いのに随分と謙虚であられるな。いや、たとえ皆で勝ち取った勝利と言えども、そなたの勲功が小さくなるものではございませぬ。恩賞はお望みの物を手配いたしますぞ。さて、御曹司殿、一体何を望まれますかな?」
家康はそう問いかけると、秀雄のことを見定めるように上目遣いで視線を送って来る。秀雄は暫し考えた後に、その問いに答える。
「それでは、尾張をいただきたく存じます。尾張は、父祖伝来の地。この地で先祖の霊を祀りたいと思うております」
尾張の石高は、五十万石余り。今、秀雄が治めている越前大野の十倍にあたる。秀雄は、少し大きく出てみたのだ。これを聞き、家康は秀雄の手を握りしめたまま、暫しの間黙り込んでいた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「ほう、尾張一国でよろしいのですな。てっきり尾張・美濃・伊勢の三か国をお望みかと思うておりましたぞ」
勿論、家康も本心ではそんなことは思っていない。むしろ、尾張一国とは随分と大きく出てきたなと思っている。だが、秀雄は、嫡男秀忠の正室・お柚の方の実兄であり、身内に準じた立場である。秀雄を重んじても、徳川に損は無いと即座に計算をした。
「いや、いや、一国でも手に余ろうかというところです。三か国など、とてもとても、ワシの器量には見合いませぬ」
秀雄は、謙虚にそう言った。正直に言って、尾張一国を貰えるならば、それだけで飛び上がって喜びたい気分なのだ。
「なるほど、まあ、そうとは思いませぬがな。それでは、他には何か望みはございませぬか? 官位、茶器、駿馬。お望みのものを手配しますぞ」
家康にそう問われたが、秀雄には尾張以上の望みは無い。いや、下手なものを望んで、家康の機嫌を損ね、尾張を逃すことがあってはならない。即座にもう望みは無いと答えようと思ったところで、一つ気がかりであったことを思い出した。
「それでは、内府殿。差し出がましいですが、一つだけ望みがございます」
「ほう、一つでございますか?」
「はい、実は我が妹、小姫のことでございます」
「ほう、お柚のこととな。一体、なんでございますかな?」
「いえ、内府殿も御存じの通り、あの者は浅はかなところがございまして、考え足らずのまま、つまらぬことを口にすることがございます。どうかそのような時がございましても、内府殿には、なにとぞご容赦いただき、笑って聞き流していただけたらと思う次第でございます」
秀雄は、自分にとっての最大の心配事である妹の言動に対する免罪を求めたのだ。これを聞き、家康は目を丸くする。そして、秀雄の手をもう一度強く握りしめると、愉快そうに笑いだす。
「わはははははっ。何事かと思えば、そのようなことでしたか。いや、お柚は、徳川にとって大変によき嫁であり、秀忠にはもったいないぐらいの素晴らしき女子と思うております。御曹司殿の御心配には及びませぬぞ。わははははっ、いや、しかし、これは愉快。さすがは御曹司殿はお柚の兄上でござりますな。ワシには考えも至らぬことを、お求めになられる」
家康が愉快そうに笑うのを、秀雄は複雑な気持ちで見ていた。変わり者の妹と一緒にされるのは心外だと思ったのだ。だが、そのことをここで口にするほど愚かではない。秀雄は、ニコニコと愛想笑いを浮かべながら、家康に向かって丁寧にうなずくのだった。
本作をお読みいただき有難うございます。本話にて第5章は終了となります。当初は関ケ原関連は5話程度で終わらせるつもりだったのですが、いつのまにか話が膨らんでいってしまいました。
さて、次話第55話は6月12日(土)21:00の掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程、何卒よろしくお願いいたします。




