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第53話:決戦

【慶長五年(1600年)長月十五日、申二つ時(午後三時半)、桃配山】


「おお、なんたることじゃ。父上が、敵方に囲まれておるではないか」


 秀忠は、眼前の光景に目を疑った。家康が率いていた徳川本軍の陣形は、敵の攻勢を受けすっかりと乱されてしまっている。そこを敵の軍勢に取り囲まれ、じわじわと兵を削られているのだ。


「もう少し遅れれば危うきところでしたな。急いだかいがあったというものでござります」


 秀忠の側近、土井利勝が応える。木曽川を渡り太田宿についたのは、昨日の子の刻(深夜十二時)。それから短い睡眠を挟み、今朝は日の出前に太田宿を出発した。その後は、休みらしい休みもほとんど取らずに中山道をひたすらに西進し、ようやくここ関ケ原に到着したのだ。


 かなりの無理な行軍で、将も兵もすでに疲弊しきっている。実際に、兵のほぼ半数は極度の疲労や足のケガによりこれ以上歩くことができなくなり、後方に待機せざるを得なくなっているほどだ。


 だが、今は疲れたなどと悠長なことを言っている場合ではない。この戦で主君・家康の首が獲られてしまえば、この行軍が、いや、これまでの徳川家への奉公すら無意味となってしまうのだ。


「うむ、その通りじゃ。皆の者、いざ、進むぞ!」

「おうっ!」


 秀忠率いる軍勢は、疲れた体を奮い立たせ、戦場へと行軍していく。今、秀忠に付き従っているのは、徳川別動隊約二万に加え、先ほど合流した池田輝政・浅野幸長・山内一豊らの軍勢約一万五千である。


 しばらく道中を進み、いざ関ケ原に入ろうとしたときだ。前方より伝令役の武将が、秀忠のもとに報告に来る。


「殿、馬上のまま失礼を致します。前方より敵がこちらに向かっております。敵の旗指物の家紋は、左三つ巴。小早川家と思われます」

「ほう。金吾殿か。やはり、寝返りはしておらんかったのじゃな。して、兵数と陣形はいかに?」

「兵数は、概算で一万数千といったところ。陣形は偃月(えんげつ)にござりまする」


 中山道の道中で、秀忠は何度か「小早川秀秋が戦の最中に寝返って東軍に付く」との報せを聞いていた。だが、秀秋の一本気な性格を考えるとその報せを信じることはできなかった。そして、実際、秀秋は、大将自らが先頭に立つ偃月の陣形でこちらに突っ込んで来ている。


「よし、池田、浅野、山内のそれぞれに伝令を送るのじゃ。お三方は右に迂回し、父上の救援に急ぎ回って欲しい。小早川の軍勢は、我ら徳川が迎え討つ、そう伝えよ」

「はっ、畏まりました」


 秀忠は、伝令に下知をすると、周囲に付き従う武将たちをゆっくりと見回す。


「皆の者、三河武士の強さを見せつけるときぞ。両翼の部隊を広げて、その後、敵を一気に包み込む。そして、そのまま押し潰すのじゃ!」

「はっ!」


 左翼の部隊の指揮は、徳川四天王の一人、榊原康政。右翼の部隊は、徳川十六神将の一人、大久保忠佐が指揮を執っている。二人とも数々の武功を成し遂げてきた歴戦の名将である。彼らの用兵術に不安は全くない。


 中央の部隊は、先鋒が酒井家次。徳川家の家老であった酒井忠次の嫡男で、父の引退後に家督を継いでいる。その後方にいる秀忠に付き従っているのは、土井利勝、本多忠政、安藤重信ら。いずれも秀忠が幼い頃から、彼の側近を務めていた者たちだ。彼らは、戦さの経験に関しては、左右両翼と比べると劣ってしまう。そのため、それを補うべく中央の部隊の兵数は、厚く配備している。


 秀忠が気がかりなのは、この二日間の強行軍による兵士の疲労だ。だが、疲れているのは朝から戦闘を続けている敵軍も同じであろうと判断した。陽が暮れるまであと一刻(約二時間)余り。ここで一気に敵の主力軍の一つを殲滅しようと決意したのだ。


「金吾殿、お覚悟召されい」


 秀忠は、元服前からの知人。小早川秀秋の顔を思い起こしながらそう呟いた。こうして、関ケ原の戦いの勝敗を決する一戦が、徳川別動隊と小早川軍の間で行われることとなったのだった。




【同日、申三つ時(午後四時)、関ケ原東部】


「よし、皆の者、ワシに続け! 一気に攻め込むのじゃ!」


 馬上で長槍を手にしたまま、小早川秀秋は大声で配下の将兵たちに号令をかけた。「おうっ!」と兵士一同も威勢よく答える。昼過ぎに参戦して以来、小早川軍はここまで連戦連勝を続けている。関ケ原中央部で、藤堂高虎や京極高知ら諸将の軍勢を一蹴すると、敵の大将である家康率いる徳川本隊をも圧倒し、後ろに退かせている。


 そして、さきほど始まった徳川秀忠率いる徳川別働隊との戦闘。この戦いも、小早川軍が優位に立っている。徳川別動隊は、士気こそ高いものの、兵士は明らかに疲れ切っていた。繰り出される槍や刀にはキレがまったくなく、しかも、少し戦っただけですぐに兵士の息が上がってしまう。小早川軍が押し込むと、彼らはまるで踏ん張ることができず、すぐに後退してしまう。兵だけではない。将が乗る馬も動きが遅く、指示にも機敏に反応できていない。これが名高い三河武士だとはにわかには信じられないほどである。


「ふん、これが徳川とはな。伏見の城におった兵たちとはまるで違うておるわ」


 秀秋は、二か月前の伏見城攻めを思い出す。この城を守っていたのは、家康の腹心、鳥居元忠が率いる僅か二千足らずの軍勢だった。押し寄せた軍勢は、実に四万人以上。だが、二十倍を超える軍勢を相手に鳥居元忠らは十日以上も奮戦した。そして、最後にほぼ全員が討ち死にするまで、伏見城を守り続けたのだ。


「殿、油断召されてはなりませぬぞ」


 小早川家の家老、平岡石見(いわみ)は、秀秋に釘を刺した。秀秋は不機嫌そうに顔を歪める。


「ふん、分かっておる。ほれっ、石見、お主こそ油断するな。前から敵が来ておるぞ」


 まさに平岡石見に徳川の武将の一人が襲い掛かろうとしているところであった。平岡は、巧みに馬を操り、敵の槍を間一髪で交わす。そして、自身の槍をぐいと前にと突き出すと、その槍は敵の肩にぶすりと突き刺さった。たまらず敵将が落馬すると、そこに小早川家の足軽たちが群がって簡単にその首を落とす。


「ふん、石見よ。なかなか、やるではないか」

「はっ、これしき容易(たやす)きことでござります」

「ほう、威勢がよいな。皆の者、石見に負けるでないぞ。前に進むのじゃ!」


 小早川軍の勢いは止まらなかった。まるで豆腐に箸を突き刺しているかのように、するすると秀忠軍の中央を切り進んでいく。だが、好事魔多しとはこのことだった。


「殿、さすがに急ぎ過ぎでございまする。後続の部隊と少々離れてしもうておりますぞ!」


 平岡石見は、秀秋にそう進言した。小早川軍の陣形は、偃月(えんげつ)と呼ばれるもので、大将の部隊を含む中央部分が、戦場の最前線に立っている。この陣形は、前線で戦う大将の姿を見て後方にいる兵の士気は高まるのだが、前線で大将が討ちとられる危うさも抱えている。そのため、戦慣れした精鋭部隊を秀秋の周囲に配置していたのだが、余りにも調子よく前に進み過ぎたのだ。


「ふん、確かにな。少し調子に乗ったか」


 秀秋は辺りを見回すと、顔を歪ませる。確かに、自分の周囲の部隊は、他の部隊から孤立しかけていた。秀秋は、陣形を整えようと指示を出そうとした。だが、小早川軍に生じた隙を、徳川の歴戦の武将たちは見逃しはしなかった。


 左翼の榊原康政と右翼の大久保忠佐は、小早川軍を分断させようと、ほぼ同時に秀秋の後方に向け切り進んできたのだ。


「殿、まずいですぞ。このままでは囲まれまする。一旦、退きましょう」


 平岡石見は慌てていた。今、秀秋の周囲にいるのは、ほぼ四千人。全軍の三分の一にも満たない。この部隊が他の軍から切り離されてしまうと、守るのは容易なことではない。


 秀秋がここは一旦退却するしかないかと覚悟したそのときだ。前方に見知った顔がいることに気が付いた。


「ぐぬぬ、徳川秀忠、そこにおったのか!」


 秀秋の前方にいたのは、この別動隊の総大将・徳川秀忠だった。自軍の不利を知った秀忠は、兵士を鼓舞するために、最前線近くにまで進んできていたのだ。二人の間の距離はわずかに三町足らず(約三百メートル)。馬で駆ければ、すぐに届く距離である。


「殿、急ぎ退きましょうぞ!」

「石見、ワシは退かぬぞ! すぐそこに秀忠がおるのじゃ。あやつの首を落とさねばならぬ!」

「しかし、殿!」


 平岡石見は、秀秋の顔を見る。秀秋の目は、真っ赤に血走っていた。興奮しきっているときの表情だ。こうなってしまっては、誰の言葉も聞こうとはしないことは、平岡にはよく分かっている。だが、ここは小早川家のため、いや、主君・秀秋の命を守るためだ。簡単に折れるわけにはいかない。


「どうした、石見。命が惜しゅうなったか! 怖じ気づいたのならば、お主は一人で退くがよい。ワシは前に行くぞ!」

「いえ、(おのれ)の命は、惜しゅうとは思っておりませぬ。ただ、殿の御命が惜しいだけにござりまする!」


 平岡石見は、秀秋を正面から見据え、はっきりとそう言い切った。秀秋に仕えてからの六年間。直情的で思慮が浅い主君に散々に振り回されてきた。だが、その心地よいまでの心根の真直ぐさに惹かれるところもあったのだ。


「ふん、石見よ。ワシの命は松尾山に捨ててきたわ。言うたであろう。ここがワシらの死に場所であると。まあ、もう、よい。ワシと共にこの地で死ぬか、ここから一人逃げて生き延びるか、好きな方を選べ」


 秀秋にこう言われてしまっては、平岡石見としても答えは他にない。


「勿論、それがしは、殿にどこまでもお供します。その行く先が、たとえ冥府であろうとも違いはございませぬ」

「よし、よくぞ言うた。皆の者も、ワシと共に死にたいものはついて参れ。ワシはこれより、逆賊・徳川秀忠の首を獲りに行くぞ!」


 秀秋の周囲にいた将兵は、一人の例外も無しに主君に付き従うことを選択した。そして、うおおおっという大きな雄たけびをあげながら、徳川秀忠を目掛けて一斉に押し寄せたのだ。


 その勢いに、徳川軍は押されてしまい、後退することを余儀なくされる。だが、退いたところをさらに小早川軍に押されてしまう。秀秋を先頭とする小早川軍と、秀忠との距離はどんどんと狭められてしまう。


 そして、遂にはその距離僅か半町(約五十メートル)。互いの表情もはっきりと分かるまでに、秀秋と秀忠は接近したのだ。


「徳川秀忠、天下に仇なす極悪人よ。お主の卑怯な企みもこれで(しま)いじゃ! いざ、覚悟せよ!」


 秀秋の威勢の良い言葉は、秀忠の耳にもはっきりと届く。秀忠は、秀秋の顔を鬼のような形相で睨みつけた。


 パアーン!


 その刹那、乾いた銃声が響いた。秀忠の傍にいた鉄砲隊の火縄銃が、小早川秀秋を目掛けて放たれたのだ。銃弾は秀秋の右の太ももを貫通した。続けて、パン、パン、パンと三発の銃弾が、秀秋を目掛けてさらに放たれる。その内の一発は、秀秋の左肩を貫通する。


「うぬぅ、火縄とは卑怯な……」


 秀秋は体の平衡を崩し、落馬してしまう。小早川の部隊は主君を守ろうと、一斉に秀秋のもとに押し寄せる。だが、それより早く長槍を持った一人の武者が秀秋に攻めかかった。


「それがし、結城家家中、西尾仁左衛門(にざえもん)と申す者。中納言殿、御命頂戴つかまつる!」


 この男は、結城秀康から弟の秀忠に貸し与えられた武将の一人である。元は武田家の家臣であったが、武田家滅亡後は全国を転々とし、七年前より結城秀康に臣従している。今も下野国・宇都宮で、上杉への備えにあたっている秀康から「結城家の名を高めるため功を遂げてこい」と命じられていた。


「ふん、下郎が。返り討ちにしてくれるわ」


 秀秋も長槍を握り直すとこれに応戦しようとする。だが、さきほど命中した二発の銃弾と落馬時の負傷のせいで、秀秋はまっすぐに立つことすらできなかった。勢いよく突き出された西尾仁左衛門の長槍をよけることができない。仁左衛門の槍は秀秋の首筋を切り裂いたのだった。


「ぐぬぅ……。不覚……」


 秀秋は小さなうめき声をあげると、手にしていた長槍を落としてしまう。自分の首筋から勢いよく血が流れだしているのが分かる。そして、秀秋の視界は次第に暗く染まっていき、意識も少しずつ薄れていく。


 秀秋は、思わず自分の袂にしまってある扇子に手を伸ばそうとした。それは、幼なじみで初めて愛した姫君から貰った餞別の品。秀秋はこの扇子に触れていると、自分が強くなれると感じていた。


 秀秋は、小心な臆病者であった。彼には体力も無ければ知力も無く、他人と比べて秀でているところは何も無かった。秀吉の養子となり後継者候補の一人となっても、秀秋は自分自身にまったく自信が持てず、周囲の反応にいつもオドオドと怯えていたのだ。


 だが、そのことを気取られぬように、幼い頃は敢えて傲岸不遜に振舞っていた。そして、彼が傲慢に振舞えば、周囲の者は愛想笑いを浮かべながら自分に従ってくれるのだ。何も持たぬ彼には、そのように振舞う以外に道はないと思っていた。


 だが、そんな彼のことを真剣に思ってくれる姫君がいた。彼女は曲がったことが大嫌いで、他の人間と違って、秀秋に媚びてくることは一切無かった。それどころか、秀秋が彼女に対し無礼な言葉を口にしたときは、大きな声で叱ってくれたのだ。彼女に不埒な振舞いをしようとしたときも、「卑怯なことをするな、立派な人間になれ」と厳しく秀秋のことを諫めてくれた。


 秀秋が豊臣家を離れ小早川家に養子に行く前に、大坂城内の茶室で彼女と最後の茶を楽しんだのは、今でもよい思い出となっている。あのときは、あわよくば一度彼女を抱きしめたいと思い、それとなく伝えたのだが、彼女はやんわりとそれを断わり、代わりに餞別としてくれたのが彼女が大切にしていたこの扇子だった。


 この扇子に触れていれば、秀秋はいつでもあの姫君のことを思い出せた。自分の心の弱さや怠惰な気性に負けてしまいそうになるときも、この扇子に触れたならば、自分の中の彼女が叱咤してくれる。自分が立派な振舞いをした時は、彼女が自分のことを褒めてくれる。秀秋はそう思いながら、小早川の当主を務めてきたのだ。


 この戦の始まる前、そんな彼女から秀秋のもとに一通の手紙が届いた。彼女から手紙を貰うのはこれが初めてだった。秀秋は手紙を受け取った瞬間は舞い上がりそうになったが、すぐに彼女の立場を思い出した。そして、徳川家嫡男の正室として、秀秋に徳川家に付くようにと誘うものであろうと予測した。


 だが、手紙の中身はそんな彼の予測とはまるで違っていた。彼女は、仮に大坂で事が起きた際には諸大名の婦女子を守護するようにと、秀秋に対し依頼してきたのだ。秀秋は自分の不明を恥じた。そして同時に、彼女が昔と変わらず高潔であることを嬉しく思った。秀秋は「大坂で卑怯な振舞いは誰にもさせぬ。安堵いたせ」と返事をした。その返事に和歌を一首同封したのは、少し調子に乗っていたからかもしれない。


 秀秋はそのことを思い出し、かすかに頬を動かす。もう彼の手は動かない。胸元の扇子に触れることもできない。だが、それでも秀秋は彼女が自分の傍にいるかのように思えていた。


「小姫よ。どうじゃ……。ワシは卑怯者ではなかったであろう……。ワシは、立派な人間になれたであろう……」


 囁くような声で、秀秋はそう独り言を口にした。いや、実際には、もう声には出ていなかった。そんな僅かの力さえ彼には残されていなかったのだ。やがて、とどめの一撃が秀秋の首元に突き刺される。


「結城家家中、西尾仁左衛門。筑前中納言、小早川秀秋殿を討ち取ったり」


 仁左衛門の大声での名乗りが戦場に響く。小早川秀秋、享年十九歳。愚直なまでに一本気な彼の生き様と、凄まじいばかりの散り様は、多くの者に感銘を残すこととなるのだった。


本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。


秀俊くんこと小早川秀秋はついに退場となりました。彼には自分としても思い入れがあったので、本話を書いていて少し寂しい気持ちになってしまいました。


さて、次話第54話は、三日後の6月5日(土)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] しゅき! [一言] 秀秋さん死んじゃったよ……(´;ω;`)
[気になる点] 大将首を挙げた結城家って秀康もこっちに来たのかな? [一言] 基本的に挑戦で激戦を経験した人間が多い小早川軍と三河者(三河出身者)の元の数の少なさに関東平定戦以来代替わりもあった徳川軍…
[良い点] 此方の金吾中納言秀秋の生き様と散り様は、大名職に在る者としては些か危ういものではあるが、武士たる者ならば倣うべきものとして敵味方の別無く尊ばれるものとなるでしょう。
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