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第52話:秀忠と秀秋

【慶長五年(1600年)長月十四日、美濃国・大井宿】


 ここで関ケ原前日に日付は戻る。中山道の美濃と信濃の国境の馬籠(まごめ)峠。この峠を挟んで美濃側の宿場を馬籠宿という。徳川秀忠率いる徳川軍四万人は、長月十四日の日の出と共に、この宿場町を出発した。馬籠宿から岐阜城までは、二十里余り。順調に進めば、丸三日の行程となる。


 正午には、徳川軍は、中津川の先にある大井宿という宿場町に到着した。大井宿から先は、再び細い山道を通ることとなる。そのため、ここで隊を二つに分け、先遣隊は中山道をこのまま進んだ先の大湫(おおくて)という山村まで進ませるが、秀忠率いる本隊はここで一泊する予定となっている。


久兵衛(きゅうべえ)殿、色々と世話になるな」


 秀忠は、中年の武将に深々と頭を下げる。この中年男の名は、遠山久兵衛友政。遠山家は、平安時代の昔よりこの地一帯の領主であった。だが、十七年前の天正十一年(1583年)にこの地域一帯の覇権を巡る森長可との抗争に敗れると、この地を去らざるを得なくなり、それ以降は家康に臣従している。


 森長可が小牧・長久手の戦いで戦死した後は、弟の忠政がこの地を治めていたが、今年の如月に忠政が川中島に転封される。その後、この地は、田丸直昌や河尻秀長らが分割して統治していた。


 文月(七月)に石田三成が家康に対抗するために旗揚げすると、これらの東美濃の諸将たちは、これに呼応して西軍に属した。そのため、家康は「東濃の諸将を尽く討伐せよ」と遠山久兵衛ら東美濃に地縁を持つ武将たちに命じていた。久兵衛は、故郷に急ぎ戻ると即座にかつての領民たちを説得して助力を得る。そして、わずか一月足らずでこの地の拠点である苗木(なえぎ)城を攻め落としたのだ。


「いえ、若様。滅相もございません。それがしも徳川家に仕える身でござりますゆえ、当然のことにござります」

「ははは、そう謙遜するではない。兵糧米のみならず、替えの駒まで支度したのじゃ。容易(たやす)きことではなかったであろう。我ら一同、おおいに助かっておる。この礼は、いずれ必ずさせてもらうからな」


 秀忠らが、上野国・宇都宮を発ち美濃を目指してから、すでに二十日間近くとなる。秀忠や配下の武将たちが騎乗していた栗毛馬もすっかりと疲弊していたのだ。


「ははっ、かたじけなく存じまする」


 遠山久兵衛は深々と頭を下げた。彼の悲願は、この地の領主に返り咲くことである。そのためであれば、どのような苦労も厭わないつもりなのだ。


 そのときだ。秀忠の陣中に兵士が駆け足でやってきた。


「殿、岐阜城のお屋形様よりの伝令にござりまする」

「よし、すぐに通せ」

「はっ」


 すぐに伝令役の武将が陣中に入って来た。伝令は、秀忠の前にひざまずくと丁重に頭を下げる。


「うむ、苦しゅうないぞ。父上は岐阜城で、さぞや首を長くして我らのことを待っておられるのであろうな」

「いえ、お屋形様は、今朝、全軍と共に岐阜城をお発ちになられており、今は大垣城に向かっておられます」

「なんと、父上はもう大垣に向かっておるのか。随分と動きが早いのじゃな。まあ、大垣城は堅城ゆえ、いかに大軍と言えども攻め落とすのには、早くとも半月はかかるであろうな」

「いえ、実は、大垣城中に忍ばせておる者からの報せによると、城内の石田・小西・宇喜多・島津らは、既に城を出る支度をしておるとのことでござります」


 伝令からの意外な報せに秀忠は目を丸くする。大垣城にいる敵軍の将兵の士気は高いと聞いていた。それにもかかわらず、こんなに早くも拠点の城を諦めてしまうとは意外だったのだ。


「なんじゃ、治部少輔殿らは、戦わずして逃げるつもりじゃったか。それは随分と拍子抜けじゃな」

「いえ、おそらく逃げるつもりではございませぬ。どうやら大垣城の西方にて、大谷刑部殿が、野戦に備えた陣を構築しておる様子とのこと。おそらくここで大垣の将兵と合流し、我らを待ち受けるつもりかと」

「なにぃ! 大垣城の西方じゃと。やはり、関ケ原であったか!?」


 秀忠は思わず声を張り上げる。出陣前に愛妻が彼に告げた通り、天下分け目の戦が関ケ原で行われるようとしているのだ。秀忠の気分は昂揚し、その体は自然と震えだしてくる。


「はっ、その通りにござりまする。お屋形様も、関ケ原での合戦を受けて立つご意向あり。若様にも急ぎ関ケ原に来られるようにとの下知でござりまする」


 岐阜城から関ケ原までの行軍には半日以上を要するであろう。岐阜城に着く予定は、十六日の夜。関ケ原への到着は、翌十七日となろう。その後、暫しの休息を取り、合戦は十九日から二十日というところか。秀忠は、頭の中で即座にそう計算した。


「あい分かった。父上には、関ケ原には三日後の十七日に参上するとお伝えしてくれ」


 秀忠は、凛とした声で伝令にそう伝えた。だが、その言葉を聞き伝令は困惑の表情となる。そして、一呼吸すると、畏まりつつも秀忠に申し出る。


「いえ、若様。お屋形様は、明日のうちに、関ケ原に来られるようにとのことでござりまする!」

「なにぃ!? 明日のうちじゃと!?」


 秀忠は思わず声を上げる。秀忠の周りで伝令の報告を黙って聞いていた榊原康政や土井利勝ら側近の武将たちも「それは無理じゃ」「あまりにもご無体な御下命にござる」と次々と口を開き始める。


 そのときだ。黙って秀忠と伝令の会話を聞いていた遠山久兵衛が、秀忠の前にすっと進み出てきた。


「若様、それがしが行軍をお助け致しまする。今日中に、若様が太田にまで兵を進めることが(あた)わば、明日の夕刻には関ケ原に到達できるやもしれませぬ」


 その進言を聞き、秀忠は遠山久兵衛の顔をじっと見つめる。この大井宿から木曽川沿いの宿場町、太田までは、山道を通って十里(約四十キロメートル)となる。もともとの予定では、明日の日の出の直後にここを発って、日没頃に太田に到着すると算段していたのだ。今、ここを発っても、とても今日中に太田に到着できるとは思えない。


 秀忠の思いを代弁するかのように、土井利勝が口を開く。


「久兵衛殿、それはご無理な話でございましょう。今はもう(うま)の刻じゃ。とても今日中に太田に着けるとは思えませぬぞ」

「勿論、容易きことではございませぬ。いかに急いでも太田に着くのは、深夜になりましょう」

「深夜じゃと? 山道を夜に進めと申すのか。そんなことができるのか?」


 土井利勝は当然の疑問を口にした。ここから太田までは、峠をいくつか越えなければならないのだ。夜の暗闇の中を、細い山道を無事に進軍できるとは思えない。だが、遠山久兵衛は、胸を張ってその疑問に答える。


「はっ、この地は、古来より我ら遠山一族が治めておりました。この地の民は、今もそれがしへの忠義を誓っておりまする。さすれば、夜には、男どもに街道沿いで松明(たいまつ)を持たせ、女どもには村々で握り飯を作らせまする」

「なるほどな。しかし、松明というても、この雨じゃ。すぐに消えてしまうであろう」

「この雲の流れを見ても、夜になる前には雨も小降りとなりましょう。さすれば、松明の火は消えませぬ」


 遠山久兵衛は必死に食い下がった。先祖伝来の地を追われてから既に十七年。ここで功を遂げ、この土地に領主として戻る千載一遇の好機なのだ。


 久兵衛の様子を見つめながら秀忠は考えていた。明日中に関ケ原に来いという、家康の下命はいかにも無茶に聞こえる。だが、家康は理由もなく理不尽なことを言う男では無い。おそらくは一両日中に戦を始めるつもりなのであろう。


 そして、秀忠はもう一度愛妻の言葉を思い出す。「関ケ原で天下分け目の戦が行われます」。愛妻は確かにそう言った。そして、その後は「徳川家の天下となる」と。そのような戦に、徳川家の嫡男たる自分が遅れるわけにはいかない。秀忠は、心を決めた。


「久兵衛殿、誠にかたじけない。おそらく次の合戦は、徳川家、いや、この天下にとって、極めて大事なものとなろう。ここは、貴殿とこの地の民に一肌脱いでもらうしかない。よろしく頼むぞ」

「はっ、かしこまりました。全身全霊を込め、ご奉公させていただく所存でござりまする」


 久兵衛は頭を深々と下げると、準備をするために急いで陣の外に駆け出していく。秀忠は、周囲の家臣に下知をする。


「皆の者。聞いておったな。我らは、明日には関ケ原が着かねばならぬ。道中は、ろくに休みも取れぬ厳しきものとなるじゃろう。じゃが、これも全て天下の為である。皆の者、よろしく頼むぞ!」

「おうっ!」


 家臣一同、威勢のよい声で秀忠に応えてくれる。こうして、四半刻(約三十分)も立たぬうちに、秀忠率いる全軍は、大井宿を後にして、関ケ原に向かい始めたのだ。


 道中の馬上で秀忠は江戸に残した愛妻のことを思う。


「小姫殿、そなたの教えてくれた通りになりそうじゃな。此度の戦でワシは必ず功を成し遂げるぞ。そして、そなたの望んでおった泰平の世を作り上げるからな」


 秀忠はそう独り言を口にすると、関ケ原を目指して、中山道を急ぎ西へと進んでいったのだった。



【長月十五日、申二つ時(午後三時半)、関ケ原東部】


「ふん、もぬけの殻か」


 小早川秀秋は、馬に乗ったまま忌々し気にそう呟いた。秀秋が今、立っているのは、つい先ほどまで家康が本陣を構えていた場所である。


 秀秋率いる小早川の軍勢は、一刻半(約三時間)前に松尾山を駆け下りると、家康の本陣を目掛けてひたすらに進んでいた。途中、藤堂高虎や京極高知ら諸将の軍勢が立ちふさがるも、これを簡単に退けている。家康本陣の守りはさすがに堅かったが、秀秋自らが先頭に立ち長槍を振るうと、その勇姿に家臣一同は鼓舞された。三度の猛攻を経て、ついには家康の本陣に切り入ることに成功したのだ。


 だが、家康やその配下の主たる武将は、すでに逃げ出した後であった。辺りには、漆塗りの床几(しょうぎ)陣卓子(じんたくし)が打ち捨てられており、家康一同が慌ててここを去ったことが窺える。


「殿、まだ、家康はそう遠くには行っておりませぬ。ここは追撃でございます」


 小早川家の家老、平岡石見(いわみ)はそう秀秋に進言した。家康隊の後方には、すでに大谷吉継らの部隊が回りこんでいる。家康も、そう遠くまで逃げられないと思われた。


「石見よ、無論、ワシもそのつもりじゃ。よし、進むぞ。ついて参れ」

「はっ」


 秀秋は両脚に力を込め、愛馬を前へと進める。配下の騎馬武者たちと、それに付き添う足軽が後に続く。家康を追って少し東に兵を進めた時だ。関ケ原の東、桃配山の辺りに土煙が舞い上がるのが秀秋の目に入った。


「ほう、新手(あらて)か。池田、浅野、山内であろうな。あやつらめ、毛利、吉川を置いて出てくるとは、実に浅はかな」


 池田輝政、浅野幸長、山内一豊らは、東軍の後詰めの部隊だが、同時に南宮山に陣取る毛利秀元、吉川広家らの大部隊の牽制の任も担っていた。彼らが、自軍の後方に敵の大軍を残したまま、劣勢の戦場に進出するなど、自殺行為にも等しい。秀秋は、敵の愚かとしか思えぬ判断に顔をしかめる。


「いえ、殿。もしかすると、あちらの方々は、寝返ろうとしておるのかもしれませぬぞ」


 平岡石見は、ニヤリと下卑た笑みを浮かべながら、主君の秀秋にそう話しかける。今の戦況は明らかな東軍の劣勢である。西軍に寝返ろうと思う者が出てきても不思議なことではない。


 だが、曲がったことが嫌いな秀秋は、さらに顔を歪ませる。


「ふん、寝返りとは、卑怯な振舞いよ。武家の風上にも置けぬわ」

「殿、寝返りはけっして卑怯なことではございませぬ。しかも、あちらの方々が寝返るということは、つまりは我らのお味方になるということ。礼を失してはなりませぬ」


 平岡石見は、そう秀秋をたしなめる。もともと彼は、秀秋に対し東軍への寝返りを勧めていた身である。秀秋にその進言を却下されてしまい、気まずい思いをしていたが、他の武将が実際に寝返りをしてくれるのであれば、その気まずさも少しは薄れる。


「ふん、つまらぬな。まあ、よいか。我らは家康の首を狙うのみよ」


 そこに部隊の最前列にいた侍大将、松野主馬(しゅめ)が慌てた様子で秀秋のもとに駆けてくる。


「殿、東方に新手(あらて)でございまする!」

「ふん、ワシにも見えておるわ。今、石見とあれはこちらに寝返るのであろうと話し合うておったところじゃ」

「いえ、寝返りのはずがございませぬ。あれは、間違いなく敵方の新手にござりまする!」


 松野主馬は、即座に秀秋の言葉を否定する。自分の言を否定され不快に思った秀秋は、彼の顔を睨みつけた。傍にいる平岡石見は、松野主馬を叱責する。


「おい、主馬よ。なんじゃ、その無礼な口の利き方は!」

「し、失礼つかまつった。しかし、石見殿。あれは新手の敵に相違ござらぬのじゃ。中央の旗差し物に三つ葉葵の印が描かれておるのじゃからな」

「なにぃ!? 三つ葉葵じゃとお!? そんな馬鹿なことがあるか!」


 三つ葉葵は、徳川家の家紋である。今日の昼前に、家康は桃配山から全軍で関ケ原に進軍していたはずである。後詰めの部隊を残しているようには思えなかった。


 しかし、平岡と松野の会話を聞いていた秀秋には、その三つ葉葵の軍勢が何者なのかすぐに当たりが着いた。


「ふん、秀忠め、今頃、のこのこと出てきおったか」


 秀秋は。憎々し気にそう呟いた。その目には、怨念の火が宿っているように見えた。


 秀秋と秀忠は旧知の間柄である。初対面は、十年前に秀忠が人質として、京都の聚楽第に送られて来たときだ。当時、秀忠はまだ十二歳であったが、すでに学識、武芸、礼節、いずれにも秀でており、周囲の歓心を買っていた。特に、北政所やその側近の孝蔵主は、秀忠のことを一目で気に入ったようだった。


 そのことが、北政所の甥であり、当時、豊臣秀俊と名乗り、聚楽第でも我が物顔でいた秀秋の気に障った。何かにつけ、秀忠に嫌がらせをしようと試みたものの、秀忠はこれを気にするところもない。それどころか、「それがし、三河の田舎侍の小倅(こせがれ)ゆえ、知らぬことばかりでございます。金吾様によろしくご指導いただければ、大変光栄でござります」と、丁重な振舞いで返してくるほどであった。


 いや、秀秋が気に入らなかったのは、秀忠のそんな余裕綽々の振舞いだけではなかった。当時、聚楽第の秀吉と北政所のもとには、織田家から養女として差し出された小姫(おひめ)というかわいらしい姫君がいた。


 秀秋は、この小姫のことを一目見たときから気に入っていた。小姫の実父は、当時の内大臣、織田信雄。母も、伊勢の名門、北畠家の出身だ。高貴な血筋と、幼いながらも雅な振舞いに、豊臣家の一員である自分の正室に相応しいのは、小姫であると確信していたのだ。


 だが、小姫は、秀秋の知らぬ間に秀忠の正室となることが決まってしまっていた。そのことを初めて聞いたときは、あまりの心痛に、秀秋は三日三晩寝込んでしまったほどだった。その後も、秀忠が北政所の目の前で小姫を抱きしめていたとの話を、北政所の侍女から聞かされたこともある。このときも、悔しさと嫉妬のあまり、秀秋は夜も眠れぬ思いをしたのだった。


 年を経るにつれ、小姫はどんどん美しく成長していった。それと合わせるように、秀秋の秀忠への憎しみもどんどんと増していく。そして、その秀忠への憎しみの炎は、今も秀秋の胸中でメラメラと熱く燃え上がっているのだった。


「皆の者、我らはこれより徳川秀忠を迎え討つぞ。用意はよいな!」


 秀秋は、興奮のあまり裏返った声で、そう命令を下した。その下知を聞き、平岡石見は思わず問いただす。


「殿、家康はよいのでございますか? 今は、家康の首を獲るまたとない機会にござりまするぞ!」

「ふん、家康の首を獲ったとて、秀忠が生きておらば首がすげ変わったに過ぎぬわ。家康と秀忠、二つの首を獲らねば、泰平の世とはならぬ。家康の首は、大谷刑部らに任せる。我らは、これより、逆賊・徳川秀忠の首を狙うぞ!」


 秀秋は、目を血走らせながらそう言った。こうなってしまっては、もう誰の言葉も聞かないのは、家老の平岡石見もよく分かっている。


「はっ、承知つかまつりました」


 こうして、小早川秀秋率いる軍勢は、桃配山の方角から現れた徳川秀忠らの大軍勢と対峙することとなったのだった。


本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ、ご感想、ご評価、誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。私の執筆継続の励みとなっております。


次話でいよいよ徳川秀忠と小早川秀秋が刃を交えます。第3話初登場の秀忠と、第4話初登場の秀秋の二人が本作中で相まみえるのは、これが最初であり、そしておそらく最後となります。


次話第53話は、5月29日(土)21:00頃の掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 秀俊というモブキャラが成長した点 [気になる点] 三成が秀秋へ提示した報奨は関白ではなく、お柚かなぁと思いました。 [一言] 更新楽しみにしております。
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