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第44話:決戦、ついに迫る!

「秀忠様、御武運をお祈り申し上げております」

「うむ、小姫殿。後をよろしく頼むぞ。必ずや朝敵・上杉景勝を討ち果たしてまいるからな」


 黒光りする漆塗りの甲冑と煌びやかな陣羽織に身を包んだ秀忠くんは、私の顔をしっかりと見つめながら力強くそう言った。


「父上ちゃま、がんばってください」

「うむ、お橙ちゃん。ワシがおらぬときは、ママ様の言うことをしっかりと聞くのじゃぞ」

「はいっ!」


 秀忠くんは青毛の愛馬に跨ると、大勢の武将たちと共に江戸城・本丸御殿を出て行った。今日は文月(旧暦七月)の十七日。秀忠くんを総大将とする上杉討伐軍、総勢十万人は、これから江戸城を発ち会津に向かうのだ。


 私はお橙ちゃんと手を繋ぎ、お橘ちゃんを腕に抱きながら、秀忠くんの姿が見えなくなるまで本丸御殿の玄関でお見送りをした。愛しい人が戦場に行くのを見送るのが、こんなに切ないことだとは知らなかった。もう手柄とか功名とかはどうでもいいので、無事に帰ってきて欲しい。


 秀忠くんが出陣した後も、西の丸には家康と一部の家臣、それに二万五千人の軍勢が残っている。でも、大勢の大名の方々とその配下の兵士でざわついていた時と比べると、江戸城はかなり静かになっている。


「ふぅー、しかし、これからどうなるんだろう」


 私は独り言を口にした。今年は慶長五年、西暦だと1600年になる。つまり、関ケ原の戦いが起きる年なのだ。今、上杉討伐に向かっている軍勢と、江戸城に家康と残っている軍勢は、どこかのタイミングで東軍として美濃の国の関ケ原に向かうことになるのだろう。でも、それがいつ、何をきっかけとするのかが分からない……。


「ママちゃま、おへやにもどろうよ。おたっちゃんもあつそうだよ」

「ああ、そうね。お部屋に戻りましょう」


 そう、今の私にとって一番大事なことは二人の娘を守ることだ。私は、お橙ちゃんの腕を引き、お橘ちゃんを抱きながら、大奥の自分の部屋に戻ったのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 秀忠くんが出陣して二日後のこと。私が本丸表御殿で仕事をしていると、突然、ガラリと襖が開いた。そして、家康の側室であるお梶の方様が部屋の中に入ってきた。


「おお、お(ゆず)。ここにおったか」

「お梶様、そのような格好をしてどうなされましたか?」


 お梶の方様は、男物の小袖と袴、それに鎧を身に付けた武者姿だったのだ。


「これからすぐに出陣なのじゃ」

「えっ? 出陣ですか? どちらに?」

「出陣といえば、上杉相手に決まっておろう。これから会津に向かうのじゃ」

「えっ? お梶の方様が会津にですか? お一人で行かれるのですか?」

「私が一人で戦場に行くわけがなかろう。お屋形様が御出陣されるのでお供をするのじゃ」


 ええっ? 家康が出陣? 一昨日、秀忠くんを総大将に任命して会津に向かわせたばかりなのに? いったい、何が起きているのだろう。


「お梶様、お屋形様が御出陣されるとは、なにか問題でも起きているのですか?」

「いや、私も理由は聞いておらぬ。今朝、上方から急ぎの報せが来て、その後急遽、御出陣を決められたとのことじゃ」

「上方からの報せ……」


 ひょっとして、石田三成さん率いる西軍が挙兵したのかもしれない。でも、それならなぜ、西に向かうのではなく、会津に向かうのだろう?


「それでじゃな、お屋形様がお柚を呼んでおる。私と一緒にすぐに来るのじゃ」

「は、はい。わかりました」


 私はすぐに立ち上がると、西の丸御殿の家康のもとに向かったのでした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「お屋形様、お柚を連れてまいりました」

「おお、すぐに入れ」


 私はお梶の方様と一緒に家康の居室に入った。家康は軍装姿で、側近の本多忠勝さんや井伊直政さん達と打ち合わせをしていた。


「お屋形様、御出陣と聞きましたが」

「おう、そうじゃ。いよいよ時が来たぞ」


 家康はそう言うとニヤリと笑った。目がギラついているので、笑い顔にも凄みを感じる。


「しかし、お屋形様、会津に向かわれると聞きました。私は、お屋形様は上方のことを考えて、江戸に残られておるのかと思っておりました」

「ふむ、お柚はようわかっておるのう。実はな、三成が、佐和山から大坂に向かおうとしていると報せがまいった。まあ、今頃は、大坂城で大弁舌を奮っておるのじゃろう。いや、手回しの良い三成のことじゃ。もう、伏見に攻め込んでおるかもしれぬのう」

 

 ああ、やっぱり石田さんが挙兵したのか。ということは、いよいよ関ケ原の戦いが始まるんだな。普段は冷静な家康もかなり興奮しているようで、頬も紅潮している。


「いや、思うたよりも三成の動くのは十日ばかり早かった。これならば、誘いとして秀忠を会津に向かわせるまでもなかったのう」


 家康はそう言うと大きく頷いた。でも、石田さんが挙兵したのになんで、家康は会津に向かうのだろう。進む方向が逆だ。


「お屋形様、石田様が挙兵したのなら、上杉様を攻めている場合ではないのではないでしょうか」

「ふん、もちろん、ワシは上杉を攻めに行くのではない。もっと大事な仕事をしに行くのじゃ」

「もっと大事な仕事……」


 大事な仕事って、いったいなんだろう? 家康の考えが全く分からない……。


「ふはははは、さしものお柚でも分からぬか。此度の戦は、ここで全てが決まるのじゃよ」

「戦の全てが決まる? ……うーん……」


 どういうこと? 会津の方向に行くけど、上杉さんと戦はしない。じゃあ、何をしに行くのだろうか? うーん……。ひょっとして誰かに会いに行くのかな? でも、戦が決まるような人って誰だろう? 


「どうした、分からぬのか? 思うておることを言うてみよ」


 ひょっとして、今、秀忠くんと一緒にいる人の誰かなのかな。福島正則さん、黒田長政さん、細川忠興さん、浅野長政さんと幸長さん、有楽斎のおじさん、真田さんご一家。この中の誰かだろうか? でも、他にも上杉討伐軍には色んな人が参加しているよね。うーん……。


「お屋形様は、どなたかと会いに行かれようとしておられるのでしょうか。でも、福島様、黒田様、細川様、浅野様、有楽斎の叔父様、真田様、山内様、中村様、田中様、蜂須賀様。お屋形様が、どなたと会いに行かれるのかは、私には分かりません」


 まあ、誰に会いに行くかは分からないけど、これだけ名前を挙げておけば、きっとこの中に家康のお目当ての人は入っていることでしょう。


「ふはははははっ。やはりお柚は鋭いのう。さすがじゃな」


 おお、どうやら正解が入っていたようだ。でも、いったい、誰が家康のお目当ての人だったのだろう?


「いえ、私は思いつく方々のお名前を挙げただけでございます。お屋形様の意中のお方はどなたなのでしょうか?」

「ふはははは。いや、お柚の言うたお歴々全てじゃよ」

「全てですか?」

「そうじゃ。全てを我が味方とせねば、此度の戦で確実には勝てぬからな。じゃがな、彼の方々はいずれも豊臣家に多大な恩義を負うておられる。この方々を得心させるには、秀忠では荷が重かろう。じゃから、ワシが出ていかねばならぬのじゃ」


 あっ、なるほど。私は、秀忠くんと一緒にいる人たちがそのまま東軍になるのだと思っていた。でも、それは違うのか。


 確かに、福島さんは秀吉が子供の頃から面倒を見ていた人だし、浅野さんは北政所様の御親戚。黒田さんも細川さんも豊臣家とは長い付き合いの人たちだ。豊臣か徳川を選べと言われたら、すぐに徳川を選ぶということはないだろう。


「なるほど、お屋形様が皆を説得して東軍を作るのですね。さすがでございます」

「東軍か。なるほど『応仁記』じゃな。されど、お柚よ。それはちと縁起が悪いぞ。ワシは十年も戦を続けるつもりはないからのう。ワハハハハハッ」


 家康はそう言うと、大笑いをした。でも、その笑い声が少し裏返っているのに気づいた。ふーん、家康も緊張してるんだ。


「お屋形様、御武運をお祈り申し上げます。お屋形様の念願が叶うと、私も信じております」

「ほう、そうか。お柚にそう言われると心強いな。ふむ、そろそろ、午の刻か。さて、そろそろ出陣するとするかな」


 家康が立ち上がりかけたときだ。私は大切なことに気が付いた。そう言えば、大坂には阿茶局様が残られている。阿茶局様には早く江戸に戻ってくるように何度もお手紙で促していたんだけど、結局、大坂城の二の丸に残ったままなのだ。


「あの、お屋形様。大坂城にいる阿茶局様は、大丈夫なのでしょうか? まだ、お城にいることはないですよね」

「ふむ、お阿茶か。あやつはまだ二の丸におるはずじゃ。じゃがな、増田や長束からは、当家の者は命に代えても守ると言われておる」


 増田さんや長束さんって、大坂城にいる奉行さんだよね。あの人たちは豊臣家第一に考えていると思っていたけど、陰では家康と繋がっていたんだ。うん、まあ、なんと言うか、さすが家康だな。ああ、そう言えば、伏見城には鳥居元忠さんが城代として残っていたはずだけど、彼も無事ということかな。


「なるほど。さすがお屋形様でございますね。それでは、伏見のお城の鳥居様も安全ということですね」


 私が鳥居さんの名前を口にすると家康の顔が曇った。


「いや、彦右衛門はさすがに助からぬであろうな」

「えっ?」


 鳥居さんが助からないってどういうことなの?


「伏見城には、二千足らずの兵しか残しておらぬ。三成らが兵を挙げれば、まず狙うのは伏見であろうが、とても耐えられまい。もって十日というところじゃろうな」


 え? あの大きな城にたった二千人足らずの兵士しか残して来なかったの? なんでよ、鳥居さんは、家康が今川家で人質だった頃からの側近でしょう。もう五十年も共に過ごした仲じゃないの。


「お屋形様、急ぎ伏見に使者を送り、すぐにお城から退却するように鳥居様にお伝えしてはいかがですか?」

「いや、ここで彦右衛門が伏見から退いては台無しじゃ。容易に兵を退かせては、敵方の士気を高めるだけじゃからのう」

「しかし、それでは鳥居様が……」


 鳥居さんの話をしているうちに家康の様子が変わってきた。先ほどまでの興奮状態から覚めてしまったように見える。


「彦右衛門とは、最後に酒を酌み交わしておる。あやつは『徳川の為ならば、喜んで捨て石になる』と笑いながら言うておったぞ」


 家康は目を潤ませながらそう言った。そうか、鳥居さんは覚悟を決めてしまってるのか……。私が何も言えないでいると、家康は立ち上がった。


「では、お柚。しばらく江戸を留守にする。後をよろしく頼むぞ」


 そう言うと、家康は颯爽と部屋を出て行った。すぐに、本多さんや井伊さん、お梶の方様が後をついていく。


 いよいよ、天下分け目の戦いが始まるんだな。ああ、無事に関ケ原の戦いが終わって、その後は平和な世の中になりますように。そして、秀忠くんが元気に戻って来られますように。


本作をお読みいただき有難うございます。また、本作にご感想・ブクマ・ご評価・誤字報告いただいた方には改めて御礼申し上げます。私の執筆継続の励みとなっております。


最近、少しばかり仕事が忙しくなっていることもあり、これからの投稿頻度は週一回程度を目標としていこうと思っております。次話第45話は、一週間後の4月3日(土)21:00過ぎの掲載となる予定です。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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