第43話:江戸城での宴
慶長五年(1600年)文月(旧暦七月)二日。家康と秀忠くんは、上杉景勝さんを征伐するために大勢の大名の方々と共に江戸に帰ってきた。
徳川家の味方の大名の方々は、なんと総勢九十九名。そして、これらの大名たちの軍勢と徳川家の軍勢を合わせると、兵士の数は十万人を優に超えているのだ。
この他にも、最上義光さんや伊達政宗さん、蒲生秀行さんなどすでに上杉さんを包囲している方々は、現地集合となっている。上杉家の兵力は四万人程度らしいので、武力面ではこちら側が圧倒しているということになる。
江戸城では、大勢の大名の方々をお迎えしているため、てんやわんやの大騒ぎだ。連日にわたり、大名の方々を饗応するための大宴会が催されている。
「小姫よ、すっかりと江戸の空気に馴染んでおるようじゃな。いや、結構、結構。わはははっ」
「ええ、叔父上様、江戸での暮らしを楽しんでおります」
「そうか、そうか。それでこそ、徳川家の嫁じゃな。この有楽斎、よい姪子を持って鼻が高いぞ」
私の大叔父さんの織田有楽斎さんは、お酒が回ってすっかり上機嫌だ。
「いえ、私も叔父上様に此度の討伐に加わっていただき鼻が高いです」
「わはははは。ワシの兵など、ほんの僅かじゃがな。まあ、しかし、秀雄が此度の会津討伐に加わらなんだのは驚きじゃな。あやつは最近はいそいそと将兵を集めておったのになあ」
まあ、そうだよねえ。秀雄くんから先月に貰っていた手紙でも、ずいぶんと張り切っていたから。でも、その後に前田利長さんと色々とご相談をされて、しばらく大野で待機することにしたらしい。
「はい、兄上様は前田家と一緒に兵を動かす予定と聞いております。おそらく越後経由で会津に攻め込むお考えかと」
「ふむ、なるほどな。しかし、この大軍じゃ。秀雄が来る頃には決着してしもうておるじゃろうな。わはははっ」
有楽斎さんは豪快に笑っていた。その後も、有楽斎さんは私としばらく雑談していたが、家康の周りに人が途切れた瞬間に、そそくさとそちらの方に移動していった。
うん、相変わらずの社交上手な人だよね。以前は秀吉の腰巾着のようだったのに、今はすっかりと家康に取り入っているのだ。
ちなみに、今回の上杉家との戦で織田家から参加しているのは、私の大叔父の有楽斎さんとその嫡男の織田長孝さんの二人だけ。織田家惣領である三郎くんこと織田秀信さんは、岐阜のお城で待機中だ。三郎くん、西軍なんてことはないよねえ。
「おお、お柚の方様。いつも家内が大変お世話になっておりまする」
「これは丹後侍従様。いえ、奥方様にお世話になっているのは私の方でございます」
私に話しかけてきたのは、細川忠興さん。名門・細川家の嫡男で、茶道の達人として有名な方。でも、単なる文化人というわけではなく、朝鮮出兵で大活躍もしてるような文武両道の人だ。家康や秀忠くんと仲が良いこともあり、私も奥さんの玉姫様とは頻繁に文を交わしている。
「いや、なかなか他家の奥方は、お玉とは親しく付き合うてくれんからのう」
実は玉姫様の父親は、あの明智光秀さんなのだ。「天下の大謀反人」の娘ということもあり、他家の大名の奥方様は、今でも彼女とのお付き合いに消極的なのだ。前田家の奥方の永姫様も、玉姫様のことをすごく嫌っていたりする。前田家の姫君が細川家にお輿入れしたときも、永姫様は最後まで反対していたとのことだ。
「お付き合いしてみれば、奥方様は大変素晴らしい方ということがわかりますのにねえ」
玉姫様とはお手紙のやり取りしかしていないけれど、彼女がとても真面目で優しいお方だということはお手紙の文面から伝わってくる。まあ、ちょっと真面目過ぎるところもあるのだけれど。
「おお、丹後侍従殿。お柚の方様を独り占めとはよくないですな」
そこに笑顔で現れたのは浅野幸長さん。幸長さんと細川さんはとても仲良しなようだ。
「いやいや、左京太夫よ、からかうな。お玉のことでお柚の方様に御礼を申し上げておったのよ」
「おお、そうでございましたか。はははははっ」
「笑い事ではないぞ。お主の奥方も親しゅう付き合うてはくれぬではないか」
「いやいや、それがしの妻は無粋な女子でござってな。才女と名高きお玉様とは話が合わぬのでござろう。わははは」
幸長さんの言葉にカチンときたのか、細川さんは顔をしかめたまま、この場を離れて行ってしまった。
「あらら、侍従殿を怒らせてしもうたか。侍従殿は、奥方のことになると人が変わってしまうからなあ」
「そうなのですか」
「ああ、そうじゃ。大坂を出るときも屋敷の者に『不在の折にお玉の身に物騒なことがあれば、まずお玉を殺め、その後皆で腹を切るように』と言い残したとのことじゃ。いや、怖い、怖い」
ええ、そんなことを言われていたのか。だから、こないだもらったお手紙に「私は細川家の為に死ぬ覚悟は出来ておりまする」なんて書いてあったのね。
「左京太夫様は、ご家族を大坂に残されて不安は無いのですか」
「ははは、大坂屋敷に長晟を残しておるからな。いざとなれば、あやつがなんとかしてくれるであろう。そうそう、そう言えば、金吾のやつが『ワシが御家族を守るゆえ、卑怯なことは絶対にさせぬぞ』などと変なことを申していたな」
金吾というのは、私の幼馴染の秀俊くんのこと。秀俊くんは、ちゃんと私との約束を守ってくれようとしているんだ。ああ、よかった。
「そうでございましたか」
「まあ、我らが大坂を離れておる隙に、あの忌まわしき茶坊主が悪さをせんとも限らんからなあ。やはり、あのときに首を取っておけば……」
うん、その予感は正解だ。これから石田さんが西軍を取りまとめて関ケ原が起きちゃうからね。
「左京太夫様、御武運をお祈りいたします」
「おお、これはかたじけない。お柚の方様にそう言われたと長晟が聞いたら、妬まれてしまうでしょうな。わはははは」
その後も入れ替わり立ち代わり、大名さんたちが私のところにご挨拶に来てくれた。そうそう、秀忠くんと仲が良い真田信之さんは、お父さんの昌幸さんと弟さんの信繁さんを私に紹介してくれた。真田さんって、確か有名な一族だったよね。ここにいるということは一家丸ごと東軍なのかな。これは安心だな。
◇ ◇ ◇ ◇
江戸城での大宴会は、もう十日も続いている。大名さん達の中には、あまりにノンビリし過ぎていると焦れている人も現れ始めている。
その代表格は、福島正則さんと細川忠興さん。この二人は、上杉討伐軍の先鋒に任じられていることもあって、かなり気合が入っているのだ。自分たちだけでも先に会津に向かうと家康に何度も主張しているらしい。
そして、もう一人。この二人に負けないぐらい焦れている人がここにいる。
「父上は、なかなか動こうとせんのじゃよ。この城で宴を重ねておるばかりでは、兵の士気も緩んでしまうゆえ、ここは、早う会津に向かわなくてはならぬのに」
御寝所で秀忠くんは、しかめ面でそう言った。ここで武功を上げて、お兄さんの結城秀康さんに追いつきたいという気持ちもあるのだろう。でも、上杉さんとの戦は本番ではないからなあ。
「おそらくお屋形様にも、何かお考えがあるのでしょう」
「ふむ、考えのう……。小姫殿は、父上にどのような考えがあると思うておるのじゃ?」
「いえ、私にはお屋形様のお考えなど、想像もできません」
「そうか……。なあ、ワシも父上の腹のうちは、まったく分からんのじゃ。じゃがな、何かを考えておるのは分かる」
「そうでございますか」
多分、家康は石田さんが兵を挙げるのを待っているのでしょう。向こうが兵を挙げたところで引き返して、関ケ原の戦いで一気に勝負を決めてしまうつもりなのだ。
そんなことを思いながら顔を上げると、秀忠くんが私の顔をじっと見ていることがわかった。
「なあ、小姫殿。そなたとワシとは夫婦ではないか」
「あ、はい、もちろん、そうでございます」
「であれば、隠し事は無しじゃ。なあ、次に何が起こるのじゃ? 上杉との戦だけで終わらぬのか?」
秀忠くんは、いつになく真剣な表情だ。こんな真面目な秀忠君の顔を見るのは久しぶりかもしれない。
うん、まあ、私たちは確かに夫婦なのだ。ここまで関ケ原の戦いのことは、秀忠くんにもずっと隠してきた。だけど、本当ならば、秀忠くんには私の知っていることを全部伝えておくべきだったのかもしれない。
「……秀忠様、実は、これより先、天下分け目の戦が起こります」
「なに? 天下分け目の戦いとな? それは上杉との戦のことではないのじゃな?」
「はい。もっと大きな戦にございます」
私は秀忠くんの顔をじっと見つめながら、はっきりとそう言った。
「なるほど、もっと大きな戦か……。されば、治部少輔殿が関わっておるのじゃろうな」
さすが秀忠くんだ。私が大きな戦といっただけで、すぐに正解にたどり着いた。
「はい、その通りです」
「ふむ、なるほどな。刑部少輔殿や摂津守殿、それに備前宰相殿が、治部少輔殿に加勢するのであろうな。ああ、それだけではないか。安芸中納言や筑前中納言あたりもそうであるか。島津や長曾我部もおるな。うむ、なるほど、敵方も軍勢は揃うのであろうな」
ええと……誰が西軍で誰が東軍かは、私は知らないんだけどな。
「すみません。誰が石田様にお味方するのかは存じ上げておりません」
「そうか。それは分からぬのか。それでは、何が小姫殿には分かっておるのじゃ?」
私が分かっていること? それは年内に関が原で戦いが起きることぐらいなんだけど……。
「は、はい。年内に、天下分け目の戦が関ケ原にて行われることということぐらいです」
「関ケ原と申したか? それはどこにあるのじゃ?」
えっ!? 関ケ原って有名な場所じゃないの? ……ああ、でも、そうか。今は関ケ原の戦いが起きる前なのだから、名前が知られていない場所なんだ。じゃあ、どう説明すればいいんだろう? 関ケ原は、確か岐阜県だったと思うから、この時代だと美濃だよね。
「はい、美濃の国だったと思います」
「なに、美濃? 美濃の国の関ケ原……。ふむ、不破の関の近くにある原野のことかのう?」
えっと、不破の関って、大昔に近江と美濃の国境にあった関所のことだよね。確か、新古今和歌集に歌が載っていた。えっと、あれは……
「ええっと……『人住まぬ不破の関屋の板廂 荒れにしのちはただ秋の風』……」
「ふむ、新古今集じゃな。小姫殿は相変わらず雅じゃのう。ふむ、それに、なるほどのう。不破の関で天下分け目の戦であるか。なるほど、小姫殿は、和歌にも歴史にも堪能じゃのう」
ん? 私が雅で歴史に堪能? いったい、どういうことだろう?
「秀忠様、どういう意味でございますか?」
「不破の関での天下分け目の戦いと言うたら『壬申記』のことであろう。いや、確かに、大海人皇子は不破の関の近くに本陣を置いたという話じゃったな」
「え? じんしんき? 大海人皇子?」
秀忠くんは、何の話をしているのだろう? 大海人皇子って天武天皇のことで、万葉集で不倫の歌を詠んだ人だよね。なんで、関ケ原の戦いの話をしてるのに、不倫皇子の話になってしまうのだろう。
「ああ、小姫殿は『日本書紀』の話をしておるのであろう。いや『日本書紀』はちと難しゅうて不得手なのじゃが、巻二十八の『壬申記』はワシも読んだことがあるぞ」
「はあ……」
『やまとぶみ』って、漢文で書いてあるので読むのが難しいのよね。出てくる人の名前もやたらと長いし、中身を全然覚えていないんだけどな……。
「ふむ、なるほどのう。小姫殿は、父上を大海人皇子になぞらえておられるのじゃな。さすれば、秀頼様が大友皇子となるのか。いやいや、これは不吉な考えじゃな。父上は、秀頼様をお守りする立場であるからのう。うむ、しかし、なるほどなあ。実に面白い話じゃのう」
秀忠くんは一人で納得がいったように何度もうなずいている。でも、私には秀忠くんの言っている話の流れが全くつかめていない……。
「あの、秀忠様。私は――」
「のう、小姫殿。不破の関、いや、関ケ原と言うたかのう。その話は誰にも言うてはならんぞ。父上が秀頼様から天下を奪おうとしている、そう思い違いされるかもしれぬからのう」
いや、家康は豊臣家から天下を奪おうとしているんだけどな。まあ、私は秀忠くんが二代目の将軍様になって、平和な世の中を作って欲しいと思っているから、むしろそうなって欲しいんだ。
「でも、徳川家の天下となるのは、悪いことではないと思います」
「いやいや、それは不遜な考えじゃ。小姫殿、そのようなことは軽々しく口にはしてはならぬぞ。いや、まあ、しかし、さすが小姫殿は博学じゃな。ワシも明日にでも日本書紀を読み直してみるとするかのう」
「はあ……」
「では、小姫殿、そろそろよろしいかのう?」
「えっ? ああ、はい。もちろんでございます」
なんとなく釈然とはしなかったけど、秀忠くんのこういった生真面目で律儀なところは美点でもあるしなあ。そんなことを思いながら、私と秀忠くんはその晩も仲良くなったのでした。
本作をお読みいただき有難うございます。皆様の応援に支えられて、連載開始からで二か月半なんとか連載を続けてまいりました。
最近仕事が少し忙しくなってきることもあり、書き溜めていたストックが尽きかけております。残り十数話ほどで完結する予定ですので、休載せずに連載を続けようと思っているのですが、更新ペースは今より少し落ちることになります。皆様をお待たせすることになってしまい大変恐縮なのですが、何卒ご理解ください。
さて次話第44話は、3月27日(土)の21:00過ぎの掲載を予定しております。引き続きお付き合いの程、よろしくお願いいたします。




