第42話:お手紙と伝言
慶長五年(1600年)水無月(旧暦六月)。江戸城は、会津の上杉景勝さんとの戦の準備で慌ただしい。今月の終わりか来月の頭には、家康と秀忠くんは十万の大軍を率いて大坂から江戸に戻って来る予定だ。
まあ、これだけの大軍が相手では、上杉さんに勝ち目は全くないだろう。でも、おそらく、上杉さんは石田さんと繋がっているはずだ。家康が大坂からいなくなった隙を狙って、石田さんがお仲間と一緒に兵を挙げることになっているのだろう。そうして、関ケ原の戦いが始まることになるのだ。
うん、関ケ原の戦いは東軍の勝利だってことは知っているけど、いよいよ天下分け目の戦いかと思うと、私も緊張してしまう。
そうそう、芳春院様こと前田家のお松の方様が江戸にくる話は、急遽キャンセルとなった。永姫様とお松の方様のお二人を江戸で人質に取るのは、さすがにやり過ぎだという話になったらしい。多分、これは徳川家から前田家に譲歩をしたということなのだろう。この見返りで、私の次女のお橘ちゃんが加賀の国に行くという話も先送りされることになるそうだ。
お松の方様とお会いできないのは少し残念だけど、お橘ちゃんと離れ離れにならなくてすむのならそっちの方が絶対いい。お松の方様もお忙しいだろうから、江戸に来てもらうのも恐縮だしね。
そう、忙しいと言えば、私も最近はかなり忙しかったりする。ここ最近は、大名の奥方様とのお手紙のやり取りが一番大事な仕事だ。先月から、大坂にいらっしゃる細川さん、黒田さん、浅野さん、加藤さんの奥方様にお手紙を書いている。
私の書いたお手紙の中身は「大坂は危なくなるかもしれないので、早くご自分の領地に帰った方がいいですよ」というもの。このまま彼女たちが大坂にいると、西軍に人質に取られちゃうからね。勿論、あからさまなことは書けないので、それとなく匂わせる程度なのだけど。
でも、やっぱり大坂から大名の奥様が逃げ出すというのは簡単なことではないみたい。長束正家さんや増田長盛さんといった奉行の人たちがしっかりと各大名家のお屋敷を監視しているようなのだ。
細川家の奥方様からは「私は細川家の為に死ぬ覚悟は出来ておりまする」という決意表明のようなお手紙までもらってしまった。いや、それは違ってるよ。私たち女性は武将とは違うんだ。死ぬことを誇りとしてはいけない。
ああ、誰かが大坂にいる奥様方を守ってくれたらいいのになあ。
あっ、そうだ。大坂には、私の父上の織田信雄さんがいるよね。でもなあ、あの人は、その場を無難に取り繕うのは上手いのだけど、肝心なところで頼れない感じもあるしなあ。それに、信雄さんの娘である私が徳川家の秀忠くんに嫁いでいるのだ。石田さんたちにも警戒されているに違いない。
うーん、そうだなあ。頼るんだったら、今は西軍の人たちから味方だと思われているけど、実は東軍に通じているという人がいいよね。ああ、でも、歴史の知識が足りない私には、誰が西軍で誰が東軍なのかもよく分かっていない……。
ん? 待てよ? 西軍から東軍に裏切った有名な人がいるよね。私でも名前を知っているような。
そう、小早川秀秋。つまり、私の幼なじみの秀俊くんだ! 秀俊くんは後で味方になるのだから、もう頼っちゃってもいいよね。まあ、最近はちょっと疎遠になっちゃってたけどね。
私は、早速筆を取る。そして、秀俊くんに、大坂にいる奥様方の身の安全を確保して欲しいとお願いした。手紙を書き終えると、筆頭侍女の民部卿局ことお梅さんを呼ぶ。
「民部、この手紙を大坂の筑前中納言様に早飛脚でお届けして」
「筑前中納言……、ああ、金吾様のことでございますね。お懐かしいお名前でございます。しかし、お珍しいですね。お柚の方様が金吾様にお手紙をお出しになるなんて」
「まあねえ、あそこの奥方様が、かなり気難しい方だったから……」
実は、私がお輿入れした直後には、秀俊くんの奥さんの古満姫様にご挨拶の為に何度かお手紙を書いていた。でも、ずっとお返事がもらえず、どうしたのかなと思っていたのだ。
それがある日、古満姫様から「あなたのこと呪詛したいほど憎んでおります」という内容のおどろおどろしい手紙が届いたのだ。最初に受け取ったときは、自分の目を疑ってしまった。私にはまったく心当たりが無かったのだけど、さすがに「なぜ私のことを憎んでいるのですか?」と彼女に問いただす勇気はなかった。
まあ、そういうこともあって、秀俊くんのところとは疎遠になってしまったのだ。噂で聞いたところでは、古満姫様と秀俊くんの夫婦仲は、かなりヤバいことになっているらしい。今は古満姫様は実家に帰ってしまっているとのこと。そして、どうもこの別居は秀俊くんの女性関係のせいらしい。
ああ、そう言えば、秀俊くんはお別れの時に「奥さんを大切にするのは難しい」とか言っていたよね。うん、この別居は起きるべくして起きたことなのかもしれない……。
まあ、何はともあれ、大坂にいる大名の奥様方は秀俊くんに守ってもらいたい。良い返事が返ってくるといいな。
◇ ◇ ◇ ◇
大坂の秀俊くんからは、十日余りで返事が返ってきた。思ったよりもずっと早い返事だったので少し驚いてしまった。
手紙の内容は「小姫の依頼、しかと心得た。ワシの目の黒いうちは、大坂で卑怯な振舞いは誰にもさせぬ。安堵いたせ」というものだった。おお、頼りになるじゃないの。女性関係はダメダメだけど、それ以外は人間的に成長したんだね。うん、後でお礼に立派な茶器でも送ってあげるとしよう。
ちなみに秀俊くんからの手紙には、和歌が書かれた短冊が同封されていた。
『紫草のにほへる妹を憎くあらば 人妻故に我れ恋ひめやも』
んっ? これって万葉集に載ってる有名な歌だよね。大海人皇子、後の天武天皇が詠んだ歌で、「美しい紫草のようなあなたのことを憎んでいるならば、人妻となったあなたのことをこんなにも恋しいと思うはずがない」という意味の歌。
なんで秀俊君は、こんな恋の歌、というか不倫の歌を私に送って来たのだろうか? うーん……。まあ、秀俊くんは奥さんに実家に帰られて、一人で退屈しているのかもしれないな。だから退屈しのぎに私をからかってきたのだろう。もうすぐ関ケ原の戦いだというのにノンビリしているんだから。
そんなことを思いながら、秀俊くんから送られた短冊を読み返していた時だ。
「お柚の方様。水野勝成様がいらっしゃっておられます。お方様にお話しがあるとのことでございます」
お梅さんが私にそう告げた。水野勝成さん? いったい何の話があるというのだろう。
彼のお父さんの水野忠重さんは、家康の生母・伝通院様の弟さん。だから、水野勝成さんは、家康の従弟にあたる人。でも、若い頃に勘当されてしまい、その後は諸国を転々としていたという話だ。実に変わった経歴の人なのだけど、去年から徳川家に戻ってきて家康の家臣となっている。そして、つい三日前に先遣隊の一員として江戸に到着しているのだ。
「お話って、何かしらねえ? まあ、水野様をこちらにお通ししてください」
「かしこまりました」
やがて、お梅さんに連れられて、水野さんが私の部屋にやって来る。
「お柚の方様、大変ご無沙汰いたしております。いや、全くお変わりなきようで何よりでござりまする」
水野さんは親し気に私に挨拶をしてくれる。でも、彼とは伏見屋敷で二、三度顔を合わせたことがあるぐらいで、それほど仲が良いわけではないんだけどな。
「水野様、有難うございます。お話があると伺いましたが?」
「はい。実はですな、摂津守殿よりお柚の方様に言伝を承っておるのです」
えっ、摂津守って小西行長さんのこと? 彼から伝言ってどういうことなの?
「小西様から御言伝ですか? 水野様は、小西様とお親しいのですか?」
「はっ、実は拙者は一時期、摂津守殿の下で禄を食んでおったことがございましてな。その後も、他家に仕官した後も、何かと目を掛けてもらっておるのですよ」
へえ、そうなんだ。家康の従弟が、小西さんの部下だったなんて、なんだか不思議な気がするな。
「そうでしたか。それで、御言伝はどのようなものなのですか?」
「はい、摂津守殿からお柚の方様にこう伝えて欲しいと頼まれておりまする。『何があっても、それがしはお柚の方様をお守りしますゆえ、安心してくだされ』と」
「……はあ?」
思わず変な声が出てしまった。でも、何があっても守るってどういうこと? 小西さんは上杉征伐軍には参加せずに大坂に残っているはず。石田三成さんともすごく仲が良いとも聞くし、おそらく西軍に属しているのは間違いないと思う。そんな小西さんが私を守るって、どういうことなの?
「……水野様、どういうことでございますか? 小西様がなぜそのようなことをおっしゃられるのか、見当がつかないのですか」
「いや、拙者もこの言葉の意味するところは聞いておりませぬ。ただ、摂津守殿は『小姫様は勘の鋭き方ゆえ、それがしの申したいことを察していただけよう』と言うておられました」
うーん、何が何だかよくわからない。何をどう察すればいいのだろう。私には秀忠くんがいるから、別に小西さんに守ってもらう必要はない。そもそも、今は安全な江戸にいるわけだし……。
「ああ、それとですな。摂津守殿からは、言伝をもう一つ頼まれておりまする」
「はあ、もう一つですか」
次は、いったい何なのだろうか。
「実は摂津守殿の下には、朝鮮から来られた姫君がおられます」
「朝鮮の姫君ですか?」
「はい、おたあ殿という方で、御年は十二になられます。摂津守殿は、平壌に攻め入ったときに、親を亡くし一人で泣いておったやや子を見つけられたのです。摂津守殿はこのやや子を不憫に思い、日ノ本に連れ帰られ養女として育てられたのです」
「そうなのですね。しかし戦場で幼き娘を保護するとは、小西様はお優しいところもあるのですね」
「ええ、摂津守殿は風変わりなところはございますが、心根はたいそう優しき方でございます」
ふーん。まあ、でも、変な人だけど、悪い人ではないとは私も思っていた。でも、その姫君の話って何なのだろう?
「それで、そのおたあ様のことで何かお話があるのですか?」
「はい、その通りでございます。摂津守殿は、『それがしに万万が一のことがあったときは、お柚の方様におたあのことをよろしく頼みたい』と言われておりました」
「へっ?」
また変な声が出てしまった。でも、私のことを守ると言ったり、おたあさんのことをよろしく頼みたいと言ったり、なんか支離滅裂じゃない? 小西さん、どうしちゃったのよ……。
「摂津守殿からの言伝は、以上でございます。それでは、拙者はこれにて失礼つかまつります」
「水野様、お待ちください。小西様へのお返事はどうすればよいのですか?」
「いや、摂津守殿は『ご返事は無用。小姫様ならば分かっていただける』と言われておりましたよ。それでは」
そう言うと、水野さんは私の部屋から出て行った。
うーん、小西さんは私に何を伝えたかったのだろうか。全然分かんないんだけど……。私は腕を組んで、もう一度水野さんが話してくれたことを思い出した。
小西さんは必ず私を守る。でも、万一の時はおたあさんを守って欲しい。
うーん……。関ケ原の戦いでは東軍が勝つんだから、別に私は守ってもらわなくてもいいんだけどな。
ん? あっ、そうか。小西さんは「東軍が負けた場合には、私のことを守ってあげる」って言ってるのか。そして、「西軍が負けた場合は、私におたあさんのことを守って欲しい」って頼んでるんだな。つまり、これは交換条件ってやつだね。
なるほど、なるほど。いかにも交渉好きな小西さんらしい考えかもしれない。うん、いいでしょう。朝鮮から来たかわいそうな姫君の一人ぐらいならば、私でも守ってあげられるしね。まあ、私を守るというのは必要ないけどね。
ああ、なんかなぞなぞが解けたようで、すっきりした。うん、この名推理は一休さんにも負けてないかも。へへへへ。私は一人でニヤニヤしてしまったのでした。
本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字評価いただいた方には重ねて御礼申し上げます。
次話第43話は、三日後の3月21日(日)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きよろしくお願いいたします。




