第41話:三姫会談
慶長五年(1600年)皐月(旧暦五月)。私は、朝から江戸城・本丸の表御殿でお仕事をしている。実は、本丸御殿の侍女さんや中間さんの採用は、秀忠くんの奥方である私が責任者なのだ。
勿論、候補者との面接やそれまでの経歴の確認などの実務は、人事担当の古参の侍女さん達がちゃんとやってくれている。私の仕事は、その人事担当さんの作った書類を承認すること。
侍女最古参の大姥局様にご指導を受けながら、回されてきた書類にしっかりと目を通し花押というサインのようなものを淡々と書き記していく。「ふむふむ。お柚の方様の花押は、なかなか風流じゃな」と大姥局様に褒められたときは、とても嬉しかった。
昼過ぎには仕事を終え、私たち一家の居室スペースである大奥に戻る。私の部屋にはすでにお客様がいらしていた。
「永姫様、お江与様。大変お待たせいたしました。なかなかお仕事が片付かなくて」
「いえ、私たちはのんびりとおしゃべりをしておりましたゆえ」
「そうじゃ、小姫もそんなに慌てぬともよかったのに」
私の部屋にいらっしゃるのは前田家の奥方の永姫様と、私の義姉の江姫様。
永姫様は今月から前田家の江戸上屋敷に住まわれていて、数日おきに私のところに顔を出してくれる。江戸城奥御殿に仮住まいしている江姫様も、永姫様がいらっしゃるときは、私の部屋に来てくれることが多い。
「いえ、申し訳ございません。でも、お二人ともお元気なご様子で何よりでございます。永姫様は江戸でのお暮しはいかがですか?」
「まあ、まだ来たばかりじゃから、右も左もよう分からぬのう」
「そうでございますか。お江与様はいかがでございますか?」
「わらわは、ここでの暮らしには慣れてきたところじゃな」
こんな風に簡単な挨拶を交わした後、私は本題に入った。今日はこの二人に相談したいことがあるのだ。
「実は、今日はお二人にお話ししたいことがございまして」
「ふむ、それは会津中納言殿のことじゃな?」
江姫様は、相変わらず勘が鋭い。ズバッと要点をついてくる。
「はい。どうやら、上杉家からお屋形様宛に大変無礼な書状が届いているのです。おそらく、上杉家との戦は避けられないと思われます」
実際、江戸城はいつでも会津に軍を派遣できるよう軍備が整えられている。秀忠くんは家康に呼び出されて、今は大坂に向けて移動中。どうやら大坂で、戦の前の最終打ち合わせをする予定らしい。
「前田家でも軍備を整えております。二万五千の兵を差し出す予定と聞いておりますよ」
「ほう、さすが八十三万石の大大名じゃな。織田家は三千がやっとのことじゃよ」
江姫様は羨ましそうに永姫様を見ている。まあ、秀雄くんの所領の越前大野は五万石だから、三千人でも頑張っている方だと思うよ。
「両家には本当にお世話になります。本当に頼りになります」
私は丁寧に頭を下げた。
「いえ、前田家と徳川家は盟友でございますから。それで、お味方は集まっておられるのですか?」
「はい。福島様、浅野様、黒田様も兵を出されると聞いております。そして、どうやら、お屋形様も直々に御出陣されるおつもりのようです」
「あら、内府様も御出陣でございますか。それは安心でございますね」
永姫殿は満足そうに頷いている。でも、江姫様は表情を変えた。
「内府様が大坂を空けて大丈夫なのか? 何かよからぬことを考える輩が出てくるかもしれぬぞ」
さすが江姫様は鋭い。私がずっと悩んだ末に導き出した考えにすぐにたどりつく。
「ええ、ひょっとするとお屋形様がいなくなった隙に、石田三成様が動かれるかもしれませんね」
「ふむ、なるほどな。小姫は、上杉殿の粗暴な振舞いは、石田殿と示し合わせてのものだと思うておるのじゃな」
ああ、江姫様は本当に頭の回転が早い。そう、その通りだ。優秀な上杉家の方々が、無謀ともいえる行動に出たのは何か理由があるはずだ。そして、私がこの一か月ずっと考えて出した結論は、上杉さんと石田さんが共謀しているというものなのだ。
「ええ。私はそう思っております」
私が微笑みながら江姫様にそう答えると、横で聞いていた永姫様がぎょっとした表情をされた。
「そ、それはよくないではございませぬか! それでは、上杉殿と石田殿で挟み討ちになってしまいます」
「ええ、そうですね。でも、お屋形様には勝算があるのでしょう。むしろ、戦は望むところであるのかと」
そう、そして、家康にはこんな見え見えの陰謀なんて、きっとお見通しなのだろう。でも、家康は敢えてこれに乗るつもりなのだ。だって、家康も「天下分け目の戦い」を望んでいるのだから。
私の答えに永姫様は明らかに戸惑った様子だ。でも、江姫様はにやりと笑われた。
「なるほど。さすがに狸親父と言われるだけのことはあるのじゃな。まあ、石田殿と上杉殿だけが相手であれば、徳川でも勝てるであろう。じゃがな、相手方に豊臣恩顧の大名衆がお味方すると、いくら徳川でも勝てぬのではないか?」
えっ? そういうものなの? いや、でも、歴史では関ケ原の戦いは東軍の勝利に終わっているし。特に結果には心配しなくてもいいと思うんだけど。
「いえ、お屋形様は戦上手ですので、戦いとなれば負けぬかと存じます。実は、太閤様がお亡くなりになる直前に私が呼ばれたのですが、そのときに太閤様はこれから徳川の世となることは見抜いておられました」
「おお、ハゲネズミがそう言うておったのか」
江姫様は、なるほどといった表情でうなずいている。でも、永姫様は浮かぬ顔だ。
「しかし、徳川の世となると小姫は言うたが、それでは秀頼様はどうなるのじゃ?」
うん、それは当然の疑問だよね。実際に歴史では、実際大坂冬の陣と夏の陣で豊臣家は滅ぼされてしまっているのだし。
「ええ、ですから、戦の後は、秀頼様のことはお守りしなくてはいけません」
「じゃが、それはできそうなのか?」
永姫様はじっと私の顔を見てそう聞いてきた。うん、そこが一番難しいところなんだよね。
「ええ、織田の世から豊臣の世に移っておりますが、私の父上も兄上も、三郎様も有楽斎様も、皆お元気で過ごされているではないですか。秀頼様にもこのようにしてもらえばよいのかと」
「うーん、なるほどなあ……」
永姫様は、信長の娘だ。本能寺の変の後の織田家の立場のことはよくご存じだろう。変な野心さえ持たなければ、織田家の人間は丁重に扱ってもらえるのだ。
永姫様は口に手を当てて考え込まれている。その横で江姫様は、少し厳しい表情をされている。
「じゃがな、小姫。そんなに容易くはいかぬであろうぞ」
「そう申されますと?」
「姉上を納得させるのは至難の業じゃろう。天下を徳川に譲れと言うて、姉上が簡単に承知するとは到底思えぬ」
ああ、そうか。まず淀の方様に納得してもらわなきゃいけないのか。うーん、淀の方様は勝気なところがあるから、確かに簡単ではなさそうだなあ……。
「そうですねえ……」
「ほう、さしもの一休禅師の生まれ変わりにも妙案はないのか?」
「お江与様。私を一休さんと呼ぶのはおやめください」
「どうしてじゃ? 世間では昔からそう呼んでおるではないか。ほほほほっ」
いや、別に私は頭の回転がすごく早いわけでも、トンチが得意なわけでもないですから。私が口を尖らせたのを見て、江姫様は笑うのを止めた。
「まあ、姉上を説得するのはまだ先の話じゃな。まずは上杉殿や石田殿との戦を片付けてからではなくては、話にもならぬからな」
「はい、お江与様。色々とお知恵をお貸しください」
「なんと、一休禅師様にわらわが知恵を貸すのか。それはなんとも面白い話じゃな。ほほほほっ」
「お江与様っ!」
もう、江姫様は私のことをからかってばかりなんだから。私が困っていると、ずっと考え事をしていた永姫様が顔を上げる。
「のう、小姫。そんなことよりも、今日は橘姫様のことで話がしたいのじゃが」
永姫様は大胆にも天下分け目の戦の話を「そんなこと」と切って捨てた。まあ、でも確かに、私にとってお橘ちゃんのことは、天下の行方と同じぐらい大事な話かもしれない。
「はい。前田家は、来年のお輿入れをご希望とのこと。しかし、それはさすがに早いかと思います。まだお橘ちゃんは数えで二つ。生まれてからは、九か月しか経っておりません」
「まあなあ、私もさすがに早いとは思うのじゃ。じゃがな、私も江戸に来ておるし、来月には芳春院様も江戸にいらっしゃる。徳川から誰も来ないのでは、当家の顔が立たぬであろう」
「ですが……」
「まあ、そこでじゃ。約束通り、来年には輿入れということにしていただきたいのじゃ。じゃがな、加賀の国に連れていくことは致しませぬ。江戸の前田家の屋敷にて、私がしっかりとお育て致します」
「えっ、江戸でお輿入れですか」
まあ、確かにお橘ちゃんが江戸にいるのであれば、簡単に会いに行けるかも。
「それにな、私は橘姫を我が子と思うて大切に育てるゆえ、心配は無用です」
「はあ、確かに加賀の国に行くよりは永姫様にお預けする方が良いのですが……」
うーん、それでも、やっぱり来年は早いよね……。私が悩んでいると、江姫様が永姫様に話しかける。
「ひょっとすると、永姫はずっと江戸におるつもりなのか?」
「ええ、そのつもりじゃが」
「そうであれば前田の世継ぎは産めぬではないか。本当は早う加賀に帰りたいと思うておるのじゃろう?」
江姫様は真剣な面持ちだ。まあ、この間も、江姫様は秀雄くんのところに早く帰って子供を作りたいって言ってたよね。
「私は、もう、世継ぎを産むことは諦めております。当家の家督は、利長様の弟君の猿千代様がお継ぎになると決まりましたし」
「しかし、諦めたと言うても、まだ永姫は二十七じゃろう。お子を諦めるには、ちと早すぎるぞ」
うーん、江姫様はずばりと切り込んでくるなあ。まあ、この二人は一つ違いで、昔から姉妹同然に育てられてきたから遠慮はいらない関係なのかな。
「いえ、利長様と私との間では、お子はできぬのです」
「そんなことはなかろう。永姫と利長殿は、昔から仲睦まじかったではないか。それとも、今は利長殿とはうまくいっておらぬのか?」
「いえ、昔と同じく、利長様は大変私にお優しゅうしてくれております。ただ……」
永姫様は何かを言いかけたまま口をつぐみ、顔を伏せてしまった。
「どうした? 何があるのじゃ?」
「……利長様は、女子にはご興味がないのですよ。ですので、お子を作ることはできぬのです」
ええええーっ!? そうだったの? それは知らなかったよ。
「ほう、なるほどな。そういうことであったか。それは辛いことを話させてしもうたな。すまなんだ」
江姫様は、永姫様に頭を下げられた。
「いえ、もう慣れました。昔は、利長様がその気になってくださらぬのは、私のせいだと責められたこともありました。ですが、今では前田家で私を責める人は誰もおりませぬ」
永姫様は少し寂しそうな口調でそう言うと、私の方を見た。
「小姫。そういうわけですから、これから先、利長様に男子が出来て、ややこしい家督争いが起きることもございません。ですから、安心してください。ああ、そうそう。猿千代殿はまだ小さいが女子に興味はあるようですから、そちらのことも心配しなくてよいですよ」
「は、はい。わかりました」
うーん。この時代でもLGBTみたいな話はあるもんなんだな。突然、そんな話になっちゃってビックリしちゃったけど。
「それでは、橘姫様に会わせていただけますか。そろそろ昼寝の時間も終わりでございましょう?」
「はい。分かりました。民部、お橘ちゃんをこの部屋に連れてきて」
私は筆頭侍女のお梅さんにそうお願いした。永姫さんは、お橘ちゃんの未来のお姑さんだから、可愛がってもらえるのは有難いことだよね。
「ママちゃまーっ、お千ちゃんがひどいんだよーっ! 平八ちゃんをひとりじめするのーっ!」
「なにを言うのじゃ! おだいには秀頼様がおるではないか! お千は、平八様と夫婦になるとちこうたのじゃ!」
お橘ちゃんが部屋に来るより先に、お橙ちゃんと千姫ちゃんが部屋の中に駆け込んできた。この二人は相変わらず元気いっぱいだ。今も、本多忠政さんの嫡男の平八くんに遊んでもらっていたのだけど、どうやら喧嘩になってしまったようだ。
「お橙ちゃん、お千ちゃん。今、前田の奥方様がいらっしゃっているのですよ。もう少し、お行儀良くしてください」
「ええーっ、だってー」
「そうじゃ。お千は別に悪くないのじゃ」
お橙ちゃんと千姫ちゃんは二人とも不満そうに私に口答えする。そんな二人の様子を、江姫様と永姫様は微笑ましそうに見ている。
「ああ、なつかしいのう。安土では永姫と姉妹のように遊んでおったのう」
「ええ、千姫様は、昔の江姫様にそっくりですよ。うふふふっ」
「いや、わらわはもっと行儀よかったぞ」
「いえいえ、あの頃は大変でしたよ。茶々姫様も初姫様もよく手を焼いておられましたよ」
「何を言うのじゃ。そなたの方こそ我がままばかり言うておったではないか」
江姫様と永姫様はとても仲よさげだ。うん、やっぱり年が近いっていいよね。
まあ、でも私も、生まれ変わる前は十八歳で、それから九年近くをこの世界で過ごしてきた。だから、二十八歳の江姫様や二十七歳の永姫様とは、中身はそんなに変わらない。だから、この二人と一緒にいると、私も同世代の友達と遊んでいるような気分になれるのかもしれない。
私はそんなことを思いながら、二人が親しげに話す様子をじっと見ていたのでした。
本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字評価いただいた方には重ねて御礼申し上げます。
本作の執筆開始から二か月余りが過ぎ、残りも3割ぐらいとなりました。なんとか最後まで書き続けていきたいと思っております。
次話第42話は、三日後の3月18日(木)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きよろしくお願いいたします。




