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第40話:小梅ちゃんと江姫様

 慶長五年(1600年)弥生(旧暦三月)。うららかな春の陽気が江戸の町を包んでいる。そんなのどかな一日だけど、私の心は全然休まらない。だって、今年のどこかで関ケ原の戦いが起きてしまうのだから。


 西軍のリーダーとなるはずの石田三成さんは、今も佐和山のお城で謹慎中だ。でも、争いの火種が消えてしまっているとはとても思えない。家康と前田家との争いは戦争になる前に和解に至ったけど、江戸城では軍備が整えられたまま。いつでも戦争に対応できる状況なのだ。


 多くの大名の方々からは、江戸に人質を送るという話が出てきている。前田家からも、再来月には永姫様、その次の月にはお松の方様が江戸にいらっしゃる予定だ。他にも、今月の初めには、越前・北ノ庄の青木家から、家康の側室という名目で十五歳の姫君が江戸城に送り込まれてきている。


 その姫君の名前は、梅姫様。江戸城内では、お梅の方様と呼ばれている。だけど、どこか子供っぽいところを残している彼女のことを、私は心の中で小梅ちゃんと呼んでいる。


 小梅ちゃんは、私と年齢が近いこともあり、初対面から打ち解けてくれた。最近は、二日に一度は私の部屋に遊びに来ているぐらいだ。私の長女のお橙ちゃんも、小梅ちゃんにはすごくなついている。


「お梅ちゃま、いっしょにあそんでたもれ」

「はいはい、お橙姫様。それでは、おままごとを致しましょう」

「わーい。やったあ!」

 

 二人は、まるで姉妹のように仲良く遊んでいる。とても微笑ましい光景だ。そのうち、おやつの時間になったので、お橙ちゃんは乳母の刑部卿局さんに隣の部屋に連れていかれた。


 「お梅様。お橙のお相手をしてくれて有難うございます」

「いえ、わらわも楽しんでおりますので。それに、お柚様のお部屋では一息つけます。わらわは、西の丸ではまったく心が落ち着かないですから」


 小梅ちゃんは、屈託のない笑みを浮かべてそう言った。まあ、確かに西の丸のお屋敷には、茶阿局様やお梶の方様といった、人当たりが強い人がいるからなあ。でも、あの人たちも、心根はとてもいい人なんだけどね。


「そのうち、お梅様も江戸城に慣れますよ。ここには悪い人はおりませんから」

「そうであればいいのですけど、でも、皆さま、わらわには少し冷たくて……」


 まあ、確かにずっとお姫様育ちだった小梅ちゃんと、色々と厳しい道も歩んできた茶阿局様やお梶の方様では、色々と分かり合えないところもあるのかもなあ。


「何か心配事があれば、遠慮なく私に言ってください。できるだけのことは致したいと思っておりますので」

「お柚様、有難うございます! ああ、お屋形様の側室ではなくて、若様の側室であればよかった。そうであったら、本丸でお柚様と一緒に暮らせたのに」


 小梅ちゃんはニコニコと笑いながら、ずいぶん際どいことを言ってきた。いや、まあ、秀忠くんは側室は要らないって言ってるのだけどね。


「お梅様。そのような不謹慎なことが、お屋形様のお耳に入ると大変なことになりますよ」

「ええ、勿論、他の人の前では口が裂けても申しませぬよ。うふふっ」


 小梅ちゃんは、小首を傾げ可愛らしく笑ったのでした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、弥生も終わろうとしている頃には、江戸城に新たな人質が送られてきた。


「小姫。このかすていらは、ほんに美味しいのう」

「ええ、肥前の国より職人を江戸に呼び寄せましたから」

「ほう、肥前の国からか。それは大したものじゃのう。これ、お千。そんなに一度に頬張るでないぞ」


 人質として江戸に送られてきたのは、私の兄上、織田秀雄くんの奥方である、お江与の方様こと江姫様。それに、そのお子さんの(さだ)姫ちゃん、(せん)姫ちゃん、(たま)姫ちゃんの三姉妹。この四人は、織田家の江戸屋敷が完成するまでの間は、江戸城の本丸御殿の一室に滞在することになっている。


 長女の完姫ちゃんはもう九歳。初めて会ったときはまだ赤ちゃんだったのに、今ではもう立派なお姫様だ。今は別室で増上寺の存応上人様から故事熟語のお勉強中。完姫ちゃんはおっとりしているけど、真面目な努力家さんだ。


 一方、次女の千姫ちゃんは、遠慮しらずの自由奔放な性格だ。まだ江戸に来て十日も経っていないのに、すっかりと江戸城での暮らしになじんでいるようだ。


「千姫様。あまりお菓子を食べ過ぎては太ってしまいますよ。太り過ぎてしまっては、殿方に好かれませんよ」

「ええーっ、それはイヤじゃ。では、これでしまいにするぞ」


 千姫ちゃんはそう言うと、お橙ちゃんの前にあったカステラを取るとパクっと口の中に入れた。


「ああ、それ、おだいのかすていら! おせん、ずるい!」

「おだいが食べておらなんだから、いらんと思うたのじゃ」

「えーっ、だめ、だめ、だめだよ! おせんはわるい子!」


 千姫ちゃんとお橙ちゃんは、言い争いになってしまった。同い年の従姉妹で普段は仲良しなのだけど、ちょっとしたことでぶつかってしまうこともある。


「これこれ、お千。お橙姫のかすていらを勝手に取ってしもうては駄目じゃろう」

「ええ、おだいが食べてもよいと言ったのじゃ!」

「ちがうーっ! おだいはいいって言ってないもん!」


 お千ちゃんはちょっと自己主張が強いみたい。まあ、まだ小さな子供だからねえ。でも、お橙ちゃんは、甘いもののことになると譲らないからなあ。ちょっと私が困っていると、乳母の刑部卿の局さんが二人に声を掛ける。


「橙姫様、千姫様、向こうのお部屋に金平糖(こんぺいとう)がございますよ。仲良くしていたら、一口差し上げるのですけど、どうされますか?」

「えーっ、こんぺーとー!? 食べる、食べる!」

「お千もこんぺーとーを、食べたいぞ!」

「それでは、仲直りを致してください。よろしいですね」


 刑部さんは、あっという間に二人を手なずけてしまう。うん、やっぱりこの人は凄腕だよね。刑部さんに連れられて、二人は隣の部屋に行った。


「ほんに、お千は聞き分けがなくてのう。わらわも頭が痛いのじゃよ」

「まあ、千姫様はまだ幼い子供ですから。そのうち大きくなったら、きちんと分別もつきますよ」

「そうなればいいのじゃがのう。はあーっ。子育ては思うようにならぬことばかりじゃ……」


 江姫様は眉をしかめると大袈裟にため息をついている。


「あら、お江与様。ため息などつかれてどうなされたのでございますか?」


 そこに現れたのは、小梅ちゃんだ。


「おお、梅姫か。いやな、お千が我がままばかり言うて困っておるのじゃよ」

「まあ、それは仕方ないですわ。大野でのんびりと暮らしていたのに、突然、江戸に連れてこられたのです。千姫様もお気持ちが休まらないのでしょう」


 おお、結構ナイスなアドバイスかも。小梅ちゃんは、思ったよりも賢い子なのかもしれない。


「そうかもなあ。大野では、皆にずいぶんと可愛がってもらっておったからのう」

「そうですか。大野は気立ての良い人が多いところでございますからねえ」


 小梅ちゃんは懐かしそうにそう言った。実は小梅ちゃんのお父さん、青木一距さんは、織田秀雄くんの前任の大野城主なのだ。小梅ちゃんも七つまでは、大野のお城で育っていたとのこと。


「まあ、大野は人は悪くないな。じゃが、冬は雪で大変なことなってしまうがのう」

「大雪は、越前の国はどこも同じでございますよ」

「いや、いや、北ノ庄と大野では、えらい違いじゃぞ」

「そうですかねえ」


 ああ、そうか。江姫様は、柴田勝家さんの養女になっていたときは北ノ庄のお城で暮らしていたんだった。なるほど、この二人は色々と共通点が多いんだな。だから、仲良く話しているんだな。


「お江与様、お梅様。お二人は本当に仲がよろしいのですね。まるで実の姉妹のようですよ」

「そうかのう。まあ、梅姫と話しておると楽しゅうはあるな」

「恐れ多いですが、わらわはお江与様とお柚様のお二人を実の姉のようにお慕い申しておりまする。江戸に来れて良かったと思っております」


 小梅ちゃんはニコニコと愛想よく笑っている。まあ、可愛らしい女の子だし、慕われて悪い気はしない。


「そうかのう。わらわは早く大野に帰りたいのじゃがな」


 江姫様は眉をひそめてそう言った。まあ、やっぱり人質暮らしは不便なことが多いのだろう。


「お江与様。このお城で何か足りぬことがございましたら、遠慮なくおっしゃってください。できる限りのことは致しますので」

「いや、この城での暮らしに不自由は余り感じておらぬ。良くしてもらっていると、有難く思うておる。じゃがな、わらわは、秀雄様のことが心配なのじゃ」


 えっ、秀雄くんのことが心配? 秀雄くんももう十八歳で立派な大人なのだから、一人でも大丈夫と思うのだけど。


「兄上の何が心配なのでしょうか?」

「わらわが江戸にいる間に側女なぞ作ったりせぬか、心が休まらんのじゃ」

「ああ、そういうことでしたか。しかしながら、兄上にも織田家の血を残すというお役目もあり――」

「そのお役目ならば、わらわが果たすぞ」


 江姫様は、私の言葉を遮るように勢いよく話してきた。


「まあ、今は姫しか産んでおらぬが、いずれは立派なお世継ぎも産むつもりじゃ。じゃがな、大野と江戸で離れ離れではそれも叶わぬではないか。ああ、今頃は次のお子の為に励んでおる所じゃったのに」


 江姫様は過激なことを言ってきた。珠姫ちゃんが生まれてまだ一年経ってないのに、もう次のお子さんを作られるつもりだったのか。まあ、なんというか、江姫様はすごく積極的なんだな。でも、そういうところは見習わないといけないのかも。


「小姫よ。秀忠様に、何か秀雄様を江戸にまで呼ぶ用事を作ってもらえぬかのう? 頼む。この通りじゃ」


 江姫様は手を合わせながら私に頭を下げてきた。江姫様には色々とお世話になっているので、何とかしてあげたいという気持ちはある。


「分かりました。秀忠様にご相談してみます」

「おお、小姫。恩に着るぞ」


 こうして、私は一つ頼まれごとを受けてしまったのでした。でも、関ケ原の戦いがある年なのに、そんなにのんびりしていていいのだろうか……。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 その日の晩。御寝所で秀忠くんに江姫様のことをお話しした。


「ほう、義姉上殿は、義兄上殿とずいぶんと仲睦まじいのじゃなあ」

「ええ、そのようでございます」

「そのお気持ちはよう分かるのじゃが、今はそのようなことは難しいかもしれぬな」


 秀忠くんはそう言うと顔をしかめた。


「何かあるのですか?」

「ああ、会津中納言殿じゃ」


 会津中納言と言えば、上杉景勝さんのことだ。かの有名な上杉謙信の後継者で、豊臣政権の五大老の一人でもある。


「中納言様がいかがされたのですか?」

「中納言殿は昨年から会津に戻っておるのじゃが、どうもかの地で戦の支度をしておるのじゃよ。ワシも何度か使者を送り問いただしておるのじゃが、まともな返事が一向に返って来ん」


 ああ、前田家とのいざこざが治まったと思ったら、今度は上杉家なのか。


「このままでは上杉との戦さになるかもしれぬな。さすれば、ワシが軍を率いて会津に出向くことになるであろう」


 ああ、そうか。江戸城で軍備が整えられたままだったのは、上杉さんとの戦争の準備だったのかもしれない。でも、上杉謙信の後継者と戦をするのか。心配だなあ。


「秀忠様、お気を付けてくださりませ。上杉家の勇猛さは天下に鳴り響いております」

「うむ、分かっておる。いざ戦とならば心してかかるつもりじゃ。ふふふっ、武者震いがしてくるわ」


 関ケ原の戦いの前にこんな出来事があるなんて、全く知らなかった。ああ、神様、秀忠くんをどうかお守りください!


「小姫殿よ。そんなに悲壮な顔をせずともよいぞ」

「で、でも……」

「いかに上杉であって、戦になれば勝ち目は無いぞ。上杉の北西、出羽の国には最上義光殿、北東の陸奥の国には伊達政宗殿がおる。このお二方は、予てより当家と(よしみ)が深い。西の越後の国の堀秀治殿は、上杉家とは禍根が残っており当家を頼っておられる。そして、南の下野の国、蒲生秀行殿は当家から振姫が嫁いでおる。つまり、上杉はすでに四方を囲まれておるのよ」


 秀忠くんはニヤリと不敵な笑みを浮かべながらそう言った。おお、初めて見る表情だけど、凄腕の武将のようで格好いいかも。


「それに我らが攻め入るのじゃ。戦上手の上杉でも、ろくに抗うこともできぬことじゃろう。ふふふふ」


 うん、話を聞いて少し安心した。そういうことならば、まず負けることは無さそうだね。まあ、油断は禁物だけどね。私は、ほっと息をついた。


「小姫殿、安心召されたか?」

「ええ、話を聞いてすっかりと安心いたしました。しかし、上杉様もそんな状況なのに、よく戦をしようと思ったものですよね」

「確かにそうじゃな。中納言殿は傑物との評判じゃし、上杉家の家老には、直江兼続という、これまた類まれな智将もおる。此度はあの二人にしては随分と軽率な振舞いであるな。まあ、よほど、当家のことが気に入らぬのであろう」


 へえ、そうなんだ。そんな優秀な人たちなのに、随分と甘い判断をしたものね。ふふふ、まるで袋の鼠なのにね。ん? 袋の鼠? うーん、何か引っかかるなあ。


「小姫殿。戦のことを考えたら気が昂ってしもうたわ。お相手をしてもらってよろしいかのう?」

「えっ? ああ、もちろんでございます」


 まあ、上杉さんのことを考えるのは後でいいか。私と秀忠くんは、そのまましっかりと抱き合い、仲良くなったのでした。


本作をお読みいただき有難うございます。いよいよ西暦1600年となりました。戦国最大のクライマックス、関ケ原の戦いがすぐそこに近づいてきております。


お梅の方様の父親、青木一矩は、実は豊臣秀吉の従弟だったりします。青木一矩の母親・大恩院が大政所の妹なのですね。一方、家康の母方の祖母・華陽院は青木家の出身なので、青木一矩は家康とも親戚だったりします(所説はあるようですが)。なかなか面白いですよね。


さて、次話第41話は、三日後の3月15日(月)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。


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