第4話:豊臣秀俊とかいうモブキャラ
私は、旦那様の徳川秀忠くんを館の玄関先までお見送りした。秀忠くんも名残惜しそうに何度も私のことを振り返ってくれた。
「秀忠様! 江戸までの道中、お気を付けて!」
私は秀忠くんに声を掛けると、大きく大きく手を左右に振った。秀忠くんも私に手を振り返してくれる。ああ、次に会えるのはいつなんだろう。早く会いたいなあ。
部屋に戻ると、お梅さんが難しい顔をして私のことをじっと睨みつけている。
「あれ、お梅。一体どうしたの?」
「小姫様、どうしたのではございませぬよ。なんでございますか、先ほどのお婿殿へのお振る舞いは?」
「え、ああ、カステラを食べちゃったことだよね。ほら、でも、秀忠様も食べていいよっておっしゃってたし」
「そちらのことではございませぬ!」
お梅さんは背をすっと伸ばし腰に手を当てている。顔も真っ赤でまるで赤鬼のようだ。えっ? 私、なんかしちゃいましたか?
「ええと、お梅さん。なんのことでございましょうか?」
私は丁重な態度で様子を見てみたが、お梅さんの態度は変わらない。
「さきほど、お部屋でお婿殿にお抱き着きになられたでしょう。人前であの様な、はしたない真似をされるとは、小姫様はどういうおつもりでございますか?」
えっ、ああ、あのハグがダメだったんだ。でも、軽くハグしただけだし。それに私達は夫婦だし……。
「でも、お梅、ほら、私達は夫婦の間柄なんだから」
私は上目づかいでお梅さんを見る。お梅さんは相変わらず怒ったままだ。普段は優しいのに、怒ると怖い人だったんだなあ。
「夫婦であっても人前であのような振舞いをされてはなりませぬ。ましてや、小姫様はまだお輿入れもすんでおられぬ身なのですから――」
お梅さんの怒りは、なかなか解けることはなかった。
おとなしくお梅さんの小言を聞いているうちに、私と秀忠くんは、まだ仮の夫婦というようなものだということが分かった。この時代の大名の子女の祝言とは、現代における婚約式のようなもので、二人は婚約者というべき関係だったのだ。
まあ、今の私は七歳か八歳ぐらいの子供なのだから、それがむしろ当然のことなのかもしれない。
「小姫様、私の申しておることをきちんと聞いておられますか?」
「あ、はい。聞いてます」
「そもそも武家の子女のたしなみというものは、常に落ち着きをもって――」
私はあくびが出てきそうになるのを我慢をして、お梅さんのお小言を聞き続けたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
それから二週間経ったある日のこと。今日は、北政所様のご親戚の豊臣秀俊という男の子が、聚楽第の奥御殿に遊びに来ているようだ。というか、この子は、ほぼ毎日のように北政所様に甘えに来ているのだ。
秀俊くんは、数えで十歳となる男の子。背の高さは私とそれほど変わらないぐらいなのに、体つきはブクブクと太っている。少し動くだけで、はぁはぁと息を切らしてしまうほど。肌も不健康に青白く、かなりの運動不足なのだろう。
この秀俊くんは、数年前から秀吉と北政所様の養子になっており、今年から豊臣の姓も名乗るようになっている。
この子は、周りの人を小馬鹿にすることが多く、すごく生意気な感じなので私は好きじゃない。だけれども、なぜだか知らないけど、私はこの子に気に入られてしまっているようなのだ。
私がお梅さんと一緒に大廊下を歩いていると、偶然出くわした秀俊くんが私に話しかけてきた。
「よう、小姫じゃないか。ふふふ、おぬしは、なかなかの女子だったのじゃのう」
「金吾様。一体どうなされましたか?」
秀俊くんは「金吾」と呼ばれている。まだ子供なのに朝廷から官職をもらっていて、その通称が金吾なのだ。どのぐらい偉いのかは知らないけど、この子に官職があること自体、おかしいよね。今もニヤニヤ笑いながら、わけのわかんないことを言ってるし。
「おぬしと秀忠とのことを聞いたぞ」
「えっ、いったい何をお聞きになったのですか?」
「この間、真昼間から人前で抱き合っておったんじゃってな」
秀俊くんは、下卑た笑いを浮かべて私のことを見ている。ふーん、そのことを聞いたのね。別にいいじゃない。私と秀忠くんは夫婦で、お互い愛し合ってるんだし。
「ええ、私と秀忠様は、祝言をあげた夫婦の間柄でございますから」
私はすました顔でそう言った。ふん、あんたには関係ないでしょ。
「ふん、ぬかせ。まあ、おぬしだけではなく、秀忠めもずいぶんと恥知らずな男であるな。あやつも所詮は三河の田舎侍の小倅じゃからなあ」
秀忠くんのことをバカにされて私はカチンときた。恥知らずとか田舎侍とか、あんたこそ何様のつもりよ。それに小倅って、あんただって子供じゃないの!
私は、秀俊くんのことをジロリと睨みつけてやった。でも、秀俊くんはにやけながら、私のことを小馬鹿にしたような目つきで見ている。
「おお、怖い、怖い。小姫は怖いのう。そんなに怖いと秀忠の野郎に逃げられてしまうぞ」
「そんなことはありません。秀忠様は大層ご立派な方で、私を裏切るようなことは絶対になさいません!」
私は腰に手を当てて反論する。だが、秀俊くんは相変わらず人をバカにしたような態度のままだ。すごくむかつくなあ!
「ふふん、何を言ってるのだ。大体、おぬしの親父殿は出家させられて秋田に流されているではないか」
「なによ、それがどうしたって言うのよ!」
「ははは、だからであるな、罪人の娘であるおぬしと江戸大納言家の嫡男の秀忠とでは、つり合いがとれぬのじゃ。ゆえに離縁の話が上がっておると巷の噂になっておるみたいじゃぞ。昨日、亀山の城での宴の折にも、誰かがそう申しておったわ」
「な、なんですってー!!」
私は思わず大声を上げ、秀俊くんの胸倉をつかんでしまった。秀俊くんは目を白黒させている。
あっ、いけない。こう見えても秀俊くんは、官職を持っている上に、城持ちの大名さんだった。実は、彼は二年前に丹波の国にある亀山城とその周りの領地を与えられているのだ。まあ、それなのに、いつも聚楽第に来て、遊んでばかりいるのだけれど。
なんでも、お城や自分の屋敷にいるとお酒を飲まされることが多くてそれが嫌みたいだ。この子はまだ十歳ぐらいなのだから、そのことには同情をしないでもない。
私は、秀俊くんの胸倉から手を離してあげた。
「小姫、覚えていろよ!」
秀俊くんは捨て台詞を残すと、逃げるようにして大廊下を駆けて行った。なんというか、いかにも小物という感じだった。
豊臣秀俊かあ。生前には全く聞いたことが無い名前だよね。きっと、あの子はどこかで失脚しちゃったんだろうな。まあ、いかにも信頼できない感じだものねえ。
でも、あの子、嫌なことを言ったな。信雄さんが罪人のままだと秀忠くんと離縁させられるって。確かに、秀忠君は未来の将軍様だ。その正妻の父親が流罪されているとなると問題なのかもしれない。
うーん、このままじゃいけないのかも。どうしよう……。
◇ ◇ ◇ ◇
二週間後。私のもとに、秋田に追放されている私の父上、織田信雄さんからの手紙が届いた。
その中身は、秋田での待遇や暮らしに関する愚痴と秀吉への不満だった。手紙とはいえ、秀吉のことをサルとかハゲネズミとか書くのはいかがなものだろうか。確かに秀吉が同時代の人からそう言われていたのは知っているけど、今の信雄さんがそれを言ってはダメでしょう。
お梅さんからも、秀吉は『サル』という言葉を聞くと激怒して、大変なことになってしまうって教わっている。まあ、信雄さんはそういった反抗的な態度だから、追放されたままなんだよ。
でもさ、私が秀忠くんのところに輿入れするには、信雄さんが許されなければダメみたいなんだ。せっかく家康さんがお父さんが赦免されるように汗をかいてくれているのに、信雄さんがその努力を台無しにしちゃいかねないよ。
はぁーっ。
私は大きくため息をついた。本当にダメな人なんだから……。
どうやら同じような手紙が兄上の秀雄くんにも届いていたようだった。
「小姫。ち、父上はいまだに自分のお立場をお分かりになってないご様子なのだ。もういい加減、織田と豊臣との力の違いを認めるべき頃合いなのにだ。はぁーっ」
秀雄くんもため息ばかりだった。ご苦労様です。
秀雄くんは、まだ九歳だというのに、織田家の惣領の地位を引き継いでいる。もっとも、これは信雄さんが流罪中の間の、いわば仮のお役目ということらしい。信雄さんの流罪が終わると、惣領のお役目も信雄さんに戻ることになっているのだ。
まあ、でも信雄さんが惣領に戻っちゃったら、織田家の未来は暗いだろうなあ。このまま秀雄くんが惣領のままでいいんじゃないかな。
でも、秀雄くんも年の割にはしっかりしてるんだけど、私の旦那様の秀忠くんと比べると落ち着きが足りないように思える。秀雄くんは、ちょっとオドオドしちゃうことが多いんだ。
まあ、秀忠くんのほうが年が四つ上なのもあるんだろうけど、なんというか人としての器の大きさも違うのかもしれない。
いずれにせよ、もう織田の時代が来ることは無い。もうすぐ戦国の世も終わって江戸時代になるんだから、秀雄くんも平和にのんびりと生きるのがいいと思う。
でも、その前に大切なのは、信雄さんが秀吉に許されることだ。そうしないと、私が秀忠くんと結婚できないんだから! よし、信雄さんは頼りにならなそうだし、ここは私が頑張らなくっちゃ!
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本日は2話掲載を予定しており、次話となる第5話は21:00に掲載予定です。引き続きよろしくお願いいたします。