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第35話:狐と狸の化かし合い

 伏見の徳川屋敷に突如現れた後の西軍のリーダー石田三成さん。私は彼をうまく捕まえたつもりでいたのに、向島城から帰ってきた家康はなぜだか知らないけどとても親し気に彼に話しかけた。


「おお、これは治部少輔殿。よくぞ御無事で。この家康、大層心配しておりましたぞ! お怪我はございませぬな」

「内府殿。温かきお心遣い、誠にかたじけなく存じまする。お柚の方様を始めとする徳川家の皆様の御配慮で、この三成、何とか一命を取り留めました」


 石田さんも微笑みながら、家康に丁重にお礼を言っている。その後も、二人は仲良く会話を続けていた。その口調も態度もとても親し気な様子だ。


 ええっ? この二人って仲良しだったの? 目の前で繰り広げられている予想外の光景に、私は戸惑っていた。私の傍に控えていた浅野長晟くんも口を開けてポカンとした表情で、家康と石田さんのことを見ている。


 だが、しばらくして私は気づく。家康は口元は優し気に微笑んでいるものの、目はいつもの通り鋭いまま。石田さんも礼儀正しく振舞っているものの、何か演技をしているみたいな空々しさがある。


「治部少輔殿。貴殿は、これから如何なさるおつもりですかな」

「いや、それがしも(いた)く反省を致しておりまする。これ程に多くの方々よりお叱りを受けるのは、それがしに何か足りぬ所があったが故であろうかと」


 石田さんは殊勝な口調で反省していた。でも、やっぱりどこか白々しい印象がぬぐえない。


「いや、いや、いや。忠義第一の治部少輔殿に足りぬ所などあろう筈がないですぞ。おそらくは、治部少輔殿の豊臣家への御忠義の余り、少々物申し過ぎたことがあったのかもしれませぬな」


 家康も石田さんのことを心配している口調なのだが、目の奥からはギラギラと鈍い輝きが放たれている。


「いや、仮にそうでありましても、それも又、それがしの不徳の致す所。暫くの間、佐和山の城にて蟄居(ちっきょ)致そうかと思案してる所にございます」

「なんとなんと、治部少輔殿が蟄居など、豊臣家にとって多大なる損失でございまするぞ。よし、ワシが、皆の衆を説き伏せて差し上げましょう」

「いやいや、そのお心遣い、大変かたじけなく存じまする。されど、これはそれがしの不徳のため。いわば身から出た錆のような物でございまする。ここは一度深く反省をし、己の立ち居振る舞いをしかと振り返るべきでございまする」


 二人はこんな感じでずっと話し合っている。一見すると、互いに信頼し合う者同士の会話のように見える。でも、どこか二人の態度はわざとらしくて、ときどき、二人の間にひんやりとした冷たい空気が流れているようにも感じてしまう。うーん……。


 そのときだ。


「お屋形様、よろしいでしょうか?」


 襖越しに家臣が話しかけてきた。


「なんじゃ? 今、治部少輔殿と大切なお話をしておるところじゃ。手短に申せ」

「はっ。今、当屋敷の門前に、加藤主計頭(かずえのかみ)様、福島侍従様、池田侍従様、細川侍従様、浅野左京太夫(さきょうだゆう)様、加藤左馬助(さまのすけ)様、黒田甲斐守(かいのかみ)様、七名の方がいらしております」

「ほう、七人全員が来ておるのか」

「はっ、さようでございます。七名の方々は、治部少輔様をぜひお引渡し願いたいとおっしゃっておられまする」


 それを聞き、家康はゆっくりと腕を組んだ。そしてしばらく考えた後、石田さんの方をじっと見る。


「治部少輔殿、ここはワシに任せてくれぬか。いや、悪いようには絶対に致さぬから安心召されい」

「ははっ、有難うございまする」

「それでは、治部少輔殿は、隣の部屋にて暫し控えていてくだされ。利勝、治部少輔殿を案内さしあげろ」


 石田さんは、家臣の土井さんに案内されて別室に移動していった。それでは、私もこれで退散するか。


「お屋形様、それでは私もこれにて失礼いたします」

「いや、せっかくじゃ。お柚も話を聞いておくがよい」


 えっ? 私も話を聞かなくちゃいけないの? なんか大名さんがいっぱい来るみたいで緊張しちゃうんだけど。


 やがて、襖が開いて客間に七人の武将の方々が入って来る。リーダー格の加藤清正さんが口を開く。


「内府殿。夜分に大勢で押し掛けまして、大変御無礼を仕ります。されど、この屋敷に悪党が逃げ込んでおると聞き申しました。それがし共で、その悪党を処分致しますので、是非お引渡しいただけませぬか?」

「ほう、悪党とな。そのような者はおったかのう。お柚、どうじゃったか?」


 えっ? いきなり私に話を振らないでよ。というか、加藤さんが言ってるのは、石田さんのことに決まってるじゃないの。


「あの、お屋形様。主計頭様がおっしゃっておられるのは、治部少輔様のことかと存じます」

「ああ、なるほど、そうであったか。いや、しかし治部少輔殿は、豊臣家の忠臣中の忠臣じゃからな。悪党という言葉とは結び付かなんだわ。ワッハッハッ」


 家康はそう言うと、わざとらしく笑った。そんな家康の態度に加藤さんは思わず身を乗り出す。


「いや、内府殿。あやつが忠臣であるはずがございませぬ。あやつは太閤様の御信任が厚いことをいいことに、己の立身出世の為に嘘八百を並べ立て、他の忠義の臣を貶めんと讒言を吹聴する、極めて卑劣な輩でございます」

「ほう」

「今、ここにいる者たちも、みな、あやつに貶められておりまする。あやつをあのまま生かしておいては、朝鮮の地で命を落とした我が配下の者共にも示しがつきませぬ。なあ、みんな、そうであるな」


 加藤さんがそう言うと、他の武将の方々も一斉に「そうじゃ、そうじゃ」と声を合わせ、石田さんを非難した。


 ふーん、やっぱり、石田さんって多くの人に嫌われていた悪人だったんだね。じゃあ、まあ、ここはこの人たちに引き渡しちゃいましょう。そうすれば、関ケ原の戦いで多くの人が死ぬこともなく、徳川の天下になることでしょう。


 うん、そうだよ。徳川の天下になれば、いずれ秀忠くんが将軍になって平和な世の中になる。秀忠くんだったら、お拾い様や淀の方様の命も救ってくれるはず。いいことづくめじゃない。


「なるほど、なるほど。ここにおられる七名は、いずれも名の通った天下無双の勇者たちばかり。貴公らの唐入りでの明国の大軍勢を相手にした華々しき御活躍の数々は、この家康の耳にもすべて入っておりますぞ」

「おおおっ!」


 家康の言葉を聞き、七人の武将さん達は嬉しそうな表情になる。


「いや、そのような勇ましき方々が、謗りを受けることなどあってよかろう筈は有りませぬな。おそらくは、治部少輔殿も何か思い違いをなさっていたのでありましょう。先ほど、治部少輔殿ともちと話を致しましたが、かの御仁も大層反省なされておる御様子でしたぞ」

「いや、内府殿! 大変、失礼でございますが、それはあの腹黒き茶坊主に騙されておるのです!」


 七人の武将さんの中で最年少の浅野幸長さんがすごい勢いで口を挟んできた。


「いや、左京太夫殿。ワシは、人を見る目には少しばかり自信がありましてな。治部少輔殿は、心底から反省しておられた御様子であった。それには間違いござらぬぞ」

「し、しかし……」

「貴公らの気持ちも痛いほどに分かりまする。朝鮮の地で、明国の大軍を相手に命を削って成し遂げた大功を軽く扱われてしもうては、(たま)ったものではござりませぬからな。しかし、治部少輔殿がどう太閤様にお伝えしていたかは存じませぬが、貴公らの御活躍は既に日ノ本に(あまね)く知らしめられておりまする。仮に治部少輔殿が何を申されておったとしても、そのことは変わりませぬぞ」

「さ、されど、あの悪党をこのまま放っておいては、また同じようなことが起きまする」


 幸長さんはあきらめずに家康に食らいつく。うん、うん、そうだよね。


「いや、いや、治部少輔殿も暫くは佐和山にて謹慎すると言うておられた。その御心は(まこと)の物じゃろう。左京太夫殿らの憤りは重々承知ではあるが、ここはワシの顔に免じて兵を退いてはもらえぬかのう」

「し、しかし……」


 幸長さんは、家康の顔をじっと見たまま黙り込んでしまう。家康がこんな風に言ってくるなんて想像していなかったのだろう。


「主計頭殿、清州侍従殿、吉田侍従殿、丹波侍従殿、左馬介殿、甲斐守殿。貴公らもいかがかな。ワシの顔では不足かな?」

「い、いや、内府殿がそこまでおっしゃるならば……」


 武将の方々は口ごもってしまう。この部屋に入って来た時の勢いはもうなくなってしまっている。


「勿論、ワシは自分の言うたことには責任は取るつもりじゃ。もし、治部少輔殿が貴公らの言う通りの極悪人で、豊臣家や秀頼様に害をなさんとしたり、豊臣恩顧の大名の方々に無礼を働かんとするならば、そのときは、ワシも自ら軍馬を率いて貴公らに加勢致そう。このこと、熊野誓紙に誓うても構わぬぞ」

「ははっ、内府殿のお気持ちは重々承知仕りました。されば、此度は兵を退くことと致します。本日はこれにて失礼致しまする」


 七人の武将の皆さんは残念そうな表情を顔つきで客間から出て行った。私に付き添ってくれていた長晟くんも、お兄さんの幸長さんについていく。しばらくすると部屋には、石田さんが戻って来た。


「治部少輔殿。諸将の皆様も、御理解いただけたようですぞ」

「おお、内府殿。大変お世話になり申した。この三成、内府殿の御恩は決して忘れませぬぞ」


 石田さんは、両手を床に着くと家康に深々とお辞儀をした。


「いやいや、治部少輔殿のような豊民忠義の臣を守るのが、豊臣家の大老たるワシの役目でもありますからな。まあ、今宵はこの屋敷にお泊りくだされ。明日には伏見城内に御案内致します。佐和山にお帰りになるときも警護の兵を出しますぞ」

「おお、何から何まで御手配をいただき、もうこの三成、感謝の言葉もございませぬ」


 石田さんはそう言うと、もう一度家康に向かって深々と頭を下げた。そんな石田さんの姿を見て、家康は満足そうに何度もうなずいていたのでした。


 ◇ ◇ ◇


 そして、次の日の朝。


「それでは、内府殿。お柚の方様。此度は本当に世話になり申した。いずれ何かの形で恩返しができればと思っております」


 秀忠くんのお兄さんの結城秀康さんとその軍勢に付き添われ、石田さんは伏見城内のお屋敷、通称・治部少丸に向かっていった。うーん。せっかく彼をやっつけるいいチャンスだったのに……。


「ふむ、お柚は此度のことが不満であるのかな?」


 石田さんの姿が見えなくなった頃、家康が私にそう問いかけてきた。


「い、いえ、不満などは……」


 まあ、はっきり言うと満足はしてないけどね。せっかく私が石田さんを捕まえたのに……。


「ふははは。そなたは、秀忠に『天下人になれ』と焚きつけたことがあるみたいよのう」

「えっ……?」


 ああ、秀次さん事件の後にそんなようなことを言ったことがあったかも。でも、もう三年以上も前のことだ。


「ここで石田の首を取れば、天下が徳川のものになると思うたか?」

「え、いえ……」


 うーん、どう答えるべきなのか、まるで見当がつかない。


「しかしな、石田がおらぬようになっても何も変わらぬ。石田の代わりを、大谷か宇喜多、そうでなければ小西あたりが務めるだけよ。まだ機は熟しておらぬのじゃ」


 うーん、そうなのかな。でも、関ケ原の戦いは、もう来年に迫っているんだけど……。それに家康だって、もうすぐ六十歳。この時代の人の中ではすでに長生きの部類に入っている。


「お屋形様には焦るお気持ちはないのですか?」

「焦る気持ちか? ふん、無いと言えば嘘になろうな。じゃがな、大勢に逆ろうてもろくなことにはならん。ことをなすには辛抱が肝心なのじゃよ。ふはははは」


 なるほど、さすがは徳川家康だ。しっかりと先を見据えて戦略的にものごとを考えている。うん、まあ、家康の判断に従っていれば、間違いはないんだろうな。どうせ、関ケ原は東軍が勝つんだし。


 それにしても家康ともずいぶん気心がしれてきたよね。昔だったら、こんな風に自分の思っていることを私に言ってくれなかっただろうに。徳川家の嫁として、信頼されてきたのかな? その信頼を裏切らないよう頑張らなくちゃね。


本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。


七将襲撃事件これにて解決です。昨今の研究では徳川屋敷に石田三成が逃げ込んだことに疑問が呈されていますが、実際はどうだったのでしょうね。もし、家康と三成があっていたらこんな感じの白々しいやり取りがなされていたのだと思っています。


さて、次話で第三章も終わりとなります。本作も六割程度が終わっております。これから完結に向け鋭意頑張っていきたいと思っております。


次話第36話は三日後の2/28(日)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きお付き合いの程よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 家康伏見屋敷に逃げ込んだのは、もちろん史実ではありません。まあ、フィクションの範疇ではあると思いますし、の方との遭遇、大変面白いです。    ちなみに伏見城には、なんと治部少丸という曲輪(…
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