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第34話:籠の中の鳥

 前田利家さんが大坂で亡くなった日の翌日。浅野幸長さんや加藤清正さんら七人の武将は、石田三成さんを打倒すべく兵を挙げた。しかし、石田さんは包囲網をかいくぐって大坂を脱出し伏見へ逃亡。そして、なぜだか知らないけど、伏見の徳川屋敷のお庭に一人で隠れていた!


「石田様、なぜ、この屋敷ににおられるのですか?」


 私は薙刀を構えたまま、石田さんに訊ねた。


「いや、それがですな、それがしは、話の分からぬ者共に追われておるのでございます。それゆえ、内府殿と直々にお話がしたいと思いまして、この屋敷に逃げ込んできたのでございますよ」


 石田さんは苦笑いを浮かべながらそう説明した。いや、それにしても、石田さんのような名のある武将さんが単独行動で他人の家に忍び込むなんて、そんなことはあり得ないと思うんだけど……。


「そ、そうですか。残念ながら、お屋形様は、今はこの屋敷にはおられませぬ。向島の城におられますので、そちらに伺われてはいかがですか?」

「なるほど、そうでございましたか。しかし、さすがに今の伏見の町を出歩くのは、ちと危のうございましてな。小姫様、それがしをしばらくこの屋敷に置いてはくださらぬか?」


 えええっ! なにを言ってるのよ。人の屋敷に勝手に忍び込んできておいて、なんて図々しいのよ。そう思っていた時だ。廊下の奥から、徳川家のお侍さんたちと浅野長晟くんがやってきた。


「お柚の方様。いかがされましたか? おおっ、そこにいるのは何やつじゃ!? …………な、なんと、貴様は、石田治部少ではござらぬかっ!?」


 長晟くんは、石田さんを見て大声を出した。そして腰から刀を抜き取ると、石田さんに突き付けた。でも、石田さんにはまるで焦った様子はない。


「おお、これは浅野長晟殿ではござらぬか。いや、すっかり立派になられたな。まあ、まあ、まずは刀をしまわれよ。今、それがしは小姫様にご相談をしておるところじゃからな」


 石田さんは涼しい顔で、興奮している長晟くんをなだめるようにそう言った。


「それがしを愚弄するでない! 石田治部少、ここで成敗してくれるわ! 覚悟いたせ!!」


 長晟くんはすっかり頭に血が上っている様子で、今にも石田さんに飛び掛かろうとする勢いだ。うーん、でも、家康の許しもなく屋敷の中で勝手なことをしちゃダメだよね。


「長晟様、少しお待ちください。ここは徳川のお屋敷です。むやみに屋敷内で血を流すと、お屋形様に私が叱られてしまいます」

「し、しかし……」


 私に待ったをかけられ、長晟くんは不満顔だ。でも、ここは少しの間、我慢して欲しい。私は、薙刀の構えを解くと、石田さんの方を向く。


「石田様。お庭で立ち話もよろしくありませんから、お屋敷の中に入りませぬか」

「おお、小姫様。これはかたじけない」


 石田さんは涼し気な態度で私に頭を下げてくる。でも、小姫ってなによ? あなたにそんな風に親し気に呼ばれる理由はないんですけど。


「石田様、私は、今、当家ではお(ゆず)と名乗っております。そうお呼びいただけますか?」

「おお、これは大変失礼を仕りました。いや、あれはいつのことでしたかな、太閤殿下の宴の折の、小姫様、いやお柚の方様の御勇姿が、それがしの目に今も焼き付いておりましてな。ははははっ」


 石田さんは、明るく笑いながら悪びれもせずに屋敷の中に入って行った。そんな石田さんを長晟くんは憎々し気な表情で見つめている。


 私は傍にいた徳川家の重臣の一人の土井利勝さんに、小声で話しかける。


「土井様、急ぎ向島城のお屋形様に、石田三成様を捕まえましたとご報告してください。そして、どうすればよいか、ご指示を仰いでください」

「はっ、御意」


 土井さんは、すぐに駆けて行った。ふふふっ、飛んで火にいる夏の虫とはこのことだよね。そうよ、ここで西軍のリーダーの石田さんをやっちゃえば、関ケ原の戦いが起きないよね。


 そう、関ケ原がなければ、大坂冬の陣、夏の陣も起きないだろうし、秀頼様が殺されてしまうこともない。うん、よく考えれば、今はものすごいチャンスじゃないの。ふふふふっ。


 私は、石田さんに見られぬよう顔を伏せながら秘かにほくそ笑んだのでした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 私が客間に入ると、石田三成さんは座布団の上であぐらをかいて、すっかりとくつろいでいる様子だった。ふーん、肝が据わっているのね。でも、いつまでそんな涼しい顔をしていられるかしら。あなたは、もう籠の中の鳥よ。この徳川屋敷からは逃げられないからね。


「いやあ、お柚の方様。あつかましい申し出で恐縮でござりますが、一日中走り回っておりまして、ちと喉が渇いておりまする。お茶をお頼みしてもよろしいですかな?」


 へえ、そんな無防備なことを言っていいのかなあ。ここはあなたにとっての最大の敵の本拠地ですよ。ふふふふっ。


「ええ、もちろんでございます。民部、石田様にお茶のご用意を」


 私は、民部卿局こと筆頭侍女のお梅さんに指示を出す。お梅さんは、すっと部屋を出て行った。お梅さん、毒入りのお茶はまだ出さなくていいからね。


 そして、すぐに大きめの御茶碗の乗ったお盆を持って、お梅さんは戻って来た。


「いや、それでは、かたじけなくいただきまする」


 石田さんは御茶碗を手に取るとゴクゴクゴクッと一気に飲み干した。ふーん、喉が渇いていたんだ。でも、敵から出されたお茶だと言うのに、ずいぶんと警戒心が無いのね。


「ぷはーっ、いや、喉が渇いているところには、このぬるいお茶がちょうどいいですな。それでは、申し訳ござらぬが、もう一杯いただいてよろしいかな?」


 石田さんは、無遠慮にお茶のおかわりを頼んできた。なかなか図々しいじゃないの。私はお梅さんに目くばせする。お梅さんは急いで部屋の外に出る。


 しばらくすると、お梅さんは御茶碗の乗ったお盆を持って戻って来た。あれっ? さっきより御茶碗が小さくない?


「いや、侍女殿、かたじけない。されば、もう一度いただきまする」

 

 石田さんは、御茶碗を手に取ると、今度はさっきよりもゆっくりと飲んでいく。


「ふむ、いやさきほどよりは、すこし(ぬく)めのお茶。いや、これはうまい。されば、もう一杯」


 ええっ? もう一杯って本気ですか? 図々しいにもほどがあると思うんだけど。まあ、でも、お茶ぐらいならいくらでも飲ませてあげるか。これが石田さんにとって、人生最後のお茶になるかもしれないもんね。ふふふふっ。


「民部。もう一杯、石田様にお茶のご用意を」

「はい、かしこまりました」


 お梅さんは、また部屋の外に出る。そして、しばらくすると今度はお盆の上に小さな御茶碗を乗せて戻って来た。


「いや、本当にかたじけないですな」


 そう言いながら、石田さんはゆっくりとお茶碗に手を伸ばし慎重に手に取った。そして、フゥフゥと息を吹きかけ冷ましながら、少しずつお茶を飲んでいく。


「いやあ、このお茶は絶品にございますな。いや、さすがは徳川家のお屋敷でございます」


 お茶を飲み終えると石田さんは微笑みながら、お愛想を言った。まあ、確かに当家のお茶は駿府産のすごく美味しいお茶だけどね。


「プッ……うふふふふっ」


 えっ、誰が笑っているの? そう思って横を向くと、お梅さんが両手で口を押えながら笑っていた。


「ちょっと、民部。石田様に失礼ですよ」

「い、いえ、石田様のお芝居があまりに上手でございますので……お、おかしくて、ふふふ」


 お梅さんは笑いがこらえられない様子だ。でも、お芝居ってどういうことなの?


「いや、侍女殿、それがしの茶番にお付き合いいただき、かたじけのうございました。いや、それがしも太閤殿下になった気持ちになりもうしたぞ。わはははははっ」


 なぜだか知らないが、石田さんも愉快そうに笑い始めた。周りの徳川家のお侍さんの中にも腹を抱えて笑っている人がいる。えっと、どういう意味なの?


「石田様、失礼ですが、おっしゃられていることの意味がわからないのですが」


 私は石田さんにストレートに訊ねた。


「お、これは失礼を致しました。いや、それがしが、まだ長浜の観音寺で小坊主をしておったときのことです。太閤殿下がその寺にお越しなった折に、それがしが太閤殿下にお茶をお出ししたのです。それがしは、この侍女殿がなされたように、一服目はぬる茶をなみなみと、二服目は少し熱い茶を半分ほど、三服目は熱茶を少しだけ、そのようにお出ししたのですよ。いや、太閤殿下は大層お喜びになられました。ワハハハハッ」

「はあ……」


 石田さんは楽しそうに説明してくれたのだけど、そのお話しの面白いところが分からない。


「いや、さすがは小姫様の侍女殿でございますな。ご主君同様、とんちが効いておられる。いや、感服いたしました」


 そういうと石田さんは大袈裟にお梅さんに頭を下げた。うーん、この人は、やけに芝居がかってるよね。


「石田様、およしくださいませ」


 お梅さんも少し顔を赤らめながらも、嬉しそうな表情をしている。そして、そんなお梅さんの態度を周囲も人たちも温かい目で見ている。


 うーん、なんか場が和んじゃってるよね。いや、石田さんは敵方のリーダーだから、私はそんなに仲よくするつもりはないんだけどな。


 まあ、でも、いいか。そのうち家康からなにか指令が降るでしょ。多分、浅野幸長さん達に石田さんを引き渡せとかそんな感じの。


 ああ、そうしたら石田さんは、幸長さんたちに成敗されてしまうんだろうな。まあ、そう思えば、石田さんも残り少ない命だし、お茶を楽しんでもらえて何よりだったかもね。


 そのときだ。玄関の方から大きな物音が聞こえてきた。続いて、廊下をバタバタッとこちらの方に走って来る音が聞こえる。


 ガラリッ!


 そして、勢いよく襖が開いた。中に入ってきたのは家康だった。


「おお、これは治部少輔殿。よくぞご無事で。この家康、大層心配しておりましたぞ! お怪我はございませぬな」


 そしてなぜだか知らないが、家康は石田さんに温かい言葉をかけると、彼の両肩を優しく抱いてあげたのでした……。えっ? ちょっと、待ってよ。なんで、そうなるの!?


本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字報告いただけた方には重ねて御礼申し上げます。


石田三成の茶坊主時代の逸話、面白いですよね。でも、いくら優秀だったとはいえ、一介の茶坊主があそこまで成り上がれるのですから、戦国時代は本当にダイナミックです。


さて、次話第35話は、三日後の2月25日(木)21:00ごろの掲載を予定しています。引き続きよろしくお願いいたします。

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