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第33話:邪悪な茶坊主?

 慶長四年(1599年)二度目の弥生(旧暦閏三月)。私は、伏見・徳川屋敷の自分の部屋で手紙を書いているところだ。


「はあ、うまく集中できないなあ……」


 手紙を書いていても、最近の不穏な情勢のことが自分の頭からなかなか離れない。秀吉が死んでからの半年余り、この短い期間に様々な出来事が起きてきた。


 朝鮮に出兵していた軍勢は、去年の年末までになんとか日本に撤兵してきている。先鋒を務めていた小西行長さんも無事に帰国していて、去年の師走には私のところまで挨拶に来てくれた。そのときは「いやあ、外ツ国での戦はいくつ命があっても足りませぬな。ワハハハハッ!」と豪快に笑っていた。


 そういえば、小早川家に養子に行った秀俊くんも朝鮮に出陣していて、現地では名目上の総大将も務めていた。私は知らなかったのだけど、その出陣中に秀俊くんは自分の名前を変えていた。


 新しいお名前は『秀秋』。つまり、秀俊くんは、今は『小早川秀秋』と名乗っている。なんとなんと、彼は戦国時代の有名人の一人だったのだ! 子供の頃は、秀俊くんのことを誰も知らないモブ武将なんて馬鹿にしていてごめんなさい。あのお別れの挨拶のときに、もっと立派なお餞別の品を渡しておけばよかったなあ。


 秀吉の死後は、家康と前田利家さんの二人の大老が協力して、日本を統治している。家康は、ことあるごとに皆の前で「秀頼様のおん為に」と言っている。でも、これが口先だけなのは歴史が証明しているし、この時代の人も信じている人はあまりいないようだ。徳川家の皆さんの中にも、天下取りを目指して目をギラつかせている人もいたりする。


 一方の利家さんは、そんな家康や徳川家に相当警戒しているようだ。去年の年末には、利家さんは家康を懲らしめようと、毛利さんや上杉さん、宇喜多さんなどの大名さん達と一緒に兵を集めていた。このときは、ここ伏見の徳川屋敷にも、伊達政宗さんや福島正則さん、最上義光さん、それに織田有楽斎の叔父さんなど家康と仲の良い大名さん達が集まって、利家さん達の動きに対抗しようとしていた。


 まあ、一時は本当に一触即発の状態だったのだけれど、そのときは浅野長政さんや加藤清正さんが仲介をしてくれて、何とか利家さん達と仲直りができたのだ。


 でも、お正月が明けてすぐに、利家さんは、豊臣秀頼様を伏見城から大坂城に連れていってしまった。まあ、これは秀吉の遺言に書いてあったこと。でも、家康はうやむやにして自分の影響が及ぶ伏見に留めようとしていた。そんな家康の態度に業を煮やした利家さんが、強引に船で秀頼様を大坂に連れ去ったのだ。


 そんなこんなで、最近はきな臭い匂いがたちこめている。まあ、来年には関ケ原の戦いが起きるのだ。何があっても不思議ではないのだろう。最近、家康は巨椋池内の小島に築かれた向島城にいることが多い。向島城内に江戸から大勢の兵士を呼び寄せていて、臨戦態勢にあるのだ。


 ああ、本当に気持ちが落ち着かなくて困ってしまう。今はしっかりと体を休めないといけない時期なのになあ……。


「ママちゃま。おだいと、あしょんで」


 手紙を書いている私のもとに、私の一人娘のお(だい)ちゃんが近寄ってくる。


「お橙ちゃん、ママは今、浅野の若奥様にお手紙を書いているんですよ。向こうで刑部(ぎょうぶ)といっしょに遊んでいらっしゃい」

「やだ、やだ、やだあ! ぎょーぶじゃなくて、ママちゃまがいいの!」


 お橙ちゃんは駄々をこねている。まだ、満年齢では一歳半。聞き分けのつく年ではないから、仕方がないのかもしれない。しかも、最近は何かを感じ取ったのか、私に甘えてくることが多い。


「お橙様、お方様の邪魔をしてはなりませぬよ」


 乳母の刑部卿局さんが、お橙ちゃんを優しくたしなめてくれる。でも、お橙ちゃんはなかなか言うことを聞いてくれない。


「やだったら、やなの。ママちゃまがいいの!」

「お橙様、それでは、あちらのお部屋でかすていらを食べましょう」

「……ん? かしゅてえら? うん、たべる、たべる!」


 でも、甘いものには、簡単につられてしまった。さすが我が娘だ。血は争えない。お橙ちゃんは、刑部卿局さんに連れられて部屋から出て行った。


「ふぅ、困ったなあ。お橙が急に聞き分けが悪くなってしまって。やっぱり、小さい子でも不穏な空気が分かるのかしらねえ」


 私は、筆頭侍女の民部卿局ことお梅さんにそう言った。


「どうでございましょう。そのことよりも、お柚の方様に、やや子ができたことに気づかれたのではないですかねえ。お橙姫さまは、母上様が取られるかもしれないと不安になっておられるのでしょう」

「えっ? でも、あの子にはまだお腹の子のことは話していないのに……」


 そう、実は、今、私は二人目の子供を妊娠中なのだ。出産予定日は、今年の葉月の初め頃とまだまだ先となる。お腹の膨らみも着物の上からではまったく分からないぐらいだ。


「お子の勘は鋭いと申しますからねえ」

「ふーん。なるほどねえ」


 私は、感心してしまった。子供が出来てからは本当に学ぶことが多い。ああ、でも、今は仕事のまっ最中。浅野家の若奥様からいただいた反物のお礼状を書いているところなのだ。こういったこまめな付き合いが後々の家と家との関係で色々と効いてくると、お阿茶局様からも教わっている。


「よし、これで終わりと。それじゃあ、民部。これを伏見の浅野様のお屋敷にお届けするように、手配して」

「はい。畏まりました」


 お梅さんは書状を持って部屋の外に行く。実は、浅野さんのご嫡男の幸長(よしなが)さんは、今、徳川家とすごく仲が良いのだ。


 幸長さんは北政所様の甥っ子なのだけど、豊臣秀次さん事件のときに罪に問われた彼をかばったせいで能登国に流罪されていた。そのときに幸長さんの赦免のために家康が一肌脱いだらしいのだ。


 今も、幸長さんはそのときの恩を忘れていない。普段も、この伏見の徳川屋敷の警護の為に兵を割いてくれているし、当屋敷内での宴の場にも頻繁に参加している。そうそう、幸長さんは石田三成さんのことを相当恨んでいるらしく、酔った時は彼への悪口がものすごい。


 ドタドタドタドタッ


 廊下の方から大きな音が近づいてくると、襖がガラリと勢いよく開いた。部屋の中に飛び込んできたのは、さっき出て行ったばかりのお梅さんだ。


「民部、どうしたの。そんなに慌てて」

「た、大変でございます。昨夜、大坂で前田大納言様がお亡くなりになられた、とのことです」

「ええっ、なんですって!?」


 利家さんの体調があまり良くないということは、大坂城・二の丸にいるお松の方様や、大坂の前田屋敷にいる永姫様から、手紙でそれとなく伝えられていた。でも、こんな早く亡くなられてしまうほど深刻な病状だったなんて、まるで聞いていない!


「今、浅野左京大夫(さきょうだゆう)様が来られており、お柚の方様に報告されたいと」


 ああ、幸長さんが来てるんだ。家康とお阿茶の方様は、向島城にいるし、秀忠くんは、ご用事で江戸にいるから、今は私がこの屋敷を代表しなくちゃいけないのか。


「分かりました。すぐに伺います」


 私は、お化粧をさっと直し小袖を羽織ると、客間の方に向かったのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 客間では、浅野幸長さんがあぐらをかいて座っている。その横には、まだ中学生ぐらいの年頃の若いお侍さんが座っている。


「浅野様、お待たせいたしました」

「いや、これはお柚の方様。ご無沙汰しております」


 幸長さんが頭を下げて私に挨拶してくる。隣の年の若いお侍さんも慌てて頭を下げる。


「そうですね。浅野様にはお変わりなきようで何よりです。先ほど、奥方様にお礼状をお送りいたしました。いつもお気遣いいただいて有難うございます」

「わはははっ、いや、仲良うしていただいて、こちらこそ大変感謝いたしておりまする。おお、そうじゃ。こちらにおるのが弟の長晟(ながあきら)でございます。ほれっ、長晟、挨拶せよ」


 幸長さんはそう言って、自分の弟の長晟くんに話を振った。


「は、はい。お柚の方様、大変長らくご無沙汰をしておりまする。浅野長晟にございます。その節は大変お世話になりました」


 そう言うと、長晟くんは私に向かって深々と頭を下げた。えっ? 幸長さんの弟さんってことは、ひょっとして岩松くんなの? おお、すっかり立派になっちゃって。会うのは多分、八年ぶりだよね。


「わはははっ。あの時、お柚の方様がおられなけば、この長晟の首は太閤様に刎ね飛ばされておったかもしれませんからな」


 幸長さんは豪快に笑っている。ああ、八年前の聚楽第での秀吉との宴のことね。


 当時、秀吉は一人息子のお捨様を亡くしたばかりで落ち込んでいた。その秀吉を慰めようと、身内の子供を何人か集めた会があったのだ。でも、そこで秀吉に詰問された岩松くんは泣き出してしまう。そこを私がうまくフォローしてあげて、秀吉のご機嫌が直ったのだ。ああ、懐かしいなあ。


「そ、それがし、お柚の方様のご恩は、ひと時たりとも忘れておりませぬ」


 長晟くんは、生真面目な顔でそう私に話してくる。うん、そこまで感謝しなくてもいいよ。


「長晟様。少し大げさでは、ございませんか。私のしたことは、そこまでのことではありませんよ」

「いえ、いえ、いえ。あのとき、小姫様、い、いや、お柚の方様にお救いいただかなければ、それがしは生きてはおりませぬぞ」


 いやあ、それは本当に大げさだよ……。そんな長晟くんの様子を幸長さんは愉快そうに見守っている。


「わははは。いや、お柚の方様あっての長晟ということですな。まあ、長晟の話はこれぐらいにて、早速、本題に入らせていただきます」

「はい、前田大納言様が昨夜お亡くなりになられたとか」

「そうなのです。いや、大坂は大変な騒ぎだと聞いております。そして、実はこの混乱に乗じて、天下を乗っ取ろうとする極悪人がおるのですよ」

「えっ……」


 えっと、それって、多分、家康のことだよね……。いやあ、そんなにストレートに私に言わなくても……。


「その極悪人の茶坊主の輩、これまでも、太閤様に関白秀次公のありもせぬことを讒言したり、唐入りでは我々が命を削って奮戦しておるのに、それを捻じ曲げて太閤様に報告したり、まさに極悪非道の振舞いを重ねてまいっておるのです。いや、今も、天下を秀頼様から盗み取ろうと大坂で虎視眈々と機会を窺っておりまする」


 ん? 茶坊主? 秀次公の悪口や、朝鮮出兵での報告? それって家康のことじゃないというか、「茶坊主」ってあの人のことだよね。


「あ、あの、その茶坊主って……石田三成様のことですか?」

「無論、その通りでございます」


 幸長さんは大きく頷いた。


「本日、その邪悪なる茶坊主、石田三成めを打ち滅ぼそうと、加藤清正殿、福島正則殿、池田輝政殿、細川忠興殿、加藤嘉明殿、黒田長政殿、それにそれがしが盟を結びて、兵を挙げたのでございます!」


 えええっ? なんか物騒なことを言っているけど「兵を挙げた」って、どういうことなの?


「しかし、残念ながら、大坂ではあの狡猾なる茶坊主を取り逃がしてしもうたとのこと。どうやら、その憎き茶坊主は、ここ伏見に逃げて来ておると思われまする」

「ええっ? 石田様は今、伏見に来ているのですか?」


 ここ伏見は家康の勢力下なのに、なんで石田さんがわざわざこっちに逃げて来るの?


「その通りでございます。あの茶坊主のやつめ、ここ伏見で何か騒ぎを起こそうと企んでおるに違いござらぬ。向島城の内府殿にもそうご注進したところ、徳川屋敷の備えを厚うするように言われ申した」


 えっ? まだ今年は1599年で、関ケ原の戦いは来年だよ。一年早くない? わけがわからない。あっ、でも、取敢えず守ってくれていることにはお礼を言わなくては。


「そ、そうでございますか。よく分かりました。ご配慮いただき誠に有難うございます」


 私は頭を下げてお礼を言った。でも、本当にここに石田さんの軍勢が攻め込んでくるかもしれないの? ちょっと怖いんだけど……。


「それがしは、これから市中の見回りをしてまいりますが、この屋敷には長晟を置いていきます。長晟、何があっても、この屋敷を守るのじゃぞ」

「はっ、兄上、畏まりました。命に代えても、お柚の方様をお守り申し上げます!」


 こうして弟の長晟くんを残して、幸長さんは屋敷を出て行ったのでした。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 そして、その晩。夕刻辺りを過ぎたころから、塀の向こう側から大勢の兵士が行き交っている物音がずっと聞こえている。今まで伏見がこんな物騒な感じになったことなんてなかった。いや、京都や大坂に住んでいたときにも、こんなことは経験したことは無い。


「はぁ、落ち着かないなあ。こんなときは、秀忠くんが傍にいて欲しいなあ……」


 私は、江戸にいる秀忠くんを思いながら、御寝所で独り言を呟く。ああ、本当に落ち着かない。


 ガサササッ


 部屋の外、庭の辺りから何かが動く物音がした。えっ、なに? 猫? それとも、狸? でも、ずいぶん大きな音だったよね。


 私は布団から跳ね起きると、隣の部屋まで行き、そこで寝ているお梅さんに声を掛ける。


「民部、起きて。庭で何か物音がしたんだけど」

「ええ、お方様。猫ではございませぬか?」

「猫とは違う感じなのよ。ちょっと一緒についてきて」


 私は強引にお梅さんを起こす。そして、部屋に置いてあった薙刀を手にすると、襖を開けて外廊下に出る。


 ガサ、ガサササッ


 やっぱり庭の大きな木の陰に誰かがいるような気配がする。私は、気配のする方に向かって声を掛ける。


「誰? そこに誰かいるの?」


 泥棒? それとも石田さんの兵隊が壁を乗り越えて攻めてきたの? 


「隠れてないで、出てきなさい!」


 私は薙刀を構えると、物陰に向かって声を上げた。……やがて、木の陰から何者かが現れた。


「いやいや、けっして怪しい者ではござりませぬ。安心召されい」


 暗くて良く見えないが、どうやら現れたのは中年の男の人のようだ。立ち居振る舞いや口調に粗雑なところは無く、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。


「何者? 名を名乗りなさい!」

「いや、それがしは、おおっ、これは小姫様ではございませぬか」


 怪しい男は丁寧な口調でそう言った。えっ? この人、私の知り合いなの?


「あなたは、誰なの?」

「いや、大変失礼を致しました。それがし、石田三成と申す者でござりまする。小姫様とお話をするのはこれが初めてでございますな。以降、お見知りおきを」


 へっ? ……ちょ、ちょ、ちょっと待ってーっ! なんで、石田三成さんがこの屋敷の庭にいるのよーっ!?


本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。執筆継続の励みとなっております。


関ケ原の戦いまであと一年余り。主人公も感じ取っていますが、かなりきな臭くなってきました。そんな中、第5話で岩松くんとして秀吉にビビっていた浅野長晟くんが久々の再登場です。ちなみに史実でも浅野長晟は、関ケ原の戦いの後、徳川秀忠の小姓を務めていたりします。


次話第34話は三日後の2月22日(月)21:00頃を予定しています。引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

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[一言] >浅野長晟は、関ケ原の戦いの後、徳川秀忠の小姓を務めていたりします。 これってヤバくね?主家の正室に横恋慕して手打ちにされたりして…。
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