第32話:夢のまた夢
秀吉に呼び出されて訪れた伏見城・奥御殿の奥の間。そこで秀吉から「おぬしは、いったい何者なのじゃ?」と詰め寄られてしまった。
「た、太閤様、わ、私は小姫でございます。今は、徳川でお柚と名乗らせていただいて――」
「そんなことを聞いておるのではないわ。おぬしには、狐か狸が憑りついておるのか? それとも妖怪か幽霊の類か?」
秀吉はギラリと私の顔を睨みながらさらに詰め寄って来る。
「い、いえ、そのような怪しいものではございません。わ、私は私でございます」
こんなことを言われるなんて心の準備ができていなかった。声が震えてしまう。
「ふん、あくまで隠し事をするつもりか……。のう、小姫よ。おぬしも分かっておろう。ワシはもう長くはない。明日、死んでもおかしゅうないのじゃろう。もう飯も喉を全く通らぬのよ」
「は、はい……」
「最後に教えてくれぬか。おぬしは、多くのことを知っておるのじゃろう?」
「し、しかし……」
ど、どうしよう。私はどう答えればいいんだろう。
「のう、小姫よ。ワシはおぬしに多くの貸しがあると思うておる」
秀吉は、私のことをじっと見つめてながら、ゆっくりとした口調でそう言った。
「貸しでございますか?」
いったい何のことだろう?
「そうじゃ。三介殿を上方から所払いとした折も、おぬしをそのままワシのもとに留めおいてやった」
「はい」
うん、まあ、私が生まれ変わる前の話よね。
「おぬしの求めに応じ、三介殿を上方に戻してもやった」
「はい」
まあ、確かにそういうことはあった。
「おぬしがワシのことをハゲネズミと愚弄した時も、特に咎めず水に流してやった」
「はい……。えっ、いえ、それは太閤様を愚弄したわけではななく、ただ信長公のご書状に書いてあることをお話した――」
でも、秀吉は私の言い訳を聞きもしなかった。
「ふん、そんなことはどうでもいいわ。それにな、おぬしにはグロボもやったであろう。大切にしておるか?」
「はい、今も部屋でよく見ております。私の大切な宝物でございます」
うん、あの地球儀は、本当に毎日見ているよ。この間、南半球が寂しかったので、オーストラリアとニュージーランドを墨で書き加えちゃったけど。
「どうじゃ。貸しがいっぱいあるであろう?」
「は、はい」
「おぬしが言うたことは誰にも言わぬ。墓の中に持っていくだけじゃ。ただな、ワシは本当のことを知りたいのじゃよ」
うーん……。どうしよう。でも、確かに秀吉にお世話になってきたのは、間違いないしなあ。うーん……。そうだ、こういうことにしよう!
「太閤様。今から私が話すことは、夢のお話でございます」
「夢の話? なんじゃ、夢とは?」
「はい、今から七年前のことでございます。私は、聚楽第で病に臥せっておりました。そのときに夢を見たのです」
私は、秀吉の顔をじっと見ながら、話し始めた。
「夢の中は、今から四百年の後の世でございました」
「ほう、四百年の後の世とな。いったい、どのような世なのじゃ」
秀吉は、興味深そうな表情で私にそう訊ねた。
「はい、戦さも無ければ、飢えてなくなる人もいない平和な世界でございました。多くの民が真面目に働き、友と交わり、家族と幸せに暮らしております」
「ふむ、そうか。四百年の後も豊臣の世は続いておるか?」
「いえ、もう武家の世はとうの昔に終わっております。民が民を治める世でございます」
うん、そう。現代の日本は民主主義の時代だから。
「民が民を治める? 何をバカなことを申しておるのじゃ。そんなことをしても争いになるだけじゃろう」
うーん、そうだよね。なんでだっけ? あ、そう、憲法とか法律をみんなが守っているんだよね。中学の社会の授業でやった。
「はい、憲法や法律という理が定められており、これを皆が守っております」
「ふむ、『けんぽう』とな。なるほど、一向宗どもが申しておった仏法のようなものか。されば、政は、僧侶が担っておるのじゃな?」
「いえ、政を担うものは、民が選挙で決めます」
「はぁ、『せんきょ』? なんじゃ、それは?」
えっと、選挙ってどうやって説明すればいいんだっけ? うーん、難しいなあ。
「えーと、まず、政を担いたい者に手を挙げさせます。その後は、それらの者たちが己の思う所を民に伝えて、民はその中からもっともふさわしいと思う者を選びます。そして、その選ばれた者が政を行うのです」
うーん、こんな感じで良かったかな。上手な説明か自信はなかったけど、秀吉は興味津々といった様子で私の話を聞いてくれていた。
「ふむ。ふむ。……なるほど、それは面白き話じゃな。されど、そのようにして決めるのであれば、口先がやたらと上手く民を欺くもの、弥九郎のような輩が政を担うことになるのではあるまいか?」
えっ、弥九郎って、小西行長さんよね。ああ、確かに、あの人はうさんくさいし、どこか現代の政治家っぽいところがあるかも。うん、スキャンダルを起こして記者会見で釈明をしているのが似合いそうだよね。
「そうかもしれません。ただ、政を担う者の言葉や行動は、皆がしっかりと見ております。ですので、嘘は遠からず露わになります」
「ふむ、なるほどな。面白いものよのう。されば、四百年後の世では、ワシのように何も持たぬ者でも容易に天下人になれるということじゃな」
うん、理論的にはそうだよね。あっ、でも政治家の人って、二世とか三世とかそういう人が多いんだっけ? うーん。そもそも、現代でも、豊臣秀吉以上に成り上がった人なんていないよね。
「そうではございますが、なかなか容易なことではございません。四百年後の世界においても、太閤様のように偉くなった方はおりません」
「ほう、そうか。ワシほどの人間はおらぬか。そうか、そうか」
秀吉は嬉しそうな顔をしながら、何度も肯いている。
「太閤様は、四百年後の世界でも、歴史上の偉き人として皆から愛されております」
うん、そうだよね。私が退院していたときに自分の家で見た『緊急特番! 歴史上の偉人・国民人気総選挙!』ってテレビ番組でも秀吉は上位につけていた。
「ほう、そうか、そうか。ワシは、四百年の後の世でも、もっとも愛されておるのか」
「えっ? ……あっ、……は、はい」
私は思わず口ごもってしまった。いや、私の見た番組では秀吉は二位で、一位は別の人だったけど……。
「小姫よ、どうしたのじゃ? 何か、思う所があるのか、言うてみよ」
「えっ、あ、いえ、なんでもございません」
「何でもないということは、ないであろう。隠すでない。言うのじゃ」
えっ、じゃあ、まあ、仕方ない。正直に言うしかないか。私は嘘をつくのが下手だから、どうせすぐにバレちゃうし。
「はい、太閤様は、四百年後の世界では、第二番目に愛されておられます」
「なに? ワシが第二番目じゃと? それでは、第一番はいったい誰なのじゃ?」
まあ、当然、そう聞いてくるよね……。まあ、言うしかない。
「はい、第一番目は、織田信長公にございます」
私は正直にそう答えた。実際、私が見た番組でも信長はぶっちぎりの一番人気だったのだ。三位以下は坂本龍馬だったり、聖徳太子だったり、真田幸村だったりが混戦模様だった。家康は八位ぐらいだったと思う。
「なに、上様が第一番じゃと? なぜじゃ? ワシは上様がなしえなかった天下布武をなしとげたのじゃ。上様に負ける謂れは無いぞ」
うーん、まあ、それはそうだと思うけど、信長は、現代ですごく人気なんだよねえ。でも、なんでだろう? 信長の最大の功績ってなんだろう? うーん……。
「どうした、なぜ、ワシが上様に負けておるのか、理由を申してみよ」
「い、いえ、それは民の選挙の結果ですので、私には理由はわかりません……。ただ、私が思いますに……えーと……そのぉ……」
そこで私は口ごもる。うーん、やっぱり信長の最大の功績と言えば……。
「ただ、なんと思うておるのじゃ?」
「はい。織田信長が、豊臣秀吉という人間を見出し、重く用いたことが大きいのだと思います」
「はぁ? 上様がワシを見出したことが理由じゃと申すのか?」
「はい」
うん、そうだよね。「織田がつき、羽柴がこねし天下餅」という歌があったぐらいだもんね。最後に家康に食べられちゃうけど。
「されど、ワシも多くの者を見出してきたぞ。虎之助と市松はワシが引き立てなかったら、足軽大将止まりじゃろう。佐助は、ワシと会うまではただの寺の茶坊主であったし、紀之介も将になれたかはわからん。弥九郎なぞ、ワシがおらんかったら宇喜多で冷や飯を食うたままであったであろう」
虎之助は加藤清正さん。市松は福島正則さん。佐助は、多分石田三成さんのことで、紀之介は大谷吉継さん。そして、弥九郎は、もちろん小西行長さん。確かにすごい人たちばかりだし、この人たち以外にも大勢の優秀な人を秀吉を登用してきた。でも……。
「はい、太閤様。確かにそれらの方々は、皆、キラ星のごとく優秀な方々でございます。しかし大変失礼ながら、それらのお方を一堂に集めても、豊臣秀吉という人間一人には到底かないません」
私ははっきりとそう言った。うん、いくらこの時代で優秀と評判でも、現代の人気総選挙では誰も十位以内に入れてない。この人たちが秀吉にかなうはずなんてない。
「ほう、そうか。ワシが見出した者どもを寄せ集めても、上様が見出したワシ一人にはかなわぬか。そうか、なるほどな。結局、ワシは上様にはかなわんかったのか……」
秀吉はまるで独り言をつぶやくようにそう言った。
あ、ヤバい。秀吉の元気を失わせちゃったかな。心配になって、私は秀吉の顔を覗き見た。でも、秀吉はとても嬉しそうな顔をしていた。そして、優しく微笑みながら私の方を向いた。
「小姫よ。面白き話を感謝いたすぞ。上様へ良い冥途の土産話ができたわ」
「いえ、私が見たつまらぬ夢の話でございますから」
「ふむ、謙遜せずともよい。のう、小姫よ。最後にもう一つ聞いてもよいか」
えっ、最後に一つ? なんだろう?
「ワシがもうすぐ死ぬのは間違いない。ワシが死んだあと、天下はどうなるのじゃ?」
「えっ……」
ゴクリと私は唾を飲み込んだ。今は西暦だと1598年。つまり、これから二年後に関ケ原の戦いがある。そして、その後は家康が将軍になって江戸幕府が開かれる。でも、そのことは絶対に話してはいけないと思う。
「……申し訳ございません。そのことについては、お話しできません」
「ふむ、なぜじゃ?」
「いえ、私がお話ししたことで、色々とおかしなことが起きては大変なことになりますから」
「なるほど、ワシにも話せぬ、いや、ワシには話せぬことなのじゃな」
秀吉は私の顔をじっと見つめる。私は目をそらしたかったけどそらせなかった。ごめんなさい。でも、言えません。
「ふむ、まあよい。おぬしは、昔から早うに徳川に輿入れをしたがっておったな。つまりは、そういうことなのであろうな」
す、鋭い。さすが秀吉だ。ああ、でも、これは否定しなくちゃ。
「え、あ、太閤様。そ、そのようなわけではなく――」
「ふむ、ワシが織田家から天下を奪うたように、家康殿が豊臣家から天下を奪うのじゃな」
「いえ、そ、そのようなことは……」
「まあ、それが道理なのかもしれぬな……。じゃがな、小姫、この先、秀頼はどうなるのじゃ?」
えっ? 秀頼? お拾い様? あっ、えっと、お拾い様はこの先どうなるんだったっけ? さすがにまだ小さいから、関ケ原の戦いには参加しないよね。じゃあ、助かるんだっけ? え、いや、違うかな? 何か、この先、大変なことが起きるんだっけ…………。
あっ、大坂冬の陣と夏の陣だ! ああ、すっかり忘れてた。そう、そう、そうだ。それで豊臣家が滅びちゃうんだった。……えっ? 滅びちゃうってことは、お拾い様は死んじゃうってこと? ひょっとして、淀の方様も一緒に? そんなの絶対にダメだよ……。
「小姫、どうして黙っておるのじゃ? 秀頼の身に何かが起きるのか?」
「…………」
「何が起きるのじゃ? 秀頼は殺されてしまうのか?」
「…………」
私は、何も言えずに黙り込んだままだった。
そんな私を見て、秀吉は布団の上で身を正して正座の姿勢となった。そして、両手をついて私に頭を下げた。
「小姫、いや、小姫殿。お頼みもうす。この通りじゃ。なんとか、秀頼だけは救うてくれぬか。どうか、ワシの最後の望みを聞いてくだされ」
秀吉は布団に頭をこすりつけながら私に懇願してきた。その気持ちは痛いほどよく分かる。親の子を思う気持ちがどれほど強いかは、お橙ちゃんの母親となって初めてよく分かった。でも、でも、私に何ができるのだろう?
「小姫殿。不可思議な力を持つそなたであれば、なんでも出来るのであろう。その力でなにとぞ秀頼を救うて下さらぬか、ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」
秀吉は、また激しく咳き込みだした。それでも土下座の姿勢を戻そうとはしない。私は秀吉を抱きかかえ背中をさすった。
「太閤様、いけません。お体に障ります。ご無理をしてはいけません」
「小姫殿、頼む。この通り、この通りじゃ……」
秀吉の声がドンドン小さくなる。こんなに往生際の悪い秀吉の姿を見るのはこれが初めてだ。でも、格好悪いとも情けないとも思えなかった。親は子供を守るためなら、なんでもするのだから。
よし、覚悟を決めよう。私は一度大きく深呼吸をした。そして、秀吉の体を起こしてあげると、その目をしっかりと見た。
「太閤様、分かりました。私には、なんの力もございません。ですが、お約束を致します。秀頼様のお命をお救いするために、力を尽くさせていただくと!」
私は、きっぱりとそう言った。秀吉は目に涙を浮かべながら私の顔を見ている。そして、私に向かって手を合わせて震える声でこう言った。
「小姫殿、かたじけない。かたじけないぞ。ほんとうにかたじけない……」
これが私と秀吉の最後の会話だった。
この日から十日後、秀吉は、伏見城の奥御殿で、北政所様や淀の方様、お拾い様など大勢の方に見守られながら、息をひきとった。享年62歳。非常に美しい辞世の句が残されている。
露と落ち露と消えにしわが身かな なにわのことも夢のまた夢
秀吉様、大変お世話になりました。どうか安らかにお眠りください。
本作をお読みいただき有難うございます。また、ブクマ・ご評価・ご感想・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。私の執筆継続の励みとなっております。
もし、まだご評価がお済みでない方がおられましたら、この機会にご評価をいただけると大変嬉しく思います。
秀吉の辞世の句は、死の十年前に後陽成天皇を聚楽第で迎えた際に詠まれたものと言われています。無学であったはずの秀吉なのに素晴らしい出来栄えの歌ですよね。ちなみに、その歌が書かれた短冊を預かっていたのが、北政所の側近の孝蔵主なのだそうです。
さて、次話第33話は、三日後の2月19日(金)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




