第27章:二度目の文月の大地震!
今は文禄五年の二度目の文月。実は驚くことに、この時代では暦の上での一年が十二か月とは限らないのだ。
もちろん、普通の年は十二か月で、一か月が29日の小の月と30日の大の月がそれぞれ六回ずつある。でもこれだと、普通の年は、一年に354日しかないということになってしまう。最初にこのことに気づいたときは、ああ、この時代の一年は現代より短いんだな、と思っていた。
でも、実は、この時代には暦の他に太陽の動きに合わせた二十四節気という季節の区分がある。立春とか春分とか大寒とかの言葉は、現代にも残っているよね。
例えば、春分だと、今年は如月の二十二日。でも、去年は如月の十一日だった。そして、一昨年は、睦月の三十日。結構、バラバラだったりする。
なんでこんなにバラバラなんだろうと思って、自分の日記をめくって確認してみた。そして、すごいことに気づいたのだ。今年の如月の二十二日から365日遡ると、去年の如月の十一日になることに!
調べてみると、他の二十四節気の期日も365日周期で回っていた。これはつまり、この時代の地球は、現代と同じ365日で太陽の周りを回っているということだよね。
こんな風に実際の一年にあたる365日と、この時代の暦の一年にあたる354日では、11日も差があるわけだから、この分だけズレができてしまい、それによって、春分の日にちが大きく動いていたのだ。
このカラクリが分かったときは、「おおおっ!」と思わず大きな声を出してしまったほどだ。
そして、このズレを調整するためなのだろう。この時代では、約三年に一度、閏月というものが定められているのだ。この閏月がある年は、なんと一年が十三か月になってしまう!
いやあ、最初は驚いていただけだったけど、よく考えると腑に落ちるから面白いよね。この時代の人もよく考えて暦を作っているんだね。
それで、今年も閏月のある年。今年は文月、つまり7月が2回繰り返されている。
文月と言えば七夕。毎年文月の七日には七夕の行事が催されている。今年は、完成したばかりの伏見城の大広間で、華やかな七夕の行事がにぎやかに開かれたのだ。私もその催しに招かれて参加したのだけど、星を眺め、香を焚き、和歌を楽しむといった、とても優雅な会だった。
えへへへっ。こういうハイソな会に出ると、自分がお姫様なんだなって改めて思えるから嬉しいんだ。
でも、五日前にあたる今年二回目の文月七日には、今年二度目の七夕の行事は催されなかった。実はちょっと期待していたので、何も行事が無いと聞いたときはガックリしてしまった。せっかくだから、二度目もやればよかったのに。
そんなことを一昨日、前田家の永姫様に愚痴っていたら、永姫様に『続千載集』という歌集に載っている前中納言定房というオジサンが作った和歌を教えてもらった。
契りありておなじ文月の数そはば 今夜もわたせ天の川舟
この歌は、「約束を交わした文月が今年は二回あるのだけど、二回目の七夕の今夜も天の川に船を渡しなさい」という意味。うん、まさに私と同じ気持ちだよ。この定房さんとかいうオジサンとは話が合いそうだ。
私が、秀忠くんの御寝所で、一人で寝そべりながらそんなことを思っていた時だ。
グラグラグラッ、と建物が少し揺れた。
私は思わず、布団から飛び起きる。でも、揺れはすぐに止んだ。
「ああ、また揺れたなあ。本当に最近は地震が多いよね」
三日前には、結構長い時間、揺れ続いた地震があった。揺れ自体はそれほど大きくなかったけど、なかなか揺れ止まなかったので落ち着かなかった。そして、今日の夕方にも似たような地震があった。
今の地震はこれらの地震とは違ってちょっと揺れただけだったけど、こうも地震が多いと本当に落ち着かない。
「小姫殿、待たせたな。今もまた揺れもうしたな」
御寝所に秀忠くんがやってきた。白の長襦袢という寝間着姿だけど、こんなシンプルな服装でも秀忠くんは、涼し気な感じで実に格好いい。
「本当に地震ばかりでいやになります。はあーっ」
私は、大きくため息をついた。私は地震は苦手なのだ。
「ああ、そうじゃな。そういえば、三日前の地震じゃがな、どうやら四国でかなりの被害が出ていたらしいぞ。早飛脚がさきほど伝えてくれたわ」
「えっ、そうでしたか」
この時代は、現代と違って、テレビの地震速報が無いので、すぐに地震の情報が分からない。でも、有力大名は独自の情報ネットワークを持っており、この屋敷にも全国の情報が集まって来る。
「何事にもあらかじめの備えが肝要じゃな。家中の者にも地震に備えておくように触れをだしたところじゃ」
「そうですか、さすが秀忠様です」
本当に、秀忠くんはしっかり者だ。まだ数えで十八歳。現代だと高校生に当たる年齢だというのに、まるで大人のようにしっかりと落ち着いている。この屋敷の家臣の人たちも、みんな秀忠くんのことを頼もしく思っているようだ。
半年ほど前に、前田家のお屋敷で聞いた北政所様のお話を思い出す。家康が隠居して、秀忠くんが徳川家の家督を継ぐ。うーん……。いや、確かに秀忠くんはしっかりしてるけど、十八歳で徳川家の家督という重責を担うことができるのかな?
あの後、すぐに秀忠くんに相談したけど、そのときも難しい顔をしてたからなあ。私は秀忠くんの顔をじっと見た。秀忠くんも私のことを見つめ返し、微笑んでくれる。
「では、夜も遅いし、そろそろ寝るとするか」
「はい!」
うん、難しいことは今はいいや。私と秀忠くんは二人でしっかりとハグをした後、御帳の中で仲良く添い寝をしたのでした。
◇ ◇ ◇ ◇
その日の深夜。私は、ふと目を覚ました。なんだろう、何か違和感を覚えたのだ。同時に秀忠くんも目を覚ます。
「小姫殿。何か感ぜぬか?」
「はい、秀忠様」
その瞬間だ。
ズンッ! グラグラグラグラグラッ!
突き上げるような大きな縦揺れが部屋全体を襲った。
「ひゃあっ!」
私は思わず変な声を出して、秀忠くんにしがみついてしまった。
「地震か。これは大きいな!」
秀忠くんは、私を守るようにしっかりと肩を抱いてくれる。
グラグラグラグラグラグラグラグラグラッ!
すぐに大きな横揺れがやってきた。屋敷の柱がガタガタと軋む音がする。屋敷の中で誰かが叫ぶ声も聞こえる。ガシャンガシャンと屋根から瓦が地面に落ちて割れる音もする。
ズシーン! ガラガラガラガラガラガラガラッ!
遠くで何かが崩れたような恐ろしい音が聞こえる。何の音なのだろう。とても大きな音だった。
「秀忠様、怖いです」
「小姫殿、ワシが傍におるから大丈夫じゃ」
秀忠くんは、私のことをしっかりと抱きしめてくれる。私は秀忠くんの腕の中でガタガタと震えたままだった。
「うむ、治まった様じゃな」
「は、はい……」
地震の揺れは治まっても、私の体の震えは治まらなかった。ああ、死んだかと思っちゃった。
「若様、ご無事ですか?」
襖越しに秀忠くん付きの小姓の人の声がした。
「うむ、ワシもおひ……お柚の方も無事じゃ。家中の者はいかがいたしておる?」
「はっ、瓦でケガをした者はおりますが、大事に至っておりませぬ」
「そうか。火は出ておらぬな?」
「この屋敷は大丈夫かと。近隣の屋敷からも、煙はあがっておりませぬ」
「ふむ、そうか。しかし油断するでないぞ。そういえば、さきほど城の方で大きな音がしたが、あれは何事かわかるか?」
秀忠くんが小姓さんに色々と訊ねている。あっ、さっきの恐ろしい音はお城の方角から聞こえてきたのか。私は全然わからなかった。
「いえ、まだ何も聞いておりませぬ。すぐに調べさせますゆえ、しばしお待ちくだされ」
小姓さんはそう言うと、廊下を慌てて駆けて行った。
「小姫殿。ワシはこれから周囲の様子を見て回らねばならぬ。大事がなければいいのじゃが」
「はい、秀忠様。お着替えを手伝います」
私は秀忠くんが手早く着替えるのを手伝う。すると、さっきの小姓さんが飛び込んできた。
「若様、た、た、た、大変です! お、おし、おし、おし」
小姓さんはひどく動揺しているのか、どもってしまってなかなか言葉が出てこないようだ。
「どうした、落ち着くのじゃ!」
「は、は、はい。お、お城が、お城が崩れてしもうたとのことでございます」
「な、なにぃーっ!」「えーっ!」
秀忠くんと私は同時に声を上げてしまう。お城が崩れてしまったってどういうことなの!?
「それはいったいどういうことじゃ!?」
「は、はい。詳しいことは分かりませぬ。し、しかしながら、城の方から逃げて来た者が申すには、先ほどの地震のすぐ後、城の天守が石垣ごと崩れ落ちてしもうたと。今、家中の者が城の近くまで様子を窺いに行っております」
えーっ、天守閣が崩れ落ちているってどういうこと? 伏見のお城には、秀吉と北政所様、淀の方様にお拾い様、孝蔵主様、東殿様、小屋さん、その他にも何百、何千もの人が暮らしている。みんな、無事なの!?
「わかった。ワシもすぐに向かうぞ。小姫殿。怖いであろうが、この屋敷におってくれ。それで、台所で皆の為に、握り飯でも作らせてほしい。お願いしてもよろしいか?」
「は、はい。もちろんです。秀忠様、お気を付けて」
「おう。小姫殿も気を付けられよ。火が回ってきたら、すぐに逃げるのじゃぞ」
秀忠くんはそう言うと、小姓さんと一緒に寝所から駆け出して行った。ああ、北政所様、淀の方様、お拾い様、それに皆様、どうかご無事でいてください!
私はそう願いながら、手早く着替えを済ませ、炊き出しの準備をするために台所に向かったのでした。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、日が昇ってしばらく経った頃に、秀忠くんは徳川屋敷に戻って来た。
「小姫殿、城はひどい有り様じゃったぞ。石垣が大きく崩れており、その上の天守も上の二層が完全に崩れ落ちておった。周りの櫓もいくつか壊れてしまっておったわ」
秀忠くんの服装には、泥がいっぱい付いてひどく汚れていた。顔にも土がついている。
「そ、そうでしたか。それで、皆様はご無事でしたか?」
「うむ、太閤殿下と北政所様は、地震の時には奥御殿におられたようじゃが、無事難を逃れられておった。さきほどご挨拶したのじゃが、お二人とも怪我もなくお元気なご様子じゃったぞ」
ああ、北政所様はご無事だったんだ! よかったあ! それでは、あのお二人は?
「ああ、よかったです。淀の方様とお拾い様はいかがでしたか?」
「そのお二方もご無事じゃと聞いておる」
「ああ、そうでしたか。それは、それはよかったです」
私はほっと息をついた。そうか、みんな無事だったんだ。本当によかった。
「ただな、多くの者が天守のガレキと崩れた石垣の下敷きになっておる。今、必死で助けておるところじゃが、死んでしもうておる者も少なくない」
「えっ……うそ……」
私は言葉を失った。膝がガクガクと震えてくる。お城の人が、大勢死んじゃったの? ひょっとして、私のお輿入れの手伝いをしてくれた人たちも? お城にいるときに私のご飯を準備してくれた人たちも?
私の膝がガクガクと震えた。両目からは涙が次々と湧き出てきてしまう。でも、いけない、私は徳川家の嫡男・秀忠くんの奥さんなんだ。強くならなくてはいけない。感情的になってはいけない。
そんな私を秀忠くんは優しく抱きしめてくれた。
「小姫殿、地震で命を失うのは致し方ないことじゃ。誰が悪かったのでもない。今のワシらにできるのはその死を悼み、冥福を祈ることだけじゃ」
「はい、秀忠様……」
この世界に生きていく以上災害からは逃れられない。いや、現代で過ごしているときだって、地震や台風、洪水で多くの人が亡くなっていた。そんな亡くなってしまった人たちに対して私たちができることは、その死を悼むことぐらいなのだろう。
私はお城の方角を向くと、目を閉じて手を合わせ、亡くなった方々のご冥福をお祈りしたのでした。
お読みいただき有難うございます。また、ご感想・ブクマ・ご評価・誤字報告いただいた方には重ねて御礼申し上げます。
太陰暦と太陽暦の関係はややこしいですね。ちなみに、イスラム諸国は今でも太陰暦を使っていますが、昔の東アジアと違い閏月というものがないので、一年が11日づつ短くなってしまっています。太陽暦に慣れた身には、よくこれで不便が起きないなと思ってしまいます。
作中で引用した和歌の作者・前中納言定房は、続千載和歌集の編纂時期(1318~1320年)を考えると、後醍醐天皇の最側近の一人である吉田定房のことだと思われます。後醍醐天皇が即位した元応元年(1319年)は文月が二度ありますので、この年の二度目の文月に詠まれた歌なのでしょう。
また、作中で起きた地震は、慶長伏見大地震と呼ばれているものです。この年の二度目の7月には、四国、九州、近畿で大地震が相次いで発生しています。歴史を調べていると、日本は災害大国なのだなと改めて思い知らされますね。
さて、次話第28話は、明後日2月6日(土)21:00頃の掲載となります。引き続きよろしくお願いいたします。




