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第26話:北政所様のご計画

 伏見の前田家・下屋敷で開かれているお茶会。突然、参加してきた北政所様とお松の方様は、千道安さんを無視するかのような態度を取った。道安さんが空気を読んで席を外すと、すぐに北政所様の爆弾発言が飛び出したのだ。


「実はじゃな、ウチのとと様はもう長くはないと思うのじゃよ。最近は、すぐに疲れるようになってきてしもうての」


 北政所様のお言葉に、私は、驚きの余り何も話せなかった。隣の永姫様は聞いてはいけないことだと判断したのか、無表情で何も聞こえていないふりをしている。


 それでも、お松の方様に驚いた様子はない。変わらぬ様子で北政所様に話しかけられた。


「まあ、でも、秀吉殿は、夜の方はまだまだお元気ではありませぬか。最近でも、お摩阿のところにも月に何度も逢う瀬に来ておりますぞ。まあ、来た時はそれはそれは激しゅうて、一度で終わらぬこともあるぐらいじゃからのう」


 お松の方様は、真面目な顔で新たな爆弾発言を投下したのだ。


 お松の方様がおっしゃた『お摩阿』とは、秀吉の側室の加賀殿様のこと。利家さんとお松の方様の娘さんで、今は前田家の上屋敷にお住まいになられている。


 しかし、お二人は、ずいぶん、際どいことをお話になるものだ。隣に座る永姫様は、相変わらずまったく無表情で、聞こえないふりをしている。


 まあ、こういった話には下手に巻き込まれない方がいいよね。私もこうするべきなんだろうな。


「とと様はな、淀殿と京極殿の御寝所にも月に何度も通われておるし、最近は、三の姫様に特にご執心で、毎日のように通われておる」


 北政所様の話を聞いて、ずっと無表情でいた永姫様が眉を寄せた。三の姫様は、信長の末娘で永姫様の妹にあたる方。ずっと蒲生氏郷さんの所で養女として育てられていたのだが、去年その氏郷さんがなくなった直後に、秀吉に側室として召し上げられたのだ。


 三の姫様はまだ十七歳だと言うのに、六十歳の秀吉の相手を毎日のようにしているのだとしたらかなり気の毒なことだと思う。


「あら、ずいぶん、おさかんじゃのう。おねさんが言うたのと違うて、秀吉殿は疲れ知らずではありませぬか」

「逆じゃよ、逆。体に力が残っておらぬのに、憑りつかれたように、女子のことばかり追いかけておる。この半年は特にひどいぞ。私には、とと様が残り少ない寿命を削っておるようにしか見えんのじゃ。はぁあ」


 北政所様はそう言うと、深いため息をついた。へえ、奥御殿にいたときは側室が大勢いたことには気が付いていたけど、そんなことになっていたなんて知らなかった。


「確かに、お年のことを考えると少し心配じゃのう。家の又左様は、最近はすっかり大人しゅうなっておるからのう」

「まあ、それが普通じゃろうのう。とと様も昔はあんな好き者ではなかったのじゃがな……」


 北政所様はそう言うと、天井の方を向かれた。


「たしかに昔の秀吉殿は、お仕事一途な律義者じゃったよのう」


 お松の方様も相づちをうたれる。


「まあなあ、仕事は本当に熱心じゃったが、それだけではなかった。夜は酒も大して飲めぬのに、丹羽様や佐久間様のところにいって、宴を盛り上げておった。屋敷に帰ってからは、世話をしておる者たちと、夜を徹して語りおうておった。忙しすぎて、子作りをする時間もよう取れなんだぐらいじゃった……」


 へえ、昔はそんな感じだったんだ。確かに今でも、加藤清正さんや福島正則さん、黒田長政さんは、秀吉のことをすごく慕っているから。


「特になあ、治兵衛(じへえ)のことは、ほんにかわいがっておったのじゃがのう……」


 北政所様は悲し気な表情をされている。それにしても、『じへえ』って誰のことだろう?


「まだ、治兵衛が四つのとき、宮部に人質に出す折には、治兵衛と抱きおうて泣いておったわ。六つになって、長浜に帰ってきたときは、それはそれは喜んでおった。目に涙を浮かべておったぐらいじゃ」


 ふぅーん。そんな人がいたんだ。知らなかったよ。


「長久手の戦で、治兵衛が失敗してしもうたときは、治兵衛のことを思うて泣きながら怒っておったわ」

「ああ、そういうことがあったのう」


 お松の方様は、相づちをうたれている。なるほど、秀吉はその治兵衛さんって人のことを我が子同様にかわいがっていたんだ。


「それがじゃよ。なんで、切腹なのじゃよ。高野山で仏門に入ったのじゃから、もうそれで良かったじゃろうに。側女も子供も三条河原で殺す必要など無かったであろうに」


 ……えっ? 高野山? 三条河原? ということは、その治兵衛さんは、関白だった豊臣秀次さんのことだったのか……。


「今でも、夜に『治兵衛、すまぬ、すまぬ』と寝言で詫びておるときもあるのじゃよ……」


 そう言うと、北政所様は目をつぶって黙り込んでしまった。


 へえ、あの秀吉がそんな風に……。あっ、ひょっとして、この半年、女の人への執着が増したのは、その罪悪感から逃れるためなのかも。


 しばらく誰も話せないままだった。やがて、北政所様は、目を開けると私と永姫様の方を見た。


「小姫、永姫。実はな、今日突然押し掛けたのは、そなたらに話があったからなのじゃよ」

「えっ?」「私達にございますか?」


 

 北政所様は、とても真剣な表情だ。一体、なんなのだろう。


「まあ、もし父様に万が一のときは、お拾いが豊臣の後を継ぐ。じゃが、お拾いもまだ幼子じゃ。しっかりとした支えが必要となる」


 うん、お拾い様はまだ数えで四つだからね。現代だったら、やっと幼稚園に入園するぐらいの年齢だ。


「それで、その支えは、徳川と前田を置いて他にはないじゃろう。そこでじゃ、家康殿と利家殿のお二人にはな、家督を秀忠殿と利長殿に譲っていただきたいと思っておる」


 えっ!? どういうことでしょうか? 家康は、まだまだピンピンしていて、とても隠居しそうにないのですが? そう思ったが、なかなか言葉にすることができない。黙っていると永姫様が口を開いてくれた。


「そのような大切なことは、私の決めることではございませぬゆえ、何とも申せませぬ」


 うん、そうだよね。私もその通りだと思うよ。私は無言でコクコクと大きく頷いた。


「おねさん。一体、どういうつもりでございますか? 徳川殿も又佐様も、まだまだお元気でいらっしゃいますが」

「元気だからいいのじゃよ。二人には、伏見の城に入っていただき、二人で話合うて、天下のご政道のことを決めていただく。徳川のお家と前田のお家のことは、秀忠殿と利長殿が決めていただく。それで、すべてが丸く収まると思うたのじゃ」


 おお、すごくよいアイデアじゃないですか。これでお拾い様の時代となっても豊臣の世も安泰ですね……。


 んっ? あれっ? でも、四年後に関ケ原の戦いがあるんだよね。それからは徳川の世になっちゃうんだけど……。えーと、どっちの方がいいんだだろう……。


 私の頭は、こんがらがってきた。豊臣の世と、徳川の世、どちらが良いのかよく分からない。


「小姫、永姫、どうしたのじゃ? 二人とも黙り込んでしまって」


 うーん、でも、私はどうすればよいのかな……。私が考え込んでいると、隣の永姫様が話し始めてくれた。


「北政所様、そのような難しい話は、わらわには見当もつきませぬ」


 永姫様は上品な口調でそう言った。まあ、でも、実際にそうだよね。私達に言われても困ってしまう。でも、北政所様の顔つきが少し怖くなった。


「永姫、何を悠長なことを申しておるのじゃ。利長殿が家督を継いだら、そなたが前田家の奥方じゃぞ。前田のお家のことは、そなたが切り回さねばならぬのじゃ。じゃから、予めしっかり心の支度をしておくようにと言うておるのじゃ」

「は、はい、もうしわけございませぬ。わらわの考えが至りませんでした」


 永姫様は、深々と頭を下げて北政所様にお詫びをした。うーん、でも、突然にこんな難しいことを離されても困るよね。


「小姫。分かっておるよのう。そなたも永姫殿と立場は同じじゃぞ」


 北政所様の矛先が今度は私に向かってきた。うーん、でも、本当に豊臣の世がいいのか、徳川の世がいいのか、分からないのです……。


 ……うーん、でも、そうか。私は前に決めたんだった。秀忠くんのことを信じようと。強くて優しくて、間違ったこの世の中を正してくれる秀忠くんを全力で支えようと。


「北政所様。私は、秀忠様の妻となった身でございます。大事なことは、秀忠様と相談して決めていこうと思っております」

「小姫。そんな殿方に甘えたような態度では、このご時世を生きてはいけなくなるぞ」

「いえ、私は秀忠様に甘えているわけではありません。私は、秀忠様の妻として秀忠様のことをしっかりとお支えしたいと思っております」


 私は、北政所様に対し、はっきりとそう言った。


 徳川の立場の私と、豊臣の立場の北政所様。二人の歩んでいく道は、今後違っていくのかもしれない。でも、だからこそ、こんなときには自分の思ったことを素直に話すべきなんだ。それが、母親代わりとして私を育ててくれた北政所様への礼儀なんだ。


 北政所様は、何か言いたげな様子で私のことを見ている。だが、そこで彼女の隣に座るお松の方様が話し始めた。


「ほんに小姫は、昔のおねさんによう似ておるな。こましゃくれておって、自分の信じたところはまったく譲らんで。でも、どことなく愛敬があって。ほんに、昔のおねさんを見ておるようじゃよ」

「なにをいうとるのじゃ。おまつさんこそ、昔からこましゃくれておったじゃろ。清州の長屋では、又左殿に、いつも説教ばかりしておって」

「あれは、あん人がたわけたことばかりしよったからじゃ。私がこましゃくれておったわけじゃ――」


 二人の昔話の混じったおしゃべりは続いていった。やがて、千道安さんが茶室に戻ってきた。


「皆様。そろそろ、よろしいですかな。この場においては、浮世のことはすべて忘れ、ただ心を静め、互いに和し、互いに敬い合う。このことこそが、まさに茶なのでございます」


 道安さんは、渋い声で有難いことを教えてくれた。


 でも、残念ながら、道安さんのお言葉が私の耳にすんなりと入ってくることはなかった。私は、茶会の間中、これから間違いなく起きる大混乱に対して、一体自分に何ができるのか、ずっと考え続けていたのだった。


お読みいただき有難うございます。少し重い内容となってしまいました。晩年の秀吉の行動は、狂気に満ちているように思います。すごく物悲しいですよね。


さて、次話第27話は、明後日2月4日(木)21:00頃の更新となります。引き続きよろしくお願いいたします。

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