第25話:みんなでお茶会!?
今は文禄五年の如月(旧暦二月)。今年はここ数年と比べると、温かくなるのが遅い気がする。それでも、ここ数日は温かくなってきており、春が来るのも遠くないと感じる今日この頃。もうすぐこの部屋にも火鉢が必要なくなるのだろう。
今年は丙申の年だ。いわゆる、サル年。この時代の私は12年前のサル年に生まれた。つまり、私は今年は年女にあたる。そして、そんなことを考えているうちに、私はすごいことに気が付いてしまったのだ。
私の生まれ変わる前のお父さんは、昭和43年、西暦1968年生まれのサル年だった。サル年は12年に一度やって来る。つまり、お父さんが生れた年から、12の倍数分を遡った年はサル年になるんだ。
さっき紙に書いて計算してみたけど、今に近いと思われる年代では、1584年と1596年がサル年のはずなのだ。うん、間違いないよね。関ケ原の戦いは西暦1600年。これがまだ起きていないんだから、今年はこのどちらかの年ということだ。
うーん、それで、どちらかといえば、1596年っぽいよね。朝鮮出兵の正確な年は覚えてないけど、確か1590年代だったと思うし。
ということは、関ケ原の戦いが起きるまで、残り4年なんだ。おお、天下分け目の戦がそんなに近かったとは。家康と秀忠くん、それに東軍の皆様方にはぜひとも頑張っていただきたい。まあ、勝つことは知ってるんだどね。えへへっ。
「お柚の方様。いったい、どうなされたのでございますか? 紙に奇妙なものなど、たくさんお描きなされて」
私に声を掛けてきたのは、民部卿局こと私の筆頭侍女のお梅さん。お梅さんは当然アラビア数字なんて見たこともないので、私が紙に書きなぐった計算はただの落書きにしか見えていないのだろう。
「あら、ごめんなさい。新しい反物の柄を考えていたの」
私は適当なことを言ってごまかしたのだけど、お梅さんは納得がいかない様子で首をひねっていた。えへへ。私が未来を知っていることは、お梅さんにも誰にも言うつもりはないからね。
「ああ、そうでございました。前田屋敷への駕籠の支度が整っておりますよ」
「そう。じゃあ、早速行くとしましょう!」
今日は、伏見の前田家の下屋敷で、前田家嫡男の利長さんの御正室、永姫様主催のお茶の会があるのだ。なんと、その会には千利休の長男、千道安さんも参加してくれる。
この時代の茶道の大スターと一緒にお茶会ができるのだ。心が弾まないわけはない。ふっふ、ふっふ、ふーん。あ、いけない。鼻歌が出ちゃった。
私はお梅さんと一緒に早足で廊下を進んでいく。
「ねえ、お梅、じゃなくて、民部。もし、道安様が『お柚の方様は、大変才能がおありだ。ぜひ、私の一番弟子になってくだされ』とかおっしゃったら、どうしよう?」
「お柚の方様。夢のようなことをおっしゃてはいけませぬ」
まあ、自分のお茶道の実力は、分かってはいるけどねえ。でも、せっかくの機会なんだし、夢を見てみたいじゃない。
「されど、千道安様のお点前を間近で拝見できるとは、まさに夢のような話でございますが……」
お梅さんもうっとりした表情だった。なんだ、お梅さんも楽しみにしてるんじゃないの。あっ、危ない。今、転びそうになったでしょ。ちゃんとしっかり前を向いてね。
◇ ◇ ◇ ◇
私を乗せた駕籠とお梅さんを乗せた駕籠、二台の駕籠が伏見の前田家・下屋敷に到着しようとしている。でも、どうしたのだろう。さっきから駕籠が全く動かない。
「土井様。いかがされましたか?」
私は、障子の小窓を開け、警護役のお侍さんに訊ねた。
「前田屋敷の前に、輿が停まっておりまする」
「お輿ですか? 今日、前田家ではどなたかがお輿入れされる予定ですか?」
お輿? お輿なんて、婚礼の時のお輿入れ以外で使われることなんてない。でも、今は昼間。お輿入れには時間が早いし、そもそもそんなことがあるなら、永姫様が教えてくれているはずだ。
「いえ、婚礼道具を持ち運んでいる様子はございませぬ」
お輿入れでないとすれば、輿を移動に使っているのは京都にいる公家さんたちぐらい。この伏見で日常的にお輿を使っている人なんていない。……あ、いや、一人だけいた。
その人は、秀吉と並ぶ従一位という極めて高い位階を持つお方。北政所様だ。
私は慌てて駕籠から降ろしてもらう。うん、間違いない。あのお輿は北政所様のものだ。そして、お輿の傍に駆け寄った。
「おお、小姫。ひさしぶりじゃのう」
お輿の中から、北政所様の優しい声がした。
「北政所様、お久しぶりでございます。今日はどうされましたか」
「いや、おまつから千道安殿が来ると聞いてな。ご相伴させてもらおうと思うてきたのじゃよ」
ええっ? 北政所様も今日のお茶の会に参加するんだ? 聞いてなかったよ。
まあ、北政所様とお話しできるのは嬉しいけど、当然、前田家の奥方様のお松の方様も参加されるってことだよね。もともとは、永姫様と私と侍女たちで千道安さんを囲む予定だったのに、ずいぶん格が上がっちゃった。
「そうでございましたか。永姫様からうかがっておりませんでしたので、驚きました」
門をくぐり、屋敷の中に入ると、北政所様の筆頭侍女の孝蔵主様がいらっしゃった。
孝蔵主様は、お梅さんに何か話しかけている。聞き耳を立ててみた。
「民部には申し訳ないが、今日の茶は、遠慮してもらえぬかのう」
「は、はい。かしこまりました。北政所様がいらっしゃるのならば、当然でございます」
「すまんのう。茶会の間は、私と二人でゆるりと話でもしていようぞ」
えっ? そうなの? お梅さんも千道安さんとご一緒できるのを楽しみにしてたのに。
控えの間で、お梅さんと待っているところに永姫様がやってきた。
「小姫。申し訳ございません。北政所様とお松の方様もご相伴されることになってしまいました。私も今日、知ったところなのでございます」
「ええ? そんなに突然に決まったのですか?」
「それが――」
永姫様によると、もともと北政所様とお松の方様は、この時間に伏見城の奥御殿で二人で会われるご予定だったらしい。しかし、千道安さんが前田家・下屋敷に来ることを聞きつけて、急遽予定を変更したとのことだ。二人とも偉い人なのにフットワークが軽すぎでしょう。
しばらく、永姫様とおしゃべりをしているうちにお茶会の準備が整ったようで、年配の侍女さんが呼びに来た。庭の奥にある一見鄙びたお茶室が今日の会場だ。
北政所様、お松の方様、私、永姫様の順番に狭い入り口をくぐって、お茶室の中に入る。お茶室は四畳半。この時代に流行っているのは三畳の茶室なので、それと比べると広い造り。五人で使っても狭くは感じないだろう。
床の間には掛け軸には、クジャクが水墨画で描かれている。ひょっとして、これは狩野永徳さんの作品かしら。さすが前田さんのお屋敷だ。
「お松の方様、素晴らしい掛け軸でございますね。この孔雀は、今にも動き出しそうなほど巧みに書かれており、驚きました」
「あら、小姫さんは、随分とお目が高いのじゃな。これは、昔、家の旦那が大枚をはたいて、京の狩野永徳殿に書いてもらったのじゃ。まあ、私は、こんなものを買うお金があったら、鎧や槍を買うた方がいいと言いましたのじゃけどな。おほほほほっ」
お松の方様は、とても豪快な方だった。さすが、北政所様の大親友だけある。本当に素敵なおば様だよなあ。私も年をとったらこういう人になりたいな。
すぐに、千道安さんがやってきた。皆に一礼した後、亭主の席に着く。
「北政所様、お松の方様、お柚の方様、お永の方様。本日は、ささやかな茶席ではございますが、ごゆっくりとお過ごしください」
低く渋い声で、道安さんが挨拶の言葉を告げた。おお、いよいよ始まるのか、緊張しちゃうな。私は武者震いをしたのだった。
そして、お茶会が始まった。千道安さんのお茶の振舞いは、動作の一つ一つが時に繊細、時に大胆で大変優雅だった。本当に思わず見とれてしまうほど、素敵だった。でも。すぐに、そちらの方にまったく気が回らなくなってしまう。
なんと、北政所様とお松の方様が、お茶をさておき、世間話を始めたのだ。すぐに道安さんは、手を止められ、二人が話し終わるのを待ちだした。
しかし、二人のおしゃべりは終わらなかった。そして、時々、チラチラと道安さんに目くばせをしていた。ん? どうしたのかな? まるで、二人がお茶の会をやりたくないような態度に見えてしまうけど。
「おお、そういえば、控えの間に忘れ物をしてしまいました。取りに行きますゆえ、しばしお待ちくだされ」
道安さんはそう言うと、そそくさと茶室口から外に出ていった。扉が閉められたのを確認すると、北政所様は、大きく一度深呼吸をした。そして、ゆっくりと話し始める。
「実はじゃな、ウチのとと様はもう長くはないと思うのじゃよ。最近は、すぐに疲れるようになってきてしもうての」
えええーっ! なんですって! とと様って秀吉のことだよね。それって、一体どういうことーっ!? 北政所様から、いきなり国家機密級の爆弾発言がなされたのでした。
お読みいただき有難うございます。しかし、干支ってすごいですよね。壬申の乱もよく見るとサル年ですし、実際、672年は確かに1968年から12の倍数年分を遡った年だったりします。当たり前と言えば当たり前なのですが、面白いと思ってしまいました。
次話第26話は、明後日2月2日(火)の21:00頃の掲載を予定しています。引き続きよろしくお願いいたします。




