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第24話:お馬の稽古は楽じゃない!

 年が明けて、文禄五年の睦月(旧暦一月)。私ももう十三歳になった。現代では、まだまだ子ども扱いされる年齢だけれど、この時代ではもう大人の一員と見られ始めている。実際、同い年の女の子で、もう赤ちゃんを産んでいる人もちらほらといるぐらいだ。


 実は私の身長もすくすくと成長しており、普通の女の人と比べてみても、すでに背の高さは追い越している。胸の膨らみも、それなりに大きくなっていたりする。私の身体は、どうやら早熟タイプだったみたいだ。でも、まだ秀忠くんには()()()扱われているのだけど。


 まあ、そろそろいいよねとは思っているのだけど、なかなか恥ずかしくて自分からは言い出せない。秀忠くんへの気持ちは、色々と日記に書き募っていたりするのだけど……。


 でも、改めて自分の日記を読み返してみると、妙に自分に酔っているのが分かり、本当に恥ずかしくなってしまう。私が顔を赤らめていると、民部卿の局ことお梅さんが部屋の中にやってきた。


「お柚の方様。越中少将様の奥方様から文が届いておりますよ」


 彼女はそう言うと、私に手紙を手渡してくれた。手紙の差出人は、前田家の嫡男・利長さんの正室の永姫様。彼女は、私の父上、織田信雄さんの年の離れた妹で、私の叔母さんにあたる人でもある。でも、永姫様はまだ二十三歳。おばさん扱いすると怒られてしまうのだ。


 私は永姫さんからの手紙を開く。相変わらずの達筆だが、今の私はもうスラスラと読めてしまう。


「えっと、永姫様はどうしたのかな……。おお、今度千道安(せんのどうあん)さんが前田家のお屋敷に来るのかあ。お、それで一緒にお茶の会をしましょうだって! やったあ。それは、ぜひともご一緒したい!」


 千道安さんとは、かの有名な千利休の嫡男にあたる方。千利休が秀吉の怒りを買って切腹させられた後、しばらくは道安さんも飛騨の国で謹慎をしていた。だが、一年ほど前に赦されてからは上方に戻ってきて、千家の家督を継いでいる。


 道安さんは、茶道に関しては父親譲りの超天才との評判だ。もう五十歳ぐらいのオジサンなんだけど、茶道を志す人の間ではアイドル的な人気を誇っている。


 一度、私も道安さんが点てたお茶が飲んでみたかったし、茶席での所作についてご指導も受けてみたかったんだ。ふっふっふっ、ふーん。


「お柚の方様。鼻歌は、奥方様としてはしたないですよ」


 お梅さんに注意をされてしまった。はい、すいません。ちょっと嬉しかったんで。


 私は、最近茶道にはまっているんだ。ふふふ、この徳川屋敷でも、三日に一度はお茶の会を楽しんでいるぐらい。茶道具もせっせと買いそろえていたりする。


 私が、道安さんとのお茶会のことを考えていた時だ。


 ガラリッ!


 勢いよく私の部屋の襖が開いた。


「お(ゆず)、これからお庭で馬に乗るぞ。すぐに支度するのじゃ!」


 部屋に入ってきたのは、家康の側室のお(かじ)の方様だった。お梶の方様は、まだ十九歳。伏見のお屋敷にいる家康の側室の中では一番私と年齢が近いので、自然と仲良くなったのだ。


「えっ? お梶様、今からでございますか?」

「そうじゃ。昨日、お柚が馬に乗ってみたいと言うたではないか。早うしなさい!」


 えっ? いや、確かに昨日、お梶の方様とお話しした時に、「馬に乗るのは、すごく楽しそうですね」とは言ったけど、自分が乗るなんてことは考えていなかった。でも、お梶の方様にそんな言い訳はとても通用しなさそうだ。


 私は、小袖の上から、ズボン型の袴をはくと、お梶の方様に連れられてお庭に向かった。


 お庭では、綺麗な毛並みの栗毛の馬が一頭、柱に繋がれていた。えっ? これに乗るの? 結構、大きくない?


「お梶様、あちらのお馬に乗るのですか? とても大きく見えるのですが……」

「お柚。ああ見えて、あの馬はものすごく大人しいのじゃ。さあ、遠慮せずに、早う乗りなさい」

「しかし、お梶様、私はお馬に乗るのが初めてなのです。どのように乗ればいいのか、全くわかりません」


 私がそう言うと、お梶の方様はため息をついた。


「はぁーっ。それで戦場(いくさば)に行きたいなど、片腹いたいのう。そんな様では、いざというとき若様を守れませぬぞ」


 お梶の方様は、真面目な顔で私のことをまっすぐに見ている。いや、前に阿茶局様にそう言ったけど、あの時は叱られちゃったし。


「えっ、いや、私は戦場に行くつもりは――」

「何を言うのじゃ。お阿茶様から聞いたぞ。お柚が、若様と共に戦場に行きたがっていると。ほれっ、早うするのじゃ。戦場には、輿も無ければ、駕籠も無いぞ。雑兵と一緒に歩くのがいやならば、馬に乗るしかないのじゃ!」


 お梶の方様は、私の言うことを全く聞いてくれなかった。


 いえ、私は戦場に行くのはあきらめたのです。それに、お輿入れの後にも、秀忠くんに「ワシは小姫殿を戦場には絶対に連れて行かぬぞ。小姫殿が一緒では、心配で心配で戦をすることができぬからな」とクギを刺されてしまっている。


 うーん……。まあ、それでも馬に乗ってみるぐらいなら、私にもできるかもしれない。これも一つの人生経験かも。


 私はそう思い、お梶の方様とお梅さんに支えられながら、何とか馬に跨ってみた。でも……


「あ、あのぉ、お梶様。お馬の上は、思っていた以上に高いです。す、少し怖いのですけれども。そ、それに揺れております」


 情けないところを見せてしまうことになった。実は私は、生まれ変わる前は自転車に乗れなかったのだ。馬と自転車は、乗り物としての性質は違うのかもしれない。だけど、馬に跨った瞬間に、幼稚園児のときに公園で自転車の練習をして、うまくいかなったときのことを思い出してしまった。


 ブルルルルルゥーッ


「ひぃっ!?」


 突然、前の方から空気が大量に漏れるような音がした。私が跨っている鞍も大きく上下に揺れた。私は怯えて変な声を出してしまう。


「お柚。一体どうしたのじゃ」

「へ、今、変な音が。それに揺れて……」

「馬が息をしただけじゃ。ほれっ、手綱をしっかりと持ちなさい」


 今の馬の呼吸だったの? 何かすごい音がしたんだけど。すごく怖い。


 ああ、自分の心臓がドキドキと大きな音を立てているのが分かる。膝がガクガクと震えだしている。


 あ、やばい。これは無理だ。早く降りたい。でも、落ちたくはない。


「お柚。手綱を持ったな。そうそう。それでは、私が引っ張ってやるから」

「お梶様。無理です。無理です。もう、降りたいです」


 私は手綱をぎゅっと握りしめたまま、震える声でお梶の方様に訴えた。


「そんな弱音を吐いては、お馬にも笑われるぞ。ほれっ、絶対に手綱から手を離すではないぞ。馬から落ちたら死ぬるかもしれんからな。では、これより庭を一周する。ほれっ、もっと肩の力を抜きなさい!」


 そうは言われても、私は、馬の上で硬直したままだ。手綱を握りしめる両手に汗がにじむ。やがて、馬が歩き出す。カッポ、カッポと馬が歩むたびに、私の体は大きく左右に揺れる。


「お梶様。落ちます。落ちます。やっぱりダメです」

「何を言うとるのじゃ。ゆっくりと歩いてるだけではないか。ほれっ、もっと背筋を伸ばすのじゃ」


 お梶の方様は、こちらを振り向きながら、厳しい口調でそう言った。まるで女子高の運動部のスパルタ教師みたいだった。


「無理ですぅ……ひぃっ!」


 私を乗せ、お梶の方様が牽く栗毛の馬は、庭をゆっくりと回る。馬の背が大きく揺れる度に、私は情けない悲鳴を出してしまった。


「ほれっ。これで終わりじゃ」

「は、早く、お、降りますぅ。きゃっ」


 自分の心の限界を超えてしまったのではないかと思ったそのとき、ようやく馬は元居た場所に戻って来てくれた。


 私はすぐに馬から降りたかったけど、体が震えてしまいなかなか降りることができない。私は、お梶の方様や、お梅さん、それに若い侍女さん達に助けられて、なんとか馬から降りることができたのだ。


「お柚、よう見ておくのじゃ。私が手本を見せてやるぞ」


 お梶の方様はそう言うと、ひらりと馬に飛び乗られた。彼女は馬を巧みに操り、軽やかなステップで庭をグルグルと何周も回った。


 ああ、あんな風に乗れたら気持ちいいだろうな。でも、私には絶対無理だ。真似してみようとも思えない。


 馬から降りると、お梶の方様が気分よさそうに私の傍にやって来る。


「お疲れさまでございました。私は、とてもお梶様のようにはできません」


 私は、少し肩をすくめながらそう言った。我ながら情けない。お梶の方様は、憐れんだような表情で私の顔を見る。


「まあ、お柚は、馬はやめておいた方が良いかもしれぬな」

「だから、最初から無理と申しましたのに」

「はははは、それは申しわけなかった」


 お梶の方様は明るく笑いだした。いや、笑い事ではないですから。さっきは本当に死ぬかと思いましたよ。


「しかし、お梶様は、お馬に乗るのが上手ですね」

「子供の頃から、葛西(かさい)のお城で馬に乗っておったからな」

「へえ、『かさい』ですか……」


 ふーん、『かさい』って地名は、初めて聞くなあ……。


 ん? いや違う。どこかで以前に聞いたことがあるような気がする。……あっ、そうだ。東京で大きな水族館と観覧車があるところだ! ディズニーランドのすぐ傍。そうそう、小学生の時、東京に遊びに行ったときに親戚の叔父さんに連れられて行ったところだよ。


「あの、お梶様は、江戸に住んでおられたのですか?」

「ああ、葛西は、江戸から東にすぐの鄙びた漁村じゃよ。まあ、父上は、葛西の城主だったのじゃが、江戸の城代も務めておったがな」


 お梶の方様は、私に生い立ちを教えてくれた。お梶の方様のご実家は、遠山家で代々北条氏の家臣で。江戸城の城代を務めていた。秀吉の小田原征伐の直前に、お梶の方様のお父さんは亡くなられた後は色々と大変だったらしいが、十四歳のときに家康に見いだされ側室になったとのことだった。


「ご苦労をされたのですね」

「いや、私の重ねた苦労など、他の方々に比べたら苦労のうちに入らぬわ。私は、お屋形様にかわいがってもらえたからの」


 お梶の方様は、明るい笑顔で微笑んだ。そうおっしゃいますが、相当にご苦労されてきたことは分かりますよ。


「しかし、お柚は馬に乗れないとなると、戦場に行くのは叶わぬな」

「ええ、最初からあきらめております。私には戦場は不向きとわかっております」

「ほう、そうか。私は、お屋形様が御出陣されるときは、ご一緒するつもりじゃがな」

「えっ? そうなのですか?」


 思わず聞き返してしまった。確かに、家康の側室筆頭格の阿茶局様は、過去に何度も家康と一緒に戦に出かけている。でも、他の側室の方々は、戦場に行くことなんてなかったはずだ。


「ああ、お阿茶様は、もう四十を過ぎて戦場に行くのがおツラくなったのじゃろうな。次の戦は、私がおともにするようにとおおせになった」

「そうですか。でも、お梶様は、怖くは無いのですか? 戦場では敵も味方も大勢の人が死にますから」


 私は、お輿入れの二日目に阿茶局様に言われたことを思い出して、そう言った。私は、人が死ぬと考えるだけで、思わず体が震えてしまうのだ。


「はははは。私も武士の娘じゃ。いつでも死ぬ覚悟はできている。それに人が死ぬのは、太閤様が関八州に攻めてきたときに、見慣れてしもうたからな」


 お梶の方様は、明るく笑いながら、そう言った。表情だけだと、こんな重い内容のことを話しているようには見えなかった。でも、きっと彼女は悲惨な経験をしてきたのだろう。そのうえで、戦場についていくと決意しているのだ。


「お梶様。お気を付けて。ご無事でいてください」


 私は、お梶の方様の目を見てそう言った。


「ははは、お柚は優しいのう。でも、実際には戦に行くことなど無いかもしれないけどな。天下は泰平となり、明国とも和睦ができた。お屋形様が御出馬するような大きな戦など、もうしばらくの間は、起こらないじゃろうなあ」


 いえ、お梶の方様。油断してはいけませんよ。だって、西暦1600年には、関ケ原の戦いがあるのですから。


 関ケ原の戦いの年号だけは、キリがいいので私の記憶にしっかりと残っている。今の文禄五年が西暦で何年なのかはよくわかっていないけど、でも、関ケ原がそんなに遠くない先に起こることは、間違いないと思う。


 でも、さすがにそんなことをお梶の方様に言うわけにもいかない。


「ええ、そうですね。この泰平の世がずっと続くといいですねえ」


 私は、微笑みを浮かべながら、当たり障りのないことを言った。お梶の方様がこれからも無事でありますように、と願いながら。


お読みいただき有難うございます。また、皆様からのご感想・ブクマ・ご評価・誤字報告、大変ありがたく思っています。しばらくは二日に一度の更新ペースを守ろうと思っております。


さて、次話第25話は、明後日1月31日(日)21:00過ぎの投稿を予定しております。引き続きよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お梶の方が、馬を引っ張ってあげるのは、日本馬は去勢もしてないから気が荒く、当時の常識を守っていると思います。 [気になる点] しかし、日本馬は、ポニー程度の大きさで、そんなに高い乗馬高では…
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