第23話:秀忠くんの誓い
今は文禄四年の師走(旧暦十二月)。私が徳川家に輿入れしてから、はや一年と二か月。今は、年の瀬と言うこともあり、何かと慌ただしい。
「ねえ民部。年賀の挨拶用に、こちらの打掛と似たような感じの物をあつらえたいんだけど」
私が呼んだ『民部』とは、実はお梅さんのこと。私が輿入れしてからは、彼女は民部卿の局と呼ばれている。すごくカッコいい名前だよね。この名前の発案者は、淀の方様。あちらには大蔵卿の局さんがいるからね。
ちなみに、淀の方様とお拾い様は、先月に大坂城から伏見城へ引越してきたので、今も仲良くしてもらっている。
「お柚の方様、かしこまりました。ちょうど、午の刻に雁金屋がこの屋敷にまいりますので、急ぎ反物を持ってくるように指図いたします」
雁金屋さんは、京都の高級呉服屋さんだ。ここの店主さんは、もともと浅井長政さんの家来だった人で、淀の方様が私に紹介してくれたのだ。この伏見にも支店を出していて、頻繁にこの屋敷にも出入りをしている。雁金屋さんが作る反物のデザインは、ものすごく洗練されていて、独自のセンスに溢れているんだ!
「ああ、あと、この文をお江与の方様に届けてくれる。先日いただいた帯のお礼状なの。お江与の方様の選ばれるものには、本当に間違いがないわね」
お江与の方とは、江姫様のこと。私の兄上の織田秀雄くんのところにお輿入れしてからは、そう名乗られている。
「畏まりました。中間の誰かに持って行かせることと致しましょう」
民部卿の局ことお梅さんは、私から書状を受け取ると、襖を開けて私の部屋から出て行った。
襖が開くと、外のザワついた空気が少し部屋の中に入って来た。最近は、伏見の町もずいぶんとにぎやかになっている。秀吉と北政所様が伏見に引っ越して以来、この町には大名やその家臣、それに大勢の町人が集まってきているのだ。
伏見のお城も完成が近づいている。小高い丘の上に築かれた壮麗な天守閣やその周囲にいくつも作られた大きな櫓には、すでに立派な瓦がふかれ、壁には真っ白な漆喰も塗られている。
城内の建物の調度品は、今も京都を始めとする全国各地から次々と運ばれてきている。でも、実は、今運ばれているものの多くは、廃棄されたばかりの聚楽第から持ってきたものなのだ。
それは、今年の文月(旧暦七月)に起きた大変な事件が関わっている。なんと、関白だった豊臣秀次さんに、秀吉への謀反の疑いがかけられたのだ。
すぐに秀次さんは、秀吉に釈明するため伏見にやって来た。だけど、秀吉は会おうとはしなかった。それで秀次さんは高野山で出家をしたのだけれど、それでも許されることはなかった。結局、事件が発覚してから半月ほどで、秀次さんは切腹をすることになった。
翌月には、秀次さんの家族は、小さな子供も含めて京都の三条河原で処刑されてしまった。その有様は余りに酷いものだったらしい。その処刑場での様子を人から伝え聞いたとき、私は思わず気を失いそうになってしまったほどだ。
でも、秀吉の怒りは、それでも収まらなかった。秀次さんが住んでいた聚楽第の廃棄を命じたのだ。直ちに建物は完全に取り壊され、周囲のお堀もすでに埋められてしまっているらしい。
「はぁーっ、本当にひどい話……。別に、女の人とか子供は殺さなくてもいいじゃないの……」
私は、ため息とともに小声で独り言を呟いてしまう。以前、私の父上の信雄さんは、秀吉の目に鬼が宿るときがあると言っていた。きっと、その恐ろしい鬼が、今度は甥の秀次さんと彼の家族に襲い掛かってしまったのだろう。
秀次さんの周りの人にも少なからぬ影響があった。小早川家に養子に行った秀俊くんは、秀次さんと仲がよかったこともあり、秀吉の理不尽な怒りを買ってしまった。それで丹波亀山のお城と領地を没収されてしまったのだ。
ただ、彼の養父である小早川隆景さんがすぐに隠居をしたので、秀俊くんは小早川家の家督を継いで、今は筑前国にある名島というお城の城主となっている。
他にも浅野幸長くんが能登に流罪になったり、彼のお父さんの浅野長政さんも謹慎させられたり、多くの人が秀次さんに連座する形となっている。おそらく、ほぼ全員が秀次さんの謀反とはまったく関係ない人たちだ。いや、秀次さん自身も、本当に謀反しようとしたかどうかも疑わしいと言われている。
心優しき秀吉は、一体どこに行ってしまったのだろうか。なんで、こんなに理不尽な世の中になってしまったのだろう。
はぁーっ……。本当に気が重いなあ。私が大きなため息をつくのと同時に、すーっと襖が開いた。部屋の中に入って来たのは、私の旦那さまの秀忠くんだ。
「小姫殿、お待たせしたな」
実は秀忠くんは、今はここ伏見屋敷で暮らしているのだ。
秀次さんの謀反が発覚した直後に、秀吉は全国の大名とその嫡男に、すぐに伏見に集まるように命じた。みんな、すごく困っていたようだけど、天下人の秀吉の命令には逆らえない。慌てて、伏見に集まってきて、それ以来この町で暮らすようになっている。
まあ、秀吉の命令はメチャクチャだったと思うけど、こうして秀忠くんと一緒に暮らせるようになったことは嬉しく思う。
秀忠くんは、昼間でもちょっとした時間を見つけては、私の部屋にこうして会いに来てくれる。夜も基本的に秀忠くんの御寝所で枕を並べて、二人で仲良く眠っている。まあ、まだ、赤ちゃんができるような行為はしていないのだけど。
「おお、どうしたのじゃ。浮かぬ顔などして。何か悩み事でもあるのか?」
「いえ、大丈夫でございます。ただ、今年は色々なことがあったと思い、思案に暮れておりました」
私は微笑みながら、秀忠くんにそう答えた。
「そうじゃな。まあ、悪いことばかりではなかったが、秀次殿の一件はなかなか大変じゃった。特に、最上の駒姫は、ワシも父上も救おうと力を尽くしてみたのじゃが、あと一歩のところで叶わんかったわ」
秀忠くんは、悔しそうな表情でそう言った。
「駒姫様は残念でした……」
駒姫さんは、出羽の大名、最上義光さんの娘さん。東国一の美少女と評判で、十五歳になったときに秀次さんが側室に召し上げたのだ。
でも、山形から駒姫さんが来たその直後、まだ聚楽第にも入らないうちに、秀次さんは切腹させられてしまう。そして、まだ秀次さんと顔を合わせたことも無かった駒姫さんも、他の側室さんと一緒に三条河原で処刑されてしまったのだ。
実は処刑の直前に、駒姫さんが助命されることが急遽決まったらしい。でも、その報せが三条河原に届く前に駒姫さんの刑は執行されてしまったのだ。
駒姫さんのことを考えると、とても憂鬱な気持ちになる。そんなひどいことが、理不尽なことがあっていいはずがないのに……。
そう、やっぱり、今のこの世は間違っている。こんな理不尽で間違った世は、誰かが正さなければいけない。そして、今、私の目の前には、将来この世を正すことができる人がいる。
「……秀忠様。一つだけお願いがございます」
「ん、小姫殿。なんじゃ?」
「もし、秀忠様が天下人となられた折には、罪なき者が殺されることがないような、そんな世にしてください」
私は、秀忠くんの顔をはっきり見て、そうお願いした。私の両目には涙が浮かんでいたかもしれない。駒姫さんのことを思うと。いつも泣きそうになってしまう。
「小姫殿、突然どうしたのじゃ? ワシが天下人になど、成るはずがないではないか」
秀忠くんは、驚いた顔をして私の顔をじっと見た。
「小姫殿も分かっておろう。父上もワシも、太閤殿下をお支えする臣下なのじゃぞ。しかも、ワシはお拾い様をお支えすることを、熊野誓紙にも誓うておる。ワシに二心はないぞ」
秀忠くんは真面目な顔をして、私を教え諭すような口調でそう言った。ああ、そうだよね。秀忠くんが未来の将軍様であることは、秀忠くん自身も知らないんだった。
「ああ、秀忠様、申し訳ありません。私は、天下人ではなく、お屋形様の跡を継ぎ、関八州を治めることとなったときと申すつもりでした」
「おお、そうか。天下人などと言うから、胸がドキリとしたわ。わはははっ」
秀忠くんは、明るく笑い飛ばしてくれた。やっぱりこの人は心が広い人だ。
「うむ。小姫殿。分かったぞ。罪なき者の命を救うのが、政を行う者の仕事の第一じゃ。今、ここでお主に誓おう。ワシが父上の跡を継ぎ関八州を治めるときには、罪なき者が命を奪われぬ、そんな泰平の土地にするとな」
秀忠くんはきっぱりとそう言ってくれた。ああ、良かった。その言葉を聞き、私の両目からは涙がこぼれ落ちる。必死にこらえようとしても、止めることはできなかった。
「おお、どうした。小姫殿。なぜ、泣いておるのじゃ。ワシは、何か間違ったことでも申したか?」
「いえ、そうではないです。ただ、ただ、秀忠様のお気持ちが嬉しくて……」
そのまま泣き続ける私の傍に、秀忠くんは来てくれた。そして私を優しく抱きしめて、労わるように背中を撫でてくれる。秀忠くんは、優しい人。でも、それだけじゃなくて、強い信念を持った人だ。そして、この間違った世の中を正しい方向に変えてくれる人だ。
私は、この強く優しい人のために、全ての力を尽くすのだと、心に誓ったのだった。
本作をいつもお読みいただき有難うございます。連載開始から本日まで毎日更新を続けてきましたが、ストックの原稿がかなり少なくなってきております。
作品の質を少しでも維持したいと思っておりますので、次話より更新頻度を二日に一話とする予定です。皆様を少しお待たせすることになり大変恐縮ですが、なにとぞご容赦ください。
次話第24話は、1月29日(金)21:00過ぎを予定しています。引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。




