第22話:家康・阿茶局様とのご対面
徳川家の伏見屋敷にお輿入れしてから二日目。旦那さまの秀忠くんと朝のハグを交わした後、私は自分の部屋に戻っている。
お梅さんに手伝ってもらって、長襦袢を新しいものに替えその上から小袖を着る。
着替え終えたころに、若い侍女さんが朝ごはんのお膳を二つ運んできてくれた。最初のお膳には、大きめのアジの干物とハマグリのすまし汁が乗っており、次のお膳には、鶏と野菜の煮物、ワカメの味噌汁、そして玄米のご飯が乗っていた。
「ふーん、玄米なんだ。徳川家は健康第一なんだな。いいことじゃない。いただきます」
生まれ変わる前は長い間病気と闘っていたので、健康の有難さは身に染みて分かっているつもりだ。私は有難く朝ごはんをいただいた。
部屋で、お梅さんや若い侍女さん達と一緒に、引っ越しの荷物の整理。金銀蒔絵細工の豪華な嫁入り道具は、後で大広間に持っていく。そこに、きちんと並べて飾ることになっているのだ。でも、すごく綺麗なのに、数日したら仕舞ってしまい、もう使うことはないらしい。もったいない話だよね。
秀忠くんのお手紙が入った文箱は、床の間の横の棚の中に大切にしまった。これは私の大事な宝物だからね。
秀吉から貰った地球儀は、床の間に飾ることにしよう。私は、箱からグロボを取り出すと、床の間の掛け軸の下に恭しく置いた。うん、これでよし。
皆で力を合わせテキパキと整理していると、大姥局様がお迎えに来てくれた。
「お柚の方様、これよりお屋形様との対面の儀と相成りまする。ご支度くださいませ」
「分かりました。すぐに支度をします」
お屋形様とは、徳川家中での家康の呼び名だ。いよいよ、そのときが来たね。
私は、赤地に金銀の糸で何重にも刺繍が施された西陣織の打掛に袖を通す。この婚礼用に新しくあつらえた少し豪華な着物なのだ。そして、お梅さんに髪に簪と髪飾りを髪につけてもらい、白粉と口紅も丁寧に直してもらう。よし、これで準備完了だ!
私は、大姥局様に案内されて、伏見屋敷の一番奥にある家康の居室に向かう。私たちの後ろには、荷物を持ったお梅さんと若い侍女さん達が続いている。この荷物は、家康への引き出物なんだ。
「お屋形様、お柚の方様をお連れ致しました」
「うむ、苦しゅうない。中に入れ」
部屋の上座にあたる席には、威圧感のある五十代半ばの太ったオジサンが、あぐらをかいて座っていた。徳川家康だ。こんなに近くで見るのは初めてだよ。
家康の傍に四十歳ぐらいの豪華な小袖を着た女性が座っている。目元は涼し気で、背筋がすっと伸びていて、いかにもしっかり者といった感じの人だ。これが家康の側室の阿茶局様だろう。この屋敷で家康の正妻代わりを務めている方だ。
「お屋形様。お柚でございます。お初にお目にかかり光栄でございます。昨夜より徳川家にてご厄介になっておりまする。ふつつか者ではございますが、末永くお付き合いのほど、何卒よろしくお願いいたします」
よし、噛まずに挨拶を言えたぞ。「ふつつか」って言いにくい言葉だよね。
「うむ、お柚は、十一と聞いておったが、随分と大きいのであるな。それにさすが織田の血筋の姫君じゃ。これはまた、眩いばかりの別嬪よのう」
家康は、微笑みながら私のことを褒めてくれた。うん、褒められるのは嬉しいけど、持ち上げられ過ぎだよね。
「かたじけなく存じます。しかし、本日は、私めが美しき花嫁衣裳を着ているからでございます。いわば『馬子にも衣裳』。明日、お会いした時には、大したことはないと思われるかもしれませぬが、なにとぞご容赦くださいませ」
ふふふ、ことわざと故事成語は得意なのです。
「ふははは、これはまた謙虚であるな。ふむ、太閤殿下ご自慢の才女との評判に違わぬのう」
「いえいえ、もったいないお言葉でございます」
初対面だからね、謙虚、謙虚。謙虚に振舞うのが大事。家康も朗らかに微笑んでいる。でも、なんだろう。この人、目の奥が笑ってないような感じがするんだよね。
「秀忠もそなたに心底から惚れ抜いておるようじゃからのう。まあ、昨夜は上手くいかなんだらしいがな。わははは」
「い、いえ、秀忠様は大変素晴らしきお方でございます。昨夜も私のことを大切に扱っていただきました」
昨日のことは秀忠くんの優しさから出た嘘だから、秀忠くんのことを悪く言わないで欲しいなあ。
「わははは。お柚は、心優しき女子なのじゃな。ときに、朝餉はもう食されたか?」
「はい、さきほど、自分の部屋でいただきました。大変美味しゅうございました」
「そうか。当家では質実剛健に努めておるゆえ、太閤殿下のお屋敷と比べると物足りのう思うたのではないか?」
「いえいえ、毎日ご馳走ばかりでは、かえって体に悪くなります。このお屋敷のお料理は、釣り合いの取れた素晴らしきものと思います」
うん、本当に栄養バランスが取れているのが健康には一番なんですよ。
「ほう、そうか。釣り合いのう。お柚は、なかなか面白きことを申されるな。阿茶。そなたからも何か言葉はないか」
「いえ、私のような者からは、織田家の姫君にして、豊臣家のご養女であられるお柚の方様にお言葉なぞ、恐れ多いことでございます」
阿茶局様は、恐縮した様子だった。でも、この阿茶局さんは重要人物なのだ。秀忠君のお母さんの西郷局さんが亡くなった後は、秀忠くんと弟の松平忠吉くんの母親代わりを担っている。すごく頭のいい人で、家康から徳川家のプライベートな仕事も任せられている。
でも、阿茶局様は賢いだけの人ではない。勇敢な人で、家康が出陣するときには、戦場に一緒に付いていくこともあるらしいのだ。この時代、女性でも戦場に行くことがあるんだね。知らなかった。
ともあれ、阿茶局様は「徳川家・敵に回しちゃいけない人リスト」の最上位に位置される人だ。絶対に嫌われてはいけない。
「いえいえ、とんでもございません。阿茶局様の、ご叡智と、勇敢で慈愛に満ちたお心のお話は、多くの方から伺っております。ましてや、我が夫、秀忠様のお母上代わりでもあらせられる方。もし許されれば、私も母上としてお慕い致したいと思っております」
そう言うと、私は阿茶局様に深々と頭を下げた。私は、あなたの敵じゃないよー。逆らわないから、仲間に入れてー。まさにそんな気持ちだった。
「あら、お柚の方様は、ほんに謙虚に振舞われますな。さすが、太閤殿下のお気に入りとのご評判のお方じゃな」
阿茶局様は優しく微笑んでおられるけど、やっぱり目が笑っていない。よく聞くと、言葉にも少しトゲがある。うーん、そんなに嫌わないでよ。私も徳川さんになったんだから。味方だよ。
「いえ。謙虚なぞとんでもございません。私は、私の思ったところをそのままに申しているだけでございます」
「あら、そうでございますか」
うーん、なんか今一つ言葉が届いていない感じがする。どうしようかな。そうだ。戦場に行く話をすれば共感してくれるかも。
「阿茶局様は、お屋形様と一緒に戦場に行かれたと聞きました。私も、しっかりと鍛錬して秀忠様と一緒に戦場に行ってみたいものです」
私は微笑みながら阿茶局様にそう言った。だが、彼女の表情は急に厳しいものに変わった。
「お柚の方様は、目の前で大勢の人が死ぬのを見て、耐えられるのでございますか?」
阿茶局様は冷たい口調で私にそう訊ねてきた。
「えっ、あの。その……」
唐突に厳しいことを聞かれて、すぐに答えられない。人が死ぬ? いや、それは絶対にイヤだ。もう、死ぬのはイヤだ。あんな真っ暗い闇に包まれて、寂しい思いをするのは二度とゴメンだ。自分が死ぬのも、人が死ぬのも私はイヤなんだ。
「お袖の方様はご存じないかもしれませぬが、戦場では敵も味方も大勢、死にまする。もちろん、己自身の命を失うかもしれませぬ。けっして物見遊山の気持ちで行くところではござりません」
阿茶局様は、きっぱりとそう言った。ああ、そうなのか。阿茶局様は、しっかりと覚悟を決めて家康と共に戦場に行ったんだ。うん、私が浅はかだった。謝らなくちゃ。
「も、申し訳ございません。私は、深く道理を考えておりませんでした。私は、目の前で人が大勢死ぬのを見たくはございません。戦場に行きたいとは、大変、浅はかな考えでございました」
私は、両手をついて阿茶局様に謝罪をした。
「ああ、お柚の方様。私は別に怒っているわけではありませぬゆえ、頭をお上げ下さい。ただ、戦場の厳しさを知って欲しいと思って申したまでのこと。大変、ご無礼つかまつりました」
「いえ、大事なことを教えていただきました。大変有難うございます」
私は、さらに何度も頭を下げた。
「まあ、いかが致しましょう。そのように頭を下げずとも本当に良いのですよ」
「しかし、深く考えずに浅はかなことを口してしまったと思っておりますし、そのことをご指摘いただいたことに感謝もしております」
「お柚の方様は、聞いておりましたのとは違い、随分と素直なお方なのでございますねえ」
「えっ? 聞いておられたのと違う、のですか?」
え、私ってどんな風に言われているのだろう?
「ええ、世間では、豊臣家の小姫様と言えば、子供ながらに一休禅師のような知恵者で、太閤殿下の無理難題も、いとも容易くあしらわれ、それでも殿下からはいたく目を掛けられていらっしゃるとのご評判でございます。さぞや、賢しき姫君が徳川家にお嫁にいらっしゃるのかと、身構えておりました」
えっ? 一休禅師って、あの一休さんのこと? 私は、そんなトンチ小僧じゃなくて、中身は普通の女の子なんだけど。
「いえ、阿茶局様。全然違っております。むしろ、私は考え足らずに何かをしゃべってしまうことがあるので、後で大変なことになることばかりです。本当に『口は災いの門』と言う通りなのに、つい余計なことが口から出てしまって。だから、いつも反省ばかりしています」
私は飾らずに率直に話した。過大に評価されてしまっては、後で大変なことになると思うから。
「あら、あら、なんと、まあ。お柚の方様は、かわいらしい方でございましたのですね。秀忠様がお好きになられるのも、もっともなことでございますね」
阿茶局様は、私に優しく微笑んでくれた。あっ、今度は目の奥もしっかりと笑ってくれている。これで、よかったのかな?
そのときだ。上座から家康が口を開く。
「阿茶よ、そろそろよろしいか」
「ああ、お屋形様、申し訳ございません。お柚の方様とのお話が楽しゅうて、ついつい長話となってしまいました」
阿茶局様は、楽しそうに微笑みながら家康にそう答えた。どうやら、阿茶局様には良い印象を持ってもらったようだ。
「お柚よ。すっかりと阿茶とも打ち解けたようじゃな。阿茶はなかなか怖い女子での、この屋敷では随分と恐れられておる。うまく手なずけたものであるな」
家康は、人の好さそうな微笑みを浮かべながらそう言った。だが、相変わらず目の奥が笑っていない。秀忠くんとは違って、難しそうな人だ。
「いえ、手なずけるなんてとんでもございません。これからは阿茶局様にはぜひ娘のようにかわいがっていただきたいと思っております」
「ほう、そうか。それは、よき心がけじゃ。感心、感心」
家康はわざとらしく大きく頷いている。まあ、私のことをどう思っているか分からないけど、取敢えず嫌われてはいないみたい。
そこに大姥局様が、大・中・小の盃とお神酒の乗った台を持って部屋に入ってきた。
「お屋形様、阿茶局様、お柚の方様。式三献の支度ができました。よろしいでしょうか?」
「うむ、姥殿、かたじけないぞ」
うっ、また、式三献か。今度は気をつけなくては。ちょっとお神酒の量を少なめにしてもらおう。
私は、家康・阿茶局様と三人で、大中小の盃に注いだお酒を飲み、私のお輿入れの儀式はつつがなく終了し、私の徳川家の嫁としての生活は無事に始まったのでした。




