第19章:祝言の儀での式三献
今日は、私の徳川家へのお輿入れの当日。これから徳川家・伏見屋敷の大広間では、小姫改めお柚の方と徳川秀忠くんとの祝言の儀が行われようとしている。
実は三年前にも、私が生まれ変わる前の小姫と秀忠くんは、聚楽第の奥御殿で祝言を上げているのだけど、それはいわば婚約式というべき仮の儀式。今日、これから行われるのが本番ということになる。
祝言の儀の参加者は、私と秀忠くんの他は、この儀式の仲介人かつ進行役である待上臈を務める大姥局さんだけだ。
もちろん、私たちを取り巻くように、秀忠くんの近習さんや侍女さんたちがわらわらいたり、お梅さんや豊臣家から連れてきた私の侍女さんたちがいるけれど、この人たちは観衆のような扱いとなっている。
「小姫殿、緊張せずともよいぞ。これは、ワシとそなたの二人のための儀式じゃからな。気楽にな」
秀忠くんが優しく声をかけてくれた。秀忠くんは、ぱりっとした裃姿でいつもの三割増しぐらいにかっこいい。見ているだけで心臓がドキドキしてしまう。
「は、はい。あ、有難うございます」
あ、声が震えてしまった。これは緊張しているせい? それとも秀忠くんにときめいているから? ああ、もうわからない。
「それでは、これより式三献を執り行いまする」
大姥局さんが良く通る声で高らかに宣言した。式三献は、こっちに来る直前に、奥御殿で秀吉・北政所様のお二人と一緒にやったやつと同じだね。さっきは、少し酔っぱらってしまったけど、今度は気をつけよう。
若い侍女さんが、朱色に塗られた高坏とよばれる台を持ってくる。その上には、大中小の三重ねされた漆塗りの盃が置かれている。まず、秀忠くんが一番上の小さな盃を両手で取る。別の侍女さんが、その盃にお神酒を三度に分けてゆっくりと注いでいく。
秀忠くんは、一口、二口と口を付け、三口目にぐいと飲み干した。うん、きっちりと礼法に沿っている。凛々しくて本当にかっこいい。さすが未来の将軍様だ。
その次は私の番。小盃を受け取ると、注がれたお神酒を、秀忠くんと同じように三口に分けてきちんと飲み干す。この小盃には、たいしてお酒が入ってないからいいんだけど、次からが大変なんだよなあ。
そして、三番目に大姥局さんが、同じように三口で飲み干す。あっ、あなたも飲むんですね。ちょっとびっくり。
次は中盃。先ほどの小盃よりも一回り大きい。これは新婦である私が先に両手で取る。小盃と同じように、注がれた神酒を三口で飲んでいく。やっぱり、ちょっと量が多くて飲むのが大変だ。でも、なんとか綺麗に飲み干すことができた。その後は、秀忠くんと大姥局さんが私に続いた。
最後は、一番下にあった大盃。これはまた秀忠くんが先に両手で取る。一口、二口、三口。それまでと変わらぬ様で、注がれたお神酒をぐいぐいと飲んでいく。おお、秀忠くんは、お酒が強いんですね。でも、普段は飲み過ぎに注意してくださいね。あなたの健康が第一ですから。
そして、いよいよ私の番だ。さっきも、この大盃を飲んだ後に、急に酔いが回ってきちゃったんだよなあ。
「小姫殿、無理をされなくてもよいのじゃぞ。これ以上飲めぬのであれば、形だけ、口を付けるだけでも構わぬぞ」
秀忠くんが優しく声を掛けてくれた。でも、これがこの家での最初の儀式なので、私はきっちりとやり遂げなくてはいけません。
「お気持ち有難うございます。ですが、私は大丈夫でございますので、ご安心くださいませ」
私は秀忠くんに優しく微笑むと、ぐい、ぐい、ぐいっと三口に分けて、大盃の中のお神酒を飲み干した。ぷはーっ、やっぱり、一気飲みは大変だ。
その後は、鯛の刺身などのお膳が出てきた。うん、なかなか美味しそうだ。朝からほとんど何も食べないので、すごくお腹がすいていたんだ。
ん? あれっ? でも、ちょっと体が熱くなってきたかも。あれ、地震かな? なんだか世界がゆっくりと揺れ始めたよ。
「小姫殿、大丈夫でござるか。少しフラリフラリとしておられるが」
あれれ、秀忠くんも左右に揺れ動いている。ど、どうしたんだろう?
「えーっ。いえ、大丈夫、大丈夫れすぅ。平気れすぅ。柚は大丈夫れすよぉ」
ん? なんか上手く舌が回っていないかも? ひょっとして、私って、今、酔っぱらってる? ううん。そんなことないよぉ。これは、緊張してるから……。あ、でもさっきよりも大きく世界が揺れている……。
ふぁーあ。あ、あれ、あくびが出ちゃう……。 だ、ダメだよ。きょ、今日は大切な一日なんだから……。ふぁぁぁぁ……。
そして、その後も次々とお膳が運ばれてきた……はずなのだが、私はその後のことをよく覚えていなかったのでした。
◇ ◇ ◇ ◇
「お柚の方様、こちらでございまする」
……ふぁあ、……えーと、今、どこにいるんだっけ? ……あっ、いけない! 今日はお輿入れの日だったよね! やばい、やばい、寝坊しちゃったかも!
「お柚の方様、大丈夫でございますか?」
え? 「おゆずのかた様」って、今の私は柚葉じゃないよ。豊臣家の小姫なんだけどなあ。んっ? ……ああっ、違うか。お輿入れは、もう終わってるんだった。そうそう、そして、徳川家ではお柚の方って名乗ると決めたんだった。
……ん? というか、この声は誰だっけ? ……あああっ、これは、本当にやばいぞ!
「大姥局様、大変失礼を致しました!」
うわーっ、大変なことになっちゃった! どうしよう。式三献が終わった辺りから記憶がまったくない……。
「どうなされましたか? まだご気分がすぐれぬのでございますか?」
大姥局様は怪訝そうな顔で私の方を見ている。手に小さな提灯を持っていてそれが下からお顔を照らしているので、かなり怖い……。
うーんと、ここは薄暗いけど、どこなんだろう? ああっ、ここは廊下だ。それに、よく見ると私の体を支えてくれているのは、私専属の侍女のお梅さんだった。お梅さんと目が合うと、彼女は少し困った顔をしながら会釈してくれた。
「お柚の方様がお辛いのであれば、もう少しお休みをされてもよろしいのですよ」
「い、いえ。大姥局様。すみません。もう大丈夫でございます」
えーと、私って記憶が無い間に何か粗相とかしてなかったかな? やばい、すごく怖いんだけど。頭の中が急にはっきりとしてきた。
「そうでございますか。ご気分がよろしゅうないのであらば、ご遠慮なくおっしゃってくださりませ」
「は、はい」
いえ、もう気分は問題ないんですけど、私がこれまで何をしていたか知りたいのですが……。しかし、そんなことを質問することなんてできるはずもなく、私は大姥局様の後ろをただついていくしかなかった。
「こちらが秀忠様の御寝所でございまする。お梅殿はこちらまででございます」
「分かりました。それでは大姥局様、小姫様、いえ、お柚の方様をなにとぞ宜しくお願いいたします」
お梅さんは頭を下げると、しずしずと廊下を去って行った。御寝所の襖の前には、私と大姥局様の二人が残された。
「秀忠様、お柚の方様がいらっしゃいました。中にお通ししてもよろしいでしょうか」
「おう、待っておったぞ。遠慮なく中に入ってくれい」
襖の向こうから秀忠くんの声がした。うん、ここは秀忠くんの寝室だよね。……ということは、次に起きることは……。
私はそこで自分が真っ白な絹の長襦袢を着て、その上にさらに白い打掛を羽織っていることに気が付いた。あれっ? 花嫁衣裳とは違うよね。いつの間にこの着物に着替えたんだっけ?
あれっ、ひょっとして、もう夜中なの? そして、そういうことをする時間になっているの? あ、やばい。覚悟は決めていたのだけれど、あまりに突然過ぎて心の準備が……。
大姥局様が襖を開けると、秀忠くんの御寝所の中にすたすたと入っていく。私も慌てて後ろをついていった。
御寝所の中央には御帳と呼ばれる天蓋のついた畳敷きのベッドのようなものが置かれていた。そして、御帳の中では、白い絹の長襦袢を着た秀忠くんがあぐらをかいて座っていたのでした。
ああ、ヤバいよ。ドキドキしてきちゃったーっ。
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次話第20話は、明日1月24日(日)21:00過ぎを予定しております。引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。