第18話:お輿入れは大変だ!
文禄三年神無月(旧暦十月)の十日。今日は、いよいよ私が徳川家にお輿入れをする日だ。
伏見城の本丸奥御殿で、私は白無垢の花嫁衣装に身を包んでいる。白粉もいつもより少し濃い目で、口紅も鮮やかな朱色に塗られている。髪には大きく派手な髪飾りと、金箔が全面に張り付けられた立派な簪が付けられている。この時代の花嫁衣装に角隠しというものがないということは、今さっき知ったところだ。
「小姫様、大変お美しゅうございます」
侍女のお梅さんが、少し上ずった声で褒めてくれた。えへへへ。嬉しいことを言ってくれるじゃないですか。
「お梅、どうも有難う。お梅にも、これまで本当にお世話になったわねえ。どれだけ感謝してもしきれないわ」
「いえ、もったいないお言葉でございます……」
お梅さんは、いつの間にか涙ぐんでいた。なにか別れの挨拶をしているようだけど、実はお梅さんはお輿入れ後も徳川家に付いてきてくれて、引き続き私の筆頭侍女を務めてくれることになっている。
「小姫様、ご支度は整われましたか」
襖越しに年配の女性から声を掛けられた。この声は、北政所様の筆頭侍女の孝蔵主様だ。普段は、孝蔵主様のような偉い方が家中の連絡役を務めることは無い。だけれども、今日は特別な日だ。
「はい、孝蔵主様。いつでも大丈夫でございます」
私は、明るく答える。襖が開き、孝蔵主様をはじめとした五名の侍女が現れた。私は、お梅さんと一緒に彼女たちの後ろをしずしずと歩いてついていく。行く先は、奥御殿の中でさらに一番奥にある場所。秀吉の居室・奥の間だ。
「太閤殿下、小姫様が参られました」
孝蔵主様がそう言うと、しばらくして襖がすっと開いた。秀吉の近習に案内され、奥の間の中に入る。ここに来るのは、地球儀を貰ったとき以来となる。
部屋の一番奥、一段上がったところで秀吉があぐらをかいている。一段降りた左側には、北政所様もいらっしゃった。うん、今日はちょっと緊張するなあ。
私は両手をついて深々と頭を下げた。
「太閤様、本日まで小姫にお目をかけていただき、誠に有難うございました。太閤様から施されたご恩は、生涯に渡り決して忘れることはございません。これからは、豊臣家より徳川家に降嫁した者として、恥ずかしくない振舞いに努めてまいります。本日はお時間をいただき、誠に有難うございました」
よし、噛まずに挨拶ができたぞ!
「小姫、苦しゅうない。面をあげよ」
秀吉に促され、私は顔を上げた。秀吉はニコニコと明るく笑っている。よかった。今日も機嫌がいいみたいだ。
「大きゅうなったな。年はいくつじゃったかな?」
「はい、十一でございます」
「十一か。まだまだ童というてもいい歳じゃなのに、輿入れは少し早かったかもしれぬな」
い、いえ、早く、秀忠くんと正式に結婚したいんですけど。私は慌てて口を開く。
「こ、これまで花嫁修業を重ねてまいりましたので」
「そうか、そうか。まあ、最近は美しゅうもなってきたからのう。ワシのところに来たときはまだ、年端も行かぬ幼子であったのに、いつの間にか生意気なことも申すようになり、そして此度は輿入れじゃ。本当に時の経つのは早いのう」
秀吉は感慨深げな様子だった。秀吉の機嫌が変わらないうちに、早く退散したいなあ。
「ところで、小姫。ワシとの約束を忘れてはならぬぞ」
「約束でございますか?」
えっと、なんのことだっけ?
「そうじゃ。茶々の部屋で言うたであろう。お主と秀忠との子を、秀頼に嫁がせるという話じゃ」
えっ? あれってその場限りの思い付きの話だと思ってたんだけど。それに私は約束した覚えはないよ。うーん、どう答えよう……。よし、決めた。
「はい。覚えております。されど、御婚儀のような大事なことにつきましては、徳川のお家の考えもございますゆえ――」
「ふん、こちらから話をすれば、家康殿が断ろうはずもないわ。小姫よ、必ずやよき女子を産むのじゃぞ。わかったか」
秀吉は私の言葉を遮ると、ちょっと乱暴な口調で命じてきた。ふん、相変わらず強引なんだから。
「はい、かしこまりました」
私は、丁寧に頭を下げてそう答えた。とは言っても、子供は天からの授かりものだからね。頑張るつもりだけど、あまり大きく期待しないで欲しいな。そう思いながら顔を上げると、秀吉は満足気な様子でうなずいていた。
一方の北政所様。彼女からはいつもの明るさは感じられない。目には涙が浮かんでいるようだった。
「小姫や、そなたがいなくなると寂しゅうなるぞ」
北政所様が優しく声を掛けてくれた。彼女の声は、少し震えている。
「はい、北政所様には、実の子供と同様にかわいがっていただいて、誠に感謝をいたしております。小姫は、今も北政所様を本当の母上様と思っております。徳川に嫁いだ後も、引き続きお親しくしていただければ、大変嬉しく思います」
私は、心を込めて別れの挨拶の言葉を告げると、手をついて丁寧にお辞儀をした。ああ、私も泣きそうな気持になってしまっている。
「もちろんじゃよ。いつでも私のところに遊びに来ていいからな。ここから徳川殿の伏見屋敷は、目と鼻の先じゃから」
「はい、有難うございます。なにとぞよろしくお願いいたします」
これ以上何か話すと泣いてしまうだろう。北政所様、本当に有難うございます。あなたと一緒に暮らせて本当に幸せでした。
「太閤殿下、北政所様、小姫様。式三献の支度が整いました」
孝蔵主様の凛とした声が聞こえた。これから、お別れの儀式が始まるのだ。
私は、秀吉、北政所の二人と大・中・小三つの盃をそれぞれ三回ずつ計九回酌み交わした。少し酔いが回りかけたところで、私の豊臣家での最後の儀式は無事終了したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、今は夕暮れ時。奥御殿の入り口には、屋根がついた漆塗りの立派な輿が準備されている。いまからこれに乗って、徳川家の伏見屋敷に嫁ぐのだ。ふーっ、なんかと酔いが覚めてよかった。
「それでは、失礼を致します。」
私は、丁寧に一礼して輿に乗り込むと、四方の簾をゆっくりと下ろした。別に私個人としては、簾を上げたままの方が気持ちが良くていいのだけれど、それがお作法なのだ。
簾が降りるのを合図に、輿が持ち上げられる。なんと十二人という大勢の武士の方々が、輿の持ち役を務めているのだ。私一人のために恐縮です。
伏見城の奥御殿の入り口から同じ伏見にある徳川屋敷までは、私の体感で小一時間ほどだった。私を乗せた輿はゆっくり進んでいたから、多分普通に歩けば三十分もかからないぐらいの距離なのだろう。
私の後ろには、お梅さんを初めとする侍女さん達が乗った輿や駕籠、私の婚礼道具やお土産の品を担ぐ人たちで長い行列になっているはずだ。余りに大げさすぎて、とても自分の結婚のことだとは思えない。
徳川屋敷の門の前に、松明が赤々と点されているのが、簾を通してもわかる。門の中に入ったところで、私の乗った輿が立ち止まった。簾のすそを少し持ち上げて外の様子を覗いてみると、豊臣家の代表のお侍さんが徳川家の代表の方に、立派な口上と共に大きな桶を渡していた。
「本日は誠におめでとうござりまする。これが豊臣家よりの小姫様・ご婚礼の御品々でございます。何卒よろしゅうお受け取りくだされ」
「うむ、確かに謹んでお受け取り申しました。本日は誠におめでとうござりまする」
あの大きな桶は、貝覆い用のハマグリが入っている貝桶だ。実は、これが一連の婚礼道具の代表として扱われているのだ。私のお気に入りの遊び道具が、豪華な婚礼道具の品々の代表だなんて、なんだか不思議な気がするな。
貝桶の引き渡しが終わると、輿は私を乗せたまま庭の方に移動する。いつの間にか輿の担ぎ手は、豊臣家の家臣から徳川家の家臣に変わっていた。私を乗せた輿は、そのまま座敷まで運ばれていく。
ズシン!
そして、輿が座敷に降ろされた。えっと、これで私は外に出てもいいんだよね。私は簾を上げて、輿からゆっくりと外に出た。
「小姫様、ようこそ徳川家へいらっしゃいました。お疲れではございませんでしたか」
七十歳ぐらいの年老いた侍女さんが私に話しかけてくれた。このお婆さんが私の輿入れの儀で、待上臈というお仲人さんのような役割を担ってくれる方だろう。
「大姥局様。お気遣い有難うございます。すぐでございましたので、大丈夫でございます」
私は両手をついて恭しく頭を下げた。うん、大丈夫。ちょっと緊張したけど、完璧にできたぞ。
実はこのお婆さんは、徳川家では最重要人物の一人なのだ。気をつけて接するように、北政所様からも孝蔵主様からも事前に何度も言われている。
この大姥局さんという方は、秀忠くんの乳母役を務められた方だ。元は駿河の今川家に仕えていた人で、実は、家康が幼少時に今川家に人質に取られていた時には、そのお世話係をしていた人でもあるらしい。そんなこともあり、今の徳川家では絶対に逆らっていけない人の一人とされている。
「そうでございますか。それでは、これより祝言の儀までの間、暫しお休みくださいませ。お控えの間にご案内いたしまするゆえ、こちらにいらしてくだされ」
私は大姥局さんの後ろをおとなしくついていく。どうか「徳川家・敵に回しちゃいけないリスト」筆頭のこの人に気に入られますように。私は強くそう願っていた。
お控えの間に入っても、大姥局さんは私の傍から離れてくれない。この人がいると緊張して休憩にならないけど、でも、「あっちに行ってくれ」とはとても言えない。
「小姫様。あなた様の当家におけるお呼び名はいかがいたしましょうか?」
大姥局さんがそう訊ねてきた。えっ? 呼び名ってどういう意味? 小姫じゃダメなんだっけ? まあ、聞いてみるか。
「小姫では、なにか差し障りがございますでしょうか?」
「ええ、小姫様は、いずれ当徳川家の主となられる秀忠様の御内室でございます。姫とお呼びするのはいささか不躾かと存じまする」
えっ? そうなの? まあ、確かに今の私は十一歳だから姫であっても悪くないけど、二十年後も姫のままじゃ問題よね。どうしよう……。
「もし、他にお考えがございませんでしたら、『お小の方様』とお呼び致しますが、いかがでございますか?」
うーん、「おおのかた」だとなんか間延びしちゃってるよね。それに兄上の秀雄くんの領地、越前大野と被っているようで、なんかムズムズする。どうしようかな……。あっ! そうだ!
「大姥局様、もしよろしければ『お柚』とお呼びいただけるでしょうか。私、柚子の香りが大変好きなのでございます」
そう、転生前の私の名前は、「柚葉」だった。同級生からも「柚ちゃん」って呼ばれていたし、一番しっくりくる呼び名だ。
「なるほど、『お柚の方』様でございますな。確かに承りました。大変よろしきお名前でございます。さすれば、当家においては、小姫様のことを以降、お柚の方様とお呼び致します」
おお、通ったよ! やったあ! 小姫と呼ばれるのも好きなんだけど、生まれ変わるまでの十八年間、慣れ親しんだ名前には愛着があるからね。
こうして、私は徳川家御嫡男、秀忠公の御内室『お柚の方』になったのでした。
お読みいただき有難うございます。本日より、第3章:伏見・徳川屋敷が始まりました。徳川家に輿入れしてからの小姫=お柚の方を本章では描いていきます。当面、毎日更新を続けていく予定ですので、応援をよろしくお願いいたします。
次話第19話は、明日1月23日(土)21:00頃の掲載を予定しています。引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。