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第16話:お引越しの支度!

 今は、文禄三年の文月(旧暦七月)。大坂城が酷暑に見舞われる中、私は朝からお引越しの準備をしている。汗が出てしまうけど、休んではいられない。だって、お引越しの当日まで、あと二日に迫っているのだから。


「お梅。その夏着の小袖は、手前の長櫃(ながびつ)に入れておいて。伏見に着いたらすぐに着ようと思うから」

「はい、小姫様。分かりました。こちらの文箱(ふばこ)はどうされますか?」


 ああ、それは私の一番大切な宝物だ! それを失くしてしまったら大変なことになる!


「それは、これまでに秀忠様からいただいた文が入っているの。とてもとても大切な物なので、私が手に抱えて持っていくから」

「そうですね。それがよろしゅうございます」


 お梅さんは暖かく微笑んでくれた。その後も、手際よく荷物の片づけをしてくれている。そして、床の間の前でふと立ち止まった。私の部屋の床の間には地球儀が飾ってあるのだ。


「ああ、その地球儀……じゃなくてグロボ。そのグロボは、太閤様からいただいた大切な品だから、大事に衣で包んで、そっちの箱にしまっておくのがいいよね」

「はい、これは小姫様にとって、一番大切なお宝ものでございますからね。特に大事に取り扱いましょう」


 いや、地球儀も大切だけど、秀忠くんからのお手紙の方がもっと大切だから。ああ、それにしても忙しいな。急に引越しの日取りが前倒しになってしまって、ちょっと大変なのだ。


 実は、新居となる伏見城は、宇治川沿い、巨椋池(おぐらのいけ)という大きな湖を眼下に望む広大な敷地で、まだ建設が続いている。このお城の完成には、あと一年以上かかるみたい。宇治川の流れを変えてお堀を作るみたいで、かなりの難工事らしいのだ。


 だけれども、伏見城の建物のうちいくつかは、以前に淀の方様が住んでいた淀城から移築されることになっていて、本丸の奥御殿もその一つ。この移築がほぼ終わったので、秀吉と北政所様は今月からそこに移動することになったのだ。私もしばらくの間は、そこで二人と一緒に暮らすことになっている。


 ただ、淀の方様とお拾い様はお引越しせず、しばらく大坂城に残る予定だ。まだお拾い様が小さいので、淀の方様が負担となるお引越しを嫌がったのだ。まあ、お(すて)様を二歳で亡くされているから、かなり過敏になっているのでしょう。


 淀の方様には色々とかわいがってもらっているし、お拾い様も私になついてくれているから、二人と離れることになるのは少し寂しく思える。


「しかしでございます。小姫様は、伏見に着かれましたら、すぐにお輿入れでございます。今年は、ほんにお忙しゅうございますね」

「すぐに、お輿入れ。そうよね、すぐにお輿入れよねえ……。ふふ、ふふふっ、ふふふふっ。ああ、これで私も秀忠くんと正式な夫婦に……」


 私が、伏見城の本丸奥御殿に住むのは、たったの三か月だけ。神無月(旧暦十月)には、同じ伏見にある徳川家のお屋敷にお輿入れをする予定なのだ。えへへへへっ。


 小姫として生まれ変わって、もうすぐ三年になる。長かったけど、これで私は秀忠くんの奥さんだあ! やったぁーっ! うふっ、うふふっ、うふふふふふっ!


「小姫様、小姫様、どうなされましたか。口からよだれが出ておりまするよ」

「……えっ? あ、やだ! こ、これは、よだれではなくて、汗ですよ。もう……」


 私は、慌てて懐紙で自分の口を拭う。やばいっ、浮かれすぎてしまった。これでは徳川家の嫁として失格だ。もっとしっかりしなくては。私は急いで姿勢をただすと、ごまかすように扇子で自分の顔をあおいだ。


「ふぅー、でも、本当に暑いわねえ」

「ええ、そうでございますね」


 そう言う割には、お梅さんは涼しい顔。うーん、やっぱりさっきのがよだれってバレてるのかしら。よし、話をごまかそう。


「そう言えば、兄上も伏見屋敷へのお引越しの準備をしていると聞いたけど、大丈夫かしら」


 実は兄上の織田秀雄(ひでかつ)くんも、伏見に大名屋敷を新築していて、今月になってようやく完成したのだ。


「お兄上様のところは、まったく心配ございませんよ。奥方様がしっかりされておられますから。それに、あのお二人は大変仲睦まじゅうて、梅も嬉しゅうございます」


 お梅さんは明るく微笑んいる。奥方様とは、淀の方様の妹君の江姫様のこと。実は、今年の卯月(旧暦四月)、秀雄くんのところに、江姫様がお輿入れしてきたのだ。


 これは、父上の信雄さんがあちこち駆け回った結果だ。本当に、びっくりするくらいトントン拍子で話が進んでいった。信雄さんは、思ったよりも仕事ができる人だったみたい。


 秀雄くんは、江姫様が十歳も上の姉さん女房ということで、最初に縁談の話を聞いたときはかなり緊張していた。だけど、今ではすっかりと江姫様に惚れ抜いてしまっている。先日、秀雄くんが訪ねてきたときも、江姫様の素晴らしさを両手を大きく振って私にアピールしていたほどだ。


「ええ、兄上も江姫様もお幸せそうで、小姫も嬉しく思っております。私と秀忠様もあのように幸せになりたいものです」


 私はすましてそう言った。えへへっ。でも、絶対、私は秀忠くんと幸せになっちゃんだからね! 待ってて、秀忠くん。私、頑張るよ! 私が自分の拳を強く握りしめたそのときだ。


「小姫様。よろしいでしょうか?」


 襖越しに誰かが声をかけてきた。ん? ああ、この声は、北政所様の侍女の小屋さんだな。


「はい、大丈夫です。何でしょうか?」

「実は、今、北政所様のところに、丹波中納言様がいらっしゃっておられます。中納言様は、ご都合がよろしければ、小姫様にもご挨拶をしたいとおっしゃっておられます」


 へえ、丹波中納言って、秀俊くんが来てるんだ。久しぶりだな。最近はめったに北政所様のところに遊びに来なくなったしなあ。


「はい、わかりました。すぐに参ります」


 私はそう答えると、手にしていた扇子を胸元にしまい、手早く身支度を整えたのだった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「失礼いたします。小姫でございます。北政所様のところに、中納言様がいらしてると伺いました」


 私は、北政所様の部屋に入ると、上品にご挨拶をする。


「おう、小姫か。久しゅう会っておらなんだな。変わらず元気にしておったか?」


 久しぶりに会った秀俊くんは、真っ黒に日焼けしていた。体つきもしっかりとしていて、あの顔色が悪くブクブク太っていた頃とは様子がまるで変っていた。


「中納言様、お久しぶりでございます。小姫は相変わらずでございます。それよりも、中納言様はご様子が随分と変わられましたね。見違えました」

「そうか、ははは。まあ、近頃は酒を控えて武芸に励んでおるからな」


 へえ、そうなんだ。それは感心、感心。秀俊くんには色々あったみたいだから、腐ってないかちょっと心配だったけど、健全な方に向かっていて安心したよ。


 北政所様もたくましくなった秀俊くんを見てとても嬉しそうだ。


「ほんに、小姫が『『男子、三日会わざれば、刮目して見よ』と言うた通りじゃった。辰之助もすっかりと立派になって」


 北政所様にそう褒められても、辰之助こと秀俊くんは浮かれなかった。


「北政所様。ワシももう十三歳ですからな。戦場に出たときに恥ずかしいことにならぬように、日々鍛錬を続けておりまする」

「おお、辰之助。そんなに、よそよそしゅうせんとくれ。昔のように『かか様』と呼んでおくれ」

「いえ、ワシももうすぐ豊臣の家を離れ、他家に養子に行く身でございます。いつまでも北政所様に甘えてはおられませぬ」


 秀俊くんは、胸を張ってそう答えた。実は秀俊くんは、来月に毛利家の一門、小早川家に養子に行くことが決まっているのだ。


「ああ、そうは言っても、辰之助は私の兄の子じゃ。他家に行っても私の血族であることには変わりはないではないか。小姫からも言ってもらえぬか」

「北政所様。中納言様もご成長されたのです。北政所様も温かく見守られるのがよろしいかと存じます」

「ああ、小姫まで、そんなよそよそしゅうなって……」


 北政所様、ごめんなさい。でも、私ももうすぐ徳川家に輿入れする身なのです!


 しかし、秀俊くんの成長ぶりには私も驚くばかりだった。北政所様の侍女の孝蔵主様や東殿様たちもその変わりようにいたく感動していた。本当に男の子ってあっという間に成長しちゃうんだね。


「おお、もうそろそろ(うま)の刻じゃな。北政所様、そろそろ失礼いたします」

「辰之助よ。まだ来たばかりではないか。これから、珍しい菓子でも出そうと思っておったのに」

「おお、それは、それは。しかし、これから屋敷で当家に仕官を希望しておる者と面談なのでございます。武田で侍大将をしておったスゴ腕とのことで、逸材ではないかと楽しみにしておるのです」

「ほんに、辰之助は急にまめになりもうしたのう」


 北政所様は、寂しそうでもあり、嬉しそうでもあった。


「おお、そうじゃ。小姫よ、そなたと少々二人で話がしたいぞ。もう、お主と話す機会も無いやもしれぬからな」


 えっ? この間みたいに変なことはしないでしょうね? まあ、酔っぱらってるわけじゃないから、大丈夫か。それに私が徳川家に輿入れした後は、他家の大名と会うことなんておそらく無いだろうからね。これで最後なら、秀俊くんの話を聞いてやってもいいか。


「はい、少しの間であれば」

「おう、かたじけない。それでは、北政所様、茶室をお借りしてよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろん。ご自由に使ってくだされ」


 こうして、私と秀俊くんは、最後の別れの挨拶をすべく茶室に向かったのでした。あっ、もちろん向かった先は普通の茶室だよ。あの金ピカで有名な『黄金の茶室』は、秀吉本人が亭主の時しか使えないからね。

 

お読みいただき有難うございます。また、ブクマ、ご感想、ご評価、誤字報告、いずれも大変感謝しております。さて、大坂を舞台とした第2章も次話で終わりとなります。続く第3章の舞台は、伏見に移ります。ぜひご期待ください。

次話第17話は、明日1月21日(木)21:00過ぎの掲載を予定しています。引き続きよろしくお願いいたします。

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