第15話:珍しきもの!
今の季節は春。文禄三年の弥生(旧暦三月)に入ったばかり。外では桜の花がちらほらと咲きだしている。温かくなると本当にホッとする。
実は、来月には吉野で秀吉主催の大きな花見大会が開かれるとのことで、大坂城の中はその準備で大層忙しそうだ。それに加えて、夏には伏見城へのお引越しも控えている。本当に大変だよね。
私はというと、自分の部屋で和歌の勉強中。今は古今和歌集をひたすら筆写しているところだ。
世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
これは、古今和歌集の中の在原業平さんの歌。本当にその通りだと思う。桜が無ければお花見の準備もしなくていいから、もっとみんなのんびりできたのにね。
私の後ろでは、侍女のお梅さんが繕い物をしている。お梅さんは、手先が器用なんだ。今年の秋には私も秀忠くんのところにお輿入れをする予定だから、色々と必要になるんだよね。お梅さん、有難う。
そのときだ。誰かが廊下を走って来る物音がした。誰だろう?
「小姫様、失礼いたします。よろしゅうございますか」
その声と共に慌てた様子で中に入って来たのは、北政所様付き侍女の小屋さんだった。
「どうしましたか?」
「はい、太閤殿下が小姫様のことをお呼びでございます。大急ぎにて奥の間に来るようにと仰せになっておられます」
「えっ?」
どういうこと? 秀吉が私を呼んでいるって、なんだろう? こんなの初めてだよね。また、変な問答なのかな。いやだなあ。
「小姫様、是非ともお急ぎを!」
小屋さんが慌てた様子で急かしてくる。まあ、天下人に呼ばれているのだ。私に断ることなんか、できるはずもない。
「分かりました。すぐに支度します」
私は、お梅さんにお化粧を大急ぎで直してもらうと、西陣織の打掛けを慌てて羽織った。そして、すごい早足で歩く小屋さんの後ろをついて、奥の間に向かったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
「太閤殿下。小姫様が参られました」
「うむ、苦しゅうないぞ。入れ」
奥の間は、秀吉の居住スペース。全国から集められた豪華な調度品がそこかしこに置かれている。ふーん、すごいなあ。あの掛け軸はなかなか趣がある。名のある人が書いた名作よね。あっ、掛け軸の下に置かれているのは、象牙だよね。すごいじゃん。おお、右の方にあるのは、虎の毛皮だ。私はついきょろきょろしてしまう。
「小姫、どうしたのじゃ?」
「太閤様、大変失礼いたしました。このお部屋に入るのは初めてゆえ、つい、よそ見をしてしまいました」
「わははは、なかなか珍しきものがあるじゃろう。今日はな、弥九郎が色々と良きものを持ってまいったので、お主にも見せてやろうと思って呼んだのじゃ」
弥九郎って呼ばれているのは、小西行長さん。肥後の国の南半分を治めている大名で、朝鮮出兵では平壌って町まで攻め進んだ戦上手でもある。でも、なんだろう。どこか口先だけの人っぽくって、私は苦手なタイプの人だ。
「いや、大したものではござりませぬ。ただ、肥後の天草では色々おもしろきものを作っておりますゆえ、太閤殿下の退屈しのぎに持ってきたまででございます」
小西さんは、言葉では謙遜していたけど、態度は少し自慢げだった。ふーん、何を持ってきたのかな?
「弥九郎よ、つまらぬ謙遜をいたすな。小姫にお主が持ってきたものを見せてやれい」
「はははっ、承知つかまつりました。さすれば、小姫様。最初はこちらの画をご覧くだされ。これは、天草の絵師が描いたものです。どうでございますか。淀の方様とお拾い様に大層よく似ておられると思いませぬか?」
小西さんは、一枚の額縁に入った絵を取り出した。そこには裸の赤ちゃんを愛おし気に抱いたきれいな女の人が描かれていた。確かに、淀の方様とお拾い様に似ているよね。
「はい、そうだと思います。……んっ?」
目を凝らしてじっくりと見てみると、この絵は、日本古来の伝統的な画法ではなくて、油絵具を使って描かれていることに気が付いた。構図も題材も西洋風そのままだ。ふーん、天草ではこんな典型的な西洋画を描く人がいるんだ。
「小姫様、この画は、天竺の有難き菩薩の御姿を描いたものでございまして――」
「えっ? これはマリア様ではないのですか?」
思わず、小西さんの説明を遮って聞き返してしまった。だって、この絵はどう見ても、教会に飾ってあるような聖母子画なのだ。
「さ、さようなことはござりませぬ。こ、これは弥勒菩薩であって……」
小西さんは急にドギマギし始めた。えっ? 何か悪いことをいったのかしら? 正面を見ると秀吉の目が急に厳しくなった。
「弥九郎、どういうことじゃ!? マリアとは、きりしたんの菩薩のことであろう。なぜ、そのようなものの画が描かれておるのじゃ!」
「い、いえ、とんでもございません。これは弥勒菩薩にて……」
「言い訳は聞きたくないわ。お主が伴天連であることを、咎めるつもりは無いわ。じゃがな、伴天連門徒を増やさんとするのは、一切まかりならぬと言うておるであろう」
秀吉は冷たい目で小西さんを見ている。バテレンって、確かキリスト教徒のことだよね。小西さんはキリスト教徒だったんだ。ひょっとして、悪いことを言っちゃったのかな。
「ははっ、太閤殿下。申し訳ございませぬ。それがしは、この画は弥勒菩薩であると思い違いをしていただけでございまするが、かかる思い違いをさせるような不埒な画は、即刻、破り捨てまする」
小西さんは、両手をついて秀吉にひれ伏しながらそう言った。せっかくいい絵なのに廃棄されるのはもったいないなあ。
「あら、あら、もったいないことでございます」
私の後ろから鈴のような声がした。この声は、淀の方様だ。振り向くと、お拾い様を抱っこしていた淀の方様が凛とした姿勢で立っていた。
「おお、茶々、お拾い、ようやく来たか。お主らがなかなか来ないから、時間つぶしに小姫を呼んでおったのじゃ」
ああ、そういうことか。なぜ突然呼び出されたのか不思議に思ってたけど、私は時間つぶし要員だったんだ。まあ、それでもいいけどね。この部屋には面白いものがいっぱいあるし。
「そうでございますか。お拾いがなかなかお昼寝から眼を覚まさなかったのでございます」
「いや、構わん。寝る子は育つと言うからな。お拾いには好きなだけ眠らせてやるのじゃ」
秀吉は、ニコニコと明るい笑顔で笑っている。やはり、秀吉はお拾い様にはメロメロになっている。
「畏まりました。それで、殿下。この小西様の画のことでございますが、この画には罪はござりませぬよ。それなのに、破り捨ててしまわれるとは、実にもったいのうござりまする。せっかくの珍しきものでございますので、わらわが頂戴いたしますわ」
「しかし、茶々。これは伴天連の画じゃぞ」
秀吉は少し眉をひそめた。でも、淀の方様はそんな秀吉の態度を軽く受け流す。
「小西様が、わらわとお拾いのためにと、わざわざ天草から持ってきてくれたのでしょう。これを破り捨てる方が縁起が悪うございますよ。これは弥勒菩薩を思い描いた画であるとして、そのまま受け取るのがよろしいのではございませんか」
「ふむ、茶々がそれでよいのなら、ワシは別に構わぬぞ」
秀吉は、淀の方様にうまく説得された。なんにせよ、丸く収まって良かったよね。そう思っていたのに、秀吉は私の方を見て話しだした。
「しかし、小姫。お主は、なぜこれがマリアの画と分かったのじゃ? お主は伴天連じゃったのか?」
えっ? いや、生まれ変わる前の私の家は、普通にお仏壇がありましたよ。今もお坊さんの有難い講話を三日に一度は聞かされてますし。
あっ、でも、この画が、聖母子画だと分かったことについて、どう言い訳しよう……。うーん、じゃあ、この間のように信雄さんのせいにしておくか。あの人はうまく処理してくれそうだし。
「いえ、小姫は伴天連ではございません。ただ、私がまだ小さき頃、清州のお城で暮らしていた時に、城の蔵に似たような画があったのを覚えておったのです」
清州城は、昔、信雄さんが居城としていたお城。今は、関白の豊臣秀次さんの所領になっている。
「ふむ、清州城の蔵にか。まあ、上様は南蛮物がお好きじゃったからのう。確かに、伴天連どもより、この様な画を山ほど貰うておったな。それを三介殿が譲り受けておったということか」
「おそらくは、その通りかと。しかしながら、私も小さい時のことでございますし、詳しくはわかりません」
私はそう言うと、深々と頭を下げた。まあ、これ以上追及されても、後は「わかりません」としか言えないよ。
「ふむ、まあ、良いか。それでは弥九郎。次のものを、茶々と小姫に見せるのじゃ」
「はは、畏まりました。次は、こちらでござりまする」
小西さんが次に見せたのはぜんまいじかけの置時計。なんでも天草の職人さんが、南蛮人が作った時計を参考に一から手作りしたものらしい。文字盤にローマ数字で1から12まで書かれている。ふーん、現代のものとそんなに大きな違いが無いんだ。
その次に見せられたのは、薄青色のガラスのコップと花瓶。これも南蛮人に習って、天草で作られたもの。どちらもガラスが薄くて、ふとしたはずみで割れちゃいそうで、触るときに緊張しちゃった。
そして、最後に見せられたのが、なんと地球儀。この時代では、グロボって名前で呼ばれている。
このグロボには、ヨーロッパと北アフリカは、かなり正確に描いてある。地中海の辺りなんて私の記憶の中の地図の通りだ。南北アメリカとアフリカの南部もちょっと形が変なところもあったけど、大体のところは合っていた。でも、アジアはかなり適当だし、日本列島の形もかなり歪んでいる。北海道なんか、ロシアと繋がっちゃってるし。オーストラリアに至っては、影も形もなかった。
ふーん、この時代の人はこんな風に世界を見ていたんだなあ。面白いなあ。私はちょっと感心してしまったのだった。
「小姫、グロボをずっと見ておるが、お主はこれが気に入ったのか?」
秀吉が突然、私に聞いてきた。うん、生まれ変わる前は自分の部屋に地球儀があった。病気で旅行に行くことができなかったので、よくベッドで寝ながら地球儀を見て、想像で世界旅行をしていたんだ。あの、地球儀、本当によく見ていたなあ。うん、じゃあ、今は自分の気持ちをそのまま秀吉に伝えよう。
「はい、太閤様。大変気に入りました。小姫はこのグロボが好きでございます!」
私は、秀吉の顔をじっと見て、はっきりとそう答えた。そんな私の顔を秀吉は意外そうな顔で見ている。
「ほう、珍しいのう。今日はやけに素直に答えるのじゃな。しかし、さすが小姫は上様の孫娘よのう。上様も、昔はフロイス殿より貰うたグロボを、それはそれは大切にされておったわ」
秀吉はそう言うと、懐かしそうに何度もうなずいている。
「そうでございましたか」
「そうじゃ、そうじゃ。よし、それでは、小姫。お主にそのグロボをやるとしよう」
「ええっ!? 本当によいのですか!! 太閤様、有難うございます! 大切に致します!」
私は、両手を床について大きな声でお礼を言った。えへへへ。秀吉の機嫌が良くてよかったな。この地球儀は、家宝にしちゃうからね。
お読みいただき有難うございます。連載開始から、はや十日が経ちました。ここまでジワジワとポイントが伸びており嬉しく思っております。
次話第16話は、明日1月20日(水)21:00頃の更新を予定しております。引き続きよろしくお願いいたします。




