第14話:宴が終わって
その日の夜中になって、ようやく大坂城・二の丸で行われていた宴がお開きとなった。
「小姫よ、ちと話したいことがあるのじゃが、よいか?」
本丸奥御殿に戻ろうとしていたとき、父上の織田信雄さんに呼び止められた。なんだろう? 夜遅いから早く寝たいのに。そう思ってはみたものの、私は笑顔を取り繕う。
「父上様、勿論でございます」
「そうか、ここでは憚られることもあるから、こちらへ参れ。お梅は、しばしそちらで待っていよ」
私の侍女のお梅さんに声を掛けると、信雄さんは、私を人がいない廊下の片隅に連れて行った。さっきの宴のハゲネズミの件かな。
「父上様、さきほどは危ないところを助けていただいて、どうも有難うございました」
私は、自分から先に切り出した。怒られそうなときは自分から言うのに限るよね。
「おう、お前が太閤殿に『ハゲネズミでございます』と答えたときは、ワシも肝を冷やしたぞ」
「大変に申し訳ございません」
私は深々と頭を下げる。今は反省しているので許してください。もう私は眠いのです。
「まあ、しかし危ないところであった。お前が秀吉に問い詰められた時にワシの名前を申しておらば、今頃ワシの命は無かったかもしれぬ」
「父上様、それは大袈裟ではないでしょうか?」
出家したとはいえ信雄さんは織田家の最重要人物の一人だ。たかが悪口を言ったぐらいで、殺されることなんてないだろう。
「いや、大袈裟ではないぞ。秀吉はすっかりと変わってしまった。昔は、明るく心優しいよき男であったが、今では猜疑心の塊じゃ。しかも、気にくわぬことがあると、心の抑えが効かぬようになっておる。ワシの命であっても、ゴミ虫を叩き潰すかのように扱いかねん」
えっ? そうなの? 秀吉は、時々視線が鋭くなりすぎて怖い時もあるけど、基本的に私や周囲の人に対しては優しいことが多いのだけど。
「父上様、考え過ぎではございませんか。太閤様は、今も心優しきお方ですよ」
「それは、お前がこれまでは上手に対処ができておるからじゃ。さきほども、あのまま黙り込んでおったら、お梅の鼻と耳が削がれておったに違いないぞ」
「えっ? お梅がですか?」
お梅さんの鼻と耳を削ぐって、そんなの残酷過ぎるよ。そんなことってあるの?
「ああ、そうじゃ。以前に聚楽第に落書がされた折も、秀吉の命で、下手人とされた男は鼻と耳が削がれ、はりつけにされたのじゃ。此度も下手をしておったら似たようなことになったであろう」
「しかし、お梅はまったく関係がないのですよ」
「まあ、お前の代わりじゃよ。お梅は、当家の家人の娘でもあるからな」
そ、そうだったんだ……。いや、あのとき資料集のことを思い出せてよかったよ。でも、なんで秀吉はそんなことをする必要があったんだろう?
「そうなのですか。しかし、太閤様はなぜ私におツラく当たろうとされたのでしょうか。太閤様には、普段は、たいそう可愛がっていただいておるのですが」
そうだよ。今日の昼過ぎに淀の方様のところで会ったときはご機嫌だったし、私の娘をお拾い様の嫁にする、なんてことも言っていた。
「秀吉はな、織田のことが、好きで嫌いなのじゃよ」
「織田が好きで嫌い、ですか?」
えっ、どういうことだろう。まったく意味が分からない。
「そうじゃ。秀吉は、父上に取り立ててもらった恩義は未だに忘れておらん。今でも人前で『上様』と父上のことを呼ぶほどじゃ。昔から叔母上にも執着しておった。まあ、叔母上は手に入らなんだが、その娘のお茶々は、側女にして溺愛しておる。他にも、三郎や秀雄、それにお前も、織田の一門ということで可愛がってくれておる。ワシに対しても、普段は礼を尽くしてくれておる」
ああ、それは分かる。秀吉は、信長のことを話すときはいつもニコニコと嬉しそうな表情になっているから。
「ただな、時々、好きが過ぎて、突然、嫌いになるときもあるのじゃ。君子豹変というか、まあ、可愛さ余って憎さ百倍というやつじゃろうな。ワシも少し言うことを聞かなんだぐらいで秀吉の怒りを買うてしまい、官位と領地を即座に召し上げられてしもうた。三七に至っては、家族ともども皆殺しの憂き目に会うておる」
信雄さんは、身をすくませながら、そう話した。そうなんだ。三七って、信雄さんの弟の織田信孝さんのことだよね。秀吉に逆らったせいで、家族や家臣と一緒に殺されてしまった人だ。
「そうなのですね。小姫は、まったく気づいておりませんでした」
「お主も秀吉には気をつけるのじゃぞ。今でも時々、ワシや源五殿を見る目に鬼が宿っておるときもある。正直に申して、秀吉の前では生きた心地がせぬわ」
源五殿って、有楽斎おじさんのことだったっけ。おじさんも、秀吉の前でいつも以上にひょうきんに振舞ってたけど、あれは自己防衛だったんだな。
「まあ、なんにせよ、此度は何事も無くてよかったわい。ああ。そうじゃ。ワシが今言うたことは、けっして誰にも申すでないぞ」
「はい、心得ております」
大丈夫です。すごく参考になりました。でも、信雄さんも『秀吉』と呼び捨てにする癖は直した方がよいですよ。
「しかし、まあ、それはさておき、今宵の三郎は、実に愉快であったな」
「三郎様には、申し訳ないことになりました」
私が変なことを言わなければ、三郎くんが二代目ハゲネズミを襲名することも無かったのに……。
「わっはっはっ。あの程度で済んだのだから心配するに及ばぬわ。三郎がハゲネズミと呼ばれても失うものはなかろう。あやつは固苦しいところがあるからな。醜名で、親しみをもたれるのは悪いことではないわ」
ああ、そういうものなんだ。まあ、でも、十四歳の若者にハゲネズミは、かわいそうだと思うんだけどな。三郎くんはいい子だし。まあ、江姫様は三郎くんのことを好きじゃないみたいだけど。
あっ、江姫様と言えば、彼女から頼まれていたことがあったんだった。いけない、いけない。忘れるところだった。
「父上様。実は江姫様についてお話したいことがございます。私は、日頃より、江姫様には何かと目をかけていただいておりまして」
「ほう、お江についてか。一体なんじゃ? そう言えば、婿の秀勝殿が朝鮮で亡くなられてもう一年じゃな。そろそろ喪も明けた頃合いじゃ。何か良い縁談の話でも探さねばならぬな」
「はい。それでふと思いついたのですが、お相手として兄上はどうでしょうか?」
うん、江姫様の方から指名してきたというよりは、私が思いついたという方がいいよね。
「ふむ、お江を秀雄の嫁とな。そうじゃな、それも悪くない考えかもしれぬな。お江であれば、色々としっかりとしておるし、よい子も産んでくれそうじゃ。うむ、分かった。それでは、まずは、関白・秀次殿に話してみるぞ」
あれっ? 思った以上に簡単に話が進んじゃった。やっぱりこの時代は歳の差はあまり気にしないんだ。それよりも血を残すことの方が大切なんだろうな。ということは、私も秀忠くんとの間で立派な赤ちゃんを産まなくてはいけないということか。うううっ、プレッシャーだ……。
私は、頭を抱えてしまう。以前も秀忠くんとの赤ちゃんについて妄想したことはあったけど、「子供を作らなければいけない!」なんて、そんな義務的なことにまで思いが至らなかったよ。
「小姫、どうしたのじゃ? 頭が痛むのか?」
「い、いえ、なんでもありません。大丈夫でございます」
「そうか。それならいいのじゃが。ああ、そうそう、忘れておった。お前の徳川家への輿入れのことじゃがな」
「ええっ?」
秀忠くんのお家へのお輿入れ? なによ、そんな大事な話は、一番先に言ってよ!
「北政所様に話を進めるようそれとなく言われておってな。大納言殿とも書を交わしていたのじゃよ」
おお、そんなことが。北政所様、どうも有難うございます!
「それで、輿入れは来年の秋辺りでどうか、という話になっておる。まあ、お前もまだ十歳。来年でも十一歳であるし、少々早いかもしれぬが……」
「はい、よろこんで!」
私は、かなり食い気味に答えてしまった。えへへへっ、やっと秀忠くんと一緒にくらせるんだあ! それに、憧れの東京暮らしだあ。生まれ変わる前からの夢だったんだ! ふっふ、ふっふ、ふーん!
「まあ、これもまず関白・秀次殿にお話をして、その後に秀吉の了承も得ねばならん。ちと遅れるかもしれぬが、予め支度をしておくようにな」
「はいっ!!」
大丈夫です。この世界に生まれ変わってから二年間、ずっと嫁入りの準備を整えています!
「それでな。来年には、太閤殿も大坂から伏見にお動きになる予定じゃ。大名も伏見にも屋敷を持つように言われておるそうな。お前も輿入れした後は、伏見の徳川屋敷で暮らすことになるはずじゃ」
「えっ? 伏見ですか?」
「ああ、そうじゃ」
住むのは東京じゃないんだ……。ちょっと、残念だなあ。あっ、でも秀忠くんは伏見に住むんだよね?
「あの、秀忠様は江戸ではなく、伏見にお住まいになるのですよね?」
「そのあたりのことは聞いておらぬが、おそらくそうではないかな」
まあ、秀忠くんと一緒に暮らせるんだったら、最初に住むのは伏見でもいいか。それに、そんなに遠くない未来に江戸時代になるんだし、そのときは私も東京に住んでいることでしょう。
よし、それじゃあ、立派な秀忠くんの奥さんになるためにも、また明日からも頑張るぞ、おう! 私は、自分で自分に気合を入れたのでした。
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次話第15話は、明日1月19日(火)21:00頃に掲載予定です。引き続きよろしくお願いいたします。