第12話:ハゲネズミって誰が言った?
大坂城二の丸・淀の方様のお屋敷で開かれている今宵の宴。次々と出されてくる豪勢な料理と山海の珍味、それに灘の銘酒に乗せられて、会場の大広間は大いに盛り上がっている。
「ぐははははは、それで明国の先駆けの兵をめがけて、当家の鉄砲隊が一斉に撃ってやったのでござるよ。あやつらは腰を抜かしおって、四つん這いで犬ころのように逃げ惑うておりましたわ。わはははは」
「いや、愉快。愉快。しかし、朝鮮兵の弱いこと、弱いこと。ワシが槍を持って前にちょいと出るだけで、蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのじゃ」
福島正則さんや加藤清正さんなど、朝鮮から帰って来たばかりの武将の方々は随分と威勢がいい。大酒を飲みながら大声で朝鮮での自慢話ばかりしている。とても負けて日本に帰って来た人たちとは思えないほどだ。
私は、隣の席の江姫様にひそひそ声で話しかける。
「皆さま、ずいぶんとお元気なのですね。私は、もっとしょぼくれているのかと思っておりました」
「あの方々は、無事に日ノ本に戻ってこられておるからな。それに、実のところ、彼の地での一つ一つの戦では、ほとんど負けておらぬのじゃ。助太刀に来た明国の軍勢も最後には打ち負かしたと聞いておる」
「おお、そうでございましたか」
……ん? でも、戦に勝っていたならば、何で日本に逃げ戻ってきているんだろう?
「じゃがな、漢城と言う朝鮮の都で、集めておった兵糧がすべて焼かれてしもうてな、大変なことになったのじゃ。じゃから、慌てて戻ってきたのじゃよ。多くの者が日ノ本に無事に戻ってこられたのは、あちらの勇ましい御方々のお手柄というよりは、三成めの船の手配が上手じゃったからと聞いておるぞ」
ふーん。なるほど。そういえば、退却戦が一番難しいって昨日の軍学の講義でも先生が言ってたなあ。『金ヶ崎の退き口』で秀吉が名を上げたということは、この時代の人は子供でも知っているし。
でも、江姫様は色々とご存じなんだな。十歳児の私にはそこまで詳しく戦地での情勢を教えてくれる人はいないからなあ。
あっ、そういえば、江姫様がおっしゃった『みつなり』って、石田三成さんのことだよね。あの人は、関ケ原で西軍をまとめあげることになるはず。ふーん、この頃から有能だと評判の人なんだな。確かこの宴にも来てたよね。あっ、いた、いた。
石田三成さんは、隣の席の大谷吉継さんと静かに何かを語り合っていた。あの二人も朝鮮出兵に行っていたはずなのに、自慢話で大いに盛り上がっている武将の人たちとは距離を置いているようだ。というか、視線を合わせようとしないし、明らかに仲が悪そうだよね。グループ同士のいがみ合いってこの時代でもあるんだな。まるで中学生みたい。
まあ、そんなことよりも、今日はとにかく目立たないこと。私はできるだけ目立たぬように、身をかがめながら、おとなしくしていたのでした。
◇ ◇ ◇ ◇
そして、夜も更けていき、宴の場はさらに大きく盛り上がっていった。今日は秀吉も上機嫌だ。あぐらを崩して座りながら、手を叩いて大笑いしている。参加者の多くは、順々に秀吉のところにおべっかを言いに行っている。
あれっ、有楽斎の叔父さんが秀吉の傍で、こっちの方を見ている。あれっ、秀吉もこっちを指さしているよ。やばいっ、一瞬目が合ったような。目立たないようにしないと……。
あっ、今度は、秀吉はこっちの方の誰かを手招きしてるみたい。こっちの方の誰か? 今、また、私と目が合ったよね……。えええっ、ひょっとして、秀吉は私のことを呼んでいたりする!?
念のために、後ろを振り返ってみたけど、そこには誰もいなかった。やっぱり、秀吉に呼ばれているのは私なんだ……。江姫様は憐んだような目で私を見てくれている。私は無言で江姫様に頭を下げると、秀吉のもとへと向かった。
「太閤様、お呼びでございますでしょうか?」
「おう、呼んだぞ。今な、源五殿に、小姫がワシのことを大好きで、ワシのことをなんでも知っておると言うておったのじゃ」
げげっ……。あの宴でそんな話をしたのは、もう二年も前のことだよ。あの時は、追放されていた信雄さんのことを許してもらおうと必死だっただけなのに。でも、今さら、あなたのことは、それほど好きではないとも言えない……。
「は、はい。小姫は太閤様のことが大好きです!」
私は可愛らしく微笑んで、小首を傾げて媚びるようにアピールをした。
「ふはははは。小姫は、娼妓のごとくあざとく媚びへつらっているようでいて、なかなか賢き女子なのじゃよ」
「ほう、ほう、そうでござりますか? いや、それはこの有楽斎、まったく知りもうさなんだ」
有楽斎の叔父さんはわざとらしく驚いている。もう、大げさなんだから。
私は、ふとあたりを見渡した。宴の参加者の多くが秀吉と私たちのことを見ていることに気づく。あれっ? なにか変な空気じゃない? そんな私に秀吉が話しかけてくる。
「そこでじゃ、小姫。ここでお主に謎かけをしようと思うのじゃ。答えてみい」
「えっ? 謎かけでございますか?」
どういうことなのかな? 突然のクイズ・タイムなんて、宴の余興の一つなのかしら。でも、それならなんで、私一人だけが解答者なのよお……。
「そうじゃ。小姫よ、お主は、ワシが周りの輩にどのような醜名で呼ばれておるか知っておるな。それを言うてみい!」
えっ? どういうこと? 『しこな』ってこの時代だとあだ名って意味だよね。でも、今の秀吉は、太閤だ。それ以外では、呼ばれてはないよ。
「太閤様。それとも、太閤殿下、でしょうか?」
「それではないわ!」
秀吉の声が大きくなる。どうもそんな簡単な問題ではないみたいだ。
「それでは、前の関白様。それでなければ、昔の官名の、筑前様でしょうか?」
「何を言うておるのじゃ。それは醜名ではないじゃろう。ほれ、皆が呼んでおる醜名がワシにはあるであろう。早う言うてみよ!」
秀吉の声がさらに大きくなった。ええっ? 何を答えて欲しいのかな? やっぱり、正解は『サル』でいいのかなあ? すごく有名な秀吉のあだ名だもんね。でも、秀吉は『サル』と呼ばれると、すごく怒ると聞いているしなあ……。
うん、そうだ。きっと『サル』はひっかけで、正解は別にあるに違いない。
「どうした? 小姫よ、早う答えてみるのじゃ!」
秀吉が大声で急かしてくる。ちょっと待って。もう少し考えさせてよ。サルじゃなければ、なんだろう? そう言えば、さっき江姫様が言ってたやつがあるよね。信雄さんも手紙に書いてたし。そうだ、このあだ名も昔から使われていたはず。私も生まれ変わる前から知ってたぐらいなんだから。
「小姫、早うせよ! どうした。ワシが早うと言うておるのじゃぞ!!」
秀吉は、割れんばかりの大声でさらに私を急かしてくる。うるさいなあ。本当にせっかちなんだから。よし、それじゃあ、答えるよ。私は秀吉の顔をじっと見た。
「ハゲネズミ、でございます!」
私は、イヤミにならないようにできるだけ明るい口調ではっきりと答えた。きっと、この時代では『ハゲネズミ』という言葉には、現代と違う意味があるのだろう。干支はネズミから始まるし、侍は頭の中央をカミソリできれいに剃りあげている。きっとハゲネズミという言葉にも、なにか良い意味があるはずなのだ。
でも、宴の場は完全に静まり返ってしまった……。
「……は、ハゲネズミ? 小姫よ。今、お主は、ハゲネズミと申したのか?」
秀吉の顔は、赤く染まっていき、肩もプルプルと震えてだしている。これは笑いをこらえている……わけではなさそうだ。もしかして、秀吉を怒らせちゃったのかな?
私は、秀吉の左右を見渡した。北政所様は、驚いた表情で私のことをじっと見つめている。淀の方様も、自分の口を両手で押え心配そうな表情で私を見てくれている。
「小姫。今、ワシのことをハゲネズミと申しおったな! お主は、ワシを陰ではそのように呼んでおったのか!? この恩知らずの無礼者め!!」
秀吉は立ち上がらんばかりの勢いで私のことを叱りだした。え、いや、私がそう呼んでるわけじゃないんだけど……。うーん……。あっ、黙ってちゃダメか。
「めっそうもございません。私が太閤様のことをそうお呼びしているわけではございません。ただ、周りの方がそう言っておると聞きまして……」
「つまらぬ言い訳なぞよい! ワシのことをハゲネズミと愚弄する輩なぞ見たことも聞いたこともないわ。小姫、今さら往生際が悪いぞ!」
「い、いえ、本当に私がお呼びしていたわけではなく……」
「ならば、誰がワシのことをハゲネズミと申しておったというのじゃ!? その者の名を言うてみい!!」
秀吉は、すごい剣幕で怒っている。気づけば私の左右を秀吉の小姓たちが取り囲んでいる。
えーと……私って、今、ものすごい大失敗をやっちゃったのかな? ひょっとして、今の私はすごい大ピンチなの!?
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次話第13話は、明日1月17日(日)21:00過ぎの掲載を予定しております。引き続きよろしくお願いいたします。