第11話:江姫様の結婚相手は?
私と江姫様は、秀吉と淀の方様に丁寧に挨拶をすると、淀の方様のお部屋を出た。
ふぅーっ。今晩の宴に参加か、面倒なことになっちゃったな。
私は、廊下で大きくため息をついた。そんな私に江姫様が優しく話しかけてくれる。
「小姫。そなたは、ついておらなんだな。もう少し早うに帰っておれば、秀吉に面倒なことを申し付けられずに済んだものを」
「はい、江姫様。その通りです。長居をして失敗してしまいました」
そう答えて、ふと気づく。江姫様は、秀吉のことを呼び捨てにしてるんだ。まあ、母親の嫁ぎ先の柴田家を滅ぼして、お姉さんの淀の方様を愛人にしてるんだし、あの人のことを嫌っていても不思議じゃないよね。
「まあ、わらわも今宵の宴は呼ばれてしもうておるのじゃ。ほんに面倒よのう」
おお、江姫様も今晩の宴に参加するんだ。よかった。少し気が楽になったよ。
「のう、小姫。これより、少しの間だけでも良いから、わらわの部屋で話をせぬか?」
「えっ、よろしいのですか?」
「ええ、是非に是非に。せっかくお完が乳母と一緒に眠っているのじゃから、わらわももう少し羽を伸ばしたいのじゃ」
私と江姫様は、彼女の部屋に入った。淀の方様の部屋に比べるとかなり狭い。私の部屋と大差がないぐらいだ。
「小姫はこの部屋が狭いと思うておるのじゃろうな。じゃがな、わらわはここでは居候の身であるから仕方ないのじゃよ」
「いえ、そのようなことは」
「そなたとわらわの間柄じゃ。別に遠慮せずともよい。はぁ、しかし、わらわも秀勝様が亡くなるまでは、城持ち大名の奥方であったのじゃがのう……。今では、まるで根無し草のようになっておる。早うに良い縁談の話が来るといいのじゃが、わらわももう若うはないからのう」
そうは言っても江姫様はまだ二十一歳だ。この時代の基準では若いとは言えないものの、結婚相手が見つからないような歳ではない。
「江姫様は素敵な方でございますから、そのうち良いご縁に出会えますよ」
「そうなればいいのじゃが、なかなか釣り合いの取れた相手がおらぬのじゃよ。ギラリギラリとした野心を隠さぬような輩との話は、掃いて捨てるほど来ておるのじゃけどな」
まあ、確かに、将来は秀吉の後継者となるのが確実なお拾い様の叔母上なのだ。野心家が身内に取り込もうとするのは分からなくもない。
「じゃがな、わらわは、浅井の家でも、柴田の家でも城が落つるときのむごたらしさを知り申したからのう。もそっと安堵できる相手が良いと思うておるのじゃよ」
まあ、それは理解ができるなあ。成り上がった人は、一つ間違えるとすぐに転がり落ちちゃうから。
あ、そうだ。じゃあ、三郎くんとかどうなんだろうか。確か、まだ正室はいなかったはずだ。三郎くんは、江姫さんの亡くなられた旦那さんの豊臣秀勝さんから、岐阜の領地を引き継いでるし、中納言にも任官されている。それに、今年の弥生には、私の兄上の秀雄さんから織田家惣領の役目も引き継いでいる。ちょっと年齢差はあるけれど、三郎くんなら安定感があって悪くはないんじゃないかな。
「江姫様。三郎様はいかがでしょうか? 岐阜中納言、織田三郎秀信様です。今は織田家の惣領ですし、岐阜であれば、江姫様もお知り合いがたくさんいらっしゃるでしょう?」
「ふん、三法師か。あやつは、つまらぬ男じゃからのう」
え? 三郎くんがつまらない人? 秀雄くんよりはしっかりしてる人だと思っているのだけど。
「どうしてでしょうか? 三郎様はなかなか立派な若武者様だと思うのですが」
「あやつはな、以前お完に縁談を申し込んできたのじゃ。なぜだか小姫に分かるか?」
「えっ? 完姫様と三郎様が縁談ですか? どういうことかわかりません」
そう、完姫様は数えで二歳で、三郎くんはもう十四歳だ。年齢的な釣り合いが取れてないし、いくらこの時代でも二歳の赤ちゃんとの縁談なんて早すぎる。
「あやつは、豊臣家とのつながりが欲しかっただけなのよ。豊臣家の婿養子になってもいい、とも申しておったわ」
えっ? 三郎くん、そんなことを言っちゃたの? それは、ちょっと残念かも……。
「三郎にはな、織田家の男としての気概がまるでないのじゃ。あやつは、あのハゲネズミの傀儡に過ぎぬわ」
ええと、どこから突っ込んでいいのかわからない。確か『くぐつ』って操り人形のことだよね。それは、さすがに言い過ぎじゃないかな。というか、それよりも秀吉のことを『ハゲネズミ』って呼んでるよね。確か、前に織田信雄さんも手紙の中で書いてたけど、それって言っていいことなのかな。
「どうした、小姫。急に静かになりもうして。なにかあったのか?」
「い、いえ。考え事をしておりました。どなたが江姫様にお相応しいのかと……」
「わらわは、安堵できる相手であれば誰でもいいのじゃよ。そうじゃな、例えば、小姫の兄上の秀雄様は悪くはないかもしれぬな」
えええっ! いや、秀雄くんはまだ十一歳だよ。年の割にはしっかりしてはいるけど、どこか頼りないところもある。さすがに、江姫様の相手として、釣り合いが取れる人だとは思えない。
「江姫様、ご冗談はおよしください」
「いや、冗談であろうことか。わらわは、真面目に話しておるのじゃぞ」
確かに、江姫様は真剣な表情をしている。ええっ! さすがに意外過ぎるんだけど。
「なあ、小姫。なんとかお話しを繋いでくださらぬか。それとも、わらわが直接申し出た方がいいのかのう?」
うーん、どうなんだろうか。悩むなあ。人の一生を決めるような話だし、軽いことじゃないよなあ。まあ、でも、こういった縁談の話は、私が決めるようなことではないよね。うん、あの人に決めてもらおう。
「わかりました。それではまずは父上に相談をしてみます。しばしお待ちください」
私は迷った末に、江姫様にそう約束したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
その日の晩。私は一旦本丸奥御殿の自分の部屋に帰った後、二の丸の淀の方様のお屋敷に戻って来る。大広間で開かれる今日の宴では、私は末席でおとなしくしているつもりだ。
「お梅さん、私はこの端っこの席でいいよね」
「ええ、それで結構と存じます。私は、皆様のご案内をお手伝い致しますので、暫しの間、失礼を致します」
お梅さんは私をおいて、大広間から出て行った。私は目立たぬように、大広間の端の方で身を縮めている。うん、絶対に今日はおとなしくするぞ。
うん、まだ、秀吉は来てないけど、すでに多くの人が盃にお酒を注いで飲み始めている。よし、よし、この騒がしい雰囲気なら私は目立たないはず。
会場が盛り上がりだしたちょうどそのときだ。奥の襖が開いて、秀吉が大広間の中に入って来た。会場は一瞬で静まり返った。秀吉は、上座にでんと腰を下ろす。
秀吉の後には、北政所様と淀の方様のお二人が続いておられる。お二人は、優雅に広間の上座の方に歩いていくと、秀吉の両脇の席にそれぞれ座られた。
あれっ? お拾い様はいらっしゃらないな。まあ、乳母さんがお世話をしているのだろうな。まだちっちゃい赤ちゃんだからね。
辺りをきょろきょろと見渡してみると、上座近くには、御伽衆を務めている私の父上の織田信雄さんと彼の叔父にあたる織田有楽斎さんがいるのが見えた。有楽斎さんは、いつも冗談ばかり言ってる面白い叔父さんなんだ。
ああ、あそこにいるのは前田の若殿様、通称・越中少将の前田利長さんだ。利長さんの奥さんは信雄さんの妹の永姫さん。まだ直接お会いしたことはないけれど、お手紙は何度も交換している。親戚だし仲良くしなくちゃね。永姫さんとても上品な字を書く人で、お手紙をみるだけで惚れ惚れしてしまう。
あ、三郎くんも呼ばれてたんだ。かなり上席に座っているね。まあ、織田家惣領、岐阜中納言、織田三郎秀信様だから、家格や官位はこの中でもかなり上だよね。久しぶりに見たけど、ずいぶん背が高くなったし凛々しくなったなあ。まあ、さっきは江姫様がボロクソにおっしゃってたけど。
他にも加藤清正さんや福島正則さんたちもいる。あの人たちは尾張出身者同士で仲良しなので、集まってワイワイと楽しそうに盛り上がっている。うわあ、大きな杯に日本酒をなみなみとそそいで一気飲みをしてるよ。
反対側の席にいるのは、東殿様の息子さんの大谷吉継さんだな。そして、その隣で親し気に話をしている賢そうな人は、確か石田三成さんだ。まあ、この人は将来偉くなるんだよね。秀忠くんの敵方になっちゃうんだけど。
その他にも若手や中堅の武将の方々も大勢参加していた。今日はこんな大宴会だったんだな。しめしめ、これなら間違いなく私は目立たないぞ。
あれっ? そう言えば、豊臣秀俊くんがいないな? 今までだったらこういう場には必ず呼ばれているのに。二日酔いか、それともお腹でも壊しているのかな。まあ、あの子のことなんて、どうでもいいか。
私の席の近くには、北政所様のお付きの孝蔵主様と東殿様がいらっしゃった。お話ししようと思ったのだけれど、今日は二人とも目つきがかなり鋭い。視線の先は、淀の方様の侍女の大蔵卿の局さんと饗庭の局さん。彼女たちを相手に、バチバチとした激しい視線を投げ交わし合っていたのだ。うん、ものすごく怖いんだけど……。
「小姫。わらわが、隣の席に座っても、よろしいかのう?」
そこに現れたのは江姫様だった。良かった。これで退屈な時は彼女とおしゃべりをしていればいい。
「ええ、もちろんです。もちろんです。大変心強いです」
「小姫。今宵、わらわたちは、大人しゅうしておりましょうな」
「はい、江姫様。ここでは目立たぬことが何よりですよね」
私は、このときは本心でそう思っていたのに。でも、まさか、あんなことになるなんて……。
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次話第12話は、明日1月16日(土)21:00頃に投稿いたします。引き続きよろしくお願いいたします。