第1話:豊臣家の小姫様に生まれ変わっちゃった!
私は、幼いころからずっと病気がちだった。
十四歳になってすぐに市内の大学病院に入院。それからはずっと病院暮らし。たまに退院しても、すぐに体調を崩し病院に逆戻り。病室で受験勉強を頑張って入学した高校も、たったの三回しか通えなかった。普通の女の子らしい生き方なんて、なんにもできなかった。
そんな味気なかった私の人生ももうすぐ終わろうとしている。今、私の体には何本ものチューブが繋がれている。実は、もう自分で呼吸することすらできないんだ。
ティントン! ティントン! ティントン! ティントン!
ベッド横に置かれた心音図モニターから無機質なアラーム音が病室に鳴り響いた。看護婦さんがあわただし気に走ってくる気配がする。ああ、私はもうすぐ死んでしまうんだなと改めて思う。十八年間の人生、何もいいことがなかったな。
「柚葉ちゃん、柚葉ちゃん! ダメよ……。ダメよ……。もっと、もっと頑張って」
お母さんが悲しそうに泣き叫んでいる声が聞こえる。
お母さん、私はもう充分に頑張ったと思うんだ。十八年の間、本当にお世話になりました。なにも親孝行できなくて、本当にすみませんでした。
……ああ、でもやっぱり、もう少し生きていたかったなあ。もっと色んなことがやりたかった。人並みに恋なんてものもしてみたかった……。
そう思いつつも、私の意識は、徐々に遠のいていったのだった……。
◇ ◇ ◇ ◇
「小姫様、小姫様、なにとぞ、なにとぞ、お気をしっかりとお持ちくだされーっ」
枕もとで誰かが泣き叫んでいる。あれれっ、お母さんの声じゃないな。誰だろう? それに『おひめさま』ってなんのこと?
私はゆっくりと目を開けた。枕元では、見知らぬおばさんが泣きじゃくっている。おばさんは青地に古めかしい花柄の着物を着ていて、長いストレートの黒髪を後ろで束ねている。顔や首筋に白粉が厚塗りされていて、妙に白っぽい。
彼女の顔をよく見てみると、眉毛が剃られていて、代わりに額に墨か何かでぼやけた眉が書かれていた。あっ、口の中も歯が真っ黒に染まっている! これって、お歯黒ってやつだよね?
一体この人はなんなんだろう? まるで時代劇に出てくる人みたいだよね。
「ああ、小姫様がお意識を取り戻しなされた!」
お歯黒のおばさんが、大きな声を出しながら近寄って来る。涙でお化粧がドロドロに崩れていて、お顔が少し怖い。
ええと、私は『おひめさま』ではないですよ。私は、折田柚葉といいます。ただの十八歳の女の子です。
おばさんにそう話しかけようと思ったのだけど、そこでふと違和感に気づいた。あれっ、なんだろう? 何かがおかしいな……。
私は自分の上にかかっていた厚手の着物をどけて、ゆっくりと上半身を起こしてみた。少しだるいけど、以前よりも体が軽く感じるんだよね。体を前後左右に動かしてみても、なにかこれまでとは勝手が違うように思える。まるで違う人にでもなったみたいだ。
ん? あれっ? あああっ! 体にチューブが一本も付いてないよ! どうしちゃったの? というか、そもそもここはどこなの? 大学病院の病室で寝かされていたはずなのに、なんで私はどこかの和室の布団の上にいるの?
「あのー……」
私は、お歯黒のおばさんに聞いてみることにした。
「はい、何用でございますか、小姫様」
「ええと、ここはどこですか? あと、おひめ様って私のこと? 私は誰なの?」
「ああ、小姫様、どうなされたのでございますか? ここはあなた様のお住まいの聚楽第の奥御殿でございます。あなた様は豊臣家のご息女の小姫様でございます」
「ええええっ!」
私は大きな声を出してしまった。今、おばさんは、ここが『じゅらくだい』というところで、私が豊臣家のお姫様だって言ったよね。それって、一体どういうことなのーっ!?
あまりに驚いてしまって、二の句が継げない。
ええっと、どういうことなんだろう。つまり、私は豊臣家のお姫様に生まれ変わっちゃったってこと? でも、豊臣家に姫なんていたんだっけ? んんんん……。ああ、まったく思い浮かばない……。
ていうか、豊臣っていうんだから、当然、豊臣秀吉のことだよね。えーと、秀吉以外にも豊臣の人っているんだっけ? ……やばい、出てこないよ。ああ、日本史をもっとしっかりと勉強していればよかった。教科書と資料集を読んだときは、面白そうだと思っていたのに……。
私は、一生懸命に考えてみたけど、全然考えがまとまらなかった。ふと顔を上げると、おばさんが、私のことを怪訝そうな表情で見ていた。
「小姫様、どうされましたか? お加減がよろしくないのですか?」
「え、い、いえ、だ、大丈夫です」
「そうですか。それでは梅はこれより北政所様に小姫様がお気を取り戻されたことを伝えに行ってまいります。北政所様は小姫様のことをたいそう気にしておいででしたから」
梅という名のおばさんはそう言うと、私に一礼すると襖を開け廊下に出て行った。
ええっ? 今、『きたのまんどころ』って言ったよね。それは知ってるよ。豊臣秀吉の奥さんのことだよね! ということは……。 やったあ! ラッキー! 今の私は秀吉の娘なんだ。
私は思わず両手で自分の口元を押さえてしまった。そこで、ふと気づく。
あれっ? 私の手、かなり小さくない?
私は自分の体を改めて観察する。腕や足も短ければ胴のサイズも小さい。まるで小学校に入ったばかりの子供のようだ。あれれっ? 私ってひょっとして今はお子様なのかな?
私がぼう然としていると、部屋の奥の襖がバッと勢いよく開いた。
「小姫! 安堵いたしましたぞ! 病が癒えたのじゃな!」
大きな声と共に、恰幅が良くて人の好さそうなおばさんが部屋に駆けこんで来た。
おばさんは、色合いは茶色っぽくて少し地味だけど、丁寧に刺繍のされた仕立ての良い着物を着ている。帯もキラキラと輝く糸が縫い付けられていて、すごく高級そうだ。
おばさんは、すごい勢いで私のもとに駆け寄ってくると、私の体をぎゅっと強く抱きしめた。
んんん? ひょっとして、この人が北政所様で、私のお母さんなのかな?
「ああ、本当に良かった。あの藪医者め。もう二度と意識はもどらないであろうなぞ、いい加減なことをぬかしおって。でも、小姫。私は本当に安堵いたしましたぞ。小姫がまた元気になってくれたもうて」
北政所様の両目に涙が浮かんでいた。うん、どの世界でも親が子を思う気持ちは一緒だね。よし、生前に果たせなかった親孝行。今、ここでやるしかないでしょう! 私を心を決めた。
えっと、この時代だから母上様って呼べばいいのかな?
「あ、あの、母上様」
「えっ!? ……ああ、小姫はまだ混乱してるのじゃな。でも、たとえ見間違えだとしても、私のことを母上と呼んでくれ申して嬉しゅう思うぞ」
ん? どういうことなのかな? 北政所様は私のお母さんじゃないってこと? 今一つ話の流れがつかめない……。
北政所様の後ろでは、梅おばさんがびっくりした表情で私のことを見ている。
「小姫様、どうなさいましたか? こちらにいらっしゃるのは、小姫様のお母君ではございませぬぞ。このお方は北政所様でございまする」
「えっ、あ、うん、小姫、間違えちゃったみたい……てへっ」
とりあえずごまかしてみた。何をどう間違えたのかは、分からないのだけど。まあ、今の私はまだ子供みたいだから許してほしいな。そんな私のことを北政所様は優しく抱きしめてくれている。
「小姫、構わぬぞ。今日から私のことを母上とお呼びなされ。これは小姫と私との約束じゃよ」
ああ、それでいいんですね。じゃあ、遠慮なくそう呼ばせていただきます。
「はい、母上様。わかりました」
私が元気よくそう答えると、北政所様は、とても嬉しそうな表情で私のことを見てくれていたのだった。
本作をお読みいただき有難うございます。本日は3話分を投稿するつもりです。
次話の第2話は、本日1月9日(土)14:00に投稿予定です。
それでは、本作にお付き合いのほど、何卒よろしくお願いいたします。