真相への手掛かり
第2部 真相への手がかり
ここからは、事件から少し離れます この父親が事件に関わってる確証に迫る為の私の家族の話が中心です 私の記憶の物語ですので 私に都合良く記憶が書き替えられているかもしれません、ただ事実ですので 読んでて不快になるかもしれません 又読み手によっては母親がひどい人間に見えるかもしれませんが 母親を憎んだりしたことは有りません 私にとって憎むべき人は父親と兄であって母親はあくまでも“可哀想な人”でした。
それでは始めます
まず私の初めての記憶は兄の靴です ピカピカの靴 蝉の鳴き声 父親の声
父親「お、お兄ちゃんはそんなに大きな石投げられる用になったか凄いねー」
その声と同時に景色が赤色に染まってきました?
そうです兄が大きな石を私に投げ私の額に当たり私が倒れているのです
その後の記憶がなく 母親に後から聞いたのは その後2日位寝てたそうです 父親にとって私は身体の弱かった兄のスペアで兄が健康になると私の存在が気に入らなくなってきたみたいで これは 後程でてくる父親の母親の“長男、長女は偉い“と言う教えにしたがってるのです。
こんな父親ですから私が小学校に入学の時も入学が気に入らなく 私は1日遅れて学校へ行きました
初めは母親と入学式に行く予定でしたが行く事はかないませんでした
そんな私が一年の夏休みから習字の塾に通います あんな父親が私に塾通いを?と思われている方これには訳があります。
小学校一年の夏休み前
母親「お父さん、今日学校から会社に電話があってK君(仮名)が字が汚いから夏休み中練習させてくださいですって」私はビックリしました 確かに字が汚いですけど一年生なんて皆そうですし自慢じゃ無いですが他の子よりは書けました。
父親「はぁ 別にいいんだ こいつは勉強何かしなくて」 そうです私は普通の家庭とは違い勉強などしなくて良いのです、その為机も無いしノート、鉛筆、鞄、その他学校の物はすべて御下がり 普通鞄はその時代でも一年入学の時に買ってくれる物ですが 私が与えられたのは兄の御下がりでした
母親「だけどこのままではお兄ちゃんが恥かきますよ!」
すると父親が私の胸元を掴むと投げ飛ばしました
父親「何をしてるんだこのガキは こいつにそんな金かけれるか」
母親「でもお兄ちゃんが可哀想だから 私の職場の近くに安い塾があるから 土曜日だけそこに通わせたら?」
父親「お兄ちゃんの為とは言え金がもったいないだろ」
母親「お金は私の給金から出しますから お兄ちゃんの為に」
父親「好きにしろ こんな奴の為に金使うなんて 馬鹿らしい」 後で判った事ですが母親は会社のママさんバレーのコーチと浮気をしていて(後々に大変な事になります)その密会の為に嘘をついたのです
母親「ですから土曜日は少し遅くなりますよ バレーもあるし」
父親「家に迷惑かけるな」当時は会社も土曜日は半ドンといい 大体2時頃には終わってました
と、言う事で私は家から歩いて一時間ほどの塾に通い初めます 塾には優しい女の先生がいてとても楽しくメキメキ習字が上手くなっていきました(又、上手くなった事で災いがおきます)そして母親の浮気はエスカレートしていきます 塾が先生の都合で休みでも私は塾に通う振りをしなければいけません その時はコーチのアパートの近くの公園で雨だろうが待ってました たまにトイレを借りに行くとそこには見たことない笑顔の母親が食事を作ったりある時は布団のなかでキャッキャッしてました 帰り際かならず母親は「この事をしゃべったら捨てるからね」と念を押しました これが小学校2年の冬まで続きます そう 3億円事件の年まで 事件の12月10日がすぎクリスマスという家族だけのイベント(前年までは参加できましたが この年を堺に、私には食事抜きの日に変わりました)も終わり私達は父親と母親の実家のある長野県は松本へ帰郷しました 父親と兄は父親の実家へ 一応私と母親も父親の実家に挨拶をして歩いて30~40分の母親の実家へ 父親のお母さん(お婆さん)は何かと言うと「私の家の家系は竹田の足軽の長をしていた有諸ある家柄だから」が口ぐせで そのせいか長男、長女が絶対なのですが その家にはお爺さんはいなく お爺さんは栃木の方面で“4号”さんと住んでいました 又、実際一緒に居る家族は次男で長男は戦死してました 戦死したから次男が長男なのかは解りません 父親方は5人兄弟で死んだ長男、家から出てる長女(こいつが曲者で父親から多額の金を借ります)お婆さんと住んでる次男家族(この人も家族も曲者です)私の父親 末っ子の叔父さん(メチャクチャ好い人) 母親方は お爺さんは戦後すぐ亡くなった為 お婆さんと長女の家族が住んでいます 母親はどうやら6番目位 兄弟が多すぎてよく解らない とにかく13人兄弟で男4人ほど居ます、お爺さんの死んだ後から産まれた兄弟も何人かいます(父親方はそれが気に入らない)
話を戻します1969年1月1日 母親の実家にとんでもない電話がかかってきます それは塾の先生からでした 塾の先生がわざわざ松本に電話をしてきたのです 電話を切ると母親が
母親「大変、どうしようK君が習字で賞を取ったて」
母親のおばさん「え、賞 良かったがね どんな」
母親「文部大臣賞だって武道館で5日に表彰式だって」
おばさん「それゃ凄いや お父さんにも伝えんと 電話ではなんだからK君連れて行っといで 正月からめでたいやね」
母親「そうだね 色々用意しないと とりあえず向こうに行ってくるで」
母親は私を連れて父親の実家へ向かいました 母親もこのあとの展開は予想出来なかったのでしょう かなり浮かれてましたから、
父親の実家に着くとすぐに母親が父親に今までの経緯を報告すると
父親「誰がそんな事しろと言った」と、私をおもいきり殴り付けました
父親の叔父さん「おいおい、めでたい事だろ、ま お兄ちゃんじゃ無いのが残念だけど」
父親「ふざけるな!何様のつもりだ貴様は」
母親「お父さん 塾の先生が良かれと思って出品したみたいですよ」
父親「お前が甘やかすから こういう事になるんだ」母親もなぐられました
お婆さん「馬鹿だね 分相応って知らないのかね 親子揃って馬鹿だね」
父親「本当、馬鹿だ すぐ塾に電話しろ そんなのには出ませんと 塾も止めますと 馬鹿が 此処からするなよ実家帰ってからしろよ 馬鹿家族の前で どうせ喜んでいるんだろ」と言うと私を玄関から蹴り出しました そのあとは無言で母親の実家へ戻りました
おばさん「どうしたの」
母親「散々よこの子が余計な事したから 殴るは蹴られるはで」
おばさん「まさか 又家がどうたらの」
母親「その まさか 頭おかしいのよあの家族 とにかく塾の先生に電話しないと」母親はすぐに塾に電話して”行けない“事を伝えました
母親「馬鹿な子だよ もっと上手く立ち回れば良いのにさ 家帰ったら又、殴られるよ」
おばさん「とめなよ 母親なんだから」
母親「あの人になに言ったて無駄」
私は別に何もしてないし 賞だって塾の先生が勝手に出したのであってと思いましたが
1月8日始業式 いきなり学校で校長が朝礼台に私を呼び 塾の先生が変わりに受け取りに行ってくれた表彰状を誇らしげに私に渡しました
学校から帰ると体は私の倍(食い物の違い?)以上ある兄が私を殴る蹴るです そして父親が会社から帰って来ると兄の話を聞いて私を殴る蹴る 表彰状は学校に飾ったのでたすかりましたが? 次の日 学校に行くと2年間一緒の渡辺 南先生(定年間近のお婆さん先生)
先生「又、やられたの 保険室で手当てしてきなさい 何が気にいらないの まったく」
おいおい 事件と関係無くないとお想いでしょうが あるのですよこれが
半年が過ぎ3年生になり夏休みがやって来ました 塾にはあれ以来行かせてもらえず止めました 母親の土曜日は帰りが早くなりましたが それでも時々バレーの打ち合わせと言っては遅く帰って来ましたが とうとうその時が来ました 夏休みに入り3日目の7月28日金曜日母親が兄を連れて男と家の金全部 通帳を持って逃げました 私が友達の家から夕方帰り(家では食事は100%インスタントラーメン)玄関を開けると父親がいきなり私に馬乗りになり殴りながら
父親「お前は知ってたのか、俺を馬鹿にしやがって」
殴れなれてましたが その日は途中で気お失なうほどでした 次気づいた時は部屋と部屋の間の穴にロープを通し吊るされていました
父親「お前の母親は 家の有り金全部持って逃げやがった 通帳もないぞ」と言うとタンスの一段目を抜いて私の頭を殴りました 私は何時ものように痛がりましたが 何が気にいらないか
父親「ヘラヘラしやがって」 今度は兄のリトルリーグのヘルメットで側頭部を殴りました 血が流れ出たのを首に感じました 父親は何処からか食べ物を買って来ていて 普段飲まない酒を飲んでいました 吊るされて1~2時間たったでしょか 思いついたかのように兄のバット(木)を握りしめ 私の胸めがけてフルスイングしました 私は足はついていましたがサンドバックのようにブランブランとなりました さすがに 激しい痛みと今までにない吐き気(吐くものが無いため唾液)父親もあわててロープを外し私を寝かせました
父親「今日はこれで終わりだ さっさと寝ろ」と言われても だんご虫のごとく丸待って動けませんでした
父親「おおげさにしやがって 勝手にしろ」
私はそのまま一晩をやり過ごしましたが 翌年学校での健康診断で異常が見付かり大学病院で見てもらうと あばら骨が2本折れ自然治癒していることが解りました
次の日父親は何もなかつたの如く会社に出かけ 帰りに菓子パンと牛乳を買って来てくれました 私は無理やり食しました この日々が1週間続きます 母親が出て行って5日目父親が帰ると
父親「お前の母親は今 草津温泉で男に逃げられ無一文で困って要るってよ!」母親の実家から父親の会社に電話があったそうです(当時は草津温泉などはかなり高級でした)ただ母親の実家はそれほど裕福では無く父親に金の無心に電話をしてきました まさか母親が有り金全部を持って逃げたとは思わなかったのでしょうか
父親「ざまぁねぇなぁー おい」又、私はヘルメットで頭を数回殴られ 所々から血が流れました
1週間たった金曜日の夜父親が帰るなり
父親「松本行くぞ 支度しろ」私はあわてて支度し玄関を出ると父親がジャイアンツの帽子を私に被せました たぶん顔は変形してたし頭は至る何処から血が流れてましたから(父親からのプレゼントは唯一此れだけです)私達は町田から新宿 新宿からはなんと特急で松本へと 特急といっても“立ち席”です 私はトイレの横のスペースに立って居ました(座ると2度と立てそうになかつたので)ただトイレの横なので人がきます着くまでの間に何人きたか そして必ず私の頭に手を乗せ「田舎に行くのジャイアンツの帽子カッコ良いね」と言うのです 私そのたびに頭に激痛が走って顔を上げ睨み付けました するとだいたいの大人が”ヒィ“て顔をして逃げ去って行きました 数人は近くにいた父親に声をかけましたが父親が「階段から転んで」と言うと「お気の毒に」と言って帰っていきました、2時間ほどで松本に着くと 又、驚きタクシーで実家へ 着くと
父親「ただいま 悪いね急で」
叔父さん「かまわんがな それより疲れたろ はよ上がりや」と私の顔をみるなり「母さんや母さん」おばさんを呼びました
おばさん「なんね どないしたとね」叔父さんが私を指差しすると
おばさん「これ なんね T康さん(父親の仮名)困るだよ こげんなもの」
父親「一晩だけだ、明日にはあっちにやるから」
おばさん「一晩って 死んだら困るに」
父親「そう簡単には死なんがな」後からきたお婆さんが
お婆さん「仕方ね T康が言うだで一晩家で寝かせろ 仏間に捨てていい布団ひいて寝かせろ」と言うことで私は仏間に寝かされました
一晩たちお昼前でしょうか
父親「支度しろ お前は歩いて母親の実家に行け」私はあわてて支度し父親の実家をでて母親の実家へと歩いて向かいました 途中から野良犬が何故かついてきました そして父親の乗ったタクシーが私を追い越し、しばらくすると父親と兄が乗ったタクシーが前から来て通り過ぎました 一時間ほどかかったのでしょかやっとこさ母親の実家にたどり着くと気を失いました 遠くで母親のお姉さんの声が
お姉さん「K君大丈夫、K君 Sちゃん(母親の仮名)どうするだい」もっと遠くから
母親「平気だよ何時もの事だから それに死んだら困るのはあいつらなんだから」の声がしました
次にきずいたのは やはり仏間です ただ母親方の仏間は広くて明るく(父親方は暗くて狭い)布団もお客様用の布団でふかふかでした 又いつの間にか 服を脱がせ体を拭いてくれて誰かのパジャマを着せてくれてました
お姉さん「Sちゃん きずいたよ 顔を見せてあげなよ」
母親「はぁ ふざけんな 何でそんな余分な物預かるかね」
お姉さん「聞こえるよ かわいそうに」後から解りますが 母親の実家は父親からこの時借金をしました 私はお盆を母親の実家で過ごす事になりました 母親とは顔を合わすこと無く過ごしました 兄は父親の実家で預かってもらい 父親は日曜日に一旦帰って お盆休みで松本に又戻った用です 母親の実家に兄弟達が集まり初めました
弟「姉さんどうするだい此れから 別れるのK君は引き取るの?でも 慰謝料なんか貰えないだろ 姉さんが悪いんだから」
母親「何も知らないクセに言いなや 仕方ないやろ あの暴力男 Kは返す」
弟「そうもいかんやろが」実はこの弟も父親に後々借金をしてました
お姉さん「なんか 上手い事なかね」するともう一人の弟が
弟「元のさやに納まったら あちらのプライドを利用して」
母親「プライド?元に戻ったら又、暴力振るわれるわ」
弟「そういうことも話してさ 姉さんの事も無かった事にして」
母親「無理、無理あの金の亡者がそんな事」
弟「出来るよ あの家族なら こっちにはKがいるだろ」
母親「K?あの人にとって あれはストレスの発散する道具だよ」
弟「だからこそ だよ さっき顔見たけど ありゃ人間の顔じゃねぇずらに 頭はぼこぼこ出し 体はアザだらけ あれ世間に出して見なよ」そう、この弟さんは新聞社に勤めているのです(赤旗だけど)
母親「なるほど そりゃいい あの家族にもの言えるがね」と言うと 顔も見せなかった私が私に近づき間近で顔みると
母親「写真ある もっとるよね 商売だもの」
弟「あるよ 原像もすぐ出来るだ」
母親「K はよ脱げ 全部 バリカンあったね 頭刈ってしまお 証拠、証拠」母親は嬉しそうに私を写真で取りました 撮り終えると
母親「少しは訳にたつか これでも」
弟「おい おい」
母親の弟がすぐに父親の実家に電話して明らかに揉めているのが解りました
弟「だいたい話着いたけど 姉さん(母親の実家の姉さん)なんだよT康さんに借金したのかい」
お姉さん「いや、T年君(兄)を引き取る時に世間になるから何かって 云うから」
弟「何かって金額じゃ無いだろ この金額は」
お姉さん「仕方ないだよ 機械入れ無いと 人は雇えんし 父さんは今動けんし」お姉さんの旦那さんはその年腰を壊していました
弟「そんなの 俺達に言えば」
お姉さん「なんとか成るとね 成らんがね T康さんが銀行に“つて”あって借りられるって」
弟「本当に」
お姉さん「それが電話ですぐに借りれただよ 家の人がどんなに言ってもダメだったのに」
母親「あの人が?そう言えば宿代も現金振り込みだったっわ しかも帰りのお金まで、お兄ちゃん連れて来たから(母親は兄を人質として連れてきました)だと思うけど」
そんなこんなで 母親も悪いが父親の暴力も悪い だから今回の事は”水に流して”で納め 母親は父親に謝罪し 父親は母親に暴力を振るわないむねを一筆かいて丸く納めました 残念な事に私への暴力の事は何も無しです
お盆休みが終わる日 父親がタクシーで母親の実家に私達を向かいに来て 町田へと帰りました 帰りは急行で
皆さん おかしく無いですか? 母親は有り金全部、男に取られたのですよ ボーナスも出ない町工場の社員が高級旅館のお金を出し 銀行の保証人で多額のお金を用意できる 此れからまだまだ変な事 そして私の始末が待ってます