セネトとカナル
冷たい夜だった。
「なんでだよ…。なんで、ウソだ」
彼の声は絶望に満ちていた。
ポトリと落ちたそれは、誰に聴取られることもなく森の大地に吸収されて消えた。ーーいや、放心状態で空を仰ぐ、まだ小さな幼子を除いて。
震えるその温かな体を抱きしめると、血の香りがした。その子どもの血ではない。赤い泉のような血溜まり、その上に二つの人であったものがあった。
震える小さな体が抱きしめられると息を飲んで固くなる。
恐怖で泣くことさえできないのだ。
「必ず…仇はとるから。報いは受けさせるから…ごめん、ごめんな」
全ては、定められた運命なのか。
認めるにはあまりにも苦しすぎた。
血溜まりの中で、彼は咆哮を上げた。
✳︎✳︎✳︎✳︎
ーーセネトの名前は母さんがつけたんだよ。
セネトという名前が千年前に居たという勇者と同じ名前だと知ったのはセネトが三年前、十二歳の誕生日だった。
兄カナルからもらったこの世界の歴史の本にそう書かれていた。
創世の女神アルテナが創造したこの世界は約一千年の単位で浄化しきれないマナの澱みが溜まり魔王という存在を産み出してきた。魔物や魔族を従え人類を滅亡への追い込む。
そして、それを倒すべく勇者もまた女神アルテナの加護を得て現れるのだ。
同じ名を持つセネトという勇者も千年前魔王を打ち果たし英雄として讃えられた存在だった。
勇敢に生きてほしいという望みをかけたんだろうなぁと兄さんは言っていた。
父さんと母さんの話をするとき、兄さんはすこし悲しそうに俯いて、何度も俺の頭を撫でた。
兄さんはよく俺の頭を撫でて謝る。
俺には両親の記憶がないから、
自分だけが両親を覚えていることへの罪悪感なのかもしれないけれど。
俺には兄さんがいるし、それは仕方のないことだ。
両親は魔族に殺されたそうだ。
カナルが十二歳、セネトはまだ三歳だった。
行商の旅をしている途中だった両親を失い、彷徨っていたところをトルネルという小さな村の人に助けられた。
村のみんなは優しく、親を亡くした二人を快く受け入れ育ててくれた。
だから、親がいないことへの不満はない、セネトは兄が大好きだし、兄もまた自分を好きでいてくれていることを感じていた。
だから不満なんてのは全く無い。
「まあ、記憶に全く無いのは残念だとは思うけどね」
村の端に小さな墓地がある。
朝の墓参りはセネトの日課だ。
「ごめんね。今日も俺だけだけど。兄さんは森に出た魔物の討伐に行ったまままだ戻らないからさ」
簡素な墓石に、川原に咲いていた白い花を手向けて座る。
「早ければ三日くらいで戻るって言ってたのに、もう一週間も経ってるよ。怪我してないと良いけど。兄さん強いから引っ張りだこなんだよ。何でもかんでも引き受けちゃうから全然休んでないみたい。…最近咳もしてるから体調悪そうでちょっと心配」
記憶の中に無い両親に話しかける。
顔はカナルが描いてくれた絵の中でしか知らないから、いつもそれを想像して話しかけるのだ。
ーー父さんは、セネトより暗めの栗毛の髪だった。セネト、俺の瞳を見てみろ。空色だろ?これが父さんの瞳の色。
暗めの栗毛で、空色の瞳。身長は高くて、手先が器用で、ユーモアがある人。
ーー母さんは、俺と同じブロンドで、…ほら、鏡を見て。母さんはな、お前と同じ綺麗なスミレ色の瞳をしていたんだ。
波打つ長いブロンドの髪、スミレ色の瞳。小柄で、声が綺麗で歌が上手。
ーーとても優しい人達だったよ。
兄が教えてくれる両親の面影と一緒に想像してみる。
絵の中の2人はいつも幸せそうに微笑んでいる。
「兄さん、無理してんじゃないかな。俺、そんなに頼りないかな?俺も討伐行くって言うのにいつも断られる。強くなれって訓練はさせるくせに、実践はさせてくれない」
セネトが不満を口にしても、想像の2人は微笑んでいるだけだ。セネトの想像力なんてこの程度なもの。
この程度だからこそ、寂しい気持ちにはならないで済んでるのかもしれないが。
きっと俺はここに兄さんにすら言えない愚痴を言いにきてるだけなんだろうな。
「おーいセネト!やっぱここにいたか!」
「どうかしたか?」
手をブンブン振りながら息を荒げて走って来たのは村長の孫息子ロイドだった。セネトとは同い年で、親友で、兄に剣を教わる訓練仲間でもある。
「カナルさん達帰ってきたぞ!」
「!!みんな怪我してなかった?」
「鍛冶屋のトムさんがちょっと足怪我したくらいでみんな無事だってさ!」
よかった。みんな無事だった。
ホッと胸をなで下ろす。
「村の入り口にみんな集まってるみたいだけど、セネトも行くだろ?」
「すぐ行く!!」
慌てて走り出そうとして一旦足を止めた。セネトは墓を振り返り笑う。
ーーまた明日ね。
明日は兄さんと来るよと。
想像の2人は微笑んだまま手を振った気がした。