来客 「りんご飴」
はて。
俺は今、何処にいるのだろう?
これは別に、哲学的な問いかけなんかではない。
GPS的に、「現在地が取得できません」状態というか。
ほんとに、何処だ? ココ。
今日は花金だけど、可愛い娘が待っていることだしと、飲み会の誘いも断った。
飲み会欠席のお代とばかりに押し付けられた仕事も華麗に片づけて定時退社をした俺に、一体何の仕打ちだ?
「やや! いらっしゃいまし」
うろたえていると、娘と同じくらいの年の子どもが駆け寄ってきた。
何やら緑色の着物を着ていて、狸の面を頭につけている。
そういや、近所でお祭りなんかやっていたっけか。
夏だしな。
「ぼく、だれかのお手伝いかな?
わるいが、ここがどの辺か知ってたら、教えてほしいんだが……」
「ここは”みせや”さ! お兄さん、記念すべきお客第一号だよ!」
子どもはとてもお気楽そうに、喜んでくるくるまわりそうな勢いで喋っている。
「何の店かな? まあそれはともかく……近くに、親御さんとかいらっしゃるかな?」
俺がわからないことをこんな幼い子に聞いても、わかりゃしないか。
「ちっちっちっ。子ども扱いしてもらっちゃあ困るよ。
ぼくはこれでも一人前の……じゃなかった、この”みせや”の店主なんだからね!」
何かのごっこ遊びだろうか?
しかし、緑の着物ってやつも、なかなかいいもんだな。
娘の七五三で、赤や桃色以外の着物を着せてみても、似合うかもしれないな。
「そいで、お兄さん。何か困りごとかな?」
困りごと、っていうか……。
今すぐ家に帰りたいんだけど。
そう言いそうになったが、ごっこだとしても、俺をお客だというこの子をがっかりさせてしまいやしないだろうか?
「……んー、お兄さん。人がいいねえ」
口ごもっていると、子どもはこちらを見つめながら目を細めた。
何かを見透かされたような気がして、ぎくりとする。
「大丈夫、心配しなくとも、すぐ帰り道に案内するよ。
ちょっぴり残念ではあるけど、待ってる人がいるんだもんな。
はやく帰った方がいいに決まってるさ」
よく分からないが、とりあえずは帰れそう、か?
「まあ、せっかくだし。
ねえ、お兄さん。その、ポケットに入っているでっかいまるいもの。それ何だい?」
「? これ?」
なんとなく慌ててしまって、ポケットから取り出したそれを、取り落としてしまう。
子どものほうへ、ころころと転がっていってしまった。
なんてことはない、何の役にもたたない、ただの大きな鉛玉である。
「これ、どうしたんだい?」
「どうした、って……前に、職場の先輩に貰ったんだよ。
これは代々、先輩から後輩に渡されてきたもんだから、お前にやる、って」
まあ、ずしりと重たいばっかりで、クソにも役に立たないもんだから、こんなもん要らねえよなって。
俺の後輩には渡さずそのまま、なんとなく持っていたもんである。
「お兄さん。これ、貰っていいかな」
「いいけど……そんなもん、どうするんだ?」
子どもには重たいのでは、と思ったが杞憂だったらしい。
片手でひょいと持ち上げて、なんとお手玉にして遊びしだしたくらいだから。
「使い道はなくはないさ。砕いて、溶かして、加工してみたり。もしくは解析してみたり。
なにかしらの材料や、肥やしにでもしてやるさ」
子どもは鉛玉を袂にしまった。
そして、袂から戻した手には、鉛玉と同じくらいの大きさの、棒付きのつやつや赤い玉が握られていた。
「娘さん、待ってるんでしょ。おみやげにどうぞ」
あまりにあたりまえに渡してくるものだから、思わず受け取ってしまった。
娘は、食べたことあったっけか。
喜ぶかもしれないなあ。
娘のことを思い出して、思わずにやけてしまった。
いかんいかん。なんでもすぐ顔に出るって、妻にもしょっちゅう笑われているのに。
「出口は、あっちをまっすぐだよ」
「あ、ああ。ありがとう」
とりあえずは、お礼を言って、足早に帰路につく。
今日は早めに帰って、寝る前に、娘に絵本を読んでやりたいのだ。
寝顔もわるくないが、やっぱりちょっとでも、起きているときに顔がみたいからなあ。
……はっ。
居眠りをしていたらしい。
気づけば、降りる駅に着き、すぐにもドアが開くところだ。
「すみません、降ります!」
あぶないあぶない。
なんとかドアが閉まる前に、混みあう電車を抜け出して、ふうと息を吐く。
そのまま早足で歩いていると、ふと気づいた。
ポケットに、何やら重たいものが入っている。
そうだ、娘へのおみやげに、通りがかった縁日で買ったんだったか。
赤くてつやつやの美味しそうな、りんご飴。
おみやげもあることだし、よろこぶ顔が見れるといいな。
さあ、さっさと帰るとするか。