手紙(2)
幼い頃から、おかしなことはたくさんあった。
いつからか、四六時中、いつでも涙がでそうになった。
転んで痛かった時、親に怒られた時、そういう時にこみ上がってくるような衝動的なものとは違った。
胸のあたりに鉛のような何かがつかえていて、息苦しくて、どこからかしみ出てくるような涙だった。
そういう時は声も出なくて、ただただ垂れ流した。
もちろん、人前で泣くのは恥ずかしい、という一般的な考えも持っていたし、強情だった分人に泣かされるなんてもっての他だったし。
そういうのは決まって、家にだれもいない時にこっそり自室で、もしくは寝る前、電気を消して布団の中で。
すごくつらかったけど、自分でもよく分からないし、誰にどう喋っていいかも分からない。
そもそも周りからすると、わたしはお気楽でわがままな子(実際家族からはそう見られていて、今でもそうらしい)で、そんなことを言おうものなら馬鹿にされて終わっていただろう。
周りには、助けてくれそうな人はいない。
じゃあわたしは、わたしみたいな人を助けられる人になろう。
そんな風に思ったことを、今でも覚えている。
それから、妙な癖があった。
喉から音を出していないと、落ち着かなくて、喉をならしてしまうの。
10才前後からだったか。
ああ、今は検索かけるとなんでも出てくるな。チック症ってやつが該当しそう。
なんて言ったら伝わるかな。音はなんでもよくて、喋っていれば出ない。
でも無言でい続けると、なんでか不安になって、ん、でも、あ、でもなんでもいいから声を出してしまっていた。
授業中でも、友だちと遊んでいても、習い事の時でも止められなかった。
よく、またしゃっくりしているの? なんて言われていたっけ。
小学校の途中から合唱のクラブに入って、そこで毎日、たくさん歌うようになってからは、不思議と人前で我慢できるようになっていったような。
でもそれには随分かかったし、我慢できるようになってからも、自宅では止められなくて。
一緒にいた時なんかに母に、うるさいと怒られるのが地味につらかったな。
変なこともちょくちょく考えたり、試したりしていた。
住宅街で隠れオニをするなら、道路じゃないところを通ったほうがいい。
庭とか家と家の間の隙間なんかを。
何かに追いかけられた時、外を逃げるなら靴がないと遠くへ行けない、速く走れない。
人のものでも何でもいいからとにかく靴を履け、なんて話が強く心に残った。
誰かから聞いたのか何かで読んだのか、それは覚えていないけど。
どこかの家に助けを求めても、いないかもしれない。そしたらそこで終わる。
だから、逃げるなら人通りの多いところまで走っていった方がいい。
真っ暗な中で身体をあまり動かさずに、危なくないように階段を下りるには、足とお尻とで支えつつ擦るようにして……というのは実際何度かやってみていたな。
なんでそんなこと、というのは当時は特に疑問にすら思ってなかった。
羅列すると奇妙だけど、大体は頭の中で考えて誰に話すこともなく、また見られることもない時に行動していたから、特に誰に見咎められることもなかったし。
今思い返せば、なるほどと思うんだけど。
あれは結構大きくなってから、小学校高学年くらいかな。
友だちが、自分が好きだという男の子に、何故かわたしがその男の子のことを好きなんだって、と伝えてからかっていた?ことがあったんだけども。
わたしはそれにすごく嫌な気持ちになって、嫌だからもう絶対しないでねと伝えたんだけれど、その子はずっとヘラヘラ笑っていて。
わたしはそれまで、人は人の気持ちを、あたりまえに感じ取っているものだと思っていたのだけど。
その時初めて、そうではないのかも、と思い始めたんだった、ような。
目で何かを見ることや、耳で音を聞くことがあたりまえになっているように、人の感情が分かることも当たり前なのだと思って、そのくらいの年齢まで生きていた。
「人の気持ちを考えましょう」なんてよく聞くけれど、あれは「人がどうしてそういう気持ちになっているのか」ではなくて、そもそも「その人がどういう気持ちなのかを考えてみましょう」なんだな。
言葉って紛らわしい。
あと、これは説明が難しいのだけれど。
その「感情が分かる」ことに付随してか、他人の感情も自分の感情と区別かつかないくらい鮮烈だった。
いつも周りの人の感情に自分の感情が埋もれてしまっているみたいで、それがまた苦しかった。
特に、「欲」ってやつが厄介で。人って何かを簡単に望むけど、それが良い事とは限らない。
でも、それすら自分が望んでいる事のように感じられた。
だから、これは良い、これは嫌、と切り分けて、嫌なものには抵抗して。
自制ってものを、自分ひとりの欲に対してでなく、他人の感情に対しても行わなければならない分、日々の苦痛がものすごかった。
欲、といえば。
これも10才前後からだったかな。食べ物に対して、欲、というかそれ以上に、執着があった。
食べると安心する。お腹がいっぱいにならないと不安になる。
友だちとお菓子を食べるときなんか、自制が大変だった。
うっかり食べ過ぎてしまわないよう、最低限ペースを合わせなければ、と伸ばしたくなる手を握るのが常だった。
何かで食べつくし、なんて話をちらほら読んだけど、あれをやってしまう人側の気持ち、わかるよ。
飢えたことがあるんだ。飢餓って強烈で、その時間が長ければ長いほど、傷が深くなるんだろう。
わたしの場合は、その衝動自体は、たしか25歳を過ぎるころまで残っていた気がする。
あと、余談だけど、昔から牛乳が好きすぎる。
味わうことをしないでも、喉越しだけでもやたらと美味しく感じる。
飲むとお腹が痛くなる性質だったけど、かまわず毎日ぐびぐび飲んでた。
その割に背は伸びず……。
今でも、飲もうと思えば1リットルくらい一度に飲めちゃう。
小学校の頃、昔から毎月、漫画雑誌を買っていた。
大体、クラスの友だちなんかも何かしらを買っている子が多くて、わたしもその例にもれず。
漫画自体、好きだったしね。
で、これも高学年の頃だったと思う。
いつもの雑誌を買って帰る途中、ふと気づいた。
楽しみだと感じない。
楽しみって、楽しいって、どんな感覚だっただろう?
漫画が嫌いになったとか、つまらなかったとかではなかった。
読んでみれば面白いし、共感もできた。
気がつけばどんなことも、その頃はちっとも楽しいと感じられなくなっていた。
前はもっと違った気がするのに、どうしてだろう、といくら考えてみても、答えは出なかった。
ざっくりと一通り書いたけど、これが、小学生の頃の大体の話。




