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蝉の王  作者: 患者211D
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5.葵

5.葵



 凛はもともと変な子だった。


 いわゆる電波系とか不思議ちゃんとかではない。変なのだ。変わっている。人と違っている。


 どこが違うって、雰囲気だ。つまり物理的に何かが違っている訳ではない。目に見えない部分が人と違っている。


 たとえば、彼女はいつも落ち着いている。焦ったり怖がったりしているところを見たことがない。いつも涼しげな顔をしている。


 もちろん彼女だって人間だから、驚いたり怒ったりすることもある。でも浅いのだ。次の瞬間にはいつものさらさらとした表情に戻っている。冷静沈着というのとはまた異なる。あえて表現するならあれは無だ。


 彼女は頭が良い。記憶力はすごく良いというほどではないが、一度教わったことはもうそれだけで習得できてしまう。何度も繰り返し復習したり練習したりはしない。


 運動神経はあまり良くないが、良くない割に周りにそれを許容されるような処世術を身につけている。だから結果的にまったく問題ない。


 処世術……。それがもっともすごいのかもしれない。彼女は16歳にしてはできすぎるほど身のこなし方が上手い。


 私たち未成年……まだ子供にとって、大人と会話するのは結構大変なことだ。親戚や近所の人なら特段緊張もしないが、学校の先生やアルバイト先の上司などの前に立つと、どうしていいかわからなくなる。


 多分、十代の若者にとって、年齢が上であるというだけで、恐ろしいもののように感じてしまうのだろう。私たちが認識している以上に。また、普段接点がないからどのように振る舞ったらいいかわからないということもある。


 でも凛はその例外だった。彼女は大人と訳もなく喋る。畏まったりせず、いつも私と喋るような調子で、一回りも二回りも上の大人たちと普通に会話する。


 彼女を見ていると、彼女がまるでとっくに成人を迎えた大人のように思えた。かと思えば公園のブランコで日が暮れるまでぼんやりしていたこともあった。私には彼女が6歳にも26歳にも思えた。


 いつのことだったか、私は彼女に尋ねてみたことがあった。凛は、なんでそんなに変わってるの、って。彼女は別に自分が変わっているとは思っていないようだったが、変わっていると思われているのはわかっていた。


 凛は美人だ。なのに今まで浮いた話一つ聞かないのは、彼女の雰囲気によるものなのだろう。同世代の男子には、彼女は難しすぎる。


「私、多分、二回目だと思うんだよね」

「何が」

「人生」

「…」


 なるほど二回目なら、初回の私たちより上手に立ち回れることだろう。何事も、初めてやるより二回目以降の方がずっと簡単でずっと楽だ。なんとなくわかっているだけで、気の持ち方が随分変わる。


 凛は別にスピリチュアル系ではなかったし、私も別に生まれ変わりを信じている訳ではない。でも、二回目の人生という言葉には、私を納得させる力があった。そして凛もそのことを、信じているのではなく知っているのだという感じがした。



 私と凛が仲良くなったのは、家が隣だったからだ。たまたまだ。そうじゃなければ私のような平凡な娘が凛と親しくなるなんてことは決してなかっただろう。


 凛は特定の友人をつくらなかった。クラスメイトとはほどほどに仲良くやっていたが、一線を越えようとはしなかった。常にある程度距離をおいていた。壁をつくっていたと言ってもいい。クラスメイトもそれを気にしなかった。そうさせる術を凛はわきまえていた。


 そんな中、私は凛の唯一の友人だった。お互いの家族公認で、お互いの家は勝手知ったるものだった。親友という表現が適切かどうかはわからない。姉妹、仲間、相棒……。どれもしっくりこない。やっぱり友人かな。


 私は本当に平凡な娘で、容姿も性格も勉強も運動も対人関係もどれもパッとせず、パッとしない割にまあまあなんとかなっていた。


 特に秀でているところはないし、特に劣っているところもない。普通の女子。どこにでもいそうな女の子。そんな感じだ。


 凛がどうして私なんかと一緒にいるのかよくわからなかった。私の何かが良いとかそういうことではなかったのだと思う。昔からずっと一緒だったから、それだけが理由な気もする。


 私は凛のことが好きだった。彼女は良くも悪くも普通じゃない。彼女のさりげない驚くべき性質を目の当たりにするたび、こんな人がこの世に存在するのかと嬉しいような恐ろしいような気持ちがした。彼女を尊敬することもあった。たまには呆れることもあった。本当に不思議な、おもしろい子だった。



 彼女が自殺したこと。まだ実感がわかなかった。凛のことだから、なんだかまだひょっこりどこかで生きているような気がしていた。彼女の存在を身近に感じていた。……彼女の死を信じられなかったからなのだろうか。


 お通夜があって、お葬式があって、初七日を過ぎた。凛が死んだ次の日から、私たちが通う高校で、自殺者が続いた。


 二人目は、自宅の車内で一酸化炭素中毒で死んだ。


 三人目は、線路上に横たわり、電車に轢かれて死んだ。


 四人目は、不倫相手の職場の近くで首を吊って死んだ。


 五人目は、冷たい川の水に溺れて死んだ。


 遺書があったりなかったり、他殺説があったりなかったりしたが、おおむね自殺で間違いないだろうということだった。


 学校は一週間休校になった。マスコミは連日連夜このことを報道した。あの学校は呪われている、と誰もが噂した。なんとかの祟りだとか、いや連続殺人だとか、今時の若者は云々……。


 一部では、凛を神格視する者も現れた。彼女はこの世の終わりに生まれた救世主。彼女が手本を見せてくれたように、我々も肉体の呪縛から解き放たれなければならない。らしい。


 若い世代の間では、凛をカリスマと崇める動きが生じた。彼女はいつの間にか、左手首のいくつものリストカット痕を白い包帯で隠す、薄幸の美少女へと進化した。彼女はイラスト化され拡散されていった。血まみれで、眼帯で片眼を隠しているものもあった。


 自殺は校外へと広まった。全国的に若者の自殺が増えた。女子高生だけではなく、中学生、小学生、また男子も少なくなかった。成人している者もいた。一気に国中に自殺が伝染し蔓延した。自殺はブームと化した。


 私にはわからなかった。凛が言っていたのはこのことだったのだろうか。凛はこんなことを望んでいたのだろうか。凛は確かに神になった。そう、死神に。でもそんなの、凛らしくない。



 私は凛の部屋を見せてほしいと彼女のご両親にお願いした。二人は快諾してくれた。二人とも、疲れきった顔をしている。


 彼女の両親は、彼女に似て、どこか冷めている。一人娘が亡くなったことについて、ただその事実だけ重く受け止め、どうしてだとか何が悪かったかとかは考えない。考えても意味のないことだからだ。すごく実際的で合理的で、私は好きだ。


 久し振りに彼女の部屋に入る。前は彼女と一緒だった。今は一人。でも隣に凛がいるような気がする。凛とは空気だったのだろうか。


 彼女の部屋は前に来た時とまったく変わらなかった。ちがうのは部屋の主がいないことだけ。私はベッドに腰かけた。


 ベッドのすぐ近くに本棚がそびえたっている。一番上は小物類、次に文庫本、ソフトカバー、ハードカバー、一番下に図録などの大型書籍。彼女の蔵書はなかなかのもので、よく借りて読んだものだ。


 文庫本の棚の手前に、包みが見える。以前はこんなもの、なかったと思う。近くで見ると付箋が貼られている。葵へ、と。


 私は迷わず手に取った。キレイにラッピングされた手のひらサイズの小箱。慎重に包装を外していく。中から出てきたのは、ブローチだった。……蝉の形の。


 思わずしげしげと見つめる。くすんだ鉄色の蝉の形のブローチ。よくできている。今は古物商などに出向かなくてもインターネットでこういったものが購入できる便利な時代だ。


 それはとにかく、なぜ蝉なのだろう。別に私は蝉が好きな訳ではないし、凛にしてもそうだ。何か仕掛けがあるのだろうか。箱から取り出してみる。


 持ってみると、金属の心地よい重みを感じる。手のひらによく馴染む。でもただのブローチだ。裏返して確認する。と、中の空洞に何か入っているのが見えた。白い紙片だろうか。


 隙間から苦労して取り出す。若干くしゃくしゃになったが、なんとか破けず取り出すことができた。それは無地のメモ用紙だった。黒いボールペンで書かれた見慣れた文字。


「これで終わりにしてください」


 私は今度こそ呆然と蝉を見つめた。

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