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蝉の王  作者: 患者211D
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4.葉月

4.葉月



 ついに、この時がきたと思った。


 私は待ちわびていた。彼女のために死ねる、この時を……。



 彼女は名前を美月といった。まさに彼女のためにあるような、文字通り美しい名前。私たちの始まりもきっかけはこの名前だった。


「名前、似てるね」


 そう言って話しかけてくれたのが美月だった。高校に進学した最初の日のこと。彼女は私の前の席だった。


 後ろを振り向き、窓からは柔らかな春の日差しを受け、にこやかに微笑む彼女を見て、私は瞬時に虜になった。


 私は中学生のころ、イジメを受けていた。イジメといっても、漫画やドラマにあるような、トイレに閉じ込められたり足を引っかけられたりといったハードなものではない。単に、私が喋るとくすくす笑い出すとか、そんなようなもの。


 恥ずかしかったしつらかったけど、悔しいとかムカつくとかは思わなかった。私の挙動がおかしいのが悪いんだろう。私の外見が見苦しいのが悪いんだろう。そうわかっていたからだ。イヤだったけど納得していた。


 そのような状況だったので、友達はいなかった。小学校の時の友達も、私がイジメを受けているのを見て、離れていった。賢明だ。私はいつも一人で過ごした。それがまたイジメに拍車をかけた。


 だから、高校も不安だった。友達ができるだろうか。またイジメに遭わないだろうか。そんな不安と憂鬱も、一目美月を見た時からすっかり消え失せてしまった。


 彼女に微笑みかけられて、私は彼女に会うために生まれてきたのではないかと思った。


 彼女は不思議な魅力の持ち主だった。容姿が優れているのはもちろんだが、何より雰囲気が、どことなく人間ばなれしている。この世のものではないような恐ろしささえ感じることもある。時代が時代だったら、天女だの魔女だのと言われていたかもしれない。


 私は彼女と友達になり、学校にいる間はほとんどずっと一緒にいた。私は彼女を慕っており、彼女のためならどんなことでもやるつもりだったが、彼女は私を家来のように扱うことはなかった。あくまで対等な関係だった。勝手に私が崇拝していただけだ。


 彼女の髪の毛は黒く、細く、まっすぐだ。肩まで伸ばしたその髪を、よく風がなびかせている。私の赤茶色で太い髪質とは大違いだ。彼女は髪の毛の先から指の先まですべて美しい。



 ある日、夕焼けに赤く照らされた放課後の教室の中で、彼女は私に秘密を教えてくれた。自分は生まれつき人殺しなのだと。


 彼女は生まれる前、つまり母親のお腹にいた時、最初は双子だったそうだ。しかしいつの間にか片割れはいなくなっていた。彼女は一人になった。


 次に、生まれる時に、母親が亡くなった。出血多量によるショック死だったらしい。母親は彼女の顔も見ずに死んだ。


 そして、そのあと、父親が亡くなった。自殺だった。妻を亡くした悲しみが大きかったのだろう。美月は生まれてすぐにまた一人になった。


 そんな星の下に生まれた美月。彼女は確信していた。きっと自分は死を呼ぶのだと。周りの人間に死をもたらすのだと。今までも、これからも。自分が気付く気付かないを問わず。自分の意思に関わらず。


 もしかしたら、冗談でそう言ったのかもしれない。自分のつらい過去が暗く重たい響きにならないよう、冗談めかしたのかもしれない。でも私にとってそれは本当のことのように思えた。その上、次に死ぬのは私の番なのだと震えた。私は選ばれたのだと。


 二人並んで歩く薄闇の帰り道。あれは、そう、確か、一連の自殺事件の最初の自殺者が出た次の日だったと思う。この世とあの世の境目をふらふらする彼女の口元。薄い桃色の唇が動く。


 ……私、人が溺死するところが見たいなあ。


 彼女がそう呟くのが聞こえた。声にはならなかったし、私に読唇術の心得はなかったが、確かにそう聞こえたのだ。私は美月のことならなんでもわかる気がしていた。少なくとも、その時は。



 さて、どうやって溺死しようか。そのまま近くの川に飛び込めば、まあ思いを遂げられるのだろう。でもせっかく美月のために死ぬのだから、もっとこだわりたい。


 時間、場所、方法……。検討することはいくらでもある。一つずつ片付けていこう。


 まず時間。これはすべて決まり次第決行すればいいだろう。幸い私たちには自由な時間が十分にある。


 場所。できればキレイなところがいい。以前本か何かで見た、アステカだかインカの湖のようなところがいい。そこには美しい青い水が湛えられ、はるか底には金銀財宝と生け贄の死体が沈んでいる。


 ただもちろん、日本にこんな理想的な場所はない。近場の比較的キレイな水場を探そう。


 地図で調べてみると、近くの大きな川が良さそうだ。ただ、川だと流れて行ってしまう。肝心の溺死するところがわからない。水深も深くなさそうだ。どうしようか。


 ……重りをつければいいのだろうか。そうすれば、流れて行かないし、浅すぎなければちゃんと溺れることができる。赤ん坊は水深5センチでも溺死するという。私も30センチくらいあれば、きっと大丈夫だろう。早速準備をした。



 月のない晩だった。私は美月と午前零時に待ち合わせをした。美月はいつもより一層美しく見えた。彼女のために死ねるなんて、こんな幸福なことはない。


 河川敷を下りる。靴下に雑草がつく。私は構わないが、美月には申し訳ない。なるべく踏み均された獣道を選んで歩いた。美月は黙ってついてくる。


 水の流れる音が次第に強くなる。空気も瑞々しくなった気がする。いよいよだ。心臓が高鳴る。鞄を持つ両手に力が入る。


 川縁についた。水は暗く、黒い。夜だから当たり前だ。鞄から、ペットボトルを取り出す。靴を脱ぐ。靴下のまま川へ進む。水が冷たい。足の裏が小石でごろごろする。痛くはないが、不快だ。


 そのまま先へ進む。私の膝まで水が届く。水底は粒子の細かい砂や泥になっている。足をとられてうまく歩けない。……もうこのあたりでいいだろうか。


 その場にゆっくり腰を下ろす。おへその下まで水につかった。寒い。歯がガチガチ震える。あっという間に体温が奪われていく。早くしないと。持ってきたペットボトルに水を入れる。手がかじかむ。


 美月は川縁からじっと私のことを見守っていた。暗くてぼんやりとしかその姿はわからない。でもきっといつもの表情をしているのだろう。彼女のためにも、急がねば。


 ペットボトルの蓋をする。ポケットからゴムバンドを取り出す。それで重たいペットボトルと私の頭とを固定する算段だ。だが、うまくいかない。


 手がかじかんでいるのと、ペットボトルの重さとで、なかなかうまく固定できない。寒さで体が思うように動かない。何度も同じような失敗を繰り返す。指先が痛い。


 焦っていると、前方から水をはじく音が聞こえる。顔を上げると、美月だった。彼女が私の方へゆっくりとやってくる。手伝ってくれるのだろうか。自分が濡れてしまうのもいとわずに。こんな時でも彼女は女神のようだった。


 彼女の姿が少しずつ大きくはっきりとなっていく。その顔にはいつもの神々しい微笑が浮かんでいる。私はすっかり安心してしまった。水の冷たさも忘れてしまうほどに。


 彼女は私のそばまでくると、しゃがみこみ、私の両肩に手を置いた。彼女の白い顔が暗闇に浮かび上がる。ああ、もうここはあの世だ。


「大丈夫だからね」


 彼女はそう言って、私の首を両手で絞め、川の中へ突っ込んだ。


 後頭部から勢いよく着水する。と思いきやすでに私の頭と体は水中に沈んでいる。苦しい。冷たい。痛い。突然のことに状況を理解できない。口から大量の空気が逃げていく。


 美月の細い両腕にすがりつく。その力は今以上に強くはならない。当然だ、彼女は絞殺ではなく溺死を望んでいるのだから。


 暴れる私の体を押さえるように、美月が私に馬乗りななる。彼女の体もほとんど濡れてしまっただろう。可哀想に。可哀想な美月。彼女は可哀想だ……。


 私の心残りは、美月がどんな顔をしているのか見えなかったことだ。

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