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蝉の王  作者: 患者211D
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1.綾乃

「そろそろ人間でいるのも飽きちゃったなー」

「飽きるようなものじゃないでしょ」

「うん、決めた、私、神になる」

「神に……? どうやって?」

「知らないの?」


凛は振り向きにっこり笑った。


「人は死んだら神になるんだよ」


次の日、彼女は本当に死んでしまった。




1.綾乃



 駅のホームで、電車を待つ。平日のこの時間帯は、本数が少ない。かれこれ十分近く待っている。


 後ろのベンチから、若い男の子たちのにぎやかな声が聞こえてきた。


「あれ、アリ?ナシ?」

「いや~ナシっしょ」

「足太すぎじゃね」

「お前、顔見てこいよ」

「マジ?いっちゃう?」


 仲間の一人が遠巻きに近寄り、黄色い線の内側から私の顔を覗きこむ。そして、仲間を振り返り、頭上に腕で大きくバツをつくった。


「ひでー!」

「あれはマジないわ」

「どんな感じ?誰似?」


 顔が赤くなる。体が熱を持つ。なのに、冷や汗をかいている。熱いのに、寒気がする。足が震える。


 私は今品定めされている。あんな下衆な男たちに。好き勝手言われて、辱しめられている。


 私のことをとやかく言えるほどの容姿なのか? どうせこの近くの底辺校の生徒なのだろう。だらしない制服と汚いあばた面が目に浮かぶようだ。


 ああ、私が絶世の美女であったなら、今すぐ彼らを糾弾しただろうに……。


 ただのブスな私は早く電車がくることを、その時誰かが私の背を押してくれることを願っていた。



 自分の容姿が劣っていることに気付いたのは、いつだっただろう。小学生のころは、あまり意識していなかったように思う。


 中学生になり、周りがオシャレに目覚め、彼氏をつくりはじめたころ、私は目覚めたのかもしれない。


 いつの間にか、写真を嫌がるようになった。鏡を見るのも避けた。自分の姿を目に入れたくなかった。


 一度そうなってしまうと、あとはもう、坂道を転げ落ちるようなものだ。


 それでも、何度か努力を試みたことはあった。百円ショップで化粧品を買い、自分の顔に塗ってみた。鏡の中には化け物がいた。化粧品はすべて捨ててしまった。化粧とは、美人がさらに美しくなるためにするものだ。ブスがマシになることはできない。


 また、時には、ダイエットを試みることもあった。自己流のストレッチや筋トレ、踏み段昇降などをやってみた。三日ももたなかった。毎日そんなことを続けられるほどのモチベーションはなかった。スタイルが良くなってもブスはブスに変わりない。


 結局、そのまま高校生になった。可愛らしいセーラー服も、私が着ると台無しだ。私はいつも人目を恐れ、下を向いて生きていた。



 ある冬の日のことだった。同じ高校に通う女子生徒が、自殺したと聞いたのは。


 彼女は同じ学年で、ちがうクラスで、多分話したことはない。でも彼女のことは前から知っていた。美人だと評判だったから。


 彼女は屋上から飛び降り、即死だったらしい。


 マスコミが学校の近くにはびこっていた。私も何度かインタビューを受けた。あなたのクラスにイジメはありますか、とか……。高校生にもなって、イジメなんて幼稚なものはないと思うけど……。


 でもイジメくらいしか想像できなかったのだろう。彼女を自殺へと駆り立てたものが。


 彼女がなぜ自殺したのか。誰もわからなかった。もちろん私もわからなかった。他殺説もあったが、監視カメラの映像などから否定された。


 彼女が自殺したのは間違いない。でも、なぜ? いろんな噂が流れた。男にフラれた、親からDVを受けていた、友人に裏切られた……。そのどれもがしっくりこなかった。


 本当の理由など、わかるはずがない。考えるだけムダだ。そうわかっているものの、私は彼女の自殺に引き付けられた。他の人もきっとそうだったのだろう。彼女の死は、不思議な死だった。


 私はそれから来る日も来る日も自殺のことを考え続けた。図書館で本を借りて読んでもみた。それは自殺全書という本だった。古今東西ありとあらゆる自殺が載っていた。


 いつしか私は、自分だったらどうするだろうと考えはじめていた。少なくとも飛び降り自殺は選ばない。そんな勇気はない。もっと怖くないものがいい。


 オーソドックスに首吊りだろうか。でも苦しそう。線路に寝転ぶ? 家族に迷惑がかかる。ODはいいかもしれない。でもそんなにたくさん薬を飲めるかな……。


 頭の中で自殺カタログを広げる。どれも一長一短だ。怖くなくて、苦しくなくて、簡単で、誰かの迷惑にならない。そんな死に方はない。生きてる方がよっぽどラクだ。


 自殺とは損得ではないのだろう。もうこれしかない、そうなった時、自然と選ばれるのだろう。やり方なんてどうだっていいのかもしれない。私はそう結論づけた。


 さて次は、死ぬ時の気持ちが気になった。死ぬ直前、死ぬまでの間、その人は何を思うのだろう?彼女は何を思いながら死んだのだろう?


 達成感だろうか。後悔だろうか。それとも苦痛か、快楽か。やはり恐怖を感じるのだろうか? なにせ自分の一生が終わってしまうのだ。人生の一大事だ。


 ……味わってみたい。



 一昔前に、練炭自殺が流行った。マスコミに取り上げられ一躍ブームとなり、マスコミが取り上げなくなるとさーっと波が引いていった。


 練炭自殺は、車と練炭があればできる。車内で練炭を焚きあとは待っているだけでいい。手軽で身近なところがよかったのだろう。


 飛び降りや首吊りなど他の自殺とはちがい、練炭自殺は後戻りができる。つらくなったらすぐやめられる。味見をするにはもってこいだ。


 このためだけに練炭を購入するのももったいないので、他に使えるものがないか調べてみた。インターネットは本当に便利だ。ちょっと検索するだけで、おあつらえむきの情報が出てくる。


 要するに一酸化炭素中毒になればよいようなので、私は車のマフラーに何かを詰めることにした。


 決行は今夜一時。私は夜を待った。仮眠をとろうと思ったが、なかなか眠れない。もっとも一度眠ったら朝まで起きられなさそうだから、ちょうどよかったのかもしれない。


 午前一時をすぎた。布団から抜け出す。静かに部屋を出て、階段を降りる。家の中は静まりかえっている。どこからか誰かの寝息が聞こえる。


 玄関にある棚の上に置かれた車のキーを手に取る。たくさんつけられたキーホルダーがチャラチャラと音を立てる。私は念のためその場で一分ほど様子を窺った。……誰も起きてはこなそうだ。


 鍵を開け、外に出る。外も静かだ。虫の声しか聞こえない。町は眠りについている。目覚めているのは私だけのように感じる。この世には私しか存在しないように思える。


 庭の土を寂れたスコップで掘る。車のマフラーに詰める。手を汚したくなかったのでぴっちりとは入らなかったが、まあまあ埋まればよいだろう。


 車の運転席に座った。ここに座るのは子供のころ以来じゃないだろうか。ハンドルを両手で握ってみる。いつか私も車の運転をする日がくるのだろうか。まったくイメージがわかない。


 私は車のエンジンをかけた。……エンジンをかけるまでだいぶ悪戦苦闘した。だが幸いにしてエンジンがかかるまでは何をしてもそもそも反応がない。だからエンジンをかけた以上、もう妙な動作はできない。うっかりクラクションでも鳴らしてしまったら大変だ。


 けっして居心地の良くはないシートに体を預ける。あとは待っているだけで死がこちらにやってきてくれる。甘き死よきたれとは、なんのタイトルだったか……。


 私は少しうとうとしていた。こんな簡単に死を迎えられるなんて、なんだか不思議な感じだ。まるで実感がわかない。


 彼女のことを思い出した。彼女の死は唐突だった。彼女以外の人間にとっては。でも彼女にとってはきっとそうじゃなかった。それと同じようなことなのかもしれない。私たちが気付かないだけで、ありとあらゆるすべてのことに理由も過程もあって、突然なんてものはない。


 でも交通事故とかは突然かな……などと考えているうちに、いつしか私は眠ってしまっていた。



 不快感に眉をひそめた。目を開ける。寝起きだからか目の前がかすむ。自分が今どこにいるのか一瞬わからない。そうだ、車の中だ。


 頭がずきずきする。呼吸か脈拍のタイミングでこめかみにイヤな痛みが走る。息が苦しい。大きく息を吸っても肺に空気が満たされない。浅い呼吸を繰り返す。


 ……もういいだろう。終わりにしよう。エンジンを切ろうと車のキーに手を伸ばす。力が入らない。手元が狂う。私はキーを落としてしまった。座席の下だ。どうしよう。


 座席の下に手を伸ばそうとする。体が思うように動かない。目眩がする。頭痛が酷い。頭が割れるようだ。呼吸を整える。ちっとも整わない。当たり前だ。先にドアを開けよう。


 すがるような気持ちでドアに手をかける。やはり力が入らない。ドアの明け方がわからない。体重をかける。私はバランスを崩してそのままドアにもたれかかった。


 ドアと比べれば座席は快適なものであったことに気付く。車のドアは硬くゴツゴツしていて痛い。でも離れられない。体を起こせない。なんとかしないと、という考えがすぐに蒸発していく。痛い、苦しい、それしか考えられなくなる。


 このままでは、死んでしまう……。私は急に恐ろしくなった。恐怖と焦燥で鼓動がさらに早くなる。呼吸はもはや興奮した犬のようだ。私はパニックを起こした。目の前が暗くなっていく。視界が狭まる。なんだこれは。


 ダメだ、こんなところで、こんな形で死ねない。遺書も残していない。パジャマだし、髪の毛はボサボサだし……。死ぬなら身辺整理をしてからだ。今じゃない。


 後悔する隙間さえなかった。私はそうやって、不本意に死んだ。

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