5:猿のおにぎりって食べられますか?
「二字熟語だと思うの。似たようなのを見たことがある」
「そうか! 矢印は漢字がつながる方向を、つまり一番左のは”意〇”って字になるわけだ」
人体模型の助言に閃く。うん、やっぱり1人より2人のほうが有利だ。3人寄れば文殊の知恵って言うでしょ? 2人だけど。
でも半分内蔵の浮き出た人体模型に横から覗き込まれるのは気が散るどころじゃない。±0。
「図書室」
呟くと同時にカチャリ、と音がした。
準備室の鍵が開いたのだろう。
その証拠にさっきまでは途中までしか動かなかったノブが、今はくるりと回る。
「さあ行こう!」
「待って!」
意気揚々と片手を振り上げたウサギを制して、あたしは人体模型に目を向けた。
「あの。春花、ちゃん」
もしこの模型が春花なら連れて行ったほうがいい。ここにいても元の世界に戻れる保証はない。人間が人体模型になるなんて普通じゃないけど、なったのならどこかに戻る方法もある。はず。
「一緒に行こう」
「マジかよこの人体模型連れてくの!?」
「あんたは黙ってて!」
叫ぶウサギを片手で握り潰して、もう1度模型を見る。
黒く塗っただけの坊主頭も、瞬きすらしない目も、春花の面影なんて全くないけれど。でも。
「あたしは行けない。謎が解けなかったから」
「今解いたじゃない!」
人体模型は首を横に振る。
振るたびに頭と首のつなぎ目がギチギチと鳴る。
「ここで待ってる。だから先に行って」
そう言うと人体模型はくるりとUターンした。きしんだ音を立てながら部屋の隅のガラスケースに戻っていく。
「行こうぜ。時間がない」
ウサギが準備室の前で呼ぶ。
「後で絶対に迎えに行くから!」
そうだ。早く全部謎を解こう。そうすればきっと全部元に戻る。それも物語のお約束。
ここで春花を説得している間にも、あの灰色は近くまで来ている。時間がない。
「……気をつけて。その……は、」
「え?」
ドアをくぐったその時、春花の悲しそうな声が聞こえた。
だが、振り返った時にはもう、ドアも理科室もなくなっていた。
案の定と言うか予想通りというか、ドアを開けた先は図書室だった。
天井まで届きそうな本棚が林立しているせいで、電灯がついていても薄暗い。
「はー。アヤノが人体模型連れて行くって言いだした時にはどうしようかと思ったぜ」
「何よ。あんた友達を置いて行けるの?」
「友達ったって人体模型」
「人間に戻れるかもしれないじゃない」
「けどさー。この先、他の連中に会ったらどうすんのさ。ダイキとか。ハルカの選択は間違ってないと思うな」
ウサギのセリフに黙り込む。
確かに同じクラスの男子に人体模型にされた姿なんて見られたくない。あたしだって嫌だ。
でも待っていたって何も進展しない。もしあたしが脱出できても彼女はそのまま、ということは十分にあり得る。
「ねぇ、この謎が全部解けたらみんな元に戻るのよね?」
ウサギはヘラヘラした笑みを引っ込めた。
何で黙るの? すっごく嫌な予感がする。
「違うの?」
「……さあ」
「そんな」
嘘でも「もちろんさー」と言ってくれれば良かったのか、と言えば、きっとそれも違う。でも気力が期待と一緒にガラガラと崩れていったのも事実。
あたしは空気の抜けた風船みたいにズルズルと本棚と本棚の間に座り込んでしまった。
結果として春花を見捨てたことになるのだろうか。春花は永遠にあの姿のまま理科室にいるのだろうか。
「後で迎えに行くって、言ったのに」
迎えに行かないあたしを春花はずっと待っていて。
迎えに来ないあたしを嘘つきだって思うのだろうか。
「アヤノ」
「うるさい!」
あたしは両手で耳を塞いだ。
ウサギの話なんて信じなきゃよかった。無理にでも連れてくればよかった。祐奈と春花に置いて行かれて「ひどい」って思ったのに、あたしだって同じことをしている。あたしは……。
「疲れてるのかい? 旅人さん」
「おにぎり食べる?」
グルグルと回り続ける後悔におぼれそう。
そんなあたしの目の前に、唐突にニュッ、とおにぎりが差し出された。
「え?」
図書室で、おにぎり?
顔を上げると猿がおにぎりを差し出している。その後ろには柿を持ったカニ。
猿とカニの隣にはガチョウを抱えた男の子と、釣り竿を肩にかけた着物姿の男の人。
カメの甲羅にまたがっている小人は、剣のつもりなのか、腰に針を差している。
数年前に見た映画でも小人が針を剣の代わりにしていたから、きっと小人界隈では流行りのスタイルなのだろう。
「大丈夫だよ。食べたからと言ってあの世の住人になってしまう、なんて設定はないから」
「太郎さん、そんなこと言ったら食べられないよ」
メンバー唯一の大人な男の人が笑顔でとんでもないことを口にする。それをたしなめるのはカメだ。
……何でカメがしゃべるの?
カメだけじゃない。おにぎりを差し出してきた猿もしゃべった。と言うか、猿から貰ったおにぎりって食べられるのだろうか。衛生的な面で。強制的に受け取らされたものの、どうにも口に入れる勇気がない。
それに、この人たち誰よ。
「ああ駄目だわ。やっぱりわからない!」
そこへきて真後ろからいきなり叫ばれた。
その勢いにおにぎりを取り落とす。そのままコロコロ転がって本棚の向こうに消えたけど、「おむすびが転がってきたよー」みたいな歌が聞こえてきたのは空耳だと信じたい。
一体誰よ叫んだの、と振り返れば、背にした本棚の向こう側で同じように誰かが座り込んで本を広げている。やけに鮮やかな赤色の靴。そしてその横顔は――。
「祐奈ちゃん!?」
「ユウナ? あたしはカーレンって言うのよ」
カーレンと名乗った少女をよく見れば、制服ではなくちょっと古びたワンピースを着ている。だが外見も声も、紛れもなく祐奈だ。
「謎解きってキャラじゃないのよね、あたし」
「謎解き!?」
謎、と聞いてあたしは身を乗り出した。
「も、もしかして謎が解けなかったから図書室から出られない、とか!?」
脳裏に人体模型の姿がよぎる。やはり彼女は祐奈なのだろうか。他の面々も姿を変えられた生徒なのだろうか。
「何を言ってるのかわからないけれど、もうずっと解けないの。そして解けない限りあたしたちは帰ることができない」
やっぱりそうだ。
彼らは失敗したのだ。春花のように。
今までも次に進むためには謎を解かなければいけなかった。だとすれば、彼女が手にしているそれを解かなければ、きっとあたしもここで足止めだ。
「あたしにも、見せて」
そして。
彼らはもう手遅れかもしれないけれど、あたしにはまだ解答権がある。
今度は祐奈を見捨てるの?
頭の中でもうひとりのあたしが囁く。
違う。見捨てるんじゃない。だって祐奈ちゃんはもう手遅れなんだもの。
見捨てるの?
だからと言って、一緒に残って何になるの? 解けるなら解いたほうがいいに決まってる。
見捨て、
「違う!」
あたしは首を思いっきり横に振ると、本を覗き込む。
謎のページは冒頭。普通の本ならば目次があるあたりだ。次のページには「人魚姫」「桃太郎」といったおなじみのタイトルが並んでいる。