4:押しても引いても駄目なら破壊! あるのみ!
「やっと出られたぁ!」
あたしは悲鳴にも似た叫び声を上げて、その場に座り込んだ。
ウサギの言うとおり「いつかは出られ」たわけだけれども。よっぽどウサギの首根っこを掴んで締め上げてやりたかったくらい。
目の前には無限回廊の中ではついぞお目にかからなかった教室のドア。
室名札は「理科室」。
いつもなら5分もかからずに辿りつけるこの部屋に何分かかったのだろう。おのれ無限回廊め。と背後に恨みがましい目を向けると――。
「……ない」
つい今しがた通って来た迷路は跡形もなく消え失せていた。
だからといって元の廊下や階段があるわけではない。灰色の霧のようなものに覆われて1メートル先が見えない。
「何これ」
「ほら、急がないと灰色に呑まれちゃうよ」
「え!?」
ウサギのとんでもない言葉に、あたしは慌てて理科室に飛び込んだ。
飛び込んで、ドアを閉めて。
部屋の中が明るいのがせめてもの救いだ。アルコールランプやバーナーではあるけれど一応は火もあるし、水道があるから最悪、籠城もできる。人間って水があれば1ヵ月は生きられる……って違う。籠城するつもりはない。けれど。
「水。とりあえず水」
蛇口をひねると透明な水が流れ出た。
これは嬉しい。いつもなら水道水なんて美味しいとも思わないけれど、今は1本140円で売られているどこぞの天然水にも勝る。
はー、生き返るぅ! ってそうじゃない!
「いつになったら外に出られるのよ!」
迷路を抜けたら脱出できるって言わなかった? あたしは同じように蛇口に口をつけて水を飲もうとしているウサギをつまみ上げる。
そうだ。愛らしい見た目に騙されそうになるけれど、このウサギは味方とは限らない。言い分に従っていても学校の外に、もしくは元の世界に戻れる保証はどこにもない。
うん、そうよ。擬態っていうの? よくあるじゃない、アゲハの幼虫には目みたいな模様があるとか、壁や傘みたいな形の妖怪とか、忍法隠れ身の術! とか。
見た目はマスコットだけど実はラスボスの仮の姿で、あたしが疲れてきた頃にパクっと……うわ! 絶対に背中は見せられない。
「焦りは禁物」
「そんなこと言って! それにさっきの何!? ほら、あの灰色の、」
「さあ」
「さあ、って」
「僕は何でも知ってるわけじゃないのさー」
のらりくらりとかわすところが怪しすぎる。こいつ本当にあたしを助けるつもりってあるの?
第一、助けたところで何のメリットもないじゃない。
何? いいことをするとスタンプがもらえて、景品と交換できるとか!?
「でも友達だよ」
「へー」
味方だ、友達だ、っていう奴はだいたい寝返るのよ。変身ヒーローもので必ず1回は入るテンプレよ。敵が寝返るパターンが多いけれど、たまに逆もあったりするアレ。
結論。信用できない。
あたしは再びドアを開けた。
が。
そこにはもう廊下すらなかった。あの灰色がドアのギリギリのところまで浸食してきている。
煙のように理科室の中に流れ込んで来た灰色を見、あたしはドアをピシャリと閉めた。
「廊下がない!」
理科室の出入口は部屋の前後にある廊下に出るドアと、準備室につながる小さなドア。でも準備室は薬品や実験の道具がしまってあるだけだ。
あとは窓だがここは2階。下手すれば祐奈の二の舞……いや、祐奈ちゃんは落ちてないけれど。
でも大丈夫!
こういう場合、ドアが別の世界につながっているのは物語のお約束。引き出しやタンスにできることがドアにできないはずがない。出でよ、通路!! と、あたしは準備室のドアノブに手をかけた。
だがしかし!
「あーかーなーいー!」
つながっている以前に入れない。押しても引いてもびくともしない。
蝶番のあるドアが横開きなはずもないけれど、お笑いの基本として一応横にも引いてみた。でも開かない。
「……彩乃ちゃん?」
そんな時、春花の声が聞こえた。
え? ここに来て仲間が増えるターンですか?
それも春花ちゃんなら超嬉しい。得体の知れないウサギよりずっと心強いってなものよ!
「春花ちゃ、」
だが。
期待していた姿はない。あるのはひっくり返して机の上に載せられた丸椅子と、壁に貼られた元素記号表と、部屋の隅に置かれている人体模型と……いや!
ガタガタと音を立てて、人体模型が腕を持ち上げた。
そしてガラスの蓋を内側から押し開け、ケースから出て来る。
「ひゃあああああああっ!」
あたしは準備室のドアノブを掴んだまま、死に物狂いでガチャガチャと回す。
そうだ! ドアノブのまわりを銃で撃ってドアを開けるシーンを映画で見た。壊せば開くのではないだろうか。破壊! 破壊! ドアごと破壊!
「そんなことをしたら先生に怒られるよ」
背後に迫り来る人体模型。右半分が裸で左半分が内蔵の、見るからにグロいやつ。しかも男の体なのに声だけは春花だとか。
「彩乃ちゃん」
ペトリ。
人体模型の手が肩を叩いた。
「いやあああああああ!」
ガチャガチャガチャガチャ。しかしドアは開かない。
「落ち着いて彩乃ちゃん。そのドアはこの謎が解けないと開かないの」
「……へ?」
見れば、人体模型の首に1枚のカードがぶら下がっている。
「も、もしかして、解けなかったからそんな姿に……?」
「うん。出口を教えてくれるっていうウ、」
「じゃあ解こうよ!」
話に割り込むように、突然ウサギがふたりの間に飛び込んで来た。
人体模型の首からカードを引きちぎるようにして取ると、両手で掲げる。
「彩乃ちゃん、そのウサギ、」
「ごめん、何で喋るのかは聞かないで。あたしもわかんない」
人体模型を間近で直視したくなくて、あたしは目をそらした。