6.能力解放
美空と話をして、能力を使おうと決心した日から数週間ほど経過していた。7月も中旬になり、季節はすっかり夏だ。ジリジリという太陽の熱を肌に感じる。
「あっちぃ〜」
ぼやきながら街の人混みに揉まれながら学校へと向かう。
ドンッ。
人にぶつかり、携帯を落としそうになる。
しかし小野寺要にとっては焦る場面ではない。
「あっ」
と声を上げたかと思うと、携帯が地面に落ちるスレスレのところでピタッと時が止まった。
「ふぅ、危ない危ない」
宙に浮いている携帯を拾い上げたところで、人々は何事もなかったように動き始めた。あの日から何かと能力を使うようになった要は、この能力が便利だとさえ感じるようになっていた。
「慣れてきたもんだな」
要は最初、自分の意思で能力が発動し、解除も自分次第の無敵能力だと思っていたが、いざ使って試してみたことでわかったことがいくつかあった。
まず、時を止めることのできる時間は限られているということだ。自分で解除しなくても、ある程度の時間が経過すると時は次第に動き始める。つまり、永遠に時を止めておくことはできない。もって5秒から10秒というところだろうか。考えてみれば永遠に時を止めるなど不可能な話だが、要はものの試しに何度も能力を試して時間を測った。しかし、何度やっても10秒以上時を止めることはできなかった。そしてもう一つは、能力は連続して使えないということだ。一度能力を使って、すぐにまた使おうとしても発動しないのだ。2回目の発動までにかかる時間は約10秒。恐らくこれも永遠に時間が止められないようにということだろう。だが、使いすぎても体力が消耗したりへばったりすることはないようだ。欠点といえばそのくらいで、他に能力を使うことに抵抗があるとすればスコタディへの反感くらいだった。
「信号待ちか、よっと、、」
赤信号に引っかかったら時を止めて自分だけ渡り、電車に乗り遅れそうになったらまた時を止めて電車に乗る。自分でも、実にくだらないことに能力を使っているという自覚はあったが他に何に使えばいいのかといった感じだった。もちろん、最初はヒーロー気取りで引ったくりを捕まえたり、車に轢かれそうになった猫を助けたりしていたが、時を止める能力で人助けできることはわりと限られていた。その上大ごとにして目立つのは避けたかったから、気づいたら自分のため、しかもこんな地味なことにしか使わなくなったのだ。それにしてもいつまでこんな生活を続けていれば効果が切れるというのだろう。目標がなければがんばれない性格の要は、ただ、ぐだぐだと同じようなことを繰り返す日々がまた始まったのか、と少し落胆していた。とはいえ、やはり何もなかった時に比べれば自分は周りとは違う、時を止める能力が使えるんだ、という優越感から少しの楽しさを感じ始めていた。
「あれ、要じゃん」
聞き覚えのある声に振り向くと、幸治の姿があった。幸治と会うのは最初に能力を発動した日以来だったので、どきっとした。あの日のことを問い詰められるのではないかという不安要素が、一気に要の頭の中に流れ込んだ。
「おお、幸治か、久しぶりだな」
焦りを悟られないように笑ってみせたが、恐らく引きつっているだろうということが自分でもわかった。
その顔をみて幸治はニカッと笑う。
「ははっ。おま、なんだその顔!てかほんっと久しぶりだな。あの日以来だろー?あの、うどん事件!」
「う、うどん事件、、?」
「おーよ。あれまじでびびったわ〜要、瞬間移動したもんな〜」
あっはっはっ、と声を上げて楽しそうに笑っている。一瞬言葉に詰まったが、幸治の笑いを見ていると真剣に考えていたこっちが馬鹿らしくなった。
「あ〜あれな。凄いだろ、俺」
幸治に向かってドヤ顔をしてやると、さらに高らかな声を上げて笑う。
「やべえな要!薄々周りとは違うと思ってたけど、まさか超能力者だったとはなあ。あ、安心しろよ、他の奴に言いふらしたりしないから。」
「ああ、そうしてくれると助かる」
幸治が馬鹿で助かった。失礼だがそう思った。これで自分の大学生活が危ぶまれることもないと思うとひと安心だ。
「今から学校か?俺も今から行くとこなんだ」
自然な流れで話題を断ち切り、もうこの話題が出ないようにしようと心がけた。
「うーん、どうしよっかな〜と思ってたとこ」
幸治があやふやな回答をしてきたので要はため息をつく。
「お前なぁ、ここまで来ておいて学校行く以外どこ行くんだよ。早く行くぞ」
半ば無理やり連れて行く手段に出た。あとから幸治を置いてきたなどと誠と大我に知れたら、自分まで叱られかねないと思ったからだ。
「ええ〜今からアスカちゃんと遊ぼうと思ってたのに!」
「誰だよそいつ。そんなことより授業の方が大事だろ」
「いいや、俺には女の子と遊ぶ方が大事だね」
「だまれ幸治。もう着くぞ」
そんな言い合いをしながら歩いていると大学が見えてきた。
「やだやだ、行きたくないー!」
子どものように駄々をこねるそぶりを見せる幸治に、要は冷たい目で言う。
「いいんだな?幸治が留年しても助けてやらないからな。」
「要ひでえ。わかったって!授業出るから見捨てないで」
要は久しぶりの友人との時間に少し安堵していた。ついこないだまで当たり前だったこんな日常がどこか懐かしく、久しぶりに感じたからだ。自分だけ特別と言うのは、自分だけ周りとは違うということだ。確かにそれには優越感もあったが、要はそれに加えて少しの疎外感も感じていた。だから普段の何気ない日常によって、自分がただの大学生だということを思い出すことができたのだった。
◇
その頃、美空も同じく学校にいた。
美空が通っている学校は有名なお嬢様学校なのだが、やはりそこは女子高生ゆえというべきか、彼女たちの話題といえばもっぱら誰が好きだの誰と誰が付き合っただの恋愛話が殆どだ。しかし、美空はあまりそういう話が得意ではなかった。というよりもよくわからないと言った方が正しい。美空は恋を知らなかった。もちろんその容姿から告白されることは度々あったが、ちゃんと好きになった人でなければ付き合ってはダメだと、その度に丁重にお断りしていた。
ところが最近の美空はそんな話にもノリノリだった。なぜなら、
「美空さん、本当にありがとう。あなたに相談してよかったわ。おかげでこの間話していたお方とお付き合いすることになりましたの」
「まあ!本当ですか!それはよかったです。お役に立てたのなら光栄です。」
美空は笑顔で答える。そう、最近の美空は恋のキューピッドなのだ。
初めは軽い気持ちだった。要と能力を使い果たそうと話し合った日から少しずつではあるが、能力を使おうと意識していた。ある日、いつもの如く友人から恋の相談(もとい、恐らく話したいだけの惚気だが)を受けた。どうやらあと少しでくっつきそうないい感じの相手がいるのだが、相手が自分のことをどう思っているのか不安でどうも一歩踏み出せないという内容だった。そこで美空は自分の"思考を読み取る能力"を使って何かできないだろうかと考えた。その結果がこれだ。なんと、美空は直接聞きに行ったのだ。しかし考えてみれば単純な話だった。ただ、あなたの好きな人は誰?と聞くだけでいい。答えはいらない。美空にはわかるからだ。その人が考えていることが。いきなり知らない人に好きな人を聞かれたとしても、本当に好きな人ならばとっさに思い浮かんでしまうのだ。もちろん聞きに行くときはズボンにパーカーのフードを深くかぶり顔が見えないようにしている。以前、そのままの美空の格好で聞きに行って、告白されてしまったことがあったからだ。この能力があれば恋のキューピッドになるにはそう時間はかからなかった。とはいえ、要同様美空の能力にもいくつか制限があった。まず、能力は持続しないということ。つまり聞きたいことを読み取りたいときは会話で誘導するなどして、答えを限定させる必要がある。もう1つは相手の目を見た時に限り、この能力が発動するということ。いくら思考を読み取ろうとしても、目が合っていない状態では能力を使うことはできないのだ。しかし、美空にとってはその制限もあまり厳しい制約ではなかった。美空は意図のままにその力を使い、相手の好きな人を聞き出す。そして、お互い好き同士ならGOサインのアドバイス、片思いならまだ待てというようなアドバイスをした。そんなことをしていたら、いつの間にか、西ノ宮美空に恋の相談をすると恋が叶う、などという噂がみるみる広まり、今や学校中の恋に悩める女子たちが美空に相談したいと詰め寄せる始末だった。
「ふぅ〜今日も良いことをしました。やってみると結構楽しいものですねえ」
ようやく1人になれた、という感じで学校の中庭でひと息をついた美空は、ニヤニヤしながら1人つぶやいた。美空の方もまんざらではない様子だ。能力を使って人から感謝されるのなら、自分はこの方法で能力を消化していこうなどという考えにまで至っていた。
「西ノ宮さん!」
「はひっ!」
完全に1人だと思っていたところに急に声をかけられたので驚いて変な声が出てしまった。
「こんなところにいましたの?!探しましたわ。わたくしB組の神宮寺京子と申しますわ。実はご相談がありまして、、、」
「ええと、恋のお悩みですか?」
またか、という調子で聞くとどうやら正解のようだ。
「そうですの。実はお隣の男子校にとっても凛々しい方がいて、わたくしその方にひ、一目惚れしてしまったのです。」
このお嬢様学校である私立花咲女子学園の隣には、兄弟校である私立花咲男子校がある。単に男女に分けられているだけな気もするが、男子校の方もなかなかのお金持ちが集まる有名な学校であった。それゆえ美空が通う女子校の生徒たちの殆どは、この花咲男子校の生徒たちに恋をするのが当たり前になっていた。その逆も然りである。
「ひとめぼれ、、ステキですねえ!どんなお方なんですか?」
「いえ、まだ一度もお話はしたことありませんの。だけど、あの方のお顔が頭から離れないのです。どうしたらいいのでしょう〜!明日、学校に乗り込んで告白してしまいたいくらいだわ。」
顔を真っ赤にしながら美空のことをバシバシと叩いてくる。神宮寺さんのことは隣のクラスだったので知っていたが、話すのは初めてだった。大人しそうに見えて、実はこんなに面白い人だったのかと正直驚いていた。しかし一度も話したことがないのに好きだと言っても、相手の人が神宮寺さんのことを知らないのなら能力を使うまでもなくその恋は実らないであろうということは、さすがの美空でもわかった。
「神宮寺さん、あの、言いにくいのですが、今の段階でその行為は非常に無謀だと思いますよ、、?まずは、お話してみたらいかがでしょうか?」
「そ、そうですよね!確かに、、うん、わかりましたわ。わたくし今から彼に会いに行きます!!」
「ほ、ほう」
神宮寺さんのあまりの気迫に美空は圧倒された。
「西ノ宮さん!一生のお願いですわ。ついてきてくださらない?」
「えっ、私がですか?!」
「はい、西ノ宮さんがいれば何だか勇気が出る気がしますの」
そう言われてしまっては断る理由もない。美空は仕方なく彼女の一世一代の恋に付き添うことにした。
「はぁぁぁあ、緊張しますわ〜」
「神宮寺さん落ち着いて。それで彼の名前とか何か情報はないんですか?」
「確かあの時一緒にいた友人に、"カイト"と呼ばれていましたわ。名前まで凛々しいのです!」
「カイト?聞いたことあるような、ないような。それにしても校門で待っていれば出てくるんでしょうか」
「さすがに正式な用がないのに中に入ることは規則で禁じられていますからね。はぁ待ち遠しいですわ。」
いかにも緊張した趣で待ち構える。すると、きゃああという黄色い声援とともに近くが騒がしくなる。
「な、なんでしょうかあれは、、」
「はわわ!いらっしゃいました。あのお方です!」
「ええっ?」
見ると群がる女子たちの中にとびきり異彩を放つ男子がいた。異彩を放つ、というかすごく目立っていた。有名私立の男子校にしては明らかにそぐわない容姿をしていたからだ。明るめの茶髪にピアス。まるでどこかの不良のような出で立ちだ。しかし、顔自体はとても整っていて女子が騒ぐのも頷ける。出待ちの女子たちだろうか。「カイト様〜〜!!」そんな声が飛び交う中、その人はとても気だるそうにしている。ふと、こちらをちら、と見て目が合った、気がした。隣では神宮寺が、今こちらを見ましたわ!と、嬉しそうに顔を赤らめている。こちらに気づいたのだろうか。すると次の瞬間、目を疑う光景が目の前で繰り広げられた。
カイトと呼ばれるその男が群がる女子たちに、
『うるせえぞお前ら、とっとと、帰れ!』
そう叫んだ。すると、途端に今まで騒いでいた女子たちが
「はい、わかりましたわカイト様」
と言ってクルッと体を反対に向け大人しく帰り始めたのだ。ハッキリ言って異様な光景だった。唖然として神宮寺を見ると、彼女は
「ちょっと!西ノ宮さん、ライバルたちが帰って行きますよ。今がチャンスですわ!」
と、嬉しそうにしている。今の光景に気づかなかったのだろうか。美空だけがその違和感を感じていると、今度は神宮寺が、きゃああと黄色い声を上げた。ハッとして視線の先を見ると、カイトがこちらへ歩いてくるようだ。
「大変です!カイトさんこっちに来ますよ!どうしましょう西ノ宮さん!」
「ど、どうしましょうって言われても、、」
「おい、お前ら。俺になんか用か?」
信じられないほど冷たい視線が2人を捉えた。当の神宮寺は、心ここに在らずという感じで、カイトのことをうっとりと見つめている。
「あ、あの、こちら神宮寺さんと言いまして、あなたと是非お話がしたいというのでお連れしたのですけど、、もしよろしければ今から少しお時間、、、」
美空は言いかけてやめた。というより言葉が出てこなくなってしまった。カイトと目が合い、硬直してしまったのだ。
(なん、です?この人、何か凄く、危険な感じがします)
そう思った美空は、ほぼ無意識のうちに能力を発動していた。と、同時にカイトの眼の奥に吸い込まれるような感覚に陥る。
「、、、へ?」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。気づいた時には、さっきまでいたはずの男子校の校舎から美空と神宮寺は少し離れた場所にいた。後ろを振り返ると、遠くにカイトと思われる人の姿が背を向けて歩いている。信じられない。何が起きたというのだろうか。
「あ、れ、、?さっきまで目の前にカイトさんがいたはずですのに、、あれ??」
どうやら神宮寺も事態を把握できていないらしい。
「なにか、嫌な予感がします。」
美空は直前に読み取った彼の思考を思い出しながら、彼の背中を見つめた。