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精霊捜査線/鷲頭・豚頭の従者達は夜に啼く  作者: Ann Noraaile
第1章 ラバードールの死
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ファビュラス・ハデス 04: 娼婦館ローズマリー

    04: 娼婦館ローズマリー


 三人目の娼婦と話す頃には、漆黒にも、おおよそこの世界の仕組みというものが見え始めてきた。

 此処には漆黒の沈んでいたウエストアンダーワールドより、少しは秩序らしきものがある。

 ローズマリーは売春館であると同時に、違法処置者などの避難場所でもあるようだった。

 利兆が悩んだように、この時代では、事故や病気以外を原因とする以外の過度のバイオアップ処置者とその関係者は法律によって厳しく罰せられた。

 その罰則の種類や軽重には様々なものがあるが、最も厳しい処遇の中に『全てのID情報の抹殺』があった。

 この時代にあってID情報を根こそぎ抹消される事は、その人間の社会的生存権を奪われることと同意義になる。

 全ての電気・ガス・水道と言った最低限の公共サービスもこのIDを対象に行われるから、人との接触のない孤絶したサバイバル生活がID喪失者に可能なら話が別だが、ID喪失は物理的な生存権も奪う事になる。

「自ら人間である事を放棄した存在に人権は必要とされない。」というのが、この刑罰を成立させる基本原理だ。

 現在、この基本原理に意義を唱える者はいない。

 理想主義者や人権擁護に立つ人間がいなくなった訳ではない。

 この時代では、スピリットに限らず、外見上人間と寸分違わぬ生命体が製造可能であり、同時に人間の外観は嗜好によって自由に変えられるまでになったからだ。

 もちろんクローン人間もその範疇に入る。

 今世紀最大の課題は、人工生命・知性勢力の台頭が充分に考えられる社会背景の中で、「なにをもって人間とするか?」だった。

 哲学的にも宗教的にも、この問題の答えは出ていない。

 ただ一つだけ明確な対処方法があった。

「人間として生まれた者は、最後まで人間として留まり、その他の存在として生まれた者はその世界に留まらなければならない。いかなる理由があろうとも、その境界を越える事はあってはならない。」という鉄の規範である。

 しかし、このID抹消は、この社会から逃亡を望む者にとっては、逆に福音となる場合もある。

 「罪と罰」は、この「境目問題」が生まれる前から星の数ほど存在するのだ。

 犯罪者たちは、原型をとどめぬまでのバイオアップを己に施す。

 そうなれば誰も彼を特定する事は出来ない。

 ただしIDの再交付は、正式な手続きをとらない限り出来ないことになっている。

 つまりその時点で、彼のIDは抹消されるのだ。

 しかしそこからの問題は、彼らを受け入れる先の世界さえあれば解決する。

 例えばローズマリーのような娼館がそれに当たる。

 警察機構がこれほどまでに弱体化した原因の中には、バイオアップ処置技術の発展と民間への普及があったとも言われているのは、その構造も含んでの事だった。

 野良クローン人間である漆黒は、自分自身が警察機構の一歯車となる事を自ら政府に宣誓して、仮IDを取得している。

 正規登録のクローン人間は、彼らの身元を保証する人間のIDに紐付けされた准IDを与えられるが、准IDと正式IDに見た目上の差異はなく、多くのクローン人間たちは、死ぬまで自分がクローンであることを知らない場合が多い。

 又、そうでなければクローン人間を生み出す理由もないのだ。

 不慮の事故で死んだ人間をクローンで再生する。

 本人は自分が誰の身代わりであるか等と自覚する必要は、全くないのだから。


「で?あんたの場合は、前世で何をやらかしたんだい?」

 思わずそう口にしたくなるのをぐっと堪えて漆黒は、相手の異常にキュートな顔だちを見つめながら、黙っていた。

 彼女の名前に意味があるなら、彼女の名前は「MM」。

 『男性と平等でありたいと求めるような女性は、野心が足りていないのよ。』などと、その唇で囁けばサマになりそうだった。

 大昔、そのエロチックさで一世を風靡した女優そっくりの顔とボディを持った処置者は、自分の思い出話から、いよいよジェシカ・ラビィとの繋がりに話を移行し始めたばかりだ。


 漆黒は、彼らの前でなんと「利兆の甥っ子」と紹介されていた。

 この甥っ子は、ゆくゆくは伯父の商売の本格的な手伝いをする存在であり、今はその見習い期間だと紹介されていた。

 この裏世界での渾名はジェット、「漆黒」から取ったものだ。

 ウエストアンダーワールドで漆黒は子どもの頃、ブラックパールと呼ばれていた。

 少年漆黒の輝くような可愛らしさが人目を惹いたからだ。

 少し後は、それに悪魔がついて「悪魔の黒真珠」、、。


 ジェットの響きは、まんざらでもなかったが、『噴射のJETではなく黒光りするJetBlackの方だ』と、一々、説明するのは面倒に思えた。

 名前はともかく、漆黒は始めこの設定に違和感を持っていたが、今は利兆に先見の明があったと感じ始めている。

 警官という身分を明かしてでは、いくら弱体化しているとは言え、過去を引きずる処置者相手に尋問形式で聞き出せる内容には限界が多々あったに違いない。


「とにかく、ジェット。人間てのは過去、自分がどんなだったかよりも、今の姿の方が心に及ぼす影響が大きいんだって事を覚えておく事ね。勿論、お客の中には、私たちの過去との落差を楽しむ人もいるけど、、。ねぇ、ジェット、あんたならそんなお客に、私をどんな風に紹介する?」

 エロチックな大女優は、面倒見の良い姉御を気取っているようだった。

「俺なら、こういうね。お客さん。この子は、今、こんな風にみえれるけど2年ほど前には、筋骨隆々とした大男だったんですよ。ついでにいっちゃえば、人を五人ほど殺している。あんた、幸せ者だ。そんな男を自分の下に組み敷いてやっちゃえるんだから。」

 「MM」の目が奇妙に煌めいた。

 漆黒はそれを不思議に感じた。

 その煌めきは、漆黒が見てきた数多くの人間たち、それは主に犯罪者だったが、彼らには決してなかったものだ。

 だが目の前のこの女の前世が、犯罪者以外のものであるはずがなかった。

 しかし完全な虚無や泥沼には、煌めきはない。

 こいつらは一度墜ちて、再び何かにすがって這い上がって来たんだ。

 この煌めきは、その『何か』のエネルギーの残滓に違いなかった。

 勿論、それは普通の人間にとっては、がらくたに過ぎない、ものごとへの異様な迄の執着なのだろうが、、、。

 がらくた、、、それは人によって違うのだろう。

 時々、人は他人から見れば取るに足りない事に命をかける事もある。


「うまいわね。さすがに、ボスの甥っ子だけの事はあるわ。でも、ちょっと違う。」

「何が、ちがうんだ?」

「そうね。客の分析のほうよ。ここに来る客は、かなり屈折している。私の元の姿が、狂暴な大男だったとしても、ここに来る男たちはやっぱり、女になった私に、征服されたがるのよ。征服するんじゃなしにね。」

「ふーん。そんなものかな。でもそれはケースバイケースでみんなに当てはまるとは言えないだろう?」

「私の場合は、みんなそうだった、わ。」

「殺されたジェシカ・ラビィの場合は、どんなだったろうな?」

「あの娘の場合は、客のより好みをしてかたら、お客の性癖の偏りはもっと凄かったんじゃない。あれっ。これって逆か。この場合、お客じゃなくって、ジェシカの性癖の話になるわね。」

 『より好み?』

 そう、そこだ。

 それで害者と外界との繋がりが一気に見えてくる。

 しかし漆黒は、はやる心を押さえた。

 彼は今、刑事ではない。

 あくまでも、利兆の甥、ジェットだ。

 今は客の性癖の傾向の話を続けなければ。

「第一、あんな外見だからな。生きたダッチワイフだ。俺には、あんな娘を買う客がそんなにいるとは思えない。ラブドール買って家でやってりゃ充分だろ。最近は安くて凄えのがいくらでもある。」

「おばかさんね。生きてるダッチワイフ、ここは、それが売りなのよ。ありきたりの普通の娘なんかは、どこでも手にはいる。ああいう系統のフェチを持っている人は多いのよ。彼女は、売れっ子と言ってもいいぐらいだったわ。でも彼女、完全に『売り』だけで、此処と契約してるわけじゃないから、本人も店も客を断るのに大変だったみたいよ。」

「、、ここで働く人間には二通りあるんだったね。匿ってもらう代わりに、客を取る必要がある人間と、金を支払って匿ってもらう人間。ジェシカ・ラビィは、後者だったというわけだ。娼婦は偽装、お客を取るのは、あくまで自分の楽しみの為ってわけだ。」

「微妙な所ね。よく知らないけど、彼女の場合は、半々じゃなかったのかしら。彼女は、それでよくブルーノといい争いをしていたわ。処置の中には、一回きりじゃなくて、継続的に施術を必要とするものがあるのよ。その度に、巨額のお金が必要だわ。だからお金も、稼ぐ必要が、あった。」

 漆黒は死体の表面をぴったりと覆っていた黒いゴム膜を思い出していた。

 人間の肌なら新陳代謝があるが、ああいったものには、いくら皮膚呼吸機能を付加しても劣化は免れないのだろうと勝手に想像をしてみた。

 その分にかかる処置や維持費用まで、ジェシカ・ラビィは自前で用意が出来なかったのかも知れない。

「でもジェシカ・ラビィは、自分の好みの客しか取らなかった。だからブルーノが文句を言ったわけだ。」

「正確には、相手は一人だったみたい。彼女が此処にやって来た頃は、もう少し融通があって、数人だけど違う客をとってたわ。彼女、最近ずいぶん人が変わったから、、。」

 ジェシカ・ラビィの相手の特徴や名前を聞き出したいという欲求が漆黒の中に急速に膨れ上がってきて、今度はそれを押さえられそうになかった。

 だがその答えは、あっけなく向こうから返ってきた。

「彼女。昔からあまり人つき合いのいい方じゃなかったのよ。相手がどうやら男性らしくて、特定の人物だって知っているのは私ぐらいじゃないかしら。でも顔とかは見たことがないのよ。」

 そのあたりの事情は、今までに話してきた彼女以外の二人の娼婦との会話とも一致していた。

 娼婦達は、「私はあの子の事はなにも知らない。もし知っているとしたらお姉さんだけだ。」と異口同音に言っていた。

 更に困ったことに、こういった施設は、徹底的に顧客のプライバシーを守るように出来ていて、その男については、当事者に最も近い彼女たちが知らないというのなら、他に探し求める伝手はないだろうという推測が成り立った。

 つまり目の前のこのお姉さんが、何も知らなければ、ここでの調査はそこで行き止まりだ。


「どうしたの?ジェット、暗い顔をして、そんなにジェシカの事が気になるの?」

「ああ。伯父から聞いたんだけどジェシカ・ラビィは殺されたんだろう?一人殺されるって事は、次の可能性もあるって事じゃないか。だけど、今のシステムじゃ、ローズマリーの男たちは誰も君たちを守ってやれない事になる。だって殺人者の顔を知っているのは殺された当人だけって、事だろ?」

 漆黒のでたらめを聞いて、大昔の女優の顔をした女の目が潤んだ。

 ローズマリーの男たちが娼婦たちを守るというくだりが、彼女の涙腺を刺激したのだろうか。

 それともこれが、この女の演技というか偽装なのだろうか?

 もしこの女の過去が、漆黒の推測どうり大量殺人犯ならお笑いもいいところだった。


「ジェシカの仇を討ってくれる見たいな口ぶりね。」

「伯父には、まだ相談していないけど。このままほっておけば噂は広がる。勿論、警察沙汰にも出来ない。民間に頼むのも一つの手だけど、事がバイオアップがらみだと、彼らはいつでも誰にでも金を多く出すほうに転んでしまう。例えば、この前、契約した民間に内情をマスコミに売られた整形バイオアップ業者がいたじゃないか。奴らに言わせれば、バイオアップの関係者なら相場の契約料の倍払え、そんな事も判っていないからマスコミにチクられるんだって事になるだろう。つまり民間に依頼しても、奴らの食い物にされるだけさ。でも、ほっておいちゃ、客足は確実に落ちる。だからなんとか、この件は身内でカタをつけるべきだと思うんだ。」

 「MM」は感心したように、漆黒の顔を見つめると、暫く考え込んでいた。

「ちょっと待って。今、思い出した事があるわ。あの日は凄く、ローテーションが厳しくてジェシカがお客と使ったあとの部屋をすぐに使わないといけなかったの。ルームキーパーの娘が手早く準備したんだけど、部屋の中には二人の匂いが残ってた。ゴムの匂いは勿論なんだけど、その中に、かすかに金属の匂いがしたのを覚えてる。」

「金属の匂い?」

「そう、金属の匂い。私が今ごろまで、どうしてこの事を覚えているかというと、その時に頭にひらめいたイメージのせいね。それが今考えると、おかしいんだけど、パンパンに膨らませたゴム風船の表面に剃刀の刃をあてて破裂させるイメージなのよ。で。」

 女が、そこまで言い掛けた時、応接室のドアがノックされ、利兆が顔を見せた。

「すまんがジェット、もうそろそろ彼女を解放してやってくれんか。夜の勤めに入る前には、彼女らなりの準備てものが必要なんだよ。」



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