ファビュラス・ハデス 03: 臨月ストリート
03: 臨月ストリート
漆黒は、臨月ストリートに向かう車の中で、運転を鷲男に代わろうかと考え始めていた。
能力的にはドク・マッコィが言った様に、それが十分出来るはずだった。
漆黒が、そういった事をさせないから鷲男の経験値が上がらない。
結果的に鷲男は木偶の坊のままという悪循環に陥っているのかも知れなかった。
漆黒は、スピリットを育て上げて不足しがちな警官にしていくという、このプロジェクト自体に不信感を抱いていたし、それが成功しないと感じている多くの警察官の内の一人だった。
しかし、自分が預かっているスピリットが、一向に成長を見せず内心焦り始めている所に、昨日の豚男との屈辱的な遭遇を果たしたのだ。
多少は、漆黒の中にも鷲男に対する関心が膨らみ始めている。
「よし、もういいだろう。今度のヤマはでかいんだ。いつまでもお前の面倒はみていられない。出来るかどうかはわからんが、今日から、お前は俺のサポートにまわる。」
漆黒はここで言葉をくくって、次の言葉を付け加えた。
「いいな。だからって、俺の相談相手になれといっているんじゃないんだ。俺が両手を使わなくてはいけない時、お前は、俺のどちらかの手の役割をするか、補助をする。ただそれだけでいい。」
漆黒は幹線道路の流れから車をそらせ道端に止め、運転席から降り反対側に回り込んだ。
助手席のドアを開けると、座っていた鷲男にゆっくりと正確に命令した。
「運転をかわるんだ。行き先は臨月ストリートだ。」
するとまさに、鷲男は漆黒の命令を聞き分けたかのように助手席からおり、運転席に座った。
更にそればかりか、鷲男はエンジンをスタートさせたのだ。
「やれば、できるじゃないか?」
漆黒は少し興奮ぎみにいったが、暫くしていらだちが募ってきた。
鷲男は優雅にハンドルを持って正面を見つめたまま、一向に車を発進させようとしない。
漆黒は怒りを爆発させる前に、ふと心に思い浮かんだある一つの事を試してみる事にした。
「悪かったな。臨月ストリートってのは、第十七ブロックBB04一帯の俗称だ。このルートからだと南南西から入り込んでいくと17BB04の中でも特に中心になる地域に辿り着く。」
漆黒がそう説明し終えたとたん、鷲男は車を実にスマートに発進させた。
臨月ストリートは、一部を除いて寂れた色町だった。
しかし、漆黒が「物心ついて」間もない頃には、臨月ストリートは、その名前の由来通り、男達にとってはどうしようもなく「最低」で、同時に「最高の街」だったのだ。
西のアンダーワールドで、仲間たちとくすぶっていた漆黒でさえ、臨月ストリートに憧れを抱いていたものだ。
臨月ストリートは過去において、余りにも色町として成長し過ぎたのかも知れない。
やがて街の活気は飽和した安定の中、低調になり、男たちの目は違う刺激のある土地に向いていった。
こうした色町に必要な湿り気が、すでに臨月ストリートから乾燥してしまったからだ。
しかし、時代の流れは、再びこの街にSEX産業の活気を与え始めていた。
きっかけは、この南北に長く伸びた臨月ストリートの南の外れ、つまり背後を港の倉庫街にしたもっとも寂れた場所に出現した一種の『際物的な性』をセールスポイントにした娼館だった。
そこにいた娼婦達が変わっていた。
彼女たちは全て、法的にぎりぎりのバイオアップ処置者だったのだ。
そこでは人間が想像するあらゆる欲望を、直の肉体で応える事が出来た。
そこで体験出来ないのものは、死姦だけだともいわれた程だ。
やがて臨月ストリート南部は、その一軒の娼館を核として、かなりの秘密性と危険性をもった色町として再生したのである。
昨夜、港の倉庫街で転がっていたゴム人形は、こうした臨月ストリート南の特殊娼館で雇われていた娼男の一人だったのだ。
そして殺された男の身体は、法定基準を遥かに上回った処置を施されてあった。
法定基準を上回った処置、つまりそれは、かって人間であった頃の社会的存在証明を失うという事でもある。
社会的存在証明は、全てのクローン人間達に取って最大の悩みの種だというのに、人間の中には、それに全く興味がない人物も存在するという事だった。
「・・だから被害者は、ある意味で、お前たちと同じ存在だとも言えるな。人間であって人間ではないんだ。どこから来たかというスタートは違っても、何処まで来ちまったのかという結末は、同じなのさ。」
漆黒は、昼間の臨月ストリートの裏わびしい光景を車の中から眺めながら鷲男に、昨日の調査結果をまるで職業的でない口調で言って聞かせた。
それは、独り言のようでも、家族に向かって使う口振りのようでもあった。
無理もないのかも知れない。
同乗者が人間なら、漆黒も刑事然とした喋りをしただろうが、相手は一言も喋らないスピリットなのだ。
漆黒は自分の頭の中で考えている事を、そのまま口にしているのだった。
そして漆黒はその表面のポーズとは裏腹に、多分に『湿った部分』のある男だった。
自分の原体である漆黒賢治なら、おそらくそんなセンチメンタルな事など考えもしないだろうと漆黒は思った。
「ようし、正面左手に白い教会風の建物があるだろう。あの横の駐車場にいれるんだ。昨日はあまり時間がなくて、聞き込みが不十分だったが、今日は経営者を少しは締め上げてやれるだろう。」
鷲男はいつものごとく頷くことはしなかったが、それでも漆黒の指示を忠実に実行した。
「ボス。ボスに会わせろと下で暴れている男がいるんですが。」
利兆は、事務室のコンピュータにアップロードされたバイオアップ処置者のデータ一覧を見る作業を、部下に中断され、露骨に顔をしかめた。
『どんなタイプの処置者を雇い入れて、誰を首にするか。そいつがこの業界では一番大切なことだ。』
娼館ローズマリーの運営のほとんどは、支配人のブルーノに任せてあるが、この差配だけは別だ。
ブルーノにもこの作業の勘所を見せてやろうと思っていたが、あいにく今日は、そのブルーノ自身がどうしてもはずせない私用とかで店には上がっていない。
「馬鹿もの。そんな事は警備会社に任せろ。その為に大枚を払ってるんだろうが。」
「それが、できないんで。」
利兆に声を掛けた男はガンズと呼ばれている。
利兆直属の部下だ。
最近、動きの怪しいブルーノを監視させるため、娼館ローズマリーに週3回ほど寝泊まりをさせている。
ガンズ自体もバイオアップ処置者で、それなりに荒事をこなせる男だったが、そのガンズが困惑したような表情を見せてその場を動かなかった。
ガンズの口の端が切れて、血が滲んでいた。
既に、その相手と少しばかりやり合いをしたらしい。
バイオアップのガンズが本気で闘えば、大騒動になって居たはずで、利兆がそれに気がつかない訳がない。
要は、その一歩手前だったという事だ。
利兆は、ようやくコンピュータのディスプレィから、どこか馬を思い出させるような、その面長の顔を上げる気になった。
「その野郎、自分は刑事だと名乗っています。」
「警察、、、だと、、。」
利兆は、ある種の懐かしさも込めて、警察という単語を舌の上に転がしてみた。
利兆はこの業界では最古参だ。
最近の警察権力の衰退ぶりも、彼らが時々跳ね上がった時に見せる権力の残量もよく心得ている。
その判断からすれば、確かに相手が刑事なら警備会社を呼ぶことは適切でない。
警察は相手がライバルである『民間』になった途端、異様な力を発揮するからだ。
現実面での両者の実質的な力の格差は歴然としているが、本気で表ざたの法的勝負をすれば、まだまだ侮れないのが警察権力というものだった。
「お宅の酒瓶のラベルにはピュア表示がしてあったが、中身はトンでもない度数の合成品だよな。この分でいくとほかにも色々とマガイものが出てくるんじゃないか?」
漆黒が手に持った酒のボトルの底で、入り口で踏ん張っているガンズを押しやりながら、事務室に姿を見せた。
ガンズは大柄な筋肉質の男で武道も心得ている。しかもバイオアップだ。
組織外の人間からの指示や命令を聞く男でもない。
それを平均的な体格の漆黒が、事もなげに押しやったのだ。
利兆は相手の力量を多少認めながらも毒づいて見せた。
「あんたが刑事なのか?口のききかたといい、脅しの手口といい、一昔前のチンピラとやることがそうかわらないな。警察にいる優秀な人材は、みんな民間に引き抜かれるっていう噂は本当らしい。」
漆黒の目が怒りで引き絞られる。
そんな様子をみて利兆は、もう少し楽しんで見る気持ちになった。
利兆は若かりし時代、散々、警察にいたぶられている。
お互い立場が逆転した今、お楽しみの権利は利兆にある。
「それで一体、なんのようだ。小遣い稼ぎなら、多少はくれてやってもいい。この先、お前につき合わされて無駄にする時間の事を考えれば安いものだ。」
警官の汚職体質についての強烈な当てこすりだが、利兆がやると、不思議と子供のいたずらのようにくどさがない。
「なんとでもほざいてろ。お前の所で飼っている男娼が一人殺された。その事情聴取だ。話は前につけてある筈だ。そんな態度を取ってると、、。」
殺人?事情聴取だと?そんな事は初耳だ。
「待て。待ってくれ。」
利兆は行き違いに気づき始めた。
目の前のこの刑事は、自分の事を支配人のブルーノと勘違いをしている。
「ガンズ!」
利兆は目くばせをして部下を身近に引き寄せ耳元に囁いた。
「ブルーノは、今の件について何かお前に連絡してここを出ていったのか?」
「いいえ、私も今、始めて聞きます。でもここいらで殺しがあったのは、今朝から知ってます。それがまさか、この店に関係があるとは、。今週は、私もここに来たのが今日が始めてで。」
利兆はガンズが自分より三時間ほど前にローズマリーに着いたにすぎない事を知っている。
そういうローテーションを組んだのは彼自身だった。
利兆は怒りを、見当はずれな八つ当たりで発散させるような男ではなかった。
「もういい。お前を責めている訳じゃない。問題なのはこんな時に姿をくらませたブルーノのほうだ。それで殺されたのは、うちの誰だ?ローズマリーで儂の知らない人間はいない筈だ。」
「この刑事が言っている事が、うちと関係あるなら、ラバードールだと思います。」
まずい。
よりにもよってジェシカ・ラビィとは、奴はバイオアップの法定基準をとっくにオーバーしている。
現行の法定基準は、バイオアップによる人間の質的な変容よりも、量というか面というか、要するに「見てくれ」の変化に異様に厳しい。
極端な話が、内蔵を全部取り替えるバイオアップより、皮膚のテクスチャを張り替える事の方が罪が重いのだ。
第一、最近聞いた話では、警察の弱体化を補強するために導入されるという人間もどきたちは、人間との区別をはっきり付ける為に動物の頭を付けさせられているらしい。
人間の尊厳を守るための論拠が、『みてくれ』とはおかしな話だが、クローン人間やバイオアップが公認されてしまってからの、この混沌とした世の中では、それも無理ないことかも知れない。
とにかく警察が、ジェシカ・ラビィのその違法点に拘り始めたら、事は、娼婦館ローズマリー一軒の営業停止だけではすまなくなる。
今の警察に大きな力はないが、事、バイオアップについては話しは違う。
マスコミや慈善団体その他、諸々の偽善者どもが、よってたかって警察の味方をするだろう。
「うちわ話が長すぎないか。俺はそんなに待てない。」
利兆が必死に善後策を考えている時に、漆黒が声をかけた。
漆黒からは先ほどの殺気立った表情が消えている。
事情聴取という言葉を持ち出した途端の利兆の慌てぶりに気を良くしたのかも知れない。
「お前が今、何を考えているかよく判るぜ。『この男がバイオアップの法定基準を持ち出したらやばい事になる。』だろう?だが心配するな。お前が警察に協力する限り、俺はそんな事に目くじらをたてるつもりはない。今の所はな。」
利兆は目の前の年齢不詳の刑事を値踏みした。
オールバックに撫で付けた髪に短い無精髭、耳には黒い宝石の入ったピアス。
シャープな顔立ち、年を取っているのか若いのか判然としない、若く見せるための処置を受けているのだろうか?
そういえば、昔はこんな表情をした若手の刑事が何人かはいた。
彼らは刑事という職業柄、若いうちから世の中の暗黒面を見つめすぎていたのだ。
結果、肉体は若いが、精神が老けた人間が出来上がる。
だが今の警察にそんな人間がいるとは思えない。
大半は、『安いながらも安定した給与と、生温い仕事に惹かれた能なし』か、前世代の警察がそうであったように、『賄賂とたかり、そして不正のうま味を享受しようとするハイエナ』どもの筈だ。
「いくら必要なんだ?」
今度は侮蔑ではなく、商談のつもりで利兆は言った。
「金か?あれは、あればいいもんだが、、。今、欲しいのは情報だ。お前が全面的に協力をすれば、俺はお前が違法行為を働いている事なぞ、無視してやってもいいんだ。」
利兆は考えた。
私の代わりに、本来ここにいるべきブルーノがいないのは何故だ?
この場面から逃げ出したのは明白だ。
それに奴には、他の組織からのヘッドハンテングの噂もあった。
『大した能力もない小悪党だが、女を垂らし込むのだけは天下一品、それが奴の支配人としての力だった。』
ただ逃げ出したのではなく、行きがけの駄賃で、厄介ごとを利兆に背負い込ませるつもりだったのかも知れない。
どちらにしても奴が、ここを飛び出すには、今回の事がきっかけになったのだろう。
いや、もしかしてもっと別の事情が働いているかも知れない。
世の中には「藪蛇」という言葉がある。
利兆が拾ってくる処置者には、大なり小なりの過去があるのだ。
ジェシカ・ラビィ自身が、とんでもない疫病神だったのかも知れない。
ブルーノは全てを見通して、この儂に置き土産をおいていったのかも知れない。
どちらにしても、奴はただではおかない。
と、そこまで利兆は考えた。
「返事は?世の中には変態宿をぶっ潰すのに快楽を感じてる頭の良さげな変態どもがわんさかいる事ぐらい十分承知してるんだろうが?今回の第一通報者は偶々、警察に連絡をしてくれた。お前のいう通りの、堕落して弱体しきった警察にな。今回の事件に割り当てられた人員は、俺という人間、ただ一人だ。そのお陰で、事件は大事にならずにすんでいる。これが業界最大手のバーサーカーが扱ってりゃ、今ごろどうなっていると思うんだ。バーサーカーの企業キャッチフレーズは、笑っちまうが、『社会正義』だぜ。」
ライバルである民間警察の実力を結果的に認めるセリフを吐きたくはなかったが、こういった手合いに、バーサーカーの名前と『社会正義』を挙げるのは脅し文句としては最高だった。
「もういい、判った。これ以上、お前のような若造に、世の中の仕組みの講釈をたれてもらう必要はない。ガンズ!お前、今からジェシカ・ラビィと親しくしていたやつらを全て集めて、この刑事様に紹介してさしあげろ。部屋は隣の応接室がいいだろう。あれは元からこの儂を迎え入れる為にしつらえさせた部屋だ、このお方への礼儀の面でも問題なかろう。それと儂は暫くここを動く積もりはない、もう一つ、仕事が増えたからな。いいな、ガンズ。儂の屋敷に残っている連中に、この事を伝えておけ。お前らのボスは、後ろ足で砂を掛けられて黙っているような人間じゃ決してないってな。利兆という男が、これからケジメをどうやるのか、しっかり見ておけと。」
利兆は、あれこれ考えるのを止めて、この不敵な面構えの刑事に協力することで腹を括った。
利兆は、自分の人間に対する目利きに自信を持っていた。
この男、何が原因でそうさせているのかはわからないが、利兆が遥か昔に出会ったことがある『本物の刑事』の目をしていた。
『真実』という味も素っ気もない餌しか受け付けない動物の目だ。
そんな動物に、人間に対する策を施しても仕方がない。
丸め込むなら、この男の上層部に策を仕掛ける方が容易というものだ。
そう結論づけた利兆は、まったく別の事を考え始めていた。
ブルーノをどう締め上げるか、あの裏切り者には、どれだけの制裁を与えてやるのが妥当か?
そしてジェシカ・ラビィを殺した相手への報復。
それが現在の利兆の最大の関心ごとだった。