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精霊捜査線/鷲頭・豚頭の従者達は夜に啼く  作者: Ann Noraaile
第1章 ラバードールの死
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ファビュラス・ハデス 02: 精霊『鷲男』

    02: 精霊『鷲男』


 死体の身元、つまり被害者の正式IDのバックグラウンドは、『肥満体』が予見した通り警察のデータベースごときで容易に判明するものではなかった。

 それでも死体が殺される寸前の状態でなら、死体が「何者であった」かは判った。

 娼婦。いや正確には娼男か。

 死体が放置されていた場所から、そう離れていない場所に花街があり、男はそこの関係者だった。

 漆黒は初めて死体を見た時から、男娼が近在の花街から人気の少ない殺害現場に呼び出されたのではないかと、あたりをつけていたがその推測が当たっていたわけだ。

 呼び出されたと考えたのは、被害者の血の跡が唐突に始まっていたからだ。

 それに彼を運んだのが車なら、そのタイヤ痕があってもよかったが、それもなかった。

 ならば被害者は、呼び出しを受けて距離のある花街から、あの波止場裏の倉庫街まで歩いてきたのか?

 しかも、全身がゴムでコーティングしてあるとは言え裸でだ。

 状況だけを見るなら、まさに被害者はあの場所に忽然と現れて死んだように見える。

 そして「オルフェウス」が割り出した殺害時刻と、殺害場所との距離の関係がまったく判らない。

 そんな疑問だらけの中で、被害者の勤め先だけが、昨日一晩で調べあげられた成果だった。


 漆黒は、第七統合署の中央通路で立ち止まり、行き交う小型ポーターマシンに迷惑がられながら、一日ずれてしまった日報を情報入力ブースで報告するのを先にするか、鷲男を迎えに行くのを先にするのかを、暫く考えていた。

 漆黒は、日報を作成するついでに、肥満男の捜査データも覗いてみるつもりでいた。

 彼の意識の中では、義務としての日報作成よりも、どちらかと言えばそちらの方が重要だった。

 署内の末端は、セキュリティの問題で非常に特殊なシステム仕様になっており、日報にしても外出先から違う移動末端で送りつけてそれで終わりという訳にはいかなかった。

 当の本人が、分署なり本署に出かけ、指定された入力末端の前に座らなければならない。

 その代わり、本人の身元が確認されれば、日報を入力する同じ端末で、一昔前なら膨大な手続きを踏まなければ手に入らなかった他の所轄や課の情報を簡単に照合する事が可能だった。


 当時、このシステムを作った人間は、合理化をとるか機密性をとるかを悩んだに違いない。

 警察は人員が確保できない状況下で合理化を選んだ。

 それでも、それはお役所仕事だった。

 機動性は、元からその判断基準から外されていた。

 例えば、あのコンパクトな動く科捜研とも言えるスキャナー「オルフェウス」もそうだ。

 便利な品物だが、誰がそれを運ぶのかを忘れている。

 全てがそんな調子だから、何をするにも、わざわざ署に出向かなければならない。

 それでも上級役人達は、全ての捜査活動にかかる情報を一元化し、警察官だれもがある手続きを踏めば、犯罪情報を自由に閲覧出来るようにすることが、結果的に警察官の人員削除とワンオペレーションに役立つと結論づけたようだった。

 勿論、現行政治に高度な関わりを持つ犯罪情報は今も閲覧が難しいが、、。

 だが少なくとも昔のように、「縄張り意識」によって情報が封鎖される事は少なくなっていた。


 かなり老朽化した一台の小型ポーターが漆黒の足にぶつかって、ガタガタと藻掻きだしたので、漆黒はポーターの丸くて平べったい背中を足で踏みつけ、その動きを止めた。

 公安課の肥満男のデータを同時に引き出すとなると、日報制作にはいつもの倍の時間が必要になるだろう。

 鷲男と落ち合わなければならない時間までの余裕は、1時間を切っている。

 事件のあった翌日なのだ、大量の日報入力を済ませるだけで、ぎりぎりかも知れない。

 勿論、日報を作成するのが漆黒本来の定められた職務義務であり、それでスピリットの面倒をみるのが遅れたからといって、咎められる筋合いのものではないのだが、、。

 問題は、今日という日が、スピリット達の生みの親であり、元締めであるドク・マッコイの巡回面談日でもあるということだった。

 漆黒は、ドク・マッコイが不機嫌な時に見せるあの奇妙な目の光を思い出して首をすくめた。

 あの目は、俺たちが相手をしてやる人種の幾人かが見せるものだ。

 それは狂人。

 漆黒は首を振りながら、足で押さえつけていた小型ポーターを解放してやると、日報報告用末端のあるセクションとは、正反対の廊下に向かって歩き始めた。

 ポーターも、又、自分の腹の中に抱えている決済書類の類を運ぶために、警察の廊下を走り始める。

 今日一日の漆黒のスケジュールは決まった。

 ドク・マッコイ、鷲男、日報、、そして「肥満男のデータ」閲覧の順だ。

 『捜査に一番関係する事が後回しとはな、、。民間に仕事を持って行かれる筈だぜ、、。』

 漆黒は、かすかにその首を振った。



 ドク・マッコイは、入室した漆黒の顔を認めると、その柔らかな輪郭線のせいで初老の女性のようにも見える細面の顔を、柔和にほころばせて見せた。

 スーツに合わせた洒落たバラ色のストールが、これ程、似合う男性も珍しい。

 彼が科学者だと知らない人間なら、ドク・マッコイは年老いたバレーダンサーのようにも見えるだろう。

 彼らのいる部屋は、署内でダブついてしまった取調室を改良したもので、手狭と言えば手狭だった。

 それはドク・マッコイが、各統括署ごとに幾つも持っている仮派出事務所の一つでもある。

 もしこんな部屋で『いってしまった』ドク・マッコイと相対しなければならないとなるとゾッとする。

 そこまで考えて、漆黒は面談と鷲男を引き取る事を先にして正解だったと、思い直していた。

 入力末端は、自分を待たせたからと言って、機嫌を損ねたりはしないからだ。


「あの、俺は何人目のカウンセリングですか?」

 もちろん漆黒は、これがカウンセリングではなく、警察側からのドク・マッコイに対する「協力」である事は知っている。

 漆黒は、尊敬している先生の前で畏まっている不良学生のような口をきいた。

 漆黒はもっとましな、それらしい喋り方も心得ていたが、こういったものの言い方がドク・マッコイの心象を良くする事も知っていたのだ。

「三人目です。が、カウンセリングという表現は正確ではない。助けてもらっているのは、むしろ私のほうだ。あなたがたのお陰でスピリット達は順調に成長している。また、こうして彼らの導師であるあなたがたとの面談で、私は別の側面で彼らの成長過程を知る事ができる。それは我々、科学者仲間同士では決して得られない貴重なデータなのですよ。」

 機嫌がいい時の、ドク・マッコイの言い回しだった。

 決して素人相手に難しい専門用語を使おうとはしない。

 それが、かえって聞いている方の気分を害してでもだ。

 勿論、漆黒のほうも、隔週に一度、各署を巡回して行われるこの面談会で、ドク・マッコイが専門としているバイオテクノロジー理論や専門用語を駆使した会話に、ついていけるとは思っていなかった。

 実際、漆黒がこれまでの面談でドク・マッコイと話した内容を全てまとめても、『スピリットを預かった一刑事の愚痴話』という域を出ないことでもそれがよく判る。

 要するに『お宅から預かった見習い弟子は出来が悪くて、、。』そんな話ばかりなのだ。

 それがドク・マッコイのような専門家に、とってどんな意味があるのだろうか?

 漆黒はそんな疑念を抱きながら、昨日出会った豚男の事を話した。


 ドク・マッコイの瞳が、鷲男と豚男とのコンタクトのくだりで危険な位、きらめき始めた。

 スピリット達は、国家プロジェクトとして、各ブロックを統括する統合署を一つの単位として、数個体預けられられる。

 漆黒達に、そのプロジェクトの詳細が教えられる事はなかったが、それでも一応、スピリットを預けられた刑事達は、その個体数が、スピリット同士が路上で簡単に鉢合わせをする程多くはない事を知っていた。

 漆黒達がいるような比較的規模が大きな統合署内でさえ、スピリット同士が出会うのは珍しい事なのだ。

 それが『事件の現場』で出会った。

 ドク・マッコイの目が輝くのは当たり前だったのかも知れない。


「で。君の口ぶりでは、スピリット嫌いの君が、自分のスピリットが、相手のスピリットより劣っていると思って悔しがっている様に思えるのだが?」

 事の成り行きを事細かく聞き終えたドク・マッコイは、自分自身の最後の言葉を、スピリットではなく漆黒の心理状態に焦点を合わせた。

 ドク・マッコイは、漆黒の正体がIDを再登録した野良クローン人間である事を知っているのか?それは判らない。

 知っていればドク・マッコイの頭脳なら、この件について常人には及びも付かぬ思考が働いている違いない。

 それが多少、漆黒の気分を苛立たせたようだった。

 漆黒は別にドクから彼自身のカウンセリングを受けるつもりはなかったからだ。

 最初にカウンセリングと言ったのは、リップサービスに過ぎない。

 基本、漆黒は相手に自分の心の内を読み取られるのが、大嫌いな男である。


「博士は、心理学の単位もお取りで?」

 漆黒は嫌味のつもりで言ったのだが、ドク・マッコイはさらりと「そうだ」と答えた。

 学問の頂点というものが、高度に専門細分化された今、例えそのお互いが複雑に絡み合っていたとしても、系統の違う二つ以上の分野を完全にマスターするのは事実上不可能といえた。

 にも関わらずドク・マッコイは漆黒の知るところ、すでに三つの専門分野のエキスパートだった。

 心理学を合わせると、これで四つ目という事になる。

 口の悪い連中は、『だからドクは、あんななんだ。』というが、、。

 漆黒の原体である漆黒賢治も、生前はスーパードクターだったらしいが、同時にとんでもないクズ野郎だった。


「気にしなくてもいい。君のスピリットは決して劣ってはいない。スピリット達の精神には個体差があるんだよ。人間にも無口な者もいればよく喋る者もいる、同じ事だよ。それと勘違いしてはならないのは、彼らは君たちへ弟子入りする前に人間としての基本的な行動パターンやケースバイケースの対応を既にインストールしてあるんだ。その上、コアになる学習機能も完全に調整してある。つまり君たちが考えるように、赤ちゃんの状態で、君たちが彼らの相手をしている訳ではないという事だ。」

「、、という事はなんですかね、博士。鷲男の奴は俺と別れたあと、奴のねぐらに帰ってから、『今日は少し無口過ぎた、あれじゃ自分の主人に恥をかかせる事になる』と反省しているって訳ですね。」

 漆黒は、彼の頭では想像もつきがたい場面設定を用いて嫌みを言った。

 第一、漆黒はスピリットが、どこで休養を取るのかさえも知らない。

 彼らは『その時刻』に何処かの『待合室』で待機しているのだ。

「かも、知れないね。」

 ドク・マッコイは謎めいたほほ笑みを浮かべた。

「いずれにしても問題を抱えているのは、君のスピリットではなく、君のいう『豚男』の方かもしれん。我々が育てようとしている知性は、犬のそれではないし、人間の精神の卑小なコピーでもない。まさにスピリット、『精霊』そのものなんだよ。」

 ドク・マッコイの薄くて淡い青色の瞳に、菫がかった靄のようなものが、かかり始めてきた。

 ドク・マッコイの精神は、もうすぐ飛んでいってしまいそうだった。

 どうやらあの肥満体の豚男の躾け方が気にくわないらしい。

 彼が不機嫌な時に突入する『あの精神状態』が、漆黒を対象としていない分、遙かにましといえたが、それでもこれでは漆黒がわざわざ日報を後回しにした甲斐がない。

 自動拳銃の薬莢排出にトラブって、次弾が撃てなくなったようなものだ。


 その時、まさにタイミングを推し量ったように、鷲男が彼らのいる部屋にエレガントに入室してきた。

 ただしノックや挨拶などはいつもの様になかったが、その流れるような動作で、礼節のなさを十分帳消しにしていた。

 ドク・マッコイの表情も、この鷲男の登場で、通常のものにやや戻ってきたようだ。

 ドク・マッコイは、普段から自分の事を「スピリット達の父」と呼び表し、彼らを誰一人分け隔てなく愛しているように表現しているが、漆黒の観察では、少し違う評価になっていた。

 実際に、今、ドク・マッコイが鷲男を見る目は、兄弟の中で一番出来のよい息子をみている父親の誇りめいたものを感じさせた。

 もっともそれはドクにおいての話で、鷲男は、今の所、漆黒にとっては足手まといの存在以外の何者でもなかったが、、。

 とにかく漆黒は、この不詳の弟子の入場によって、ドク・マッコイと面談を打ち切る事に成功したのだった。

 しかも、その成功の原因は、なんと、鷲男が『捜査活動を開始しなければいけない時間を大幅に割り込んでしまった相棒を捜し』に来てくれた事にあったのだ。



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