ファビュラス・ハデス 18: 長寿族 ハリウッド・バビロンのような
18: 長寿族 ハリウッド・バビロンのような
「長寿族と言っても別段、仙人のような存在ではない。ちっとばかり他の人間達より身体をいじれるチャンスが早く巡ってきたという事に過ぎない。今、巷には二十歳代の肉体を持った老人は掃いて捨てるほどいるが、その昔には延命し若さを保つ事が出来ること自体が驚異の時代があったんだよ。お陰で、そういった時代に巡り会えた人間は、長く生きたこと自体を武器にして、その優位性を富や権力に変える事が出来た。それが長寿族と呼ばれる存在だ。」
利兆の目は昔を懐かしんではいなかった。
この老人は「時の重さ」を憎むことによって、今日まで耐え続けて生きたのだと言わんばかりの表情を見せた。
「長寿族は、この世の中で、一体何人いると思う?」
利兆は、挑むように漆黒に聞いた。
挑む?この老人は何に挑もうとしている?
『もちろん、この俺ではないな、何かもっと抽象的な大きなものだ。』
『いや相手を買いかぶるな、この男はちょっとばかり長生きした売春シンジケートの親玉に過ぎない。』
漆黒はそう否定したが、利兆の口調はやはり何か大きなものに挑む感情が秘められているように思えた。
「どんな世界でも仕切り屋がいてな。そやつが調べたところによると長寿族として数えられる人間はこの世界で約千人いるそうだ。さらに、そやつに言わせると、この千人はその長寿の義務として人類全体の警護役の任を負わされていると言うことだ。、、フン、思い上がりも甚だしいの。」
漆黒は、自分の口が渇いてくるのを覚えた。
千人の警護役、、。そして闇の世界を支配するという長寿族。
「センチュリアンズ計画、、。」
「そうだ。計画と呼べるほど具体的なものではないが、総体的に見ると計画としか呼びようがないな、、。確かに。」
今度は、利兆が自分の乾いた唇を舌で潤すばんだった。
こんな妖怪のような老人に、喋ることによって緊張を強いる内容が、この世の中にあるのだろうか?
「長寿族。まさに族にしかすぎん。組織ではないのだ。まして儂は、権力の中枢からはほど遠い所に自分の居場所を構えた。だから計画の事はよく知らんし、そこに加わろうとも思わない。だがセンチュリアンズ計画のおおよそのアウトラインなら知っている。」
漆黒は身構えた。
利兆と彼の会話の突端は、ブードゥー教会から出てきた黒塗りの車の中の人物の正体探しだった。
それが、センチュリアンズ計画と結びつき始めている。
「センチュリアンは人類の衰退の原因を、天敵の消滅と捉えている。」
「天敵?今、天敵と言ったのか?」
漆黒は利兆の思いもよらぬ言葉に驚いた。
この話は、ドク・マッコィやレオンのものとは、少し違う。
その違いの原因は、利兆自身が長寿族だという事から来ているのだろう。
「そうだ。天敵だ。この場合、天敵とは食物連鎖の観点で捉えてもそうだが、もっと精神的なものでもある。皮肉な例えだが、つまり神とか、、だ。人間には、もう恐れるものは何もない。自分以外にはな、、。」
利兆は神という単語をいかにも恥ずかしげに言った。
「だから堕落が始まった。人間は今、死の壁を越えつつある。生命も生み出せる。怯えなければならないものは自分以外には何も見いだせない。だから人類そのものの堕落が始まったと、センチュリアンは捉えた。人類の破滅を止めるものは、天敵の存在だ。天敵が人類の未来を補完する。天敵は人類に具体的な、あるいは精神的な死をもたらす。そしてそれは防ぎようがない。だから天敵というのだ。しかし矛盾したことに、センチュリアンは人類が制御できる天敵を創ろうとしている。それがセンチュリアンズ計画なんだよ。」
馬鹿げた与太話だ。
第一、制御できるのなら「天敵」とは言えない。
しかし、目の前の老人はこの数百年を人間の泥沼の中で暮らした人物なのだ。
この老人の話ならどんなジョークにも、真実のデティールが含まれているように思えた。
「センチュリアンズ計画はいろいろなプロジェクトの総合体だ。だが、そんな中にも主と従は生まれる。あるいは主役と脇役といってもいい。食物連鎖が成り立つのはピラミッド型の構成ゆえだ。ただ強い存在が一つあれば良いというわけではない。天敵を側面から補佐する存在や、逆に滅ぼす存在を造り上げるプロジェクトも同時進行で存在するようだな、、。」
精霊計画もその内の一つなのかと聞こうとして、漆黒は口を閉ざした。
恐怖からだった。
ドク・マッコイの妄言が、利兆によって「真実」だと証明されるかも知れない。
「今、そんなセンチュリアンズ計画に大きな異変が起ころうとしているらしい。計画そのものを大幅に進める起爆剤のようなものがある人物によってもたらされたという事だ。長寿族の中でも中心にいる者以外は、その実相を掴みかねているのだが、、。だが噂話だけは聞いている。その変革をもたらした男は、どうやら我々、長寿族の中でもかなり傍流に位置する者だったという。というか長寿族とすれば、儂のような変種と言っていい存在だろう。」
ここで利兆の表情が過去を思い出すような表情になった。
漆黒は長寿族の記憶とはどんなものだろうかと想像した。
噂話では長寿族は、膨大な過去の記憶を独自の方法で整理圧縮して、己の記憶の中に畳み込む方法を会得しているのだという。
「儂の記憶と情報と、あんたの調査が的はずれでなければ、その男は、あんたが次に捜査すべき男、すなわちブードゥーの教主だ。」
二人の間にしばらくの沈黙があった。
「どうして判る?さっきあんたはデータベースには触れないと言ったばかりじゃないか?もしかして映像の中の人間に個人的な見覚えでもあるのか?」
漆黒が、そう言ってみた。
内心では利兆がそう言うなら、それはそれで間違いないと知りながら、、。
「君が送ってきたデータは、その日の内に私がこの目で確認した。なんで盗み見したとは言わんだろうな。その時に、思い出したんだ。儂のこの耄碌した頭脳の中のデータベースでね。」
利兆は自分が言った下らない語呂合わせに顔を少ししかめた。
多くの長寿族の精神は病んでいると言われる。
その原因の一つは、見事すぎる過去の記憶の処理にあるのだということだ。
彼らは「耄碌しない」から、老人になれない。
かって彼ら自身が望んだ能力と特権が、忘却という慰安を拒む。
この事実が、彼ら長寿族を蝕むのだという。
「儂は直接、奴がまだガキの頃に出会ったことがある。一風変わった奴でな。印象が強かったせいもあって、それ以来、奴の噂話はいつも気に止めるようにして来た。」
「冗談をいうなよ。いくらあんたらの記憶が特別製だといっても人間の風貌は変わって行くんだ。それが俺の送りつけた画像データだけで、すぐに正体が分かったってのか?」
「そうだ。」
「第一、あのデータを何時、画像に戻した。あれは警察のプログラムに掛けなきゃ画像に生成できない筈だぞ。だいたい警察のプログラムには厳重なプロテクトがかけてあって、、。」
漆黒は、利兆の目の色を見て、それ以上話すのをやめた。
今更、利兆の話をこれ以上、先に延ばしにしてなんの役に立つ。
この老人は長寿族だ。
この老人が真実を語ろうとするなら、それは他の誰よりも真実を語っているに違いない。
「奴の今の名前まで、教えてやるつもりはない。第一、儂がこの話をするのは、君にこの件から手を引いて欲しいからだ。ただ、この男の生い立ちだけは教えといてやろうと思ってな。これだけは長寿族でないと知り得ない情報だろうし、この話を聞けば、今、君が関わろうとしている事がどれぐらい難しく危険なのか、その類推の役には立つだろうと思ってな。」
「その話を聞いて、返って俺が捜査にのめり込むとは思わないのか?」
「思わないね。少なくともあんたは、人生の正体がどんな姿をしているのか朧気ながらに知ってる筈だからな、、。あんたは利口な筈だ。」
これが普通の老人なら鼻で笑ってやるところだが、、相手は長寿族だった。
「奴は、ある人間のダミーとなる為にこの世に生を受けた。昔流行った特殊な言い方だ、『入れ替えっ子』と言って判るかな?ガレック・ムルトバの為の『入れ替えっ子』だよ。奴は、偉大なチャンピオン、ガレック・ムルトバと絶世の美女スージー・カトーの間に生まれた悲運の子・アレクサンダリオのダミーとして生まれたんだよ。」
「ガレック・ムルトバ?現代ボクサーのか?」
漆黒は「現代」という言葉に力を入れた。
ガレック没後、数十年後、ボクシングはもうボクシングと呼べる競技ではなくなっている。
本当は「現代」ではなく「廃絶競技の」という言葉が相応しい筈だ。
肉弾戦など今の時代には、なんの意味もないのだ、、。
「ほほう。我らが刑事殿は、ムルトバの事を知っていてくれたか?」
利兆の瞳が微かに煌めく、ムルトバの時代は人類に訪れた最後の黄金期だと言われている。
同時にそれは利兆が、長寿の恩恵ではなく、生身の身体でもって、もっとも栄誉を極めた時代であったに違いない。
「最強の現代ボクサーであると同時に何処か影のあるハンサムなボクサーで有名だ。当時はそのニヒルさが受けた、だろう?」
漆黒は自信なさげに言った。
別段、漆黒の常識が不足していたわけではない。
むしろ漆黒は、この血なまぐさい野蛮なスポーツの事をよく知っている部類にはいる。
「その他、事業家への転身の成功、犯罪者への転落、悲恋、不幸。色々あった、、。だが奴は常に美しかった。強かった。あの当時の我々の側にいる男達のすべての憧れであり、模範だったのだ。」
利兆は憧れるような口調で言った。
長寿族にも懐かしめる過去があるのだ。
「奴は、チャンピオンに登り詰めて全ての男が望むものを手に入れた。スージー・カトーを知っているか?彼女はメディアという媒体にいっさい自分の姿を乗せなかった。信じられんだろう?彼女はそういう方法で自分の美しさを富と権力に変えたのだ。彼女を見るためだけに、男達は大金を積まねばならなかったんだ。この世の中には、そんな美しさがあるのじゃよ。ムルトバはそんな女を手に入れ、彼女との間に子どもまでもうけた。」
そこまで喋って、利兆は夢から覚めたような表情に戻った。
「、、まあ女の方は伝説だけの話だ、、。彼女も闇の住人だった。それが『入れ替えっ子』の話に繋がる。」
遙か大昔、画像としての記録媒体が十分でなかった頃の美女たちは、人の記憶の中で伝説となり概念としての美人になりおおせた。
『鼻が後数センチ低ければ歴史が変わっていただろう。』と人々に言わしめた女性もいたのだ。
スージー・カトーもそれによく似ている。
しかし彼女の場合、似てはいるが完全にはそうはならなかった。
スージー・カトーは戦略としてメディアに乗らなかった。
だが、この時代のメディアは十分すぎるほどに強力な存在だった。
メディアにのらない者は普遍性を獲得できない。
この時代の「本物の伝説」にはなり得ないのだ。
スージー・カトーの奇を突いた戦略は、半分しか成功しなかった。
現にスージー・カトーの名は、誰かが意識して思い出さない限り、この世界に決して現れる事はない。
「闇の住人だって?悲劇のヒロインだろ?スージーの全てをムルトバが独占欲から囲い込んだと言われているんじゃなかったか?スージーは、やがてそれに嫌気がさして、別の男に走った。怒り狂ったムルトバが二人を殴り殺した。確かそんな話だったと記憶している。」
「よく知っているな?どこで知った?やっぱりあんたは、大昔のボクシングのマニアなのか?」
今の世の中、男同士の殴り合いを興奮して見るのはかなりの変人だ。
「これは俺の職業柄知り得た話だ。おそらくこんな話は警官や犯罪者、そういった類の人種でなければ知りもしないだろう。世の中の人間は、成功して煌びやかに輝いている女にしか興味はない。自分もそうなりたい、なれるかも知れない。あるいはそんな女を抱きたい、、。」
漆黒はようやく自分の記憶がどこから来るのか思い出した。
ウエストアンダーワールドの古株の売春婦から聞いた話だ。
スージー・カトーは、『女優を目指している若いクラブ歌手、そしてその実質は、高級売春婦、そんな彼女をある高名な男が一目惚れをして、、』たしかそんな出だしから始まる怪しげな暴露話に登場する女性だった。
その末路は相当悲惨だったらしい。
「いいや、そうでもないさ。他人の不幸は蜜の味と言うじゃろ。当時は大ゴシップだった。ムルトバがメディアに箝口令を引いたんだが、その頃既に、彼の権力と富には陰りが差し始めていたからな。」
「それなら、今でももう少しその話が世間に広まっていても不思議じゃないはずだがな。」
「それはムルトバが最後の最後まで、つまり彼が完全に破綻するまで、このゴシップをうち消す努力をしたからだよ。いや違うな。死んでもなおと、言うべきか、、。彼は、独房内で頭を壁に自ら打ち付けて果てたんだが、、その前に、自分の持っていた闇金を、自動的にある目的のために使うように細工をしておいたんだ。」
「話が、見えないな、、。」
「全ては、ムルトバの一粒種というか、一粒種の替え玉の為さ。彼はこの子を守るために、それこそなんでもした。母親のゴシップを最後の最後まで打ち消そうとしたのもその為だ。」
「その『入れ替えっ子』って、なんの事なんだ?」
「まだ判らないのか?今、君たちが相棒にしているスピリットと同じ方法で創られた生命体の事だよ。」
まさかクローン人間の第一世代か!?。
しかも長寿族。
「クローン人間の定義もまだハッキリしていない、ヴェチノ裁判の前の話だよな、、。」
「当然だ。ヴェチノ裁判の前、つまり知能のある生命体を作る『行為』が、犯罪と問われるかどうかより、それが生命に対する技術として、手を付けていいかどうか?の時代の出来事だったんだ。」
漆黒達の様なクローンが安定した技術で生み出されるようになったのは、つい最近の事だ。
漆黒の原体である漆黒賢治は、この技術を完成させた最大の功労者でもある。
彼がとんでもないクズ人間でなければ、漆黒賢治の名前は、栄光に飾られていた筈だ。
「その頃は、今、国が管理しているようなクローン生成の為の精錬された生体ベースなんてものは、勿論なかったんだろうな、、。」
漆黒は胸から酸っぱいモノがせり上がってくるような気がした。
生体ベースなどというと聞こえはよいが、どの段階のベースも見ていて決して気持ちの良いモノではない。
その見た目は「赤ちゃん」でも「胎児」でもないのだ。
今でこそ、そうなのだから、おそらく技法が発達していない過去においては、そうとうグロテスクなものの筈だ。
第一世代のクローン人間は、そうやって生まれた。
漆黒が生まれた最新世代は、生成の為の技術が大幅に改良されている。
「勿論だ。いやあったとしても、ムルトバはそれを拒否しただろうな。ムルトバは『取り替えっ子』を造るために、別のもの使った。」
「じゃ、ベースは、、。」
「、、動物じゃないよ。本人と母親の死体だ。」
「それじゃぁ、、。」
利兆は漆黒を押さえるように一気に喋り始めた。
「伝わっている話じゃ、ムルトバは母親と間男を高ぶる感情にまかせて殴り殺したとあるが、そんな事はない。男はまるで強大な破壊機械かなんかでなぶり殺しにされていたそうだが、母親の方はまるで眠っているように見えたそうだ。ムルトバのあだ名はドクだからな。彼があの綺麗な顔でチャンピオンになれたのは、人間がどこを攻撃されれば壊れていくのかを知り尽くしていたからだ。実際、彼は学位を取れるだけの医学上の知識を持ち合わせていた。それが彼の、最愛の一人息子を死から復活させるという奇想につながったんだ。いや、息子の事故死体は、解剖もされずにその日の内に冷凍保存されていたから、ムルトバはこういった状況におちいる前から、常々、この類の事を考えていたのかも知れないな。」
「頭が良かったのは知っている。チャンピオンを止めたあと、彼が起こした事業で彼は巨万の富を稼いでいるからな、、。どちらかというと今じゃ、ムルトバはそちらで有名だ。」
利兆は微かに頷いた。
「ベースに、いや今の生体ベースと一緒にして考えてもらっちゃ困るんだが、、。そのベースに息子の死体だけを単独で使わず母親のものを混ぜたのはムルトバなりのスージー・カトーへの復讐だったのかも知れない。スージーは、普段から息子を意図的に可愛がらなかったからな。スージーは、そうやってムルトバを苦しめていたんだよ。」
『あんた。やけによく事情を知っているじゃないか?』
漆黒はその言葉を飲み込んだ。
利兆を前に、刑事面しても仕方がない。
第一、この事で犯罪の事実が浮かび上がろうが、時効はすでに数回成立している。
「息子の意識クローンの生体ベースは、母親のものだったらしい。今とは違って感情ロジックのコピーはやり放題だったからな。良い風に考えると、ムルトバはそういう形で、自分が殺した妻をもう一度愛し直そうと思ったのかも知れない。まあ色々考えるとムルトバは、実に用意周到にベースとなる死体を作り出したという事になるな。」
「ちょっと待ってくれ、スージーは撲殺死体として、世間に認知されているんだ。つまり刑事事件だ。いかに昔の話だとはいえ、人間が火を始めて手に入れた頃の話じゃないんだぜ。その話は矛盾している。そんなのは無理だ。」
漆黒は警察における通常の手続きを思い出してみる。
数世紀前の警察であっても、利兆が話すような段取りで、死体を手に入れることは不可能な筈だ。
まして二人の死体を使ってのクローン人間の生成など、あり得ない。
たとえそれがどんな権力者であってもだ。
利兆はそんな漆黒を面白そうに眺めている。
「色々と考えるんだな?そうだよ。誰がやっても自分が殺害した人間を生体ベースに計画的にまわすのは無理だ。犯罪が発覚しているという事は、死体の確認がしかるべき権力によって確認が出来ているという事だからな。殺されたのは『二組の男女』だ。スージーと間男が、撲殺死体で発見される前、彼らはしばらく失踪している期間がある。言い方を変えよう。本物の方の彼らは、警察がそう認識するずっと以前に殺されていたんだ。あとの死体は、本人ら自身を金で買って騙した替え玉だ。ムルトバは2回殺している。」
「、、狂ってやがる。」
「そうだ。ムルトバは狂っていたんだ。決定的だったのは一人息子の死だった。これも表向きには自動車事故となっているが事情をよく知る者は、母親であるスージーがちょっと気を付けていれば防げた事故であると知っていた。みんなは、陰であれは故意だと囁いていたんだよ、、。それにムルトバが気づかないはずがない。ムルトバは誰よりも息子を溺愛していたからな。ムルトバの狂気は、その時点で決定的になったんだろう。」
「でその後、そのフランケンシュタイン・ジュニア君はどうなったんだ?」
漆黒はその陰惨な話をそれ以上聞くつもりになれなかった。
刑事としての本能は、今、この時に利兆から事の成り行きを十分に聞いておく必要を訴えていたが、漆黒はその本能に従える気分ではなかった。
漆黒は、この話には今以上のドロドロの続編がある事を理解していたし、利兆がそれを伝えられる事を直感的に知っていた。
だが、その話を聞けば聞くほど、逆に漆黒が写し取ったブゥードーの車の「主」の実像が遠のいていく気がした。
そして自分の生い立ちとの類似性、、。
刑事は犯罪者を逮捕するのであって、犯罪者が背負った背景を逮捕するわけではない。
逆のことをいう奴がいるが、そんなものはお人好しの戯言だ。
「ムルトバは自分が、警察からも自分自身からも逃げられないことを知っていた。だから再生した息子を安全に成長させる手だてを講じた。この時点でのムルトバには、まだ有り余る程の金があったからな。だが、ムルトバが刑務所の独房の中で壮烈な自殺を完遂した暫く後、一人息子の闇の後見人は、その任務を放棄した。勿論、その任務完遂にかかる費用を全て着服してな。一人息子は世間の荒波に放り出される結果となった。問題は、この子にIDと呼べるモノがまったくなかった事だ。そして彼自身の生い立ちに対する負い目が、彼を責め立てた。狂ったムルトバは、再生した息子との束の間の生活の中で、一つだけ大きなミスを犯していたんだ。彼は息子を愛すると同時に、息子の中にいる母親を詰っていた。それは具体的な行為となって現れていたかも知れない、、。単純な幼児虐待じゃなかった。それがアレクサンダリオの深いトラウマになっていた。」
漆黒は軽く肩をすくめただけだ。
フランケンシュタイン・ジュニアに、共感・同情するわけにはいかない。
そんな境遇だけなら、漆黒はいやになるほど知っているし、自分自身に当てはまる部分も幾つかはある。
「入れ替え子のアレクサンダリオは、今まで自分を守っていた揺りかごのような安全地帯を追い出された。儂がアレクサンダリオについて正確に知っているのは、此処までだ。後は、風説に過ぎない。しかし、それから数年後にアレクサンダリオが街で男を引っかけているのを見たことがある。ムルトバも綺麗な男だったし、スージーは絶世の美女だった。この二人の間に生まれた子、いや再生した子だ。綺麗だったよ。アレクサンダリオが生活手段としてその道を選んだのは究めて自然だろうな。もっとも最初はそうではなかったろうが、、。後知っていると言えば、、、極めて強力な浮浪児集団が形成された街があって、確かイーストアンダーグラウンドにそんな場所があった筈だ。そのリーダーがおそろしくカリスマ性が強い綺麗な男だといった話だとかな、、。まあいわばそれは、その後の話の切れ端だ。」
「なんで、映像の男が、いや教主が、奴だと判る?」
漆黒の口調は刑事のものに戻っていた。
「どういう意味だね?」
「あんたは長寿族だ。あんたはフランケンシュタイン・ジュニアの事を長寿族の異端だと言った。確かにそんな生まれなら、我らがジュニアは長生きをするだろう。だがあんたの話しぶりでは、あんたはフランケンシュタインのガキの頃しか知らない筈だろう。そんなあんたが昨日今日見たばかりの画像で、どうして映っているのがジュニアだと判るんだ。それとも我らがブゥードー教主はガキの姿をして映っていたのか?」
その時、漆黒の胸ポケットにある携帯電話が鳴った。