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精霊捜査線/鷲頭・豚頭の従者達は夜に啼く  作者: Ann Noraaile
第2章 スラップスティックな上昇と墜落
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ファビュラス・ハデス 16: 記憶と記録 因縁の始まり

    16: 記憶と記録 因縁の始まり


 漆黒は疲れがたまっていたのか、ヘリに搭乗した直後に浅い眠りに落ちた。

 地球から高度3万6千キロメーターの上空に大きな人工衛星をうかべ、それにエレベーターをつなぐと地球の自転の遠心力と衛星とエレベーターの重力がちょうどつり合い、なにもしなくてもその装置自体が空中に浮く事が出来る。

 この巨大人工衛星が、ヘブンだ。

 エレベーターを建築するにあたっての当初の問題は、遠心力で引っ張られる力にたえられる強度の素材がなかった事だ。

 そして第三世代カーボンナノチューブ素材の発明で求められていた強度がクリアされ、この問題が解決した。

 しかしこのエレベーターのメンテナンスに、同じ第三世代カーボンナノチューブ素材の外皮を用いた強化亜人類が使役されている事はあまり知られていない。

 疑似外骨格を纏った彼らの外見は、昆虫によく似ており、口の悪い人間達は彼らの事を飛蝗人間と呼んだ。

 クローン人間生成技術を応用はしているものの、基は亜人類だから「飛蝗人間」という明け透けな呼び名にも罪悪感が働かないのだろう。

 実際、その見栄えは人間からかけ離れた部分があって、彼らの脚や腕の構造は飛蝗のものに近いのだ。

 そもそも二本脚での直立歩行など、宇宙エレベーターの修理メンテナンスにはなんの役にも立たない。


 その内の一匹、いや一人が、この無限軌道エレベーターの外壁から地上に墜ちた。

 普通に考えれば地面に激突した飛蝗人間は跡形もないぐらいに飛散し死亡する筈だったが、彼は第三世代カーボンナノチューブ素材の外骨格のお陰で、死なずに生き残り、しかも「暴走」した。

 飛蝗人間は、墜落地点周辺で出会った人間達を殺して回り、姿を消した。

 それを探し当て確保したのが、漆黒だった。

 漆黒と飛蝗人間の逮捕劇は数時間に及んだ。

 人間の運動能力を高められた漆黒であっても、既に怪物となった飛蝗人間には到底敵わなかった。

 漆黒は周囲にある、ありとあらゆる物と状況を総動員して、つまり最も卑怯な手を使って、この闘いに辛勝した。

 漆黒の刑事としての実力評価は、この飛蝗人間を確保した事で決定的なものになった。

 その評価が、その後、鷲男のトレーナーと推薦される一番大きな要素となったのだが、、、。


 どんな話にも裏があるものである。

 事は、そう単純ではなかった。

 漆黒はこの時、人間が大儀ではなく個人の思惑で、個人所有の道具として新しい生命を造り出す生き物であることを知った。

 更に、追い詰められた人間は、人間である事を捨て「違うもの」になる事があり、更に彼らを「違もの」に変える事を躊躇わない人間も存在する事も知った。

 この事は最後まで公にはならなかったが、漆黒が逮捕した飛蝗人間は、亜人類ではなく、その中身は地上で行き場をなくしてしまった一人の人間男性だったのである。


 そして漆黒にとって、もう一つ重要な出来事が発生した。

 この逮捕劇で瀕死の重傷を負った漆黒は、生死を彷徨う無間地獄の中で、本来存在する筈のない原体の記憶を「夢」の形で、思い出したのだ。

 クローン人間生成上の最大のタブーの根幹は、人の意識の複製だ。

 つまりもう一人の自分を造り出すということ。

 死んだ家族をクローン技術によって再生する事は、そのギリギリのラインだったが、当人の死をもってその記憶に一旦ピリオドを打ち、クローンの人生を故人の記録上のデータに継ぎ当てる事で、人々はこの問題をクリアした。

 データは事実の列挙であって、その時々に付随する複雑な感情はない。

 死んだ人間の代わりによみがえったクローンが知っている自分の過去は、連続した記憶ではなく、感情の伴わない移植されたデータなのである。

 故に、それがクローンの夢として現れる時は、その夢は感情を伴わないまったくの記号に過ぎない。

 そして又、意識のブランク体として生成されるクローン脳に原体の生の記憶を転写、あるいは植え替える行為は、これから生まれ出ようとするクローン体に著しいダメージを与えるものとされていた。

 だが漆黒の「夢」に現れたものはデータではなく、断片的ではあったがそれは間違いなく感情を伴った記憶だった。

 第一、少なくとも漆黒賢治が、「誰かの為」に、自分のクローンを残した節はない。

 そして、その「夢」が、再びヘリの中で居眠りをする漆黒の眠りの中に姿を見せて始めていた。

 「夢」は、鴻巣という名前に酷く反応していたのだ。

 それに付随する感情は、複雑怪奇なものだったが、言葉として一番近いものは「無念を晴らす」の「無念」だった。

 鴻巣は、漆黒の原体・漆黒賢治と深い関わりがある男の名なのだろう。

 そしてその夢は、漆黒の目覚めと共に霧散したが、彼に奇妙な後味を残した。

 ・・・俺が刑事になったのは、本当は原体・漆黒賢治の遺言の指示に従う為なのではないか?・・・

 ・・・漆黒賢治は死して後に漆黒猟児となって、何かを成し遂げる為に、己のクローン体を作ったのではないか・・・



 まだ太陽は上がっていないが、眼下に横たわる闇の中には不思議なことに微妙な光の素があった。

 時刻が夜明け前のせいか漆黒の肉眼にも、前方の闇の中にうっすらとあの巨大架橋が見えるような気がした。

「刑事さんよ。何処に付ける?橋の上か、横か。それとも下かね?」

 ジェットヘリの操縦席から半身を突きだして男が言った。

 民間の操縦手にしては、どこか軍人めいて鍛え抜かれた上半身を持つ男だった。

 そしてわざとらしい、ぞんざいな口のきき方。

 それは己のなかにある、生来の生真面目さと忠誠心を隠すためのもののように思えた。

「このヘリなら橋の下にだって潜り込めるのはよく判るが、それは御免被りたいね。橋の上が、妥当だろうがそれも無理だろう、いくらこんな時間だって、もうすぐ夜明けなんだ。一般車が通らないとも限らない。軍用ヘリのこいつが止まってちゃ、大騒ぎになるよな。」

 漆黒は橋の幅を思い出した。

 このヘリが降下出来ないわけではないが、その為には一時的に道路を封鎖する必要がある。

 鷲男を回収した時のように、ヘリを車の真横に静止させるしかない。

「それなら心配ないね。道路封鎖は李警備保障がもうやってる。奴らは大げさなのが好きだからな。見てみるか。」

 男はコックピットの方で、ごそごそやってからゴーグルとヘッドホンが合体したようなデバイスを漆黒に突き出した。

「暗視ゴーグルか?」

「そんなチャチなもんじゃないが、まぁ親戚だ。」


 自分がまるで秋の空気が澄み渡った日に鳥になって、その橋を見下ろしているような気分になった。

 それも巨大な鳥だ。

 多分、鷲男は毎日、こんな視界を得ているのだろう。

 今、眼下の群衆たちは、漆黒が放置した車の周りに2重3重の輪を作りながらヘリが滞空する上空を見上げている。

 そのほとんどの人間が濃紺の制服を身につけていた。

 制服は李警備保障のものだ。

「、、そうだな。あんな立派なステージを用意してくれているならご期待に応えてド真ん中に降りよう。」

「いいねぇ。但し、捜し物は早くすることだ。李は俺達の権威で暫く押さえられるが、ジッパーはウチのお偉方でも骨が折れるって話だぜ。」

「ジッパー?ジッパーが、もう嗅ぎつけているのか?」

 黎明の光が射し込み初め世界は輪郭を取り戻しつつある。

 今度は肉眼でも、現場に近づきつつある3台の黒いセダンが見えた。

 3台の車が、現場に到着するのに3分もかからないだろう。

 おそらくジッパーの車だ。

 そしてこの後、路上を封鎖している李警備保障との押し問答で数分が費やされるはずだ。

 その間に漆黒はメモリーのバックアップを見つけださなくてはならない。


 ヘリが橋面の9メートルまで高度を下げたとき、漆黒は待ちきれずにヘリから飛び降りていた。

 着地のショックを和らげるために、漆黒は身体を回転させなければならなかったが足首も含めどこにも異常はなかった。

 漆黒の身体は、単に原体の複製コピーというのではなく、身体的な諸能力が超人と呼んでいいレベルにまで引き上げられているのだ。

 彼は立ち上がるなり車に向かって突進した。

 橋の上の男達は、始め彼らの頭上に飛来してきた大型ヘリに釘付けになっていた。

 ヘリの横腹に染め抜いてある軍科学統治機構のロゴマークがその威力を発揮しているのだ。

 次に、走る漆黒の視野の片隅に、李警備保障の囲みの一角があわただしく動き始めているのが映った。

 数人の判で押したような黒服の屈強な男達と、眩いばかりの銀髪をもつ女が、濃紺の制服の壁の向こうに見える。

 パーマー捜査官だろうと漆黒は考えた。

 彼女はこの事件の専任なのだ。

 ここで再び出会ったところで、奇異な点は一つもない。

 それより問題なのは、彼女の頭が「切れる」という事だった。


 漆黒は引き上げられた車の助手席側のドアを、祈るような気持ちで引っ張る。

 漆黒達が救出された時、この車は橋の防護ネットに抱きかかえられる状態で半分、河に向かって飛び出していたのだ。

 李警備保障が、それを橋の上に引き戻していた。

 その際に車のフレームが曲がってドアが開かない可能性も大いにあり得た。

 パーマー捜査官に、今、この車を押さえられてしまえば、漆黒には二度とバックアップを探し出すチャンスはめぐってこない。

 ドアは一度では開かなかった。

 窓ガラスを拳銃で撃ち抜く事を考える。

 警官用に開発された車の窓ガラスは、ボディに加わる衝撃を選別して割れる。

 防弾機能と、二次的な事故防止を避ける為の自壊を、より分けるのだ。

 当然、豆鉄砲と呼ばれる支給拳銃で、この窓ガラスを破壊するには弾倉を何回か空にする必要があるだろう。

 そんな派手な事をすれば、例えバックアップを旨く見つけだせてもパーマー捜査官の目をごまかすことは到底不可能になる。

 「しかし」と、漆黒が銃の使用を本気で考え始めたとき、突然車のドアがバゴンと開いた。

 半分、引きちぎったと言って良いかも知れない。

 本人が思っている以上の腕力を、漆黒は発揮していたのだ。

 漆黒は急いで助手席に潜り込むと、パネルスィッチが並ぶボックスに食いつくような勢いで、捜し物に取り組み始めた。

 あのビデオカメラとボックスを結線した部分は、略奪者によって見事に破壊されている。

 まずは、通信および電子機器の独立電源が生きているかどうか?

 チェックパネルに指の腹を指定回数通りに軽く打ち付ける。

 これが身元確認も兼ねた電源を入れる為の儀式だ。

 ボックスの点灯スィッチ部分が暫く点滅して安定する。

「いい子だ、、。」

 思わず漆黒の口から小さい言葉が漏れる。


『バックアップはあるのか?』次はそれが問題だった。

 人員を整理する為に導入された一世代前のハイテクギア。

 だがそれは警官達に配備された代物だ。

 玩具ではない。

 そのハイテクギア達は、常に裁判時での証拠能力を問われるのだ、バックアップは必ずある。

 だが何処にある?漆黒は車載PCのメモリーを探る。

 車載であるメモリー空間は、それほど広くはない。

 だがそれは中央コンピュータなどとの比較論にしか過ぎない。

 その空間は一人の人間の手仕事探査を遙かに超えている筈だ。

 一つ一つのファィル名を判別するのは不可能だ。タイムスタンプを確認する。

 壊れている様子はない。

 時刻で検索をかける事が可能だ。

 次はファイルサイズ。映像ファイルはこの時代にあっても群を抜いて大きい。

「ビンゴ!さすが、お堅い警察だ。こう言った事にはそつがない。」

 漆黒がバックアップファイルをダウンロードする為の専用メディアを探そうと、グローブボックスを漁り始めた時、背後から甲高い声が掛かった。


「漆黒刑事!その車の調査権は、私たちに移りました。速やかに、そこから降りなさい!」

 パーマー捜査官が、4人の男を引き連れて、自信たっぷりの足取りでやってくる。

 グローブボックスの中には、官給品の無骨な携帯電話が転がっていた。

 車載コンピュータや警察のメインPCと直接のやりとりが出来る便利な品物だが、大きすぎて現場からは敬遠され続けた品物だ。

『こいつで転送するんだ。媒体にダウンロードしても身体検査でそれを没収されちまう。だが、何処に送る?俺の家か。だめだ。きっと監視されている。警察?ばかな。やつらの手間を省いてやるだけだ。』

 迷っている暇はなかった。

 漆黒の手はグローブボックスの物陰の中で、無骨な携帯電話のキーを叩いていた。

 パーマー捜査官の部下の男が漆黒の肩を掴んだのと、バックアップファィルが漆黒の手によって転送され終わったのが、ほとんど同時だった。

 次は、バックアップの消去だった。

 データをジッパーに渡すつもりはない。

 そして漆黒の指は、黒服の男が彼を運転席から引きはがす寸前に、コントロールパネルのデリートキィを押していた。



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